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十八話:時すでに遅し

 王太子妃教育は、強行軍のようなものではあるものの、比較的順調に進んでいた。

 言語学や歴史学に関しては、学院で得た知識や元来の勉強好きの性格が幸いしてあまり問題はなかった。問題があるとすれば、マナーや立ち居振る舞いの方だった。

 公爵家に生まれた令嬢と、伯爵家に生まれた令嬢。そこだけはどうしても変えようのない出自の差。身についた所作は付け焼き刃でどうにか誤魔化せるようなものでもない。だが、やらなければならない。

 ファルティはそもそも負けん気が強かった事もあり、これらも何とか耐えていた。筋肉痛になろうとも、足に血豆が出来ようとも、優雅で嫋やかな立ち居振る舞いが出来るようにと、体に動きを覚え込ませる。

 この間、幾度となく教育係であったはずのカサンドラに手紙も送った。あまりに軽率だった己の発言も謝罪をし、王太子妃教育を行って貰えないかと懇願してみたのだが、どうやっても叶わなかった。だが、会って話をすることはようやく叶った。ルピアばかりを大切にする理由を聞かないと、ファルティは納得できなかったのだ。

 何故、自分がここまで疎まれて嫌われなければならないのか、と。王太子妃教育を担当している者としての自覚が足らないのではないかと、そう問い詰めようと思っていた。…思っていた、のだが…。


「どうしてですか…? 確かに私の言い方、振る舞いは軽率でした。でも、どうしてルピアにそんなにも固執しているのですか! あんまりではありませんか!」


 悲鳴のようなファルティの声にも怯むことなく、カサンドラは冷たい視線のままでゆっくりと言葉を紡いだ。


「…貴女はカルモンド公爵令嬢のこれまでの努力を嘲笑い、踏み躙ったというご自覚はおありでいらっしゃいますか?」

「私、そんなつもりなんかで言ってませんでした!」

「…えぇ、そうでしょうね。けれど、王太子殿下の後見としてちょうどいいから、そんな理由で婚約者に選ばれたカルモンド公爵令嬢は、本来の道を一度は閉ざされました。次期公爵の道を、進むはずだった未来を、王家によって奪われたのです」

「それは貴族だから仕方ないでしょう?!」

「ええ、仕方の無いことね。だから、彼女は耐えていたではありませんか」

「た、()()()()()?」


 あら、と少しだけ目を丸くしたカサンドラは緩く首を傾げる。


「まさかとは思うけれど…カルモンド公爵令嬢が、殿下を慕っていたとでも思っていたのかしら」

「え、え?」

「彼女は、殿下に対してほんの少しでも愛情はお持ちではなかったわよ。あるとすれば親愛の情くらいでしょうか」

「………え?」

「しかも次は貴女によって王太子妃の未来も奪われた。未来を、二度も、この国によって身勝手に奪われた。でも貴女は『貴族だから』と片付けるのよね」


 さぁっと、血の気が引く音が聞こえたような気がした。


「学園では貴女と殿下の恋物語に酔いしれる者達によって、王都ではそれを聞いた下級貴族達によって、カルモンド公爵令嬢は心を踏みにじられたも同然」


 そんなこと、考えたこともなかった。

 ファルティはあの時提示された内容を見て、高みをめざしたいという思いを溢れさせた。そして、他の人が達成していなかった未来(エンディング)を達成しようと躍起にもなっていたが、出会い、何度も話をしている中で絆が深まり、リアムをしっかりと、心から愛した。

 彼からは愛しただけの愛情をもらった。これほどまでに隣にいて落ち着く存在がいるのだと、知り、失いたくなかった。

 たとえこの出会いがシステムによって導かれていたからだとしても、仲を深められたのもシステムのお陰だと理解はしている。だが、結ばれた絆の強さは何物にも代えがたいものであり、もう無くしたくないかけがえのないものになっていた。

 しかし、リアムに対してルピアが何とも思っていない、恋愛感情を抱いてないだなんて、思いたくなかった。あんなに素敵な人なのに、知れば知るほど愛して当然の人なのでは…、とファルティは呆然とする。


「…公爵家なら…ルピアの弟がいるじゃないですか…。彼に任せれば良いのに…」

「あぁ、彼は公爵家跡取りとしての教育を受けるにあたっての適性検査で、不合格になったから跡取りから外されたのよ」

「どうして、ですか…。どうして長男なのに…ルピアは女の子なんですよ! 女の子にあんな役割を背負わせるだなんて!」

「……貴女は『どうして』ばかりね」

「え…」


 微笑むカサンドラは、ただ、事実だけを告げていく。


「次期公爵を誰にするか、どうやって教育するのか。それを判断するのは公爵閣下。貴女がどうこう言うものではないし、関係ないじゃない。国の法律でも定められているでしょう?女性であれど、爵位継承はできる…と」

「それは、そうですけど…。で、でも! 男性を差し置いて女性が爵位継承とか、ふ、普通は…」

「本当に失礼な方ね。カルモンド公爵令嬢に対しても、カルモンド公爵子息に対しても」

「…っ」

「貴女、カルモンド公爵令嬢とお友達だと言っていたけれど…」


 ファルティが言葉に詰まってしまうが、カサンドラは続ける。


「わたくし、ルピア嬢から貴女と仲良しだとか、大切な友人だとか、なんて話を聞いたことはないわ。勿論彼女の母親である公爵夫人からもね」

「……っ」


 それはそうだろう。ファルティがルピアを友達だと思っていたのは、ステータス画面に表示された『友好度』の高さから、勝手に判断していたものなのだから。

『友好度』が高い、すなわち友である。そういう認識だった。


「貴女、彼女の好きな食べ物を知っている?」

「…………」

「好きなことは?」

「……っ」

「…呆れた」


 数値が高いと友達だ、そう思っていたのは間違いだった。今更ながら気付いてしまったがもう遅い。

 色々な人に、ファルティは『ルピアと友達なのだから』と言い回ってしまっていた。それはリアムに対してもそうやって告げていた。

 だが、違う。それはあくまで『ステータス画面』に表示されていた数値でしかない。

 その数値はもう見えない。黒でぐちゃぐちゃに塗り潰されているから。本編が終わったから、ラストに辿り着いたのだからもう不要なのだと思って…と、いうところで、はっと気付いた。


「…ぁ」

「もう、カルモンド公爵令嬢を『友』だなんて嘯くのはやめていただいてよろしくて?」


 そうだ。

 自分が勝手な判断で、思い込みで、『主人公』だと言われていたから正しいと、そう思っていた。

 あの一年間は、きっとルピアにとって悪夢のような一年間だったに違いない。友好度を示すあの数値も、ファルティが主人公(ヒロイン)として、あの一年を過ごすと決めたから、そうやって仕組まれたものではないだろうか。うまくいっていたファルティとは違い、あの一年、ルピアは恐らく針のむしろだったのだろう。

 システムが何をどうしていたのか、分からないけれど、ファルティが主人公で、ルピアが所謂ライバル、という立ち位置であれば、そのライバルの行動はどうやって決められていたのだろうか。

 考えれば考えるほど、とんでもないことをしたのではないか、そう思う。


「あぁそうだ。何故わたくしがルピア嬢に固執するのか、そう問うていたわね。そんなの簡単ではない?」


 気持ち悪いほどの後悔の念、押し潰されそうな奇妙なプレッシャーのようなものを感じながら、ファルティは改めてカサンドラと視線を合わせた。


「あまりに身勝手な理由で王家によって振り回されたにも関わらず、一生懸命勉学に打ち込み、結果をきちんと出してきた子を大切にして、何が悪いの?」


 あぁそうか、と。ファルティの中に、何かがすとん、と落ちた。


「壊れた玩具を捨てるように、王家が後見を望んだにもかかわらず貴女(ファルティ)に会った、優秀だから貴女(ファルティ)を王太子妃にする、と言われたわたくしの失望が分かりますか? ルピアを、公爵家そのものを踏み躙った王家の身勝手さが分かりますか?」


 笑っているのに、カサンドラの目の奥は優しさなど無かった。


「そうして出会った貴女が、いかに優秀かということは勿論わたくしも知っていましたよ。学院の成績は化け物じみて高くて秀でていた、それも認めております。とてつもなく素晴らしいわ。けれどね、わたくしも一人の人間なの。心があるの。…いとも簡単に捨てられた(ルピア)を育成し続け、慈しんでいたわたくしは、きっと貴女様の教育係になど相応しくありませんわ。だって、自分の感情が勝ってしまったのだから。…今後、我がニーホルム家が王太子妃教育を担うものとして、この王家に関わることは無いと、そうお思いくださいませ」


 ゆっくりと立ち上がり、カサンドラは深く腰を折ってお辞儀をした。

 そして、頭を上げて、先程とはうってかわった穏やかな表情で微笑みを浮かべている姿に、思わずファルティは見惚れてしまった。


「他の教育係の方々はカルモンド公爵令嬢を直接的には知らない。けれど、王太子妃教育がどれだけ苛烈なものかは知っている。これまで頑張ってきていた王太子妃候補を貶すような物言いをする貴女の言動、それを鑑みた結果、教育者失格だとは理解する。理解した上でも協力はできない、と…」

「……ぁ、っ、ち、ちが…、本当に、そんな、つもりは…」

「存じております。けれど、王太子殿下と結ばれた貴女は、『そんなつもりはなかった』で片付けてはいけないほどの地位を手に入れております。…それを、どうかご理解くださいませ」

「そん、な」


 もう既に婚姻関係を結び、王家の一員として過ごしているファルティに求められる行動や発言の慎重さ。

 単なる貴族令嬢として生きているならば、ここまでのことにはならなかったのかもしれないが、もう既に王家の一員として国中がファルティを認識しているのだ。

 しかも、学院時代のこともあるために平民たちからはとんでもなく人気が高い。恐らくこれまでの王太子妃ではありえないほどに。

 どこで、誰が、どんな発言を聞いているのか分からない。迂闊な発言は己の首を絞めるだけ。


「…せめて、こちらを」


 カサンドラは、持ってきていた教本をテーブルへと置いた。

 複数冊あるそれは、カサンドラが纏め、かくあるべきという道を書き記した王太子妃教育で使っていた教本ともいえるもの。


「わたくしに出来ることは、これくらいです。意地を張りすぎていたことも認めます。固執していたことも、勿論認めましょう。…ですが、もう、これきり。貴女に会うことはございません」

「……っ!」

「ごきげんよう、王太子妃様。これからのあなた様の道が、光溢れたものでありますように」


 最後に、ふわりと微笑んでカサンドラはその場を立ち去った。

 せめて、と残していった教本を見ると、かなり細かい書き込みがされたもので、これからの学習にとても役に立つものだということはすぐに理解出来た。


「……めん、なさ……」


 人払いをしていたので、ファルティが今こうして泣いているということは、誰も知らない。

 もしかしたら王家の影に見られて報告されるかもしれないが、そんなことはどうでも良かった。

 いかに迂闊な発言が多かったのか。否、多すぎたのか。こうして教えてくれる人がいたから気付けた。

 ありがとうございます、と心の中で言ってから、ファルティは思う。

 今更だけれど、あの『システム』は何だったのか。きっと向き合わなければいけない。


 そして、ルピアともきちんと、向き合わなければならない。

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