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Light Years  作者: 塚原春海
残光
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Module 105

 アメリカの音楽プロデューサー、ジョナサン・シモンズ氏から、イギリスのTVドラマ"メイズラントヤード魔法捜査課"のテーマ曲コンペティションの結果を千住クレハがメールで受け取ったのは、文化祭も終わって衣替えが過ぎた頃だった。すでに朝は冷え込む季節である。


「結果から言うと、コンペに提出した私達のデモ音源は第二次選考を通過したものの、最終選考で落ちた、という事ね」

 朝の部室で保温ポットのお茶を飲みながら、クレハは部員たちに告げた。メンバーは肩を落としたり、ため息をついたりと各様の反応を見せる。

「まあ、最終選考まで残っただけでも快挙よ」

 マヤは、残念そうではあるが、それなりには満足した様子を見せる。マーコは単純に残念そうだった。ジュナは花柄のテレキャスターを爪弾きながら、納得しがたいような顔をした。

「いい曲だと思ったんだけどな。雰囲気もいいし、そこそこインパクトもあるし」

「まあ、良しとしよう」

 ミチルは、ノートパソコン上の譜面から顔を上げて言った。

「最終選考まで残ったって事は、それなりに評価は得られたって事でしょ。シモンズさんは、そのへん何か言ってるの」

「採用させる要素はあったらしいわ。けれど…そのまま読むわね」

 クレハは、スマホに表示された英語の文面をそのまま翻訳して伝えた。

「"正直に言うと、採用されるだけのクオリティーは備えていた。だが、君たちも想像できるかも知れないが、どこの国のどんな業界にも、権威主義あるいは構造的問題というものが存在する"」

 そこまで聞いて、ミチルは「なるほど」と頷いた。

「要するに、私達の楽曲は完成度以外の要素で弾かれた、ということね」

「たとえば?」

 ジュナが訊ねる。

「著名な作曲家がコンペティションに参加していて、それが日本の女子高校生に負けたとしたら、どうなる?」

「…なるほどな」

「それに、イギリスはそれでなくても、伝統みたいなものを重んずるお国柄でしょ。たとえファンタジー色の濃い作品だとしても、やっぱり日本人に任せるのは抵抗があったんだと思う。その良し悪しは別として、現実にそういう空気があるっていう事よ」

 ミチルの推測はおそらく正鵠を射ており、メンバーは黙って納得するしかなかった。作品のクオリティーだけが、結果を左右するわけではない。音楽だけでなく、何の世界にもそうした力関係は存在する。

「ま、失敗も実績のうちよ。それに、私達の自由になる楽曲がひとつ出来た、と考える事だってできる」

 マヤの意見にマーコやジュナは少々呆れたような視線を向けたが、ミチルはそれに同意した。

「そうだね。いっそ、あの曲を核にして、コンセプトアルバムを作るのもありだと思う」

 コンセプトアルバム。それは、ミュージシャンの卵としては魅力的な響きを持つキーワードだ。音楽史的には1970年代前後のプログレ系に見られる、一貫した物語性を持ったアルバムという事になるが、視野を広げれば統一されたテーマに沿ったアルバム、と捉える事もできる。だが、作ろうと思って即座に作れるわけもない。この時は単に雑談で終わった話であった。

「ま、結果が出たものをどうこう言っても仕方ない。これはこれとして、次にできる事を考えようよ」

 気落ちとまではいかないが、作曲者のミチルがそれなりに残念に思っている事は、他のメンバーにもわかったようだった。何を言っても結局はいまだ高校生であり、まず学業をこなさなくてはならない。


 だが文化祭も終わってしまうと、ミチル達はバンドとしての活動が中だるみになるのを感じた。実はその後も発表した音源について、例のレコードファイル誌からインタビューを受けたりしたのだが、ことに日本と言う国は熱狂が冷めるのも早い。話題性でミチル達を持ち上げていた動画制作者なども、すでに次の”素材”を見付けてそちらに移行していった。もっとも、その程度の事はミチル達自身が最初から想像していた事である。

 ある意味では、ミチル達にとってそれぐらいの方が今は良かった。メジャーレーベルと契約したわけでもないので、活動は比較的自由である。フュージョン部2年は現在、本来であれば1学期に行っていたはずの後輩への指導に追われる日々を送っていた。

「教えるってのも、難しいわね」

 昼休みを終えてミチルと共に部室から教室に戻る途中、金木犀マヤは呟いた。彼女は現在、後輩の長嶺キリカにフュージョンのキーボード演奏について指導しているのだ。キリカはいちおうピアノを習っているのだが、それまで彼女が演奏してきたのは動画制作のためのコミカル、ポップな楽曲がメインだったため、特にT-SQUAREの和泉宏隆作品のようなドラマティックに展開するナンバーは経験がない。

 そこでマヤはピアノの原点に立ち返るという意味で、クラシックのピアノ名曲を弾く、という作業をキリカと一緒に行っていた。”トロイメライ”だとか”ユモレスク”といった、タイトルがパッと出て来なくても、誰もが聴いた事のある曲である。

「中学校の音楽の先生やってる気分」

「いいんじゃないの。あんたは先生みたいなの、様になってると思うけど」

「様になってるかはともかく、きちんと教えられてるのかな、って思う。まあ、キリカは基礎ができてるから、スクェアだろうと何だろうと演奏はできるだろうけど」

 マヤの悩みを聞きながらミチルもまた自分自身、アンジェリーカにサックスを指導できているのだろうか、と考える。そもそもミチル自身が、まだまだ未熟だ。それでも、教えられる事は教えなくてはならない。

 

 ところが、ミチルは自分で完全に忘れている事を、市橋菜緒からのLINEメッセージで思い出す事になる。

『理工科の清水美弥子先生からの伝言です。ヴァイオリンの教習の準備ができたので、都合のよい時に連絡ください、との事でした』

 それを受け取ったミチルは、口は災いのもと、という古い格言を身をもって体感した。勢いで教えてくれと言ったのを、3ヶ月近くもきちんと覚えていて、準備まで整えてくれていたとは。ありがた迷惑なのか、ありがたいと思うべきか、ミチルにはわからない。


 そんなわけでミチルは週1か2くらいのペースで、清水美弥子先生の"ヴァイオリン教室"で講習を受ける事になったのだが、講習を終えてぐったりとなって部室に戻って来るのが、他のメンバーにはいたく面白いらしかった。

「おっ、ヴァイオリニストのお帰りだ」

 ドアを開けるなり、ジュナが茶化してくる。自分はリアナと向き合ってレスポールを弾いていて楽しそうだ。奥では珍しく、サトルがベースをクレハから教わっていた。

「どうなんだ、そっちのお勉強は」

 休憩がてら、ジュナはボトルコーヒーをひと口飲んで訊ねた。ミチルは床にへたり込む。

「あの先生、必要以上にきつく当たったりはしないんだけどさ。徹底的に理屈で詰めて来る」

「そりゃあ理系の学校なんだから仕方ない。それで、ちょっとは上達したのか」

 ジュナをはじめとして、メンバーがミチルのヴァイオリンケースをチラチラ見て来る。「弾いてみせろ」という無言の期待の圧力がすごい。ミチルは根負けして、練習用に借りているヴァイオリンを取り出した。

「ちょっとだけだからね」

 と、どこかで聞いたようなセリフの後で、本当にちょっとだけボッケリーニの”メヌエット”を弾いてみせる。少なくとも、ずっと以前にストリートライブで葉加瀬太郎を弾いた時よりは格段に向上しており、いちおうヴァイオリンの音になっている事に一同から拍手が送られた。

「上手になったじゃない。頑張ったわね」

 クレハの讃辞に裏がないのはわかっているが、まだ「演奏」といえるレベルではない事もミチルはよくわかっていた。楽曲をレーシングサーキットに例えるなら、今は「とりあえずクラッシュせずに走れます」というレベルであり、こんなパフォーマンスではグランプリの予選1回目でノックアウトされてしまう。

「とにかく今は音程を正確に出せるようになれ、だって。チューニングも、慣れるまではチューナー使っていいけど、耳でチューニングできるくらいに音感を鍛えろ、って」

「うへー、厳しい。あたしそんな厳しい教え方してないよね」

 唐突にジュナは弟子であるリアナに同意を求めた。リアナは無言で微笑んでいる。ミチルはそのあとも”ジムノペディ”、”愛の挨拶”など定番の曲を次々と弾いてみせる。まだ、魅力的な演奏というには程遠いが、破綻なく演奏できているだけでも凄い進歩ではある。弾き終えたあと、ささやかな拍手の中でミチルはアンジェリーカの前に頭を下げた。

「アンジェ、私のサックスの教え方ダメだったら言ってね。教えられる立場になって、色々わかった」

「いっ、いえ、とんでもない!ミチル先輩の教え方、とってもわかりやすいです!」

「ほんとに?正直に言っていいんだよ」

 すると、ジュナがミチルにいきなりヘッドロックをかけてきた。

「うげー!」

「お前は人の言葉を素直に受け取れねーのか!アンジェがわかりやすいって言ってんだから、それでいいじゃねーか!」

「わかった、わかりました!」

 ギブアップしたミチルをジュナが解放してやると、例によって1年生から失笑がもれる。ミチルとジュナの漫才は2年生にとってはいつもの事である。

「でも先輩って凄いっすよね、体育会系の部活とかなら、後輩いびって偉そうにしてるのが普通じゃないっすか。そうやって勉強しに行くところとか、皮肉抜きに凄いなって思いますよ」

 サトルは、どこからか調達してきたヤマハの水色のベースギターを抱えていた。そういえばここ数日、ずっとベースを弾いている気がする。

「サトル、あなたひょっとしてベースやる気なの?」

「あー、はい。ちょっと、みんなで相談して。先輩達みたいに、スタンダードなフュージョンのパートをいつでも全員できるようにしておこう、ってなったんです。俺がベースで、今日いないですけど、アオイがドラムス。リアナはエレキ、キリカは当然キーボード。アンジェがもちろんサックス、EWIっす」

「なるほど。知らないうちにそういう事になってたんだ」

 ミチルがヴァイオリンを習っている間に、後輩たちもすでに前に進んでいる。逆にミチル達は、停滞気味である。なんとなくイベントも終わってしまったし、デモ音源は落選した。次に何をすればいいのか、わからない状況だ。

「ん?」

 そのときミチルは、いつもいる人物がいない事に気付いてアンジェリーカに訊ねた。

「薫は?」

「ああ、なんでも自分用のアコースティックギターを調達するから今日は来ないそうです」

「アコギ?」

「はい。この部室にはアコースティックギターがないから、家にあるやつを調整して持って来る、って」

 薫の祖父はクラシックギタリストのはずだが、アコースティックギターも自宅にあるのだろうか。

「アル・ディ・メオラのコピーでもやるつもりか」

 エレキもアコースティックも超絶テクニックのギタリストの名をミチルは挙げた。1年生は「誰?」という顔でポカンとしている。伝説のグループ「リターン・トゥ・フォーエバー」にも参加した、偉大なプレイヤーである。

「薫も勉強し直してるってわけか。ステージに立てるようになったから」

「あいつ実はベースも少し弾けるみたいっすよ。エレキもいくらかは弾けるみたいだし、ギター重ねたい時とか、いてくれると助かりますよ」

 そうかも知れない、とミチルもサトルの意見に同意した。1年生はギタリストが多い。それなら、ギターを前面に押し出した構成というのもありだ。

「なるほど。1年生はアコースティック・アルケミーと、リー・リトナーの融合みたいな路線で行ってもいいかもね。そっちの方向から、フュージョンを勉強してみる?」

「リー・リトナーって先輩が時々名前を挙げますけど、きちんと聴いた事ないです」

 それまで黙っていたアオイに言われて、ミチルはマヤに目線を送った。「1曲やってみせようよ」という合図である。もはや以心伝心だった。

「よし。ヴァイオリン練習のストレス発散に1曲やろう。”Module 105”あたりなら、すぐできるよね」

 ミチルはヴァイオリンをケースにしまいながら、2年生メンバーに確認を取る。マーコが「どんなんだっけ」とマヤに訊ねると、マヤがキーボードでイントロのギターのメロディーを弾いてみせた。「ああ、あれ」とマーコが頷く。ミチルはサックスではなく、EWIをフルートのサウンドモードに設定した。


「いくよー」

 マーコのドラムスとクレハのベースが、夜の裏通りを思わせるような静けさを伴う、どこかハードボイルドなイントロを奏でた。リー・リトナーの2002年のアルバム「Rit's House」の1曲目、"Module 105"。スムースジャズに分類されるアルバムだが、ミチルはその分類には異論がある。特にこの曲はきちんとテーマ性が感じられ、単なるBGMではない。

 ジュナのギターはピックアップをフロント寄りにして音の丸みを強調し、ミチルのフルートとあいまって、ミステリの香りもする、シックなジャズ寄りのフュージョンサウンドを聴かせた。大雑把に括るなら、いわゆるアダルト・コンテンポラリーサウンドだ。久しぶりにこうした大人のサウンドを演奏するのは、ミチル達にとってもいいリフレッシュだった。こういう、アダルトな曲もいつか作れるようになりたい、とミチルは思う。

 演奏を終えると、1年生からパチパチと拍手が起こる。

「いいですね…こういう雰囲気、好きです」

 リアナはアンジェと頷き合った。リアナは2年生よりも大人びた雰囲気があるので、こういう曲は似合いそうだ。

「うん。このナンバーは、バックの細かい音が雰囲気作りに重要だから、打ち込みとか使ってアレンジしても面白いかもね。キリカ、あんたそっち系得意なんでしょ」

「あっ、はい。一時期はDTM主体でしたし」

「つまり、あんたはあんたでフュージョンに必要な能力を持ってるっていうことよ。あたし達に出せないサウンドを作れるはず。打ち込み系のアーティストだってたくさんいるし。そうだね、みんなこれから歴代のフュージョンアーティストを聴きまくって、自分で好きなアーティストを見付けるのもいいかな」

 今は良くも悪くも、ストリーミングで好きなだけ楽曲を聴けてしまう時代だ。スマホでタップするだけで、偉大なアーティストの名盤に触れる事ができる。

「そうだミチル、あたし達でサブスクのプレイリスト作っておきゃいいじゃん。フュージョン部の定番ナンバーのさ。そうすりゃ、1年のみんなも簡単に勉強できるだろ」

「あ、なるほど」

 ジュナの指摘に、今さらのようにミチルは頷いた。言われてみればそうだ。なんでそんな単純な事に、今まで気付かなかったのか。自分達は停滞しているような気もするが、やる事は意外にある。帰宅したら、サブスクの公開プレイリスト作成だ。

 そんな風に、中だるみ期間に突入して、今は”みんなで勉強”の時間なんだろうな、とミチルは思う事にした。どうせやる事もないし、中間考査になれば音楽活動はストップするし。しばらくはこんな感じでまったりやるのも悪くないか、と、その時はそう思っていた。

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