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十六話:逃げられない

 パシン!と高い音がしてファルティの手の甲が扇子により打たれた。痛い、と声を上げてはいけない。いけないのだが、つい声が出てしまった。


「い、っ…!」

「…幼いルピアは出来ていましたよ、ぶたれても声をあげない。表情に出さない、ということくらい。…学院を卒業した貴女はどうしてできないのかしら…」


 冷えきった王妃の声。

 最初は間違いなく歓迎されていたのだ。このひとにも。だが、王家が失ったものを皆がようやく理解してきたことで状況が変わりつつあった。

 カルモンド公爵家の後ろ盾を無くした王太子が、王太子であるために何が必要なのかを聞かされたファルティは目眩がしそうになった。

 実家がとんでもない功績を挙げて陞爵されれば後ろ盾としての家柄としてはまず十分、と言われたものの、実家がそうなるかと問われれば答えは『現時点では否』であった。王太子妃の家柄としてはギリギリ及第点とされる伯爵家。

 なら、次は何をどうすれば、となるのだが『ファルティ自身がとてつもなく王太子妃としても優れている』ことを目に見えて大勢の自国の貴族だけではなく、他国にも知らしめなければならない。


「申し訳、ございません」


 間違いをする度に、手を打たれる。痛い。辛い。苦しい。愛されたくて、でも自分の思いが最優先で、野心を出して大団円ルートを目指してやろうと思ったら一つ取りこぼして、『王妃ルート』になった。

『王妃ルート』は、王太子妃となった後に主人公(ヒロイン)がゆくゆくは王妃となるのが確定しているルート。ライバル令嬢がどうなったか、どうなるのかはファルティも知らなかったけれど、勝手に思っていた。ある程度仲良しでいれば、ずっと一緒にいてくれるのだ、と思っていた。約束もしていないのに、確信してしまっていた。

 現実はそんなに甘くも優しくもない、と今こうして思い知らされているわけなのだが。

 そこまでルピアと毎回比べるな!と軽く抗議をしたこともある。返ってきたのは『貴女は自分がルピアよりも優れているとあれだけ言ったの。わたくしと陛下の前、そしてリアムの前でも。ならば、幼かったルピアが出来ていたのにと比較されても仕方ないのではないかしらね?』と、淡々とした言い聞かせのような答え。

 ブーメランのように幾度も返ってきてしまう己の失言。主人公であったが、一人の『伯爵令嬢』であったことは忘れてはいないのだと、声に出さなくとも言い聞かせられ続けているようで、ファルティは泣きたくなってしまった。


「泣く暇があるならば、所作も併せて身に付けていただける?言語や他国の文化を学ぶように、ね」


 知識を詰め込んで自分のものにするのは得意だった。

 主人公ヒロインに選ばれる前から、勉強は抜きん出て出来たために、それだけは褒められたのだ。

 だが、王家が身に付けなければならない所作については、知識ではない。付け焼き刃では見抜かれてしまう、動作全般の美しさを問われるもの。


「努力いたします…」

「努力をすることは当たり前。言うだけなら幼子にもできるわ」

「………っ!」


 言葉の端々から感じられる『大したことはない』とも感じられてしまう、王妃の態度。

 彼女なら、きっとどうにかしたのだろうかと、ここ最近はそればかり考えてしまう。

 今更『もしも』を想像しても仕方ないけれど、想像したくもなってしまうのだ。逃げ出すことなどできないとも、理解しているつもりだったのに…。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ルピア=カルモンド。

 カルモンド公爵家令嬢で、次期女公爵として親戚中、そして家族からとてつもない期待をされていた少女。

 銀色の艶やかな髪は背中の中ほどまであり、普段は緩く巻かれている。前髪はちょうど目にかかるかかからないか、というくらいの長さ。普段は下ろしているが、夜会の時はきちんとまとめてアップにしている。身につけるアクセサリーは、自身の瞳の色である濃紺のサファイア。家族や親戚から贈られたものが圧倒的に多い。

 身に纏うドレスは華美なものではなくいたってシンプルなデザインのものが多く、スラリとした長身を包み込み体のラインを綺麗に見せるようなもの。

 少しつり上がった目は意志の強さを示しており、まつ毛は長く上を向いている。彼女の雰囲気は冷たいように思えるが、親しくなった人や身内に対しては、とても柔らかな態度で接する。

 そんな彼女が王家からリアムと婚約関係を結んだ時、あまり外には知られていないが色々とあった、と聞いている。王妃も国王も、ことの詳細については知らないようだ。


 では、かつて何があったというのか。


 婚約者として指名されたルピアは、それはそれはとてつもない勢いで絶望し、泣き喚いたのだ。嫌だ、やめて、夢なら覚めてくれ。そう言いながら部屋で暴れた。壁紙はボロボロになり、枕からは羽毛が飛び散り、クッションからは綿が覗くほど。

 言っても信じてもらえないから言わない、というのはアリステリオス談なのだが、当時を知るルパートはひと言、こう呟く。


『あんな姉さん、見たことない』


 完璧な淑女たれ、そう言われて育てられたルピアが。

 公爵家令嬢であるルピアが、泣き喚き、部屋で暴れ、泣き疲れて眠りについたそうだ。

 泣き過ぎて体力が限界に達したからだと言われているが、公爵家の跡取りとして体力作りもしていたルピアは、同い年の子と比べても元気であったし体力もあった。

 カルモンド公爵家が担っているのは国の防衛。幼い頃から基礎体力をしっかりと付け、体を作りこみすぎないように成長に合わせた育成メニューを組んでいたのだが、それが災いしたとでも言うのだろうか。

 ずたぼろになった室内と、泣き疲れてその中で眠る幼いルピア。まずい、と察したアリステリオスは我が子の精神的なケアを優先すべく婚約をどうにかして断らねば、と思った。が、目が覚めたルピアは告げたのだ。


「いつか、もしもその日が来たら、私を当主にしてください。どれだけ辛くともやり遂げますから」

「…ルピア…」

「リアム様が、わたしを受け入れてくれて、この婚約の意味を理解したまま結婚する日が訪れれば、わたしは王妃にでもなんでもなりましょう。けれど、そうでなければ…」

「公爵家当主の道を選ぶと、そう言うか?」

「はい」


 とんでもない癇癪を起こしたとは思えないほどの冷静な言葉。

 そして、これを言ったのがまだ十歳にもなっていない子供。

 目を真っ赤にしていて、泣いて体力も消費されているだろうというのに、父親であり公爵家当主を目の前にしてはっきり言い切った。


「辛いぞ」

「逃げないわ、わたし。…いえ、逃げませんわ、わたくし」

「…よくぞ言い切った、我が娘」


 大きな掌で、ルピアの頭をわしわしと撫でてやれば『わぁ』と驚いた声が聞こえてくる。

 この日以降、ルピアは歯を食いしばって色々な事を耐えてきた。

 ルピア付きのメイドのリシエルや護衛のアルフレッドは、陰ながら支え続けてきた。疲れて眠る姿を見たらベッドに運んだり、眠そうにしていたらお茶を差し入れたり。怪我をすれば早く治るようにと塗り薬や貼り薬、治癒術士の手配も行った。

 周りに支えられ、異例の教育プログラムを必死にこなしてきたルピアを、公爵家の人間が慕っていないわけはない。親戚一同もそうだ。

 最初こそ馬鹿にする声も上がっていたのだが、努力を積み重ね続け、休むことなく必死に食らいついている姿を見て、そんな声は減っていった。それどころか応援する人の方が多くなってきた。


 故に、今回の件は親戚一同の怒りも爆発することとなったのだ。

 王家への不満、王太子ならびに王太子妃への不満も同時に膨れ上がることとなったばかりか、カルモンド公爵家本家は他国へ移住しようとしている話をどこからともなく聞きつけた親戚筋は、我も我もと共に移住を決意しているとか何とか。

 領地はどうする?ということだが、何ともまぁこれ幸いとでも言うべきか。カルモンド家全体が担っているのが国の防衛という事もあり、領地が割と隣国よりに配置されていた。


 そう、移住先であるクア王国の隣に。


 ミリエールがアリステリオスに嫁ぐ際、『隣国であるから』という決め手があったから嫁げたといっても過言ではない。

 隣なので割と行き来は自由だ。

 勿論、国同士の移動なので許可証は必要なのだが、もういっそ領地ごと移るかどうかについても話し合いが着々と為され、そして領民にも御触れが出された、

 首都に住んでいない領民は、今回の詳細を知らなかった。知らされた後、当たり前のように王家への不満が噴出した。

 ルピアは領地で幼い時期を過ごしていたし、長期休暇には領地へと顔を出して領地経営に加えて国の防衛に関する勉強も行っていたことも領民は知っている。


 今回の件での静養で領地に立ち寄ると聞いた領民は、これについては両手を挙げて歓迎しているという事も聞いてルピアは胸を撫でおろしていた。

 王都に居ては、どこからともなく『王太子と王太子妃の奇跡のラブロマンス』が聞こえてくるし、ルピアに対しては『王太子殿下を支えられなかった哀れな元婚約者』と嘲笑う声が多いのだ。

 ならば、もういいのだと、見限ることを決めた。


 公爵一族から見放されたことと、これからやってくる決して明るくない未来に、気付いているのは、果たしてどれほど存在するのだろうか。

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