一話:解放された令嬢
書きたくなって始めてしまった新連載。
お付き合いくださると嬉しいです!
わぁ、と歓声が上がる。
ひらひらと色とりどりの花びらが舞い散り、人々に祝福されながら微笑みを浮かべ歩く男女。
この国の王太子と、彼が選んだ王太子妃。今この瞬間、彼らの披露宴が盛大に執り行われていた。
会場に集まっているのは、国の貴族や重鎮たち。そして勿論ながら国王と王妃もここに居て、微笑みながら二人に祝福の拍手を送り続けている。
結婚式は既に終わり、ここに集まるのは国の貴族や他国からの招待客達ばかり。顔見知りが多いこともあり、主役の二人も、彼らの友人達も皆、リラックスした笑顔を浮かべていた。
二人の恋愛エピソードは、この国の人々の中で御伽噺のように語り継がれていた。
『運命の出会いを果たし、王太子妃になるはずだった公爵家令嬢から王太子の愛を勝ち取った愛されるべき令嬢』
そう言われながら、平民や下位貴族の憧れの的になっている少女。淡い水色の肩まであるくせっ毛だが、今は一纏めにしてマリアベールの中。髪と同じ色の淡い水色の、アクアマリンの宝石のような綺麗な瞳、高くもなく低くもない程よい身長に、鈴を転がすような可愛らしい声。
彼女の名前はファルティ=アーディア。アーディア伯爵家の令嬢で、貴族も平民も通っていた王立学院に籍を置き、成績が良かったので特待生でもあった。
まさにパーフェクトガール、といっても過言ではない。
色々な人に平等に優しく、誰か特定の人を贔屓したりもしない。本当に素晴らしい令嬢だ!と学院でも噂の的になっていた。
その彼女と正反対の場所に追いやられてしまった公爵家令嬢、ルピア=カルモンド。
由緒正しきカルモンド公爵家令嬢であり、王太子の婚約者として幼い頃から厳しい王太子妃教育を受け、いずれ王妃として彼の隣に立つ、と言われ続けた令嬢であったのだが…。
あっという間にファルティにその場を奪われた。別に勉学をサボっていたわけではない。
「…おめでとう、ございます」
小さな声で呟かれた、祝福に似合わない低い音。
何の感情も抱いていない暗い色の瞳が、笑う二人を映していたがもうルピアにはどうでも良かった。
何だか、頭の中にモヤがかかっているような気がして早くこの場を立ち去りたかったけれど、両脇をがっちりと王太子の側近である令息に拘束されていてそれも叶わない。
早く、早く、この場を去りたい。
嗚呼何て、気持ち悪いのだろう。
吐き気を必死におさえつつギリギリのところで我慢していたが、両脇の二人は笑え、と命じてきた。ぶち、と何かが切れたような音が聞こえ、怒りをたっぷり込めた瞳で二人をギロリと睨み付けると彼らの体は恐怖から硬直してしまったらしい。
「……お前たちは、誰に命令しているのかしら。わたくしは婚約解消されたといっても、カルモンド公爵家令嬢であることに変わりないわ。お前たちの家は…確か…男爵家、だったわね?」
いつかお前は王妃となるのだ、と言われ続け育ったルピアの持つ迫力にどうやったら敵うと思うのだろうか。ルピアの背後に控えるカルモンド家専属騎士は嘆息した。
「たかが男爵家令息のお前たちが、このわたくしに命令? 何様のつもりかしら…?」
静かに、ただそう問いかけたルピアの底の見えない怒りに何も言えなくなった二人は、少しだけ彼女との距離を取った。
「…具合の悪い人を立たせっ放しで、挙句の果てに祝いの言葉を強要するなんて…。顔も名前もしっかり把握しているから、後で我が家から抗議文を送りますわ」
冷たく言い放ってルピアはその場を離れる。
「アルフ、付いてきて」
背後に控えていた専属騎士、もといアルフレッドに声をかけてその場を足早に立ち去るルピアの顔色は、真っ青だった。それほどまでに具合が悪くなっているのにもかかわらずひたすら堪えていたことから、とてつもない精神力が窺える。
ふらつくことなく、披露宴が行われている王宮の大広間を後にして、近くにあった控え室へと逃げ込む。
扉を閉めたところで限界がやってきたルピアは駆け足になり、慌てて併設されていたトイレに駆け込んだ。
「お嬢様!」
アルフレッドの声が聞こえたが、もう無理だった。
込み上げてくる吐き気に抗うことはせず、胃の中のものを全て便器の中へと吐き出していく。
気持ち悪くて仕方ない、早く、どうにかしてほしい。
あの王太子を愛してなどいないが、人の苦労を踏みにじってくれたファルティのことはどうにも好きになれない。
「…あ、れ…?」
おかしい。わたくしは、ファルティの親友なのに?
いいや違う、アレは親友などではない。
ならば何故?
「…頭が、まわら、ない…」
胃の中のものを吐ききっても、なお襲ってくる胸焼けと更なる吐き気。今までこんなことはなかった、とルピアは戸惑う。
「…………っ、う……」
もう一度、吐けるだろうかと思い指を躊躇無く喉の奥に突っ込んだ。公爵家令嬢が何を、と言われてもいい。今はこの不快感から解放されたかった。
「げほ、っ…!」
必死だったけれど、出てきたのは単なる胃液のみ。もうこれ以上吐くものは出てきそうにない、だが未だに残る不快感。
それと、ルピアの思考回路を覆い尽くすかのような『ファルティを祝わなければならない』という意味不明な思い。
特段、ファルティと仲が悪いわけではなかったし、大して気にもしていなかったが、どうしてこうも自分の思考回路が相反しているのか。
『ファルティはわたくしの大切な人、大切なお友達』
『いいえ違う、単なる学院の同級生』
自分が二人いて、左右から囁かれているかのような奇妙な感覚。
よろよろと立ち上がり、洗面台で口をゆすいでからようやくトイレから出てきたルピアの顔色は真っ青を通り越して最早土気色だった。
これはまずい、とアルフレッドはルピアに駆け寄るが、ルピアは片手を上げて彼を制した。
「…いいのよ。…そんなことよりも、誰も来ていないわね?」
「はい、ここには誰も来ていません」
「そう、なら良いわ。…少しだけ、休むから誰もここには入れないで。簡易ベッドがあったわよね?」
「ございます。…公爵家に知らせを送り、馬車を手配しましょう」
「…そうしてくれると、助かるわ」
幼い頃から自分を守り、時には厳しく接してくれるアルフレッドに絶対の信頼を置くルピアは、ふらつきながらも寝台へと向かい、イヤリングやペンダントを外し、ヒールも脱いで、髪型が崩れないよう仰向けではなく横向きに寝転がった。
同時に、カルモンド公爵家令嬢として、何たる親不孝者なのだろう…と溜息を吐く。
幼い頃からの厳しい王太子妃教育も、築き上げてきた王太子との関係性も、自分が担当させてもらっていた諸外国との貿易のやり取りも、全て、何もかもファルティに奪われるというのか。
確かにファルティは愛らしく、淡々と王太子妃候補として王太子に接する自分よりも彼のことを癒してくれるに違いない。だが、これは国の政に関わってくる婚姻だったけれど、国王夫妻が簡単に彼女を認めたのであれば、ルピアにはどうすることもできなかった。
だが、公爵家令嬢としての役割は果たせなかった。それが、父母に対して申し訳なかった。
「もう、いいか…」
ぽつりと零れた呟きを拾う者は誰もいない。
瞼を閉じ、少しだけ眠ろうとしたその時、ぱりん、と何かが割れるような音が響いた。
「…え?」
重い体をどうにか起こしてあたりを見渡すと、何故か白黒の世界が広がっている。自分の目がおかしくなったか、と手のひらを見てみると自分の色はある。
周りの景色の色だけが、全て消え去っていた。
「な、に…」
《エンディングを迎えました。これより、システムからルピア=カルモンドを始めとしたキャラクターの行動について、機能制限の解除ならびに解放を行います》
「は?」
無機質な声が響く。
慌てて周囲を見渡したが、この部屋には自分以外勿論いない。持って生まれた魔力を展開し、探知魔法を使っても何の気配もない。
「何が…どうなって…」
《システムからの、解放完了。これより現実世界が開始されます》
「げんじつ、…え?」
再びぱりん!と音がして、世界が色付いた。
「な、…なん、なの…?」
そして、あれだけあった吐き気までもが消えている。
胸焼けも、不快感も、もうない。
ようやくすっきり出来た、と安堵する一方で、『システムからの解放』という言葉と無機質な声が頭の中で回る。
「エンディング、とか言っていたわね…」
聞き慣れない言葉に訝しげな顔をするが、答えてくれそうな人はここにはいない。
今はとりあえず帰ることを優先させよう。疑問は色々とあるけれど、先程嘔吐したことで体力は少なからず減っている。少しでも回復させねばと思い、ルピアは再び体を横たえた。