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Light Years  作者: 塚原春海
残光
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YES,NO

 ミチルの聴力が戻ったらしい、という報せは、特にバンドのメンバー達を安堵させた。友達の健康状態が良くなったという事が、まず何よりの事だった。

 だが、まだ完治したかどうかは不明である。ミチルは月曜日の朝、学校を休んで耳を診てもらうことにした。少なくとも、リモートライブに出ていいかどうか、医師の判断を仰ぐのだ。


「聴力は戻っていますね」

 診察室で、白髪が目立つ医師は微笑んだ。

「ただ、通常これほど急速に改善するという例は、あまり見られません。ですので、お渡ししてある薬をきちんと飲み終えてから、もう一度検査を受けに来てください」

 ミチルは「はい」と返事をするが、ひとつだけ確認を取らなくてはならなかった。

「あの、実は明後日の早朝、どうしても立たなくてはならないステージがあるんです。サックスの演奏をしなくてはなりません。吹いても大丈夫でしょうか」

 それは、医師としては簡単に許可しづらいだろうな、とミチルも理解していた。案の定、先生は少し難しい表情を見せる。

「サックスですか」

 これがギターを弾くというのなら、問題はそう大きくない。だが、サックスは呼吸器と直結した楽器だ。つまり、演奏する事で何らかの影響が現れて、症状がぶり返す恐れもある、というのが先生の意見だった。

「演奏時間は?」

「20分ほどです」

 それを聞いて、先生は小さく頷いた。

「わかりました。それではその演奏が終わったら、聴力に異常がなくても、検査までは演奏を控えてください」

「練習は…リハーサルは大丈夫ですか」

「連続しての練習は控えてください。ひとつ終えるごとに、聴こえをチェックする事も忘れずに。もし一度でも顕著な異常が見られたなら、本番の演奏は中止してください」

 それは、だいぶ条件がつく許可だった。


 ライブ当日は結局、いざという時のためにユメ先輩も待機してくれる事になった。本番直前でミチルの耳に異常があれば、すぐに交代してもらう。

「面倒かけてすみません」

 ミチルは、3年の教室廊下でユメ先輩に頭を下げた。先輩はカラカラと笑う。

「いいってこと。受験勉強を公然とサボれる口実になるわ」

 それはそれで大丈夫なのか。やや白い目を向けつつ、ミチルも安堵した。

「それじゃ、明日の夕方からステージ設営に入りますので、先輩は夜七時までにセミナーホールに来てくださるようお願いします。連絡のとおり泊まりになるので、着替えとかも忘れずに。食事は私達で準備します」

「私何もしなくていいの?」

「待機してくれるだけで御の字です!寛いでてください!セミナーホールは大型テレビもありますんで!」

 ミチルは大げさに手を合わせて腰を曲げる。実際、いてくれるだけで大助かりなのだ。

「ふーん、わかった。まっ、とりあえずあんたの耳が良くなっただけで安心したよ。ほんと、良かったね」

「はい。どうなるかと思ってたんですけど」

 それは心から思った事だった。突発性難聴について調べると、低下した聴力は一定期間を経て固定される、というのが現代の医学の見解らしい。ただ、そもそも難聴のメカニズム自体が、現代においてなお完全に解明されていないらしく、素人のミチルには当然何とも言えない。とにかく、今は聴力が戻った事に感謝した。


 いちおう、アメリカのチャリティーコンサート主催者にも、ミチルの聴力が戻ったらしい事は伝えておいた。ただし、症状が再発すればサックスは交代する、という条件つきである。どのみちノーギャラではあるのだが、バンドのフロントであるミチルが抜けるのは、チャリティーとしては影響が大きい。しかし、さすがに医師会が発起人の機関であり、自分自身の治療に専念して無理はするな、という返信があった。



 ひとまず、ミチルの難聴再発の不安をのぞけば、リモートライブの準備はほぼ万全といえた。月曜日の時点で主な機材は体育館ステージに設置を終えており、あとは運動部が活動を終えたあと、最終リハーサルと映像の配信チェックを行う。火曜日の朝、ザ・ライトイヤーズおよびフュージョン部の面々は、ようやくいくらか緊張から解放された気持ちで登校した。

 ところが、ミチル達の活動に直接関係はないのだが、少々モヤモヤする情報が飛び込んでくる。それは、最近ようやく打ち解けてきた、吹奏楽部の酒井三奈と桂真悠子の”元・お騒がせコンビ”からのものだった。

「ひょっとしたらチェック済みかも知れないけど」

 火曜日の昼休み、たまたま廊下ですれ違った三奈が、ミチルを隅に呼び寄せて知らせてくれた情報は、ミチル達にとって愉快とは言えない情報だった。ミチルはそれを確認すると、部室で昼食時にメンバーに報せた。


「なんだって?」

 ジュナが紙パックのレモネードを飲みながら、ミチルからの情報にあからさまに嫌悪の表情を浮かべた。

「マジなのか」

「本当よ。全然知らなかったけど」

 ミチルは、スマホだと見づらいのでPCのブラウザでサーチして、音楽情報サイトの該当ニュースを表示した。


 【フュージョンブーム再燃か!?ガールズフュージョンバンド”COSMICATION”デビュー!】


 その見出しに、フュージョン部の面々は一様に渋い顔をした。ガールズフュージョンバンド。だからどうした、という話で終わらせてもいいのだが、そのバンドのヴィジュアルが少々、いやかなり引っかかるものだったのだ。

「何よこれ」

 マヤは軽蔑そのものの様子で、そのガールズフュージョンバンドの写真を見た。5人のメンバーはアイドル系の衣装で統一され、中央に長髪のすらりとした美人のサックスが立ち、右にはウルフカット風のギター。左には、ゆるふわロングのベース。左奥には丸っぽいショートの、たぶんキーボード。右奥にはボブカットのドラムス。

「まんま、あたしらだね」

 マーコが呆れる。そう、そのヴィジュアルはどう見ても、ミチルたちザ・ライトイヤーズの路線だった。一体どういうグループなのかと記事を読んでみると、どうやらバンド経験のある若手を集めてプロデュースされた、フュージョンバンドということらしい。楽曲は全て外部の作曲家、アレンジャーを招くようだ。要するに、メジャーレーベルの企画主導で即席に作られたバンドである。その企画したレーベル名を見て、一同は納得した。

「豊国エンターテインメントか」

 吐き捨てるようにジュナは言った。豊国は契約内容をコントロールして、ミチルたちの楽曲の権利を奪おうと画策していたレーベルだ。

「あたしらに話を蹴られた腹いせなのか、あるいは」

「私達を見て、”ガールズフュージョンバンド”というスタイルが耳目を集められる、と踏んだのよ。そこで、受けのいいアイドル系のイメージをプラスして売り出そうということね。もちろん、私達への当てつけも含めての事でしょうけど、問題は」

 クレハが、珍しく嫌悪の表情を浮かべた。

「この国が、模倣文化に極めて寛容だという事よ。音楽に限らず、アニメや漫画、ライトノベルだって、プロが盗作するのは珍しくもないでしょう」

「要するに、パクリの文化も根付いちまってるって事だろ」

 ジュナは、カツサンドの袋を丸めてゴミ箱に入れると、ペプシのキャップを勢いよく開けた。

「そんなの今さら論じたって仕方ないけどな。とにかく、人の発想だとかを当たり前のように模倣しちまう奴らがいるって事だ」

「私達に影響があるかどうかは未知数だけどね」

 マヤもなんだかハッキリしない反応だ。そう、そのバンドが仮にヒットしたところで、ザ・ライトイヤーズの活動に影響があるかどうかはわからないのだ。ただ、向こうは企画主導であり、予算も何もかも潤沢である。楽曲は大物作曲家が作ってくれるのだろう。対してこちらはインディーレーベル。アメリカの老舗ではあるが、はっきり言えば中小レーベルだ。予算も企画力も無いに等しい。

「ま、向こうに言わせれば、大人の言う事を黙って聞いていれば良かったのにね、ってとこだろうな」

 ジュナが苦々しげに言ったところで、ミチルがいきなり床をバンと叩いた。

「さ、練習するわよ。マーコ、悪いけど今はドラムないから、デジタルパーカッションで何とかしてね」

 ミチルは弁当箱を片付けると、EWIの準備を始めた。その様子にメンバーはきょとんとする。

「おい、ミチル」

「なに?」

「なに、じゃねーだろ。そもそも、お前が持って来たニュースだぞ。なんか意見はないのか」

 ジュナにそう言われて、ミチルはどう答えるべきか思案したあと、簡潔に言った。

「まあ、最初は少し驚きはしたけど。どうでもいいわ」

「どうでもいい!?」

「じゃあ、どうするの。豊国エンターテインメントに乗り込んで、この子達を解散させろって怒鳴るの?」

 ミチルの言葉に、全員がハッとさせられて黙り込んだ。

「どのみち、私達にできる事なんてないし、考えたって仕方ない。それに、もしこの子達の実力が本物だったらどうするの?」

 モニター上の、ガールズフュージョンバンドの写真をミチルは指でつついた。

「私はただ単に、こんな子たちがいるよ、ってみんなに伝えただけ。私たちの活動には関係ない。いいえ、違う意味で関係はあるかもね。つまり、外部にこういうグループが現れたぐらいで動じるようじゃ、どのみちそのバンドに先はない、っていうことよ」

 その言葉に、ミチルの気持ちは集約されていた。ミチルは、自分達の覚悟と度量を問うために、あえてこのニュースをライブの前にメンバーに提示したのだ。外で何が起きようとも、自分達は自分達の音楽をやるだけだ、その覚悟があるか、と。ミチルの真意を理解したらしいメンバーは、無言で頷いた。

「私たちはザ・ライトイヤーズという、唯一のバンド。流行に乗っかる必要もなければ、楽曲を誰かに作ってもらう必要もない、独立した存在よ。企画主導のバンドは企画がなくなれば消滅するけれど、私たちは決して消滅しない。私達が消滅するのは、私達自身が創造することをやめた時」

 ミチルはEWIの音出しを確認すると、オリジナルのメロディーを吹いてみた。聴力は完全に戻っている。全ての音域が正確に聴き取れる。息を吹き込んでも、聴覚に影響が出る気配はない。素人判断でも、完治したと見ていいだろう。

 ジュナ達は、参ったという様子で昼食を片付け始めた。

「リアナ、悪いけどメインのレスポールが体育館に行っちまってるからな。お前に預けてるアイバニーズ、借りるぞ」

「えっ?あ、はい、っていうか元々ジュナ先輩のものですし」

 ジュナは笑って、いつぞや自力でレストアしたジャンクの青いアイバニーズを下げた。他のメンバーも、1年生から機材を借りてポジションにつく。全員で音出ししてみると、やっぱりドラムスがデジタルなのでいまいち軽いが、演奏の練習には十分だ。

 1年生の6人は、複雑な表情でミチル達を見ていた。明らかに自分達を模倣したグループが現れたというのに、平然としている。いかにリーダーのミチルに諭されたとはいえ、なぜ平静でいられるのだろうか、と思っているようだ。

「それじゃ、曲順の確認ね」

 キリカのショルダーキーボードを借りたマヤが、いつものようにメンバーに呼びかける。さっきまでの、どこか重苦しい空気はもうなかった。クレハもマーコも、いつも通りだ。5人は、リモートライブのセットリストを確認する。


 世界聴覚障害医療研究チャリティーコンサート・セットリスト


 1.Seaside Way

 2.Shiny Cloud

 3.Detective Witch(新曲)

 4.Dream Code


 このセットリストはそれなりに会議を経て決められたものだが、1年生には頼らずにミチル達自身が選曲した。1曲目にストレートなフュージョンナンバーを持って来たのは、開催地がマイアミ・ベイフロントパークという野外会場なので、海をイメージした爽快なナンバーで始めたかったからだ。2曲目もアップテンポなロックチューン、3曲目では少し渋めのジャズスタイルの新曲でシックな雰囲気を演出し、4曲目で盛り上げる。

「耳鼻科の先生に長い練習は控えろって言われたから、短縮版で通してやるよ」

「はーい」

 ミチルの合図に全員が応え、マーコが心許なさそうにデジタルパーカッションでリズムを取る。クレハもすでにメインが5弦ベースなので、久々の共用4弦ベースの感覚を取り戻すのに困惑していた。だが、そこは高校2年にして歴戦の猛者、すぐに飼い慣らして4弦ならではのライトなサウンドを響かせてくれた。

 ミチルは、聴覚が戻ってくれた事に心から感謝して演奏した。みんなの演奏がきちんと聴こえる。自分の演奏も。それだけで、今は幸せだった。バンドの演奏は少しずつ、まとまってきている。それは、次のレベルに到達できる事を予感させた。だが、今は目の前の仕事に全力を傾ける。地球の反対側、マイアミに演奏を届けるのだ。

 どこかのメジャーレーベルが、ミチルたちを模倣してフュージョンバンドをプロデュースしようが、ミチル達には関係ない。私達は私達だ。自分達の音楽を貫けば、結果はついてくる。そう信じてザ・ライトイヤーズの5人は、翌朝の誰もいない体育館での演奏に備えた。


 

 その日の夕方6時過ぎ、フュージョン部の女子はセミナーホールと呼ばれる、多目的会館の調理室で夕食の準備をしていた。

「ジュナは包丁持たなくていい!」

 マヤが、ニンジンを切ろうとするジュナを制止した。

「なんでだよ!」

「明日ライブじゃなかったらきっちり教えたい所なんだけど、今はダメ!左の指をケガしたら演奏できなくなる」

「高見沢俊彦は人差し指骨折しても、残りの指でツアーやってたって言うぞ」

「お前は自分が高見沢と同レベルだと思ってるのか」

 顔を近づけてジュナとマヤが睨み合う。そこへクレハが米をといだボウルを持って現れた。

「包丁を使わない所だけ手伝ってちょうだい、ジュナ」

「クレハ優しい!誰かとは違うよな」

 マヤはわざとらしく舌を出してみせる。そこへキリカとアオイ、リアナの3人が手持ち無沙汰そうに現れた。

「あのう…私達ホントに何もしなくていいんですか」

 リアナが申し訳なさそうに訊ねる。すると、鍋をドンとガスレンジに置いてミチルが言った。

「そうだよ。あんた達は、私達が無理言って手伝ってもらってるんだからね。本来は私達5人の仕事なんだから、ゲストのスタッフに余計な仕事させるわけにはいかない。今のうちにシャワー浴びてきちゃいな」

「でっ、でも、私達後輩ですし…」

「あー、あたしその先輩後輩っての嫌いなんだ」

 すると、マヤが横から口をはさんだ。

「形だけでも先輩後輩って事にしといた方が、スムーズだとは思うよ。それに、ゲストさんがやりたいって言ってるのを、無碍にもできないんじゃない?」

「なるほど」

 ものは言いようだ、とミチルは少し考えて、リアナ達を呼びつけた。

「わかった。じゃあ、リアナもギター要員だから包丁は使わないで、煮る方に回って。キリカとアオイは刻むの手伝ってちょうだい」

 ミチルに指示されると、1年生たちは喜んでそれぞれの仕事を始めた。なるほど、そういえば自分もユメ先輩にあれこれ言われるのは嫌いではない、と思う。人にもよるだろうけれど、そういうものかも知れない。ノー、と言っていたものが、誰かの一言で簡単にイエスに変わる。それも時には悪くない。

 ちなみにミチル達が夕食の支度をしているころ、サトルと薫の男子組は2人だけで、誰もいない体育館で機材の設営を行っていた。PAからの音出し、ミキサーの入出力の確認、オーディオインターフェイスの設定に間違いはないか。

 その傍ら、佐々木ユメはいざという出番のために、ザ・ライトイヤーズのミチルのパートの練習に余念がなかった。それぞれの仕事を行いながら、リモートライブの時刻は少しずつ近付いていた。

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