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Light Years  作者: 塚原春海
ようこそフュージョン部へ
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Limelight

 フュージョン部の5人が片付けを済ませて帰る準備をしている所へ、村治薫少年がSDカードを持って現れた。

「とりあえず1日目と2日目の演奏の録音データ。仮のミキシングをしただけで、まだマスタリングまではしてないから、音のバランスは我慢して。曲名もまだつけてない。ただの連番」

 薫がミチルに手渡したカードには、ストリートライブを収録し、曲ごとにトラックに分けたWAVファイルのデータが収められていた。誰も気付かないでいたが、実はストリートライブの様子は、フュージョン部の部室内でライン、マイクを通じて薫がマルチトラック録音していたのだ。ミチルは若干難しい顔をして、いちおうリーダーとしてそれを受け取る。

「ありがとう」

「演奏は良かったと思うけど、何か不満みたいな顔だね」

「それはそうよ。本来の目標が果たせてないんだもの」

 ミチルの返答は簡潔にして、全てを集約していた。部員募集の看板を立てて、ストリートライブを行ったのだ。MCでも何度も呼びかけた。しかし3日の演奏を終えて、フュージョン部のドアを叩く者は皆無である。

 なんとなく気落ちするメンバーを励ますつもりがあるのかどうか、薫はひとつの報告をした。

「同級生とか他のクラスの知り合いを当たって、フュージョン部が部員急募だってことは拡散しておいた。反応があるかどうかはわからないけど」

「そう。ありがとう、恩に着るわね」

「うん、それじゃ。音源、できるだけいい音にマスタリングしてみるね」

 薫は手短に話すと、足早にその場を去った。その背中を見て、全員にふと小さな疑問が湧いたのだった。

「なあ、あいつマスタリングなんて言ったけど、そんなことできるのか?オーディオ部は」

 ジュナの問いに、全員が首をひねった。オーディオは再生するためのシステムのはずで、そのオーディオ部にミキシング、マスタリングの技術があるのだろうか。そこでふと、クレハが根本的な疑問を投げかけた。

「そもそもあの子、いったい何者なのかしら。普通じゃないと思わない?あの、音を聞き分けるセンスといい」

「それはある。一見すると地味だけど、何か他の人とは違う。それに、録音のためにあの子が指示してきたマイクセッティング、なんとなく手慣れてる感じがある。ドラムスはともかく、ミチルのサックスまでステレオで録音するのにこだわってたわね」

 サックスやボーカルを録音するのは、モノラルの方が圧倒的に楽である。ステレオになると音源の狙い方が複雑になるし、編集もプロセスが増える。データ量も増えるので、編集するPCにも負荷がかかる。それでも薫は、オーディオで再生したときの立体感を重視してステレオにこだわったのだ。

 ふだんはマヤがその辺の作業を引き受けているのだが、今回に関しては考える事が他にありすぎて、オーディオ部に”外注”しよう、ということで話はまとまった。なんとなく、薫に任せておこう、と全員が思ったのも不思議といえば不思議である。


 ミチルは演奏の後に吹奏楽部とのゴタゴタが起きた事もあり、スッキリしない所もあった。市橋菜緒先輩とのわだかまりが解けたと思ったら、何やら禅問答めいたセリフを残して先輩は去ってしまったのだ。

 久しぶりに5人で帰路についたが、その事はミチルの頭から離れなかった。先輩が言い残した、『フュージョンという音楽は存在しない』とは、一体どういう意味なのか。フュージョンというジャンルは間違いなく確立しているではないか。

 そう思っていると、マーコが手を振って「じゃあねー」と、細い路地に消えて行った。マーコは学校が徒歩圏内なのである。残りの4人は同じ電車組だが、ミチルが先に降りて、あとの3人はその後の駅でジュナ、そしてマヤとクレハという順になっていた。


 電車に揺られながら、ミチルはまだ市橋菜緒に言われた言葉について考えていた。無用に人を惑わすような事を言う人物ではない。応援はできない、と言っていたが、ケンカを自身の一喝で収めたり、お節介焼きな事は確かなようでもある。ミチルにいまさら馴れ馴れしくもできない手前、彼女としては若干遠まわしに、アドバイスをしてくれたのだろうか。

「なあ、ミチル」

 ミチルの思考は、隣のジュナによって遮られた。

「明日ヒマだったら、ちょっと見に行きたいショップあるんだけど、行かないか」

 ジュナが言っているショップというのは、話題のスイーツ店だとかの話ではない。だいたい9割以上の確率で、楽器の品ぞろえがいいリサイクルショップだとか、レア盤がありそうな中古レコード店だとかである。ミチルは、色々モヤモヤしている事もあって、型通りの気分転換もいいかと思い頷いた。

「いいよ」

「うん。じゃ、この電車で…そうだな、あたしの駅で朝9時半くらいに合流でどう」

「わかった」

 このところ、試験に部活と忙しかったのもあり、あれこれ考えず出かけるのもリフレッシュになる。ただ、結局ジュナの楽器探しだとか、試奏だとかに付き合わされるので、音楽から離れる事はなさそうだった。ちらりと聞いていたマヤが話しかけてきた。

「なあに、デートの相談?」

「うん。邪魔しないでね」

「ご心配なく。私は家でやらなきゃいけない事がある」

 ミチルはだいたい想像がついた。マヤはフュージョン部きってのゲームおたくである。ビッグタイトルだけではなく、そんなタイトルがあったのか、というようなゲームのトロフィーコンプリートに喜びを見出すタイプだ。コンシューマーのみならず、PCで評判が最悪なゲームをわざわざプレイして、実況なしのプレイ動画を配信しているらしい。そういえば、ゲーム音楽もたまに演奏してみたい、と言っている。

 クレハの日常は謎だった。家が茶道のなんとか千家らしい、という話は聞いているが、現在に至るまでクレハの自宅を訪れた事があるメンバーが一人もいないのは、ちょっとした驚きである。読書が趣味というのは知っているが、それ以外の情報が少なすぎる。クレハが他のメンバーの家を訪れた事は何度もあるのだが。

 そんなことを考えながら改めて電車に乗る自分たちを見ると、ギターとベースをドンと置いた女子高生が二人いるだけで、圧迫感が凄い。ミチルはバッグからEWIのケースがちょこんと頭を出しているだけである。ウインドシンセやキーボードなら、夜中でもヘッドホンでいくらでも鳴らせるが、ギターやベースはそのへん大変だろうなと思うミチルだった。


「ただいま」

 ミチルがグレーの壁の自宅玄関を開けた時、LINE着信の音が鳴った。スリッパを履きながら、片手でトーク画面を開く。気付かなかったが、フュージョン部の3年の先輩たちから何件かメッセージが届いていた。


『おつかれ。演奏聴けなかったから残念だ。来週は少しヒマだから、みんなで遠巻きに眺めに行く』

『おつかれさん。がんばれ。あと、部室のマルチエフェクターのスイッチ俺が壊しただろってジュナから言われたんだが、俺じゃないぞ。壊れてたんだ』

『今になってまた新入部員募集してるんだって?可愛い子が入ったら、内緒で先に俺に紹介しろ。絶対だぞ』


 男子の先輩たちのトークに笑ったあと、ユメ先輩のメッセージが残っていた。


『お疲れ様。実は隠れて演奏聴いてました。もう、わたしの演奏なんか追いつけないくらいだね。このまま、どこまでも成長していくよう願ってます』

『言わなくていいかと思ったけど、私たちは正面に出て応援はしない。あなたたちがフュージョン部なんだから、もう私たちにお伺い立てる必要はないからね。自由なのがフュージョンの本質。後悔のないよう、やりたいように精一杯やって。そのうえで、できる範囲で力になれる事があるなら、遠慮なく言ってちょうだい』


 自室のベッドに寝転んでユメ先輩のメッセージを読んでいたら、涙がひとすじ耳に向かって流れ落ちた。気落ちしている所に、信頼している先輩の言葉は胸に染みる。

 先輩たちが表立って応援に来ない理由は、ミチルたちはよくわかっていた。先輩たちが応援に来たことで結果を出せたとしても、それはミチルたち自身の成果ではなくなるからだ。成功しても失敗しても、自分たちで自信をもって取り組め、と先輩たちは言っているのだ。ミチルは、ごく簡潔な感謝の返事をユメ先輩に送った。たぶん返事はないだろう。そういう人なのだ。

 今はひとまず、考え事や出来事を頭から追い払いたかった。EWIを部屋の隅に置くとルームウェアに着替え、スマホの動画アプリを開く。また何かバカっぽい動画を探して、ジュナに送ってやろう。二人の間で最近ブームなのは、旅客機の操縦シミュレーターアプリで無茶苦茶な飛行をする、ボイスロイドの実況動画だった。



 同じころ、村治薫少年は自宅にストリートライブの録音データを持ち帰り、PCで音源のミキシング作業を行っていた。いわゆるDAW、正しくはデジタル・オーディオ・ワークステーションという種類の、音楽編集のためのソフトに、ミチルたちの演奏を取り込む。

 自宅のスピーカーだと、やはり低音に限界があるなと思いながら、楽器ごとの音量バランスを調整していく。J-POPの録音に文句を言いながらも、やはりミキシングを自分でやるとなると簡単にはいかない。だが、操作しているうちにだんだん面白くなっていくのが自分でわかった。思ったより音はクリアに録れており、低音と最高音を少し持ち上げる以外は、とくにエフェクトの必要はなさそうである。

「ミチル先輩、上手いな…」

 薫は思う。基本的にミチル達5人は、全員が奇跡的に上手い。だが、担当はそれぞれ違うものの、ミチルのサックスは天性のものがある、と思う。もちろん、まだ高校生らしい落ち着きのなさは見え隠れするが、いわゆる”頭一つ抜けている”感があった。

 何より凄いと思うのは、リズムに対してメロディラインが負けていないところだ。薫の主観だが、現代の若い年代のインストゥルメント音楽は、リズム主体でメロディが流されてしまい、演奏全体が一本調子になってしまうものが多い。なかなか、スクェアのようなメロディ主体の新しいバンドは現れない。ミチルの演奏は既存の曲のコピーではあるが、コピーと感じさせないメロディの力があった。

「上手い。…けど」

 編集の手を止めて、薫は考え込んだ。

 ミチルたちの演奏は上手い。プロ並みとまでは言わないが、いずれプロになっても不思議はない、と思わせるものを持っている。だが、15歳ながら様々な音楽に触れている薫の感性が、彼女たちにはまだ何かが足りない、と言っていた。それが何なのか、すぐには答えが出ない。逆にその”何か”を超えれば、彼女たちは化けるのではないか。薫は、それが見てみたい、と画面に表示される美しい波形を見て思った。

「……」

 わからない事を考えても答えは出ない。薫はまず、今できる事をやる事にした。



 翌朝、駅のベンチでスマホをいじっているジュナに、横から凛とした声がかけられた。

「おはよ」

 立っていたのはミチルだった。ちょっと修道女っぽい、ウエストが締まった黒のジャンパースカートに、通気性の良さそうな白のブラウスを合わせている。バレエシューズ風のパンプスは、ミチルにしてはちょっと幼く見えるが、黒のロングヘアとあいまって可愛い。ライトブルーのポーチが若干浮いている気もするが。

「ふーん。決まってるじゃん」

 上から下まで、品定めするように遠慮なくジュナはミチルを観察する。そのジュナは、いかにも彼女らしいファッションだった。頭には白いベレー帽。レッド・ツェッペリンの来日ポスターをプリントした公式Tシャツに、半袖の薄いデニムシャツ、それに色を合わせたデニムショート。よく締まった生足に、白いバスケットシューズを履いている。

「これ、音楽祭でも着たら?」

 ミチルが、ZEPのTシャツの胸元を指でつまんで笑う。ジュナは、指を横に振った。

「もっと面白いやつを着ていく」

「タイとかシンガポールとかの変な日本語Tシャツはダメだからね!」

「なんでわかるんだよ!」

 ミチルが溜息をついた。しかし、ジュナとはそういう少女である。折登谷ジュナ。あまり見かけない苗字なので、ミチルは出会ってすぐに印象に残ったらしい。最初に何を話したのかは覚えていないが、話しているうちに互いに音楽が好きだ、という事で意気投合した。ジュナはロック、ミチルはフュージョン。もともとフュージョンはロックとの繋がりが深いというか、そもそもフュージョンのルーツのひとつがロックなので、フュージョン部に入部する事にもジュナは抵抗がなかった。

「行くか」

 二人は、熱気を帯びてきた街の空気の中を歩き出した。日差しが熱い。もう、すでに夏である。ジュナは、ミチルと一緒にいる時間が好きだった。気が合う、というのはこういう奴の事を言うんだな、とジュナは15歳の春に初めて知った。出会って最初の夏にはもう、私の親友はこいつだ、と思うようになっていた。ミチルには言っていないが、ずっと一緒に音楽をやって行けたらいいな、と思う。

 ミチルはすらりとした美人なので、そこにいるだけで目立つ。今も、通り過ぎる周りの人間がミチルを見ている。そこだけ、ちょっとしたスポットライトが当たっているかのようだ。本人は気付いていない。

「あっ、ほら。テレビでやってたフワフワかき氷」

 ミチルがジュナの袖を引っ張る。ジュナは半分男子のような性格なので、他のメンバーに誘われないと、いわゆる女の子的なものに関わる事がほぼない。そのへんも有難いなと思いながら、ジュナはミチルと店のドアをくぐった。早く、リサイクルショップの楽器コーナーを漁りたい、と考えながら。

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