十一話:彼女の身に起こっていたことと余計なお世話②
それに、とルピアは言葉を続けていく。
「わたくしの王太子妃教育の記憶を消されて辛いのは誰? 教育内容を教えてほしいファルティだけでしょう?」
「そう、だけど」
「わたくし自身はそんな記憶は無くても問題ない。だから、消した。それだけよ」
実に姉らしい、とルパートは感心する。
それだけ、と言いながらあんなに辛そうな思いをしてまでも、成し遂げてしまっている。
この姉だからこそ、次期女公爵としてふさわしい。だがもしも、王太子妃となり将来の王妃となる未来が閉ざされていなければ、間違いなく王を支える良き王妃となり後世に語り継がれたことだろう、とも思う。
その未来をぶち壊したのはファルティとリアム。
王太子リアムが、伯爵令嬢ファルティと結ばれた結果として王太子妃候補として最有力だったルピアが排除された、という事実。
他の王太子妃候補達は一体何をしていたのだろうと思い調べてみたものの、揃いも揃って候補から外されているらしい。ルピアが寝込んでいる間に、頭を抱えた父が教えてくれたのだからこれは間違いないだろう。
しかし、ルピアが話していた『システム』とやらが一体何者なのかは分からない。だが、その『システム』はルピアを人形のように一年もの間操り続け、思考を奪っていたということ。
それだけでルパートやヴェルネラの中では万死に値するというものだが、ではそれを行っていたのはどこの誰か。
思い浮かんだのは王太子妃であるファルティが何かしらの術を使い、ルピアを操っていたのでは?という可能性もあるが、それならばずっと操り続けていないといけない。
ファルティを支えてやってほしい、など馬鹿げた依頼をしてくる時点で彼女自身が何かしらをしていた、という予測は成り立たなかった。
操り続け、ルピアに言うことを聞かせればそれで良いのだから。
「その声ってさ、女の人? 男の人?」
「声?」
「姉さんがさっき言ってた『システム』?だっけ。その声」
「…何ともいえない、妙な声だったのよね…」
ルパート達の住む世界にも、信仰されている宗教があり、神がいる。
有り得る可能性として『神託』めいた何かにより、この一年間の出来事が起こっていたとしたら…とも考えてみたが、結びつかなかった。
ヒトを人形のように扱い、意志まで奪い、一体何がしたいというのかが理解できない。
「解放されたから良いけれど、でもどうしてこうなったのか、はきちんと分かっておきたいのよね。万が一、二回目がないとも限らないから」
冷静に、淡々と告げるルピアに、ヴェルネラもルパートも頷いた。
「あの二人からのお見舞いとやらの要請は勿論断るわ。お父様やお母様にもご協力いただけると良いんだけど…」
「協力は勿論してくれるよ。ヴェルネラ…は、うん。分かったから、食い気味に頷くのはちょっと控えろ」
「お義姉様への協力なら何でも!」
「ふふ、ありがとうヴェルネラ」
ふわりとした、柔らかな空気が流れていたのも束の間。
何やら部屋の外、というか屋敷が少し騒がしい。あまりこのような騒ぎはないのだが、とルピアもルパートも首を傾げた。
『勝手なことは困ります!』なども声も聞こえてくるから、よろしくはない気配だということはすぐに理解できる。
三人が顔を見合わせていた時、乱暴に扉がノックされ、返事をしないままでいると待ちきれないと言わんばかりに物凄い勢いで扉が開かれた。
「失礼する!」
何だ、と視線を向けた先に立っていたのは披露宴のあの場でルピアを両脇で拘束していた男爵家の男子生徒二人。
憤怒の形相でルピアを睨んできているが、公爵家の屋敷にここまで乱暴に押し入ってきた時点で余程の覚悟ができているのだろう、と双子は視線だけで会話をする。
「…」
何も言わないことを良いことに、二人は大きな声で、まるで怒鳴るように話し始めた。
「何のつもりか! お前、王太子妃様の寛大なるお心を無下にしているそうではないか!」
「だから殿下はお前ではなく王太子妃様をお選びになったのだ!」
だから?としか思えないような、ルピアにとっては罵り文句にも感じられない言葉たち。
ファルティに心酔しているのは別にどうでもいい。誰を尊敬し、誰を崇拝しようが本人の自由なのだから。けれど、それを何故こちらにも強いてくるのか。
ルピアがどうにかしようと口を開こうとしていた矢先、座っていたルパートが立ち上がって無言で二人の前まで歩いていき、一人を殴り飛ばし、もう一人を蹴り飛ばした。
「ぁぐ、っ!」
体の準備など勿論ながらしていなかった二人は、それぞれ吹き飛ばされる。
ここまでには公爵家の騎士も居たはずだが、どうにかこうにか突破は出来たのだろう。だが、ここまで入り込んできてしまったことが、この二人の運の尽きだった。
「…ガリバルディ男爵子息と、ジナスモ男爵子息、だったな。貴様ら」
「……ほ、ほは、はひ…」
何を、と言いたかったのかもしれないが、夜叉のように二人を睨みつけるルパートに勝てるというのなら、是非試してもらいたいなぁ、とルピアはのんびり考える。
姉である自分を守るため、もしもあのまま王太子妃になっていたら王宮騎士団へと入団することを心に決めていたルパートは、言うまでもなく強い。
公爵家の騎士たちも強いのだが、まさかこんなことになっているとは想定していなかっただろうが、少ししっかりめに教育をし直さなければいけないな、とお茶を飲みながら考えるルピア。床に這いつくばる二人を蔑んだように見て、冷たい口調で言葉を続けた。
「いい度胸ですこと。我が公爵家に乗り込んでくるというふざけ切った真似をなさるだなんて」
「…!?」
何か話そうにも痛みが勝って口を思うように開けない二人は、ただ、ルピアを睨んでいたが、それは即座に終わることとなる。
「姉上を睨んで何様だ貴様ら」
ルパートは、容赦なくガリバルディ男爵子息の頭を踏みつける。
くぐもったうめき声が聞こえるが、知ったことではない。
「乗り込んできた、という言葉は丁寧にすら聞こえるわね。どうしようかしら…。そうだわ、男爵家が公爵家に対して謀反を企てていた、とご報告しましょうか」
え、と呆気にとられた声を出したのはどちらの男爵子息だろうか。そんなこと、気にしてなどやらない。
「だってそうでしょう? 許可していないにも関わらず我が家にお二方がいきなり乗り込んでいらして、更には公爵家の騎士の制止も使用人達をも振り切ってここまで来て…」
ルピアは立ち上がり、ルパートの元へ歩いていく。
こつん、こつん、というヒールの音が、床に転がる二人にはよく響いたかもしれない。心なしか顔色も悪いようだが、気にしてなどやらない。
「まるで、我が父が留守なのを見越して、強襲しに来たようではなくて?」
今ここにいるのは、身内の前で気を抜いていたルピアではない。
公の場に出るときの、『ルピア=カルモンド』といういち公爵令嬢として、体調の悪さも何もかもを綺麗に隠し通し、二人を蔑み睨みつけている。
「しかも、『身分が上のものが許可せずして下位のものは口を開いてはならぬ』という規則までも無視する立ち居振る舞い。…さて、どうしてくれましょうか」
「お嬢様!!」
バタバタと慌てて騎士団が駆け込んでくる。
「なんという有様ですか!公爵家騎士たるもの、この愚者どもの侵入を許すなど、言語道断!」
「申し訳ございません!」
「謝罪なら幼子でもできます! 此度の件についてはお父様に報告した後、改めて鍛錬に勤しみなさい! …お前たちはどうも、気を緩めていたようだから」
ルピアの迫力に呑まれ、騎士団の団員達が『ひぃ』と小さな悲鳴を上げる。
これを知ったアリステリオスは怒り狂うことだろう。
この家を守るために訓練していた騎士団が、まさかこのような者たちの侵入を許してしまうなど、まさに言語道断。
そして、床に転がる男爵子息二人。
「…お前たちの行動で、家が取り潰しにならなければ良いわねぇ…?」
にぃ、と心底愉快そうに嗤うルピアを見上げる二人。こうなるだなんて予想もしていなかったであろう二人は、この双子を完全に舐めきっていた。
そして、ようやく気付いたのだ。自分たちの家ごときが、この家にかなう筈もなかったことを。
「おかわいそうなガリバルディ家とジナスモ家。息子が公爵令嬢を襲いにくる、という醜聞の後処理に走り回らなければいけないだなんて」
は、と呼吸が浅くなっていくのが分かる。
ルピアのとてつもない迫力と、ルパートの強烈な威圧。
駄目だ、と今更後悔した。
公爵家に対して喧嘩を売ってしまったことに遅ればせながら気づいた二人だが、もうとっくの昔に遅かったのだ。
そして、驚くほど表情がないヴェルネラの家、アルチオーニ伯爵家までもを敵に回したことには、彼らはまだ、気付いていなかったのである。