十七話:出発
準備ができて、ようやく出発の日となった。
念には念を。ルピアやルパート、ヴェルネラが乗る馬車は護衛をつけようということになったそうで、ルピア達はその人物の到着を待っている。
「護衛って誰だろうね、姉さん」
「うちの騎士達は、お父様からの信頼が地に落ちている状態だし…」
うーん、と揃って首を傾げている双子を、平然を装っているヴェルネラが内心ニヤけながら見ていたのは、ヴェルネラだけの秘密であったりする。自分の大好きなルピアと婚約者が、揃って可愛らしい仕草を…!と感動しまくりだったり、内心で『この光景をどうにかして残せないものか…』と悩んでみたり。だが、顔には決して出さない。何故なら今ここが外だから。
だが、そろそろ出発しないと移動のスケジュールに差支えがでてしまう…と思っていると、公爵家に向かって走ってくる馬が見えた。
「…あれって…ジェラルドおじさんの馬?」
「え?」
双子、ヴェルネラが揃ってそちらを見ていると、結構な速度で走ってきている馬と、それを駆っている男性。こちらに気付いたらしい彼が器用に片手で馬を操りながら手を振ってきている。
「ジェラルドおじ様!?」
「あの速度で片手で馬乗りこなすとか何なんだ…」
久しぶりに見た父の弟であり、ルピアやルパートをとても可愛がってくれている、おじのジェラルドだった。まさか、と思っているとみるみるうちに到着し、馬から降りて三人の元にやって来た。
「すまなかったな、ぎりぎりになってしまった!」
「い、いいえ、お久しぶりですわ、ジェラルドおじさま」
「ふむ、ルパートもルピアも元気そうで何よりだ。そしてヴェルネラ嬢も元気そうだな」
「ご無沙汰しております、ジェラルド卿。此度は護衛を引き受けてくださること、このヴェルネラ、身に余る光栄にございます」
朗らかに笑っている身長の高い、屈強な男性。
カルモンド公爵家の分家筋を取りまとめている存在でもあり、父アリステリオスの弟。双子から見ればおじという存在で、ジェラルドからすれば双子は可愛い姪と甥。
がっちりとした筋肉質の体に、顔には傷跡もあるが名誉の負傷というものであり、強さは父と比較してもほぼ変わらない。剣術大会や武闘大会では幾度も優勝を勝ち取るという強さを誇っている。
騎士団が信用できないならば、身内で。きっとアリステリオスはそう考えたのだろうということが想像できた。
「カルモンド領へは、俺が送る。護衛もかねてな。…しかしルピア、今回のことに関しては災難というか、逆に結果としては良しとするか…」
「後者でお願いします、おじさま。わたくしの元来の夢が叶うんですもの」
「記憶消去の魔術も受けたんだろう? 体調は大丈夫なんだろうな?」
「はい、もう問題ございません」
「ヴェルネラ嬢、君も一緒だったのか?」
「はい。お義姉様が心配で、しばらく公爵家に滞在させていただいておりました。そしてお二人に、カルモンド公爵領を経由して我がアルチオーニ伯爵領へ移動し、静養されては…とご提案させていただきました」
「そうか、君が。ルパートは良き婚約者を得たようだ。これからも可愛い甥をよろしく頼んだよ」
「仰せのままに」
綺麗なカーテシーを披露して、ヴェルネラはジェラルドに微笑みかけた。
うんうん、と満足そうに笑っているたジェラルドだったが、出発時間を思い出して苦笑いを返した。
「っと、すまない。そろそろ出発しよう」
「はい」
「はーい」
「よろしくお願いいたしますわ、ジェラルド卿」
のんびりとした時間。
王太子妃教育を受けていた頃はこのような時間が来るなどとは思えないほど忙しく、ひりついた日々だった。
そして、学園での最後の一年。己の感情をほぼ操られているといっても過言ではないような、奇妙極まりない状態での生活。ファルティが王太子妃になることで、『システム』とやらの声がして解放された途端、とてつもなくクリアになったルピアの思考。
モヤ、もしくは霧がかかっていたような状態で、どうやって友人たちと会話をし、日々の生活を過ごしてきたのだろうか。
馬車に乗り込むと、ゆっくりと走り出す。見送りに出てきてくれている使用人たちは皆笑顔で、ルピア達に手を振ってくれている。
「…おかしな話よね」
使用人たちの姿が見えなくなった頃、馬車の中で景色を見ていたルピアがぽつりと呟く。
ジェラルドは馬で馬車と併走してくれているので、この会話は聞こえていないだろう。
また、ジェラルド以外にも彼が連れてきてくれた護衛が、この馬車をしっかりと守りながら、カルモンド公爵領へと進んでいく。
ぽつりと呟かれた言葉に、ヴェルネラとルパートはふと顔を見合わせた。
「何がおかしいの、姉さん」
「だって、考えてもみて?わたくし、何も悪いことなどしていないのに王家から物理的にこうして距離を取ろうとしている。この王都にいる人が見れば、逃げている哀れな婚約解消されたご令嬢、なんですもの」
「それは…!」
「でもね、それでいいの。そう思ってくれていた方が、わたくしには都合が良いわ」
「お義姉さま?」
ふふ、と笑いながら向かいに座っているヴェルネラとルパートを見て、ルピアは言葉を続けた。
「王家がわたくしを追いかけてごらんなさいな。『どうして不要な令嬢を追いかけ回す必要があるんだ?』とか、言われてしまうでしょう?」
あ、とルパートは声を出す。
確かにそうかもしれない。
ファルティとリアム。彼らは今王都で話題沸騰中の『運命の二人』として騒がれているのだ。
学院で出会い、惹かれあって、婚約者である国の大貴族であるカルモンド公爵家令嬢という存在がいたにも関わらず、そのハードルを乗り越えて幸せになった、幸せ絶頂の王太子夫妻。世紀の大カップル。
これが、世間の認識。
では、王家がルピアを追いかければどうなるか。
『いやいや、そもそもあの公爵令嬢は要らないだろう?』
『どうして追いかける必要がある?』
民衆は少なからずそう思う。仮に追っ手をバレないように飛ばしたとして、ルピアを王都に呼び戻したとして、だ。
公爵令嬢を連れ戻すということは、それなりの護衛なども必要になるし、『連れ戻すだけの正当な理由』が必要になってくる。
既にファルティは王太子妃として、王家に迎え入れられている。そんなところにルピアが戻って何になるというのか。
単なる諍いの種を生み出してしまうだけであり、王家や王太子夫妻にとっても悪手でしかない。
更には、貴族達からも間違いなくこう問われる。『王太子妃様がいらっしゃるというのに、何故あの元婚約者が必要だ?』と。
ルピアの存在は、婚約解消をした時点で、既に王家から不要のものとされている。
表立って言わずとも、一方的に突き放している時点で、様々な貴族はそう判断しているのだ。
「だから、わたくしはもう遠慮しないわ。公爵領で、ひたすらに学び、鍛錬も行って、次期公爵になる。…あ、でもお父様達ったら移住計画もたてていたわね。うっかりしていたわ」
「んじゃ、クア王国に移住した後のことも含めて話せば良いんじゃない?俺は賛成」
「わたくしも無論、賛成ですわ!」
「良いの?ヴェルネラ」
「はい。わたくし、別にこの国でなくとも『裏』はやっていけますし」
目をキラキラと輝かせているヴェルネラが可愛らしく、ルピアは微笑みを返す。
初めて出会ったあの頃から考えても、ヴェルネラはとても良い方向に向かっている。今の役割を、思う存分楽しみながら伯爵家の利となるように動けている。
だが、そんな彼女をクア王国に連れて行ってしまってもいいものだろうか、とも思う。
ルピアの心を読んだように、ヴェルネラはずい、と体を乗り出して目を細めて笑った。
「いいんです、お義姉様。わたくしは、お義姉様のお役に立てることが何よりも嬉しいのです。だから、そのようなお顔をなさらないで?」
「ヴェルネラ…」
いつの間にか、心配そうな顔をずっと浮かべていたらしい。ヴェルネラは心配しないでほしいと言わんばかりの表情で、微笑んで言った。
「わたくしが、お義姉様のお役に立てる日がようやく訪れ始めたのです。お義姉様がいなければ、わたくしはきっと、日陰者の何も出来ない『ヴェルネラ』のままだった」
あの日の出会いがなければ、今こうして笑うヴェルネラ=アルチオーニは存在していない。きっと部屋にこもったまま、つまらない人生を密やかに終えた可能性だってある。
「だから、お気になさらないで。お義姉様はお義姉様のやりたいことを、やりたいように。今まで我慢されていたんですもの」
ね、と念押しされてしまってはどうしようもない。しかもそれが、たまらなく嬉しい。
ルピアは、心の底から嬉しそうに微笑んで頷いた。
それを見ているルパートもつられて微笑む。ようやく、ここからがルピアにとってのスタート地点なのだから。