GRAVITY DAZE
フュージョン部のみんなが帰ったあと、薫は1人になった部屋で、さっき話した事について考えていた。自分は将来、何がしたいのか。現実になるかどうかは別として、考える事はできる。
最も現実的なのは、理系の高校から理系の大学に進んで、その分野で就職という所だろう。漠然とそんな感じだろうな、と薫は考えていた。
だが全く偶然に、大原ミチル先輩が旧オーディオ同好会の部室を訪れた事で、薫は予期せぬ活動に身を投じる事になった。それまではオーディオマニア、音楽ファンとして聴いてきたフュージョンという音楽の制作に、裏方として関わる事になったのだ。
そもそも薫は他の部活に興味がなかったので、フュージョン部がある事も、軽音部が存在しない事も知らなかった。雑居ビルみたいなクラブハウスを挟んでオーディオ同好会部室の反対側に建っている、ただの物置きだと思っていた小屋の中で、フュージョンの演奏が行われていたとは、知る由もなかった。
薫は、ミチル先輩達との活動の中で、音楽を作る楽しさを確かに知った。それも演奏ではなく、録音と、録音されたものを聴ける音に整える作業が、とても性に合っていると感じた。オーディオマニアとして音にこだわってきた事が、まさかこんな形で役立つとは思わなかった。
まだ、将来どんな道に進むかという所までハッキリと考えてはいない。だが、さっき誰かが言ったように、10年経ってもまだミチル先輩達と、セットリストやレコーディングについて、あれこれ話し込んでいる光景が想像できてしまう。それは、単なる妄想だっただろうか。
マヤの自宅で、ミチルは新曲”Twilight In Platform”の編曲作業を行っていた。とりあえず打ち込みのバックに合わせて、譜面どおりにマヤのキーボードと合わせてサックスを吹いてみる。ひととおり演奏してみたところで、マヤと感触を確かめ合った。
「うん、悪くないね。ソロはちょっと厄介だけど」
「いざとなったらアドリブで誤魔化すか」
「サックスはまだしも、ピアノのごまかしは難しいな」
マヤはポリポリと頭をかく。だが、とりあえずそこまで難易度が高い曲ではない事はわかった。
「言ったとおり、この曲はあたしとあんたの演奏テクニックが全てだからね。ぬるい演奏をしたら」
「デパートの閉店BGMになるんでしょ」
「そう。蛍の光状態」
本日もご来店誠にありがとうございました。アナウンスが聞こえてきそうだ。
「練習用に、マルチトラックで録音しておこう。ミチル、あなたは私のピアノに合わせてひたすらサックスのメロディーを覚える。私は逆にピアノを覚える。6日あればメロディーは覚えられるし、みんなと合わせる時間も5日ある。問題ない」
「大丈夫かな」
「演奏よりも、むしろもっと実務的な問題をクリアしないと。ひたちなか市まで移動しなきゃいけないのよ、当日は」
今度は茨城県まで。距離的には、夏の横浜までの倍以上ある。身一つなら電車と新幹線の乗り継ぎでどうにでもなるが、問題は機材だ。ドラムス、キーボードは例によって備え付けの共用セットだが、ギター、ベース、サックスを担いで移動するのはなかなか大変である。
「…さすがに毎度毎度、小鳥遊さんをアテにするわけにも行かないか」
「そうだね。今回は自分たちで何とかしよう」
移動の旅費を計算しようとミチルがスマホを取り出すと、LINEメッセージが届いている事に気付いた。
「クレハからだ」
「新曲は外せ、とか言ってこないよね」
十分あり得る話である。この土壇場で何を考えてるんだ、と。しかし、内容は危惧していたものではなかった。
『ミチル、ご苦労様。新曲の譜面と仮オケ、マヤから受け取りました。練習に付き合えれば良かったのだけれど、学校でなんとか挽回します』
相変わらず真面目だ。メッセージには続きがあった。
『ところで、ジャズフェスの移動なんだけど。例によってと言っては何だけれど、今回も小鳥遊さんがバンを出してくれると言っているんだけど、どうする?ちなみに私から、ひとり2000円の運賃でどうか、と提案したら、それでいいそうよ』
運賃。なるほど、それならこちらも変に気を遣う事はない。
「っていう事だけど、どうする?マヤ」
「いいんじゃない。電車で移動するよりは格安だし。そうだね、小鳥遊さんもある意味で気を遣ってくれたんだと思う。ほんとはタダで乗せても良かったけど、逆にこっちが気まずい思いをするよりは、きっちりお金をやり取りする方がすっきりするって事でしょ」
ミチルも同じ感想だった。やっぱり小鳥遊さんは大人である。
『色々とありがとう。小鳥遊さんの都合が良ければ、その金額でお願いすると伝えてください。』
ひとまずクレハにはそう返信しておいた。これで、移動についてはOKだ。新曲も間に合わなければ、既存の曲で埋め合わせる。そうなると、残る問題はひとつである。
「残る問題は」
「衣装だな」
マヤはキーボードの前で腕を組んで唸った。衣装。さすがに夏と同じ衣装は芸がなさすぎるし、そんなに金がないのかと思われそうなのも嫌だ。もっとも所詮は女子高校生、金がないのは当たり前である。実はサブスクの収益が、ジュナいわく「雀百羽の涙」程度には見込めるのだが、振り込まれるのはまだ先だし、交通費で吹っ飛ぶくらいの金額だ。話題になっていると言ってもこの程度である。
「秋の、しかも私たちは夕方の出番だから、そこそこ寒いよね」
「寒くない格好でやる必要がある。着込んだ結果暑いなら、むしろその方がいい。寒さで指がまともに動かないよりはね」
マヤは、演奏を優先したミュージシャンとしての意見を述べた。まったくその通りだとミチルも思う。だが、もう衣装を全員で決めるような時間的な余裕はない。
「とりあえず、マーコに衣装の案があるかどうか、メッセージだけは送っておいて。一応マーコをアテにせず、各自考えておくように。ダサくなくて寒くなければいい」
「ステージ衣装ってのも難しいなあ。チャリティーの時は制服だったから、なんにも考えなくて良かったよね」
「…いっそ制服で出る?」
マヤの提案に、ミチルは冗談だろうと思ったが、どうも表情がマジである。
「本気で言ってるの?」
「本気。手抜きで言ってるんじゃなくて」
「安直すぎない?」
ミチルの意見に、マヤは全く意外な意見を返した。
「制服でステージに立てるのは、高校にいる間だけだよ。きっと、思い出になると思う」
思い出。クールなマヤの口から、そんなセンチメンタルな理由が語られるとは思ってもいなかった。バンドの見栄えとかではなく、自分達の思い出のために、制服でステージに立つ。なるほど、とミチルは思った。
「ライブ用の制服、新調する?全員」
「うん。それもアリだと思う」
ひとまず、ジャスフェスには制服で出てもいいか、とメンバー全員に確認を取る事になった。ライブ用の制服を揃えるかどうかは今後の事としておく。
「よし、後の事はおいおい考えるとして。もうちょっと合わせてみるか」
「ミチル、明日は会えないんだよね」
「弟のやつが文化祭でバンドやるからさ。指導役として、ジュナと観に行って採点しなきゃいけない」
”雲丹SON's”とかいう、わけのわからない名前のバンドだ。UNISON SQUARE GARDENと、amazarashiのコピーを一曲ずつやるらしいが、曲目は教えてくれない。
「マヤも来る?せっかくだし」
「お邪魔しちゃ悪いから、パスしておくわ」
「なにそれ」
ミチルは笑ったが、マヤはどこか真面目な表情だった。こいつもいまだに考えている事がよくわからない、とミチルは思う。
「そういえばマヤ、前に預けてくれって言った、私のデモ音源。あれ、どうなったの」
ふとミチルは、ヴァイオリンで試しに弾いた仮のメロディーの事を思い出した。"Life Is Miracle"という仮のタイトルがついている。編曲をすると言っていたが、その後どうなったのか、何も聞いていない。すると、マヤが渋い表情を見せた。
「実は、編曲で悩んでる。というか、どうしても当たり障りのないアレンジしか思いつかない」
「マヤでも?」
「あのね。私だってしょせん、独学で音楽理論をかじっただけの女子高生に過ぎないの」
マヤの分析は常にクールで徹底している。そして、その分析の対象には自分自身も含まれているのだった。
「今まではサックスが主体だったから、アレンジもフュージョンの名曲を参考にできた。けど、ヴァイオリンがメインの曲なんて、アレンジした事がない」
「出来た音源、あるの?」
「とりあえず、のね」
マヤは、PCにある仮音源ファイルを再生してみせた。ミチルがヴァイオリンで弾いたメロディーに、打ち込みのベース、ドラムスとキーボードが重ねてある。
「うーん」
ミチルも確かに、それを聴いてつい首をひねってしまった。悪いという事はないのだが、正直言って凡庸だ。何と言うか、どこかで聴いたふうなアレンジである。
「ローカルCMのBGMって感じかな」
「まさにその通り。これじゃ単なる地方の冠婚葬祭ホールだとか、分譲マンションのCM曲」
どうやら、演奏したマヤも同じ感想らしい。アレンジというのは本当に難しいのだろう。
「アレンジの勉強がしたい、って今ほんとに思う」
「学校に通って?」
「学校でも何でも行くわよ。ユメ先輩が言った事、正しいと思う。私達の音楽を先に進めるためには、勉強が必要」
こんなに自信がないマヤを見るのは、いつ以来だろうかとミチルは思う。マヤはいつでも自信たっぷりで、クールだった。それが、ひとつの曲をうまくアレンジできないだけで、落ち込んでしまっている。それだけ、音楽に対して真剣ということなのだろう。
「マヤ。今度、その事について真面目に考えよう。みんなで」
ミチルは、マヤの目を見た。マヤも、真剣な表情でミチルを見た。
「みんなで、たとえば2年だけでもいい。きちんと音楽理論を学ぶべきだと、私も思う。まず、私たちが意志を決めないと、周りに相談のしようもない」
「…そうだね」
「さあ、その事はその事として、今は目の前の課題をやっつけよう。今日中に、合わせられるだけ合わせるよ」
ミチルがサックスを手にすると、マヤは少し元気を取り戻して、キーボードに向かった。新曲を、もう一度合わせてみる。
マヤと2人で演奏していると、フュージョン部に入部して間もない頃を思い出した。今の2年生で一番最初に入部したのはミチルで、その次がマヤだったのだ。フュージョン部は学年ごとにバンドを作る習わしなのだが、マヤとは同級生ではあってもまだ接点がなかったので、話が合うのか不安だった。
どっちが最初に声をかけたのか、もう思い出せない。だが、接点ができた最初の話題が何だったのかは、はっきり覚えている。
「グラビティデイズ?」
聞いた事のないタイトルだな、と入部して間もないミチルは、ようやく増えた新入部員のマヤという少女と、好きなミュージシャンについて話していた。マヤは、田中公平がひとつの目標なのだと語った。田中公平。アニメやゲーム方面にはあまり詳しくないミチルだが、さすがにこの人の作品は知っている。なるほど、と思う。
田中公平の凄い所は、アニメやゲームの作曲家である事に徹している所だと、オタク特有の早口でマヤは力説した。その音楽に最初にショックを受けたのが、ゲーム「GRAVITY DAZE」のサウンドトラックだったという。重力を操る不思議な少女が主人公のSF作品だ。特に衝撃を受けたのが”2”のBGMで、これほどまでに熱の入ったゲーム音楽は聴いた事がない、と小学生ながらに思ったらしい。小学生でそこまで音楽について考える所が、ある意味でミチル以上だと思う。
フュージョン部に入部したのは全くの偶然で、最初は部活に入らずに一人で音楽をやるつもりだったそうだ。ところが、ある時からマヤはミチルに対して、妙に熱っぽい視線を向けて来るようになった。最初は少し怖かったが、どうやらそれがミチルの演奏能力に対してらしい、という事がわかってきた。
「この曲は吹ける?」
「ちょっと、この曲をやってみて」
そんな風に、次々とミチルの知らない音楽をマヤは持ち込んできた。おかげでミチルも、全く知らないゲーム音楽をたくさん知る事になる。その中でミチルがハッとさせられたのは、日本ファルコムのゲーム音楽だった。メロディーラインがハッキリしていて、印象に残る。なるほど、ゲーム音楽というのも奥が深いなとミチルは思った。
マヤはマヤで、ミチルのフュージョン、ジャズへの造詣の深さに驚いているようだった。フュージョンといえば年配の男性が聴くもので、かつてのフュージョンブームへの懐古というイメージが強いが、ミチルにとってそんな先入観、ステレオタイプはどうでも良かった。
やがて2人が音楽で意気投合した所に、残りのメンバーであるジュナ、マーコ、クレハが一気に入部してくる。5人揃ったことで、ようやくバンドの体裁が整った。最初はジュナと反りが合わなさそうでミチルはヒヤヒヤしていたのだが、いつからか打ち解けてくれたようで、そのあたりからバンドもようやくまとまってくる。
「最初の頃は、この5人で大丈夫なのかな、って思った」
ミチルが正直な気持ちを打ち明けると、マヤも笑った。
「私も。クレハは何考えてるかわからないし、マーコはマイペースだし、ジュナはうるさいし」
「あんた最初、ジュナと険悪だったよね。覚えてる」
ミチルは笑うが、マヤは苦笑いだった。反りが合わなかった時の事を思い出しているのだろう。
「そう。とにかく、ミチルと私が中心でしっかり支えないと、このバンドは空中分解するな、って思ってた」
マヤの表情を見るに、どうも本気でそう思っていたようだ。そこまでではないが、ミチルも大丈夫なのだろうか、とは思っていた。いまだに、どうやってこのバンドがまとまってきたのか、ハッキリと思い出せない。
「やっぱ、スクェアだろうね」
ミチルの意見に、マヤも同意した。
「そうだね。あのサウンドが、5人の共通言語として機能してくれたから、もともとバラバラな音楽性の5人がまとまって来られたんだと思う」
1年半前の事を、2人は懐かしく思い出していた。そして、奇跡的に出会えた5人が、このままずっと一緒にステージに立てたらいいな、とも。
窓の外には、秋雲が伸びている。それは、ひとつの区切りを惜しむかのような寂静感を漂わせていた。




