九話:王太子と王太子妃
公爵家でのんびりとした時間を過ごしている三人とは反対に、盛大な結婚式を挙げたばかりの二人…王太子リアムと王太子妃ファルティは、なんとも言えない表情でお茶会をしていた。
二人が抱くのは『どうしてこうなった』という思い。
リアムは、もし自分がファルティと結婚したとしてもルピアならば己を受け入れてくれるだろうと無駄に大きな自信を持っていた。
それが何故か?と側近に問われると彼はこう答える。
「王太子妃筆頭候補としてずっと傍に居たのだ。何故ルピアが俺から離れるというのだ?」
大前提として、色々なものを間違えていることに彼は気づいていなかった。
ルピアが王太子妃教育に励んでいたのは、『国から命じられた婚約であるからこそ』である。公爵家令嬢としての役割を果たしていたにすぎないだけで、そこに親愛の情はあったのかもしれないが、恋愛感情は恐らくほぼ皆無。
国が定めた婚約でなければ、彼女は間違いなく次期公爵としての道を今よりも更に速いスピードで駆け抜けているだろう。現にそうなりつつあるのだが。
ファルティも、無駄に自信があった。
ルピアは『親友であるファルティ』の傍にずうっと居てくれる、何があっても見捨てたりしない、と。
こちらもまた可笑しな話である。
ファルティがうまくやってこれた最大の理由は、『恋☆星』という恋愛シミュレーションゲームの中の『主人公』という立ち位置があり、尚且つ天の声とも言えるべき『システム』からの指示があったから。
そして、キャラごとの好感度が実数として目に見えていたから、『この人はこうだからこうしよう』と体が自然と主人公としての役割を果たすべく動いていた。
更に、彼女が目指していたのは最難関の大団円ルートなのだが、これを選んだ際の攻略条件をファルティが満たしておらず、実は今回迎えたエンディングは大団円ではない。
今回迎えたのは、大団円ルートの次に難易度の高い『王妃ルート』である。
恋愛シミュレーションゲーム、『恋☆星』。
伯爵令嬢の主人公が、王立学院に入学。最高学年の三年生に上がった時から物語は開始される。
それまでは様々なクラス分けがされていた王立学院。最高学年は最後の仕上げ、として貴族も平民も改めて全て混ぜられた状態のクラスが編成される。
一年次はあまり接することのなかった貴族と平民が混ざり、階級も何もかも関係なく様々な人間関係を構築していく場として、己の社交力の高さなどが大きく求められる場になる。
そして、ここで初めて王太子リアムと、今回の主人公であるファルティは出会う。
ファルティ自身が勉強好きで、頑張った結果特待生として学院から認められたが、頑張るための理由は別にあった。
夢の中で、延々と流れる『恋☆星』の恋愛エンドの数々。だが、誰も成し得ていないエンディングがある、そういうナレーションが静かな口調で語りかけてきた。
それこそが、『大団円ルート』。王太子リアムと結ばれ、更にはライバル令嬢とも確執なく学院生活を過ごした上で、親友となり三人手に手を取り合ってより良い国へと導いていくというエンディング。
王太子の周囲の人間にも、国王夫妻にも、更にはその辺の所謂モブ、と称される人たちからの信が無ければ達成できないとされる、最高難易度エンディング。やらなければならないことは山積みで、あれこれ寄り道をする暇もないくらいに、ファルティの日常は一変した。
だが、彼女は勤勉家でもあり、同時に野心家でもあった。
誰も成し得ていないことならば、それを成し得るのが自分であれ。歴史に名を刻んでやろう、そう思ったのだった。
周りにも自身にも最大限の注意を払い、憂いも払い、成績も維持をし続けた。
その結果得られたのは王太子リアムからの『愛』、そして当時の王太子妃筆頭候補であったライバル令嬢ルピアとの信頼関係、のはず、であった。
何かを間違えていることに気付かないまま、ファルティは突き進んで行った。
確かに、リアムと恋人同士になり全てが上手く進んでいるような感覚になっていた。実際上手く進んでいたから。
「ねぇ…リアム、私の王太子妃教育はいつから始まるの?」
何がいけなかった?と頭をフル回転させながらもファルティはリアムに問いかける。
「もう少しかかるんだ。その…」
「?」
どうしたんだろう、と首を傾げるととんでもない答えが返ってきた。
「君の教育係となるはずの、かつて王太子妃教育をしてくれていた侯爵家の夫人が…辞退したいと、申し出てきたんだ」
「……え?」
さぁっ、と顔から血の気が引いた音が聞こえたような気がしてしまった。
どうやってもその内容は信じられない。
ファルティは、自分のやってきたことが間違ってない自信だけはあった。
だって、最難関の大団円エンドを迎えたのだから。
それなのに、どうして?と、心の中で繰り返しても、誰も答えをくれない。
ファルティが頼りにしきっていた神の意志とも、もう会話はできない。エンディングに到達してしまったから、ここから先は未来のこと。
ゲームではない、と改めて自分自身で考えてしまい、ファルティもここまできてようやく違和感に襲われた。
「ま、まってリアム…! なら…私の王太子妃教育はどうなるの?! 早くしないと…式まで挙げたのに!」
「何も教育係は侯爵夫人だけではない。もう少し待っていてくれるかい?」
「…えぇ…」
無理矢理納得させようとしても、なかなかできない。
目の前のカップに注がれた紅茶をゆっくり飲むと。もうとっくに冷めていた。熱くないので止まることなくそのまま飲んでいく。
いつもならば入れ替えてもらう温度だが、今のファルティの頭の中を占めているのは、『どうしてこうなっているの?』と思い。
二人がこうなることを選んだ結果として、『今』があるということをファルティもリアムも認めたくなかった。
ファルティが望んでいた未来は、あくまでも最難関ルートである大団円エンディングに到達していれば、有り得た未来なのだが到達ルートが異なっていることに彼女はまだ気付かないまま。
一度、ステータス画面を開いた時に、ファルティ自身が目を凝らしてよく見ていれば小さく書かれていた文字に気付いていたのかもしれない。
『王妃ルート、達成』
この文字に気付かないまま、ファルティが確認したのはルピアの好感度がどうなっているのかということ。
確かに、神の意志は何をどうすれば、どういう行動を取れば、より良い未来へと進めるのかを指し示してくれていた。
ある程度好感度が上がってくるとそれぞれのエンディングへ向かうための道標のようなものまでも、きちんと示してくれていた。ファルティにしか見えないように。
だから、それに従って突き進み、学力も伸ばした。所作も美しく見えるように努力もした。
神の意志に聞いて、何が必要なのかも理解していた。
……つもりだった。
最難関である大団円エンディングに到達するための必須条件を、ファルティはたった一度だけ見逃していたのだ。
大団円エンディングが最難関である理由はいくつかある。
それが、まずはルピアとの好感度の高さ。これは言わずもがな最高値に持っていかなければならない。
それともう一つ。
ルピアの双子の弟、ルパートの存在だ。
ルパートがとてつもないシスコンであるからこその、隠し条件のひとつ。
彼を攻略する必要はないが、彼が帰国していた短期間のうちに、ルピアから身内の紹介を受ける必要があるという、難易度の高いイベント。
ファルティは、これができていなかったことに加え、ルピアとの好感度の高さが実は足りていなかった。
気付かないまま、ファルティはどうしてだと内心頭を抱え続ける。
上手くできていたはず、私はやり遂げたはず!と叫びたくもなるが、神の意志に導かれるままに『自分がどこまでの高みに登れるのか試したかった』などという野心をリアムには悟られてはならなかった。
「ね、ねぇ…リアム。ルピアのお見舞いに行かない? 体調が悪いのなら、私たちは仲が良かったんだから、その…お見舞いに行ってあげると、元気がでるかな、って…」
「そう、だな」
うん、と頷いて互いに微笑み合う。
王太子と王太子妃、彼らの想いが全く異なるものであるとは、お互いに知らないまま。
そしてそれが、悪手だということにも気付かないまま、進んでいこうとしていた。