二十一話:怒りが向かう先と、向けられた先①
ファルティは、ようやく教育担当の王妃にも叱られることが減ってきた。自分で蒔いた種とはいえ、一体どうして神の意志は王妃エンドを迎えたファルティを見放したというのか。始めるときに色々と注意を受けたことは憶えているのだが、最後まで自分を導くのが筋ではないのか、とファルティは思う。
自分の軽率さも今は見せないよう、細心の注意を払っている。カサンドラに言われたから、ということもあるが、将来王妃となる以上はこれより先、迂闊なことをしていられないのだ。
「…まずはどうにかして神の意志と対話をしないと…」
学生時代はどうやっていただろうか、そう思い返しながらファルティは部屋の中をうろうろと歩き回る。
今日は珍しく何もない時間ができたので、チャンスがあるとすれば今しかない。
「…ステータス、オープン!」
ファルティが言うと、ぱっと目の高さにウィンドウが表示される。
相変わらずルピアの所はぐちゃぐちゃに塗りつぶされたままで、変化はない。学生時代には数値が表示されていたのに、と改めて落胆した。
だが、時間をかけてなどいられない。どこかに神の意志と対話する術はないか、考えながらステータスウィンドウをあちこち触る。
「どこよ…どこにあるの…!」
どこを触っても、何をしても、神の意志との対話、という選択肢は出てこない。なお、こうしてウィンドウをいじっている間は学生時代と同様、周りの時間は止まったような奇妙な感覚に襲われる。
「ああもう!」
段々イライラしてきたのか、形の良い爪をファルティがぎりり、と噛む。苛立ちまぎれに目の高さにあるウィンドウをばん!と叩いた。
「…あ」
しまった、と思うが早いか、ウィンドウがぐにゃりと変形して四角形からそれ以上の多角形になったり奇妙な形になったり、幾本もの細い線が入り、ざざざー、と妙な音がし始める。もしかして今叩いたことで何かがおかしくなってしまったのでは、とファルティが焦り、ウィンドウの表示を元に戻そうとしてみるが、触れるのをためらうほど、更に激しくウィンドウが変形し始めた。
呆然としたファルティがその光景を眺めていると、いきなりそのウィンドウが巨大化する。
「え!?」
王妃教育の一環で、表情をあまり表に出してはいけないと言われていたが、これは驚かない方が無理だ。ぐにゃぐにゃと形を変え続け、どれくらい見ていたか分からないけれどその形がやがて、人に近いものへと変わっていく。
怒りが消え、次第に恐怖が襲ってくる頃、その形ははっきりと『人』と分かるような見た目になった。しかもその見た目が、どう見てもファルティ自身なのだ。
「…な…何なの…?」
≪何、とは失礼ですね。貴女がうるさいからこうして来たのに≫
「神の意志…?」
≪何の用ですか、ファルティ=アーディア≫
ファルティの姿で、抑揚のない声で淡々と問いかけてくる。それが忌々しく感じられたファルティは、ようやく会えた神の意志を思いきり睨みつけたのだった。
きっと、馬鹿にされているに違いないと思いながら睨み続けていると、ファルティの感情とは真逆の淡々とした声が聞こえた。
≪睨みつけられるとは心外ですね≫
「うるさい…!アンタ、どうして今は私を助けてくれないの!!」
≪…ぷっ≫
くく、と笑う声と共に心底馬鹿にしたような顔を張り付けて、目の前の神の意志はファルティを嘲笑う。それが途方もなく恐ろしい存在に思え、ファルティは一歩後ずさった。
≪どうやらきちんとご理解なさっていなかったようですね。そうですかそうですか…エンディングに到達しても、助けてくれると思っていたのですか…≫
「は!?」
≪ファルティ=アーディア、『恋☆星』の主な物語に入る前に私から注意事項をいくつか出しました。覚えていますか?≫
淡々と、神の意志は問うてくる。
忘れるはずがない。進級する数日前、学院の登校準備をしていて、いきなり白黒の、時間の止まったような世界に放り込まれたのだ。
そして、『もしも、目指せるならば皆が幸せになり、そしてあなた自身が王妃となりたいですか?』と聞かれた。話を聞いて自分なりに整理をしたところ、ファルティの目の前に現れた神の意志という存在は、一緒にとある目的を達成してくれる貴族令嬢を探していたという。なお、この神の意志からは色々な条件などが出されていた。
ひとつ。まず一番大切なこと。
協力するのはエンディングを迎えるまで。
あくまでエンディングを目指すための協力関係であり、それ以降は特に手助けなどはしてくれない。
「覚えているわよ!けど、じゃあどうしてルピアの好感度表示が黒く塗りつぶされているのよ!」
≪おや…もう早速矛盾があるというのに気づいていらっしゃらないとは≫
「は!?」
≪ファルティ=アーディア。…協力するのは、いつまでと、言いましたか?≫
「エンディングを…迎える、ま、で…」
≪あなたは今、どういう状態でしょうか?≫
「…っ、王妃エンドを迎えて…、でも、私が迎えたかったのは、大団円よ!だから!」
にっこり、と擬音が聞こえてきそうなほどの神の意志の笑顔に、底知れぬ迫力を感じたが、ファルティは吞まれてはいけないと必死に耐える。
だが、耐えられたのはほんの少しの間だった。
≪存外おバカさんのようですし…もう一度問いましょうか。……協力するのはいつまでと言いましたか?≫
あ、と小さな声が漏れた。
サポートしてくれる内容の手厚さが、細やかさがファルティにとっては当たり前になっていた。
だから、一番最初に言われた肝心な内容が頭からすっぽ抜けてしまっていたのだ。
《思い出していただけましたか?》
優しく、子どもに言い聞かせるような声色。
「つま、り…。もう、私がエンディングに到達したから、手を、貸してくれない、っていうこと…?」
《はい》
「な、…はぁ?!」
そんな馬鹿な話があってたまるか、と反論したい。だが、最初の時点でそれを了承して、協力しながらあの一年を過ごしていた。
「そん、そんなふざけた話が…」
《ふざけておりませんとも。あなたはそれを了承したでしょう?》
言い終わると同時に、神の意志の姿がまたぐにゃぐにゃと、ざざー、っという音とともに変化する。
《あなたは、わたくしから婚約者を、未来を奪ったでしょう?》
「ルピア…?!」
無機質な声に無表情。
人形のように淡々とした、だが、とてつもない美貌の持ち主。ファルティが神の意志と一緒になって、彼女が向かうべきだったはずの未来を、奪った。
でも、大団円エンドを迎えれば、きっと皆が間違いなく幸せになれたのだ。
ファルティは迎えられなかった。けれど、もしかしてどうにかすれば取り返しがつくような何かがあるのでは無いかと、甘い考えを持っていた。
《あなたがこれから歩むのは、未来》
次に姿を変えたのは、王妃。
《だってそうでしょう?エンディングを、終わりを迎えたのならば、そこから先に進まねばならない。違う?》
王妃の姿で、声で、淡々と問いかけてくる。
理解はしている。ただ、ファルティの思いとしては『諦めたくない』、これに尽きるのだ。
「なら…ならせめて、私の友達のルピアの好感度を見せなさいよ!!!」
《おや…またおかしなことを仰る》
ジジジ、と音を立てて再びファルティの姿に変わった神の意志は、心底不思議そうな表情を貼り付けてファルティの顔に、自身の顔をずい、と近付けた。
どこまでも無機質な目に、じぃっと見つめられる。
《あなた……お友達として仲が良いのに、その仲の良さを数値で表すんですか》
ぐっと、言葉に詰まるファルティを至近距離でじっと見つめながら続ける。
《ご自身のお友達に対してはそんなことを言わないのに、かの令嬢だけは執拗にそうやって拘り、執着し、粘着するのですか。…まぁまぁ…なんとも…へえぇ…?》
「あんたが!あんたが勝手に私を導くことをやめたからそんなことになってるのよ!」
悲鳴のような怒鳴り声を上げても、何も動じた様子は見せずに、また淡々と続けられた。
《無理ですよ?だって、もうライバル令嬢を解放しましたからねぇ》
「…え?」
呆然とするファルティに、追い打ちをかけるように続ける。
《あなた、彼女ときちんとした関係性を築けていなかったのに、何で友達だと思っていたんです?》
「あ、そ、れは」
《あなたは数値でしかライバル令嬢との仲を判断していなかった。そうでしょう?》
自覚していなかったファルティの思いと行動、それに伴った結果を淡々と続けていく神の意志。
《なのに、友達だからと喚く。ライバル令嬢は、もうあなたからも、この国からも、物理的に距離を取り、遠ざけておりますよ》
淡々としながらも、どこかにこやかに告げられる内容に、ファルティは血の気が引くのを感じていた。
嘘だ、そんなわけない、そう思っても、事実なのだから変えようがない。変えられるわけがない。