十四話:王太子妃教育
これまで王太子妃教育を担当してきた歴代の教師陣全てから断られた、と王妃から冷たい声で報告を受けたファルティは頭から氷水をかけられたような感覚に陥った。
真っ先に断りの連絡が来たのはカサンドラから。あまりに身勝手な理由で婚約解消と王太子妃交代を告げた王家の王太子妃など、もう二度と、金輪際として教育したくない。会って早々の台詞も酷すぎる。社交界から追い出されようとも嫌だ、無理に押し付けようものなら自害する。それほどまでに拒否、もとい拒絶をしてきたのだ。
王妃はその連絡を聞いて、床に崩れ落ちた。カサンドラはルピアの教育担当をしてくれていたのだが、王太子妃候補の令嬢たちも教育していた。彼女の求めるものがあまりに高く、次々に脱落していったのだが、残った令嬢も少ないながらいる。その中で桁違いに優れていたのがルピアだった。
そのルピアをあまりにあっさりと捨て、ルピアに万が一があってはいけないと教育を続けていた王太子妃候補達をも捨てたのだ。候補の令嬢たちは、ルピアほど教育が進んでいなかったので、人によっては王宮仕えの高位侍女として働くことを望んだり、カサンドラのように教育担当として生きていきたいと願うものも居たために、それぞれの道へと進んでいった。
かつて教育担当をしてきた婦人たちも、ファルティの地雷に等しい台詞を聞いて『我らは必要ありますまい』と笑いながら断ってきた。
学生時代ならまだしも、今『私、ルピアに負けないくらいの王太子妃になれる自信があります!』などと言うとは、国王夫妻も、王太子リアムですら想像していなかった。ルピアを退けて王太子妃として認められたのだから、どれくらい優秀かを示したかったらしいがあまりに悪手。国の重鎮たちにも『浅慮すぎたのではありませんかな』と会議で冷ややかに指摘を受けてしまった、というのは国王談。
「…もう、わたくしが担当します」
それしかない、と王妃は腹を括った。
自分が受けてきた王太子妃教育と、結婚したからにはもう後戻りなどできないのだから王妃教育も同時進行で進めていかねばならない。できるできない、ではない。
やるしかないのだ。
国王と王妃、双方が話し合って出した結論に、ファルティは頷くしかなかった。
朝食の場で、国王夫妻とリアム、ファルティが揃った状態で『王妃が王太子妃教育を行う』と聞かされた。
そして、初めて会った頃よりも鋭い王妃の目に、思わず後ずさりしそうになりながらも口を開く。
「あ、の…いつから始まるのでしょうか」
「今から、もう始めます」
「え?」
「よろしいですか。王族の一員として貴女はここにいるのです。今までのマナーとは違う、王族のマナーを身につける必要があるのですよ。二人が結婚したことで、我が国を訪問したいという手紙も多数来ております」
「…っ」
ひと息おいて、王妃は淡々と告げる。
「自覚を持ちなさい。もう、学生ではないのですから」
ファルティはそれを聞いて、更に全身が冷えたような感覚になってしまう。
『学生ではない』という台詞が、何だか恐ろしいような、不可解な感覚。もう既に学園は卒業しているのだから、当たり前なのだが今更実感した、とでもいうべきか。
「…あの…」
「向上心、大いに結構。ですが」
迫力しかない王妃の目線と、振る舞い。
これまでとても優しく接してくれていたのに、どうしてこんなにも責められるのだろうかと思ってしまうが、もしかしなくとも心当たりはある。
『私、ルピアに負けないくらいの王太子妃になれる自信があります!』という、あの言葉。ファルティは特に他意はなかったのだが、ルピアの事を舐めすぎているという思いもなかっただけに質が悪すぎた。
「貴女の言葉で、これまで王太子妃教育を担当してくれていた方々は悉く断りを入れてきました。理由はわかりますか」
「え?あ、いえ…」
「貴女は、幼い頃から色々なものを我慢してくれていたカルモンド公爵令嬢の想いも何もかもを踏みにじったのです」
「わ、私そんなつもりは!」
「自分に自信があるのは大変よろしいことね。でも、それをわざわざ言う必要がどこにあるの」
「それは…」
学生時代であれば、そう言えば『すごい!』と言ってもらえた。だがもうここは学園ではない。ファルティの立場も現状も何もかもが異なっている。
普通の伯爵令嬢であれば、こうはならなかったのかもしれないが、そもそもの考えを変えなければいけないという事がまだ理解できていないようだった。
「それと、貴女には今の言語のほかに五か国語は話せるようになっていただかねば困ります」
「…!?」
「何を驚いているの。カルモンド公爵令嬢は話せておりましたよ。話す、ということを除いた読み書きもそれくらいは普通にできておりました」
愕然とした。
学園の成績だけ見て、特待生である自分がいかに優秀なのかということで、完全に驕っていた。
今までの努力の質も、量も、ルピアがいかに桁外れなのかを改めて思い知らされることと同時に、とてつもなく失礼なことをしているとも思い知った。
「……」
背中を、嫌な汗が伝う。
「できない、などとは申しませんね? 貴女は、優秀なのでしょう」
「…やり、ます」
だがそれでも、ここまでやってきたからには自分の実力は確実についている。数値で見れているものからして、ルピアに引けを取らないものには間違いない。
やれない、とは言えるはずもなくファルティは真っ直ぐ王妃を見据え、頷いた。
「よろしい。ではマナー実践の授業を兼ねて、今後の食事とお茶の時間は全てわたくしと、行います。リアム、そなたは王太子妃のせねばならない書類の仕分けを行いなさい。ファルティにやらせます」
「承知いたしました、母上」
「陛下、よろしいですわね」
「…うむ」
「カルモンド公爵令嬢に対しての我らの非礼を詫びるためにも、貴女にはとてつもない速度で習得してもらわねばなりません。マナーも、言語も、歴史も、経済も、何もかも」
無意識に、手が震えた。だが、これを招いたのは誰なのか?ファルティとリアム自身。
ファルティも、ステータス画面で確認したからこそ何かを失敗、もしくは逃してしまったからこその今のエンディングだということは嫌でも理解はした。
だが、心の中では諦めてはいなかった。何が悪いのかをどうにかして解析してから、取り返せるものは取り返してやろうという思い。
取り返すも何もないのだが、きっとファルティは本人に会うまで気付かないままなのだろう。
ファルティが失敗したのは、たった一つ。
ルピアの双子の弟に、ルピア自身が紹介してくれていないということ。これはルピアとの仲良し度が最大値になっていなければ起こらないイベントである。
システムに乗っ取られているような状態で、意識がはっきりしていないルピアだったが、抗ってやろうとは思ってはいなかったし、そんなことを思う余裕もなかった。
なお、イベントの発生条件はきちんと満たしていたのだ。見逃したのはファルティ。
たった一度。されど一度。
それを満たさないと、達成できない最難関エンディング、それが『大団円エンディング』なのである。
もうファルティは『王妃エンド』に達してしまったので、叶う筈のない願い。取り戻そうとしても時間を巻き戻す奇跡でも起きない限りは不可能。
ファルティは歯を食いしばり、朝食の席から開始されたプレッシャーに耐えた。
「これが…続くの…?」
一度ではない、これが、始まり。
自分が選んだ結果からの、『現実』が、開始されたのである。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
≪彼女は、見逃した≫
≪あれだけヒントをあげていたのに≫
≪いつになったら、誰が大団円を迎えられるというのか≫
≪さぁ、『次』を『設定』しよう≫
≪できるまで、やるだけだ≫
機械のような音声が複数展開される。
あちこちで、声が響く。
全てのエンディングを達成されるまで繰り返される。それが、遊戯なのだ。巻き込まれる側はたまったものではないが、これが終われば、きっと。
―――きっと、終わるに違いない。