十三話:そこそこ復活
じわり、と体内の魔力の巡りが良くなってきたのをルピアは感じていた。
記憶消去の魔法は、言葉の通り自身の記憶を消去するというもの。扱える人間は国内でも数少ないとされており、また、消去される側への負担が相当なもののため今までこれを実行に移してきた人も少ない。
記憶の積み重ねをひとつの本に例えるならば、記されたページを燃やし、灰となった不要な記憶を吐き出すことで自分の中から消し去る。ルピアの吐き出した黒い血が、所謂『記憶の灰』と呼ばれるものだった。あの場にいたもの全てがこうも証言している。『人生で見ることがないものの一つだと思っていたが、まさか見れるだなんて』と。
ルピア自身もそうだったし、吐き出している間は胸焼けなどによる嘔吐とは違った気持ち悪さに襲われ続けていた。だが、吐き出しきってしまえば、もとい、すべて焼き捨ててしまえば驚くほどスッキリした心地になったのだ。
体への負担こそあったものの、色々と回復してきているルピアはこれからが楽しみで仕方ない。
ようやく、幼い頃からの夢が叶えられそうなのだ。叶った後が大変なのは勿論承知の上。
「やっと…訓練も再開できますわね」
ふふふ、と楽しげに笑いながら自室で軽いストレッチを行う。ぼんやりとした感覚も、気持ち悪さも何も無い。
ヴェルネラはというと、引き続き滞在しており、その間に伯爵家サイドで静養の準備をしてもらっていた。
なお、王太子妃ファルティが報告書を見てルピアが領地に出発したと思っていたようだが、それは単に彼女の書類の読み間違いだったことが王宮で発覚したりしていたが、ルピアはそんなもん知ったこっちゃない。
荷造りは着々と進んでいるし、アルチオーニ伯爵家も全力で滞在準備をしている。更に、父から提案された母の祖国への移住の計画も進んでいる。
親族一同を集めて会議をするようで、その場にはルピアもルパートも出席するようにとアリステリオスから言われている。
「さて、長距離移動に慣れるために少し鍛錬しなければ。怠けすぎましたわ」
「姉さん、まだそんなに思いきりやっちゃいけないよ?」
「分かっております。ルパートは心配症ね」
「お義姉様、無茶を無茶と思わないから、ルパートが心配しているんです!」
「ヴェルネラまで…」
もう、と少しだけ拗ねたようにするルピアは、実家だからこそ気を抜いている。
先日の男爵家バカ息子二人の突撃の際に対応しきれなかった騎士団員達は、その地位を失ったようだ。アリステリオスの烈火の如き怒りと、ミリエールの『公爵家を守れない騎士など不要』というひと言で、彼らは辞職していった、とルピアは聞いた。
あれが暗殺者だったならば、ルピアやヴェルネラの生命がどうなっていたのか、というひと言で辞職を迫られ不満を零しかけた彼らの目は覚めたらしい。
ヴェルネラも自分を守るための体術を身につけてはいるが、成人男性が複数人で来てしまってはそれも役に立つのかどうか危うい。危機に直面した時に咄嗟に判断できるのか?と問われればいかに訓練されていようとも一瞬の油断が生じてしまう可能性だってある。今回はたまたま無事だったようなものだ。
それ以降、騎士団員たちは緩んでいた気を一気に引き締めて日々の業務に取り組むようになっているが、それは当たり前に行わなければいけないもの。
将来的にはルピアが彼らを率いていかねばならない。そのためには不要な情けなど捨てねばならぬ。
父であり、公爵家当主であり、騎士団員たちを率いているアリステリオスは、確りとルピアに言い聞かせた上で、今後少しずつ鍛錬へと参加するように申し付けたのだ。
「無茶はしたくないけれど、当主のお父様が割と無茶をする方だもの。娘のわたくしもそうなって仕方ないでしょう?」
「それはそれ、これはこれですわお義姉様!」
駄目か、と物凄い小声で呟いたのをヴェルネラは聞き逃さなかったが、こうしてルピアの茶目っ気のある様子を見られるのは紛れもなく彼女が心を許してくれているから。
記憶消去を行ってから大変な思いはしたけれど、それでも以前の日常が戻ってきているのを感じられる。王太子妃と王太子が公爵家にやってくるかもしれないというもやもやはあるが、今のルピアならば問題なくあのお花畑二人組にも対応できるだろう、そう思えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「どうしてですか! ルピアのお見舞いに何故行けないのですか! いいえ、お見舞いだけでなく、男爵家子息お二人を可哀想な目に遭わせるだなんて…っ」
「ファルティ、少し黙ってくれないか」
「…っ」
いつもより遥かに冷たいリアムの声。
じっと報告書を読んでいる彼を見つめているファルティは何もかもがうまくいかずに焦り始めていた。
学生時代は神の意志が何もかもを助けてくれていた。自分は選ばれた人間なんだ、そう思って自信もしっかりあった。だからこそ、最難関の大団円エンディングを迎えているはずなのに、そう思っている彼女は、まだ気付かないし、気付いていない。
王太子妃の教育も、何故かまだ始まらないことにイラつきもしていた。
自分は公爵令嬢であるルピアよりも学校の成績は高く、他の生徒からの信頼も厚かった。ルピアの周りにいたのはほんの一部の生徒だけで、ファルティの周りには色んな人が笑顔でいてくれていたのだ。
「…私、部屋に戻るわ」
「そうしてくれ。わたしは、君ができない分の書類の処理をせねばならない」
カッとなりかけるが、王太子妃の教育がほとんど進んでないのは事実。
ファルティの教育を王妃も国王も依頼しているのだが、かつて教育係を務めた女性たちは口を揃えて皆、こう告げたという。
『ルピア様より優秀だとご自身で仰っているのであれば、我らの教えなど必要ないでしょうに』
言った。
何度も言った。
だが、ファルティはまさかこんな事態を引き起こすことになるとは予想もしていなかったし、思考回路は学生のままだった。ルピアよりも優秀であることを言えば『まぁ、なんと優秀な事でしょう!こちらも頑張らねば!』となると思っていたのだが、相手は所謂『高位貴族』のご婦人なのである。
由緒正しき家柄の老婦人はファルティの天真爛漫ぷりがどうしても我慢ならなかった。学生の間であればこれで問題などなかったが、もう違うということを理解せねばならない。それに加えて、もうファルティには神の意志がついていないのだ。このままの調子でいてはいけないと気付いたのは、王太子妃教育を依頼した教師の断りが、かれこれ五人目の頃だった。
自室に戻りながら必死に考える。どうやれば彼女らは自分の教育に力を注いでくれるのだろうか、と。時すでに遅し、ということにも何とか気付けたがここからどう巻き返せばいいのかと、それだけが思考回路をぐるぐると巡っていく。
「…まだ、見れるよね」
部屋に戻り、震える手を抑えながら意識を集中させた。
「ステータス、オープン」
声までも震えそうになっているけれど、躊躇などできなかった。
ぱっ、と表示された見慣れたウインドウ。
注意深く改めて、隅から隅を眺めていて、ようやくファルティは気付けた。
「大団円じゃ、ない…!?」
がたがたと震えるも、ようやくこれで納得がいった。ファルティだけは。
「全部、うまくいってたはずだったのに?」
ウインドウの下に表示されている文字。
『王妃エンド達成』と記載されているそれを、呆然と見つめ続けていた。
「どこよ…どこで…私は、何を間違えたっていうのよ…」
認めたくなかった。
あんなに学生時代必死に勉強もして、人間関係もしっかり構築した。
なのにどうして失敗したのか。
言う通りに行動し、無駄を徹底的になくして色々な人が望んでいるような、立派な令嬢として生きてきたあの一年を、どうしてくれるのだとファルティは泣きたくなってしまった。
更に彼女は気付いていない。
神の意志の声があったからこそ、何もかもがうまくいっていた、学生時代のあの一年。必死に努力したことでリアムの愛も得られたが、大団円を目指していたファルティからすれば、やめてくれと頭を抱えて叫びたくなるようなものだった。
「…あ、あぁ…」
黒歴史とも言わんばかりのここ何か月かの自分の行動も相まって、何をどうすればいいのか分からなくなってきていた。
「やり直しなんか利くわけがない。なら…今からでもシステム入れるのか…」
ファルティの頭の中で、パズルのピースのようなものがゆっくり嵌まっていく音がしていた。
「お見舞いじゃない、ちゃんとルピアに話を聞かないと…」
呟いて、ファルティはもう一度リアムの執務室へと向かう。
心に、今後どうするか、どうしてやろうかという期待をうっすら抱いたまま。