十一話:彼女の身に起こっていたことと余計なお世話③
アルチオーニ伯爵家。
何が有名なのか、と問われれば大抵の人は『交易』と答えるだろう。
独自に築き上げた人脈と、商会や貴族との繋がり。それらを駆使して行われる取引は、平民から自国、他国を問わず貴族の間でも有名であった。望みの品が手に入ることは当たり前として、それ以上を言わずとも察し、薦めてくれるということが評判になり、長い時間をかけて莫大な富を築き上げていった。
中でも今代のアルチオーニ家当主、更に次期当主であるヴェルネラの兄は、とんでもない商才と人の心を掴む話術に長けていたのだが、ヴェルネラはどちらかといえは『平凡』だったし、そう言われ続けていた。
人の心を掴むことや、あちらこちらに人脈を作り上げることよりも、ヴェルネラ自身は穏やかに暮らしたいとそう願っていた。
仕事に関係した付き合いのある人々が家にやってくる度、どうにも落ち着かなかった。貴族に生まれたからには仕方ないと理解はしているものの、反対に気持ちは疲弊し続けていった。
婚約者選びも、社交界に出て人脈を広げることも、令嬢たちのお喋りも、何もかもどうでも良かった。そんな考えではいけないことは理解しているが、何故だか駄目だったのだ。
そんな時、王宮主催の半年に一度開催される、国中の貴族を集めたお茶会にアルチオーニ伯爵家も招待されたのだが、そこでヴェルネラは運命の出会いを果たす。
それが、他でもないルピアである。
凛とした佇まい。
真っ直ぐ背筋を伸ばして前を見据える力強い眼差し。
次期公爵としての教育を受けながらも、王太子妃候補としての教育までも受けているという才女。
彼女を馬鹿にする人は、誰一人としていなかった。
取り入りたい貴族も含め、ルピアの周りには様々な人々が集まり、入れ代わり立ち代わり挨拶をしたり談笑したりしていた。
ヴェルネラからすれば、それらを微笑みを浮かべこなしているだけでも、すごい、と賞賛したかった。
あまり人に近づきたくはなかったが、ルピアとは是非とも知り合いになりたい、そう思えたのだ。
惹かれた、という表現が一番しっくりくるのかもしれない。
ふらふらとルピアの元に近付き、挨拶をしようとタイミングを見計らっていると『少し、失礼します』とルピアが人の輪から離れていく。
これはチャンスだ、そう思ってヴェルネラは彼女の後を追いかけた。
「どうにかして…お話できないかしら…」
うーん、と唸りつつ無自覚でヴェルネラはルピアの後を、一定の距離を取りながら追いかけていく。
自然と、距離と速度を保ちながら、リズム良く歩いていく。あまりに自然で、ルピアが気付かないほどに。
そうして少しの時間歩き、ルピアが入っていったのは休憩場所として用意されていたある一室。
てっきり化粧室に向かうのだとばかり思っていたヴェルネラは、はて、と首を傾げて一歩踏み出した、その時。
「何者だ貴様!」
ひゅ、と空気を切る音が聞こえ、喉元に突きつけられた短剣。
驚きながらもどこか冷静に、ヴェルネラは短剣へと視線を落とす。
「答えよ。何故、我が姉を付け回してきた」
ルパートの鋭い声。
「ええ、と…付け回したつもりは無いのですが…」
「嘘をつくな!」
ヴェルネラの答えに苛立ちを覚え、更に鋭くなるルパートの声だが、ルピアがそれを制した。
「待ちなさい、ルパート」
「姉さん、でも!」
「…待ちなさい。…わたくしも、この子に後を追いかけられていると気が付いたのは本当にさっき、なのよ」
「…え?」
ルピアの後をつけ回すことがどれだけ危険か。加えて、どれだけ困難なことか、ヴェルネラは理解できずにいた。
「あ、の…?」
「貴女、アルチオーニ伯爵家のヴェルネラ嬢ね」
「は、い」
「…どうして、アルチオーニ伯爵はこの娘のこの価値に気付いていらっしゃらないのかしら…」
何やらブツブツと呟いて、ルピアは未だ短剣を突きつけたままのルパートの腕を掴み、ぐっと下ろさせた。
そんな事をしても、きっとヴェルネラは気にしない。それどころか、下手をすれば避ける。
「ヴェルネラ嬢。ゆっくり話すから、ご自身の中で理解をしてね」
「…?」
「貴女、伯爵家では『平凡』と言われ続けているのではなくて?」
「何で、それを」
「社交界でよく言われているもの。アルチオーニの娘は、何故だか平凡だ…と」
「それは、あの」
「平凡とか、有り得ないわ」
ぐ、と言葉に詰まる。
あぁ、この人の目には自分は平凡どころか、能無しのようにしか思われなかったのだろうと、後ろ向きになりかけたその時だった。
「とてつもない『異常』、『非凡』よ」
「………………………え?」
心底理解できないといったルピアの表情と、よく分かっていないルパートの表情は対比的だった。
何が一体、とルパートは考え始めて『あ』と声を出す。
「お前、どうやって姉さんの後を付けてきた?」
「どう、って…」
普通にですが、と恐る恐る答えたヴェルネラを信じられないようなものを見る眼差しで見つめる双子。
有り得なかった。
カルモンド公爵家は代々、国の防衛に携わっている。そして、ルピアは次期当主としての教育を受けている。
ありとあらゆる護身術を叩き込まれ、人の気配に関してはかなり敏感。それに加えて自分の心の内に入れていない人物を一定距離内に近付けることなど、決して、しない。
歩く時も気配を常に探りながら、気を張り続ける生活を送ることに慣れきったルピアを、どうやって追跡したというのか。
「普通、に」
遠慮がちに答えたヴェルネラを、ぎょっとしてルパートは見つめた。
言い方は悪いが、どこにでも居そうな令嬢が、自分の姉の後をほいほいと追いかけてこれるなど到底思えない。
だが、実際はここまで撒かれることなく追いかけてきている。
「あぁ…そうか。…うん、確かに貴女は『非凡』の塊だ、アルチオーニ伯爵令嬢」
はー…と大きな溜め息を吐いて、ルパートはその場にしゃがみ込んだ。
何か自分が粗相をしてしまったのか、とヴェルネラか慌てているとルピアがふわりと微笑みかける。
「ヴェルネラ嬢、貴女、きっとアルチオーニ伯爵家の『裏』の仕事が向いているのかもしれないわ。『表』は、貴女の兄上にお任せしておきなさいな」
「え、…えぇと、…は、い…?」
ふふ、とルピアは綺麗に笑ったままでヴェルネラに手を差し出した。
「あぁ、『裏』が何なのかはお父上に聞くと教えてくださるはずよ。適性検査があるけれど、貴女なら大丈夫。…わたくしが保証するわ」
その言葉通り、『適性検査』を受けた後、ヴェルネラが『平凡』と言われることはなくなった。
『裏』の仕事をこなせる適性資格を持った人物はなかなか居ない。それ故に誰に後を継がせるのか、という問題が発生していたのだが、手のひらをひっくり返して『裏』に関わる人物達は喜んだ。
そして、ヴェルネラはあっという間に才能を開花させ、現在のような立ち居振る舞いも身に付け、ルパートの婚約者にもなった。
ヴェルネラは、床に転がる二人の男爵子息を眺めていた。
目に、優しさなどは一切ない。あるのは、氷のような冷たさ。
こいつらが、自分の敬愛するルピアに対して無礼を働いた。更にはこうして公爵家にまで押しかけてきた。身の程知らずもいいところだ。
「……カルモンド公爵家に、このような非礼を働くような輩のいる家なぞ、当家は付き合いたくもありませんわ」
怒りを大量に込めた声。
あまり大声ではなかったのに、何故だか男爵子息達にははっきりと聞こえた。
『何だ』と思い、視線だけ向ける。
「ひ、っ」
喉からひゅう、と妙な空気までもが漏れてしまった。
情けないと言われようとも構わない。彼らは、もう一人の化け物までもを敵に回した。
「わたくし…父と兄に報告いたしますわね、お義姉様、ルパート」
「あぁ、頼んだ」
「お任せ下さいな。…お二方との交流を、一切合切無くしてくれ、そう申し上げておけば理解してくれるわ。父と兄ならば」
人には向き不向きがある。
ヴェルネラは『表舞台』に向いていなかった、というだけのこと。だが、適した場所で、適した教育を受ければ、これほどまでに強く美しく輝くことが出来るのだ。
「ねぇ。身の程知らずなあなた方。王太子妃様に心酔するのもよろしいと思うし好きにすれば良いとも思うけれど…」
にこり、と場違いな程美しく微笑んで、続けた。
「身の丈に合わない行動は、取ってはなりませんわ。…絶対に、許してなどやらないから」
こうして、ガリバルディ男爵家とジナスモ男爵家。両家当主が何も知らぬまま、絶対に切ってはならない家との付き合いが、あまりに呆気なく絶たれてしまった。
息子たちのやらかしてしまったことの代償の大きさを知り、彼らの家が絶望するまで、あとほんの少し。
『裏』については後々、詳細を書くつもりです。
ヴェルネラが、どうやって今のようになったのかを書きたかった話でした。