表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Light Years  作者: 塚原春海
YOKOHAMA RED BRICKS
75/187

シューメイカー

「まず、メロディーラインだとかを復習するから、ステージでやったのと同じく合わせてみよう。基本アレンジってことだから、薫くん、一応これも録音しといて」

 ミチルの指示で、仮タイトル"Detective"の基本となるアレンジを、全員で演奏してみる。前より音は合うようになってきたが、やはりいかにも単なるフュージョンで、面白味も何もない。

「これが基本ね。スーパーとかホムセンで流れていそうなバージョン。ホムセン版、って名前つけて保存しといて」

 身も蓋もない、と聴いている1年生も呆れる。ただ一人、現役フュージョン部のノリがいまだ理解できていない、入部して5分のアンジェリーカだけがキョロキョロしている。この人達何を言ってるんだろう、と。

 ミチルは、マヤと何事かを打ち合わせを始めた。時おり「シャララン」とか「ポロポロポロリン」とか、オノマトペが聞こえてきた。

「ほわわ~ん、みたいな感じで」

「うん、わかった」

 マヤは頷いているが、傍からは何がわかったのか不明である。


「ジュナ、ちょっと。効果あるかわかんないけど、レスポールのPUフロント寄りにしてみてくれる?」

「ふうん、いいよ」

 ミチルに言われた通り、ジュナはPUスイッチをフロント寄りに切り替える。こころもち音色は柔らかくなるが、ストラトキャスターに比べると変化の度合いは少なめだ。

「マーコのドラムは、抑え目に。重さよりも、アダルトな落着き感を重視して。クレハも、アタックよりも伸びとふくらみを大事にするように。なんていうのかな、メロディーの雰囲気を重視するっていうか…」

「つまり、ヨーロッパのジャズ的な?」

 クレハが何気なく言ったその表現に、ミチルは目を見開きながら指さして言った。

「そう!そのセンテンスが出て来なかったの!さすがクレハ、語彙力が違うわ」

「こんな感じかしら」

 ミチルの要求どおり、クレハはベースを鳴らしてみせた。ウッドベースのような、柔らかさを備えた演奏だ。

「そうそう。その柔らかさを維持したまま、ロックのリズムで弾いて欲しい」

「…要求がだんだん高度になってくるわね」

 クレハの眉間にかすかにシワが寄る。

「みんなちょっと聴いて。イントロなんだけどね。ミチルと相談して、こんな感じで始めることにした」

 マヤが奏でたピアノは、独特の切なさ、寂静感を伴うものだった。曲全体の、前向きなイメージとは違う。そして、徐々に盛り上がり始めたところで一気に転調する。華やかで煌めくような、ジャズ調のピアノだ。ジュナが若干首を傾げる。

「さっきと全然違うな。最初のは"スクェアのニセモノ"みたいだったけど」

「いいんじゃないの。合わせてみようよ、とにかく」

 マーコがスティックを振り回した。とにかく演奏して感覚を掴む、右脳型ドラマーである。ミチルとマヤはアイコンタクトを取り、それぞれがポジションについた。マヤから、マーコへの指示が飛ぶ。

「私のイントロが盛り上がったところで、マーコのドラムが入る。あとは同じだけど、いわゆるフュージョンよりもジャズを意識して」

「りょーかい」

「薫、録音担当のあんたが合図出してちょうだい」

 薫は頷くとマヤの指示どおり、パソコンの録音を開始すると、手を下ろして演奏開始を示した。先程と同じように、マヤのピアノが始まる。

 マヤのピアノと入れ代わりに、マーコとクレハのリズム隊が入る。続いてギター。ここまでは同じだが、ミチルのサックスの音色が、さっきと全く違う事に薫は気付いた。ミチルはリガチャーのセッティングを変えて、厚みのある音に調整したのだ。

 そして、その吹き方も今までより、細かなニュアンスを重視したものになっていた。さらに、マヤのピアノ演奏が微妙に違う。それに気付いたのは、同じキーボード担当のキリカだった。ほんの少しだけピアノのメロディーラインがマイナー調になっており、それが曲全体にミステリアスな印象を与えているのだ。さらに、その音色も不思議なエコーが加えられている。

(全体としては、そんな極端に構成を変えたわけじゃないのに…)

 キリカは、わずかなアレンジの変化で楽曲全体を変えてしまう、マヤのセンスに敬服していた。そして、それを促したミチルにも。それは他の1年生も同じだった。音はこうやって変えて行くものなのか、と。

 ひととおり演奏を終えて、録音を自らチェックした2年生たちは、さっきより断然いいね、と口を揃えた。つまり、まだ向上の余地があるということだ。

「薫くん、どうだった?」

「いいと思う。さっきより、テーマ曲っぽい」

「よし」

 ミチルは得心がいったように、小さくガッツポーズを取る。

「何をどう変えたんですか」

「そう。さっきと全然イメージが違います」

 アオイとリアナの問いに、ミチルは自信あり気な笑みをのぞかせた。

「ヒントは、新入部員のアンジェリーカが言った、”刑事ドラマ”。そして、いま私たちがテーマ曲のコンペに参加しようとしているテレビドラマは、19世紀ロンドン風の架空の都市が舞台の、やっぱり刑事ドラマ。魔法が出てくるのはちょっと違うけどね」

 ミチルは、スマホで検索したドラマの原作小説の公式サイトを開いてみせた。「メイズラントヤード魔法捜査課」というタイトルで、架空都市リンドンで起こる、魔法を用いた犯罪事件を追う3人の刑事、という物語だ。すると、アオイが反応した。

「あっ、それ1巻だけ読んだ事ありますよ。なんていうか、ファンタジーなんだけど物語のベースは完全なミステリで。主人公の一人が天才少年魔導師で刑事、っていう設定もハリー・ポッターみたいで好きです」

「そう。日本の刑事ドラマにはそれらしいテーマ曲がある。それなら、イギリスの刑事ドラマにもそういうサウンドがあるはず。イギリスの刑事ドラマ、あるいはミステリドラマのテーマ曲には、独特の寂静感があるでしょ。ポワロなんかもそうだけど、今回参考にしたのは”主任刑事モース”のテーマ」

 ミチルの説明に、マヤが補足を加えた。

「そして、ハリー・ポッター。あの不安を煽るような独特のファンタジックな響きを、キーボードで演出してみたの。魔法が登場する作品だからね。つまりミチルのアイディアは、日本の刑事ドラマの音楽を、ヨーロピアンにアレンジしよう、というもの。どうなるか不安だったけど、叩き台としてはなかなかいいわね」

 その叩き台という言葉に、サトルは「え?」と眉をひそめた。

「これでいいじゃないですか。良くなったと思いますよ」

「だめだめ。まだ未完成もいいところ。ここから少しずつ、ジュナたちの意見も交えてブラッシュアップしていく。ようやく、自分達の曲作りがわかってきた感じね」

 マヤは、他のメンバーと頷き合って譜面を見た。ここから、さらにアレンジや演奏を追及していくのだ。それは大変な作業でもあり、楽しい作業でもあった。1年生達が、嘆息して肩を落とした。

「やっぱり凄いっす、先輩たちは」

 サトルが諦めたようにうなだれると、ミチルがケラケラと笑った。

「あたし達だって、正しい音楽の作り方なんて知らないよ。ただまあ、今までいろんなアーティストのコピーとか、アレンジやってきたのは助けになってるね。あんた達にだって、自分達だけの抽斗があるでしょ。音の」

「抽斗っすか」

 うーん、とサトル達は唸る。

「何だろうな」

「そういうの、他の音楽をやると気付く事もあるよ。だから、これからあんた達には、フュージョン部の定番ナンバーを教えて行く。スクェアもそうだし、リッピントンズとか、シャカタクとか、あるいはジョン・コルトレーンやマイルス・デイヴィスなんかもね。ちょうど奇跡的なタイミングで、サックスの子が入ってくれたでしょ」

 ミチルがアンジェリーカを見ると、視線が集中したアンジェリーカはドギマギして挙動不審の様相を呈した。

「あっ、あのっ」

「入部したてのリアナみたいな反応してるな。緊張するとみんなこうなるのか」

 ジュナは笑うが、引き合いに出されたリアナは若干不服そうな顔をした。アンジェリーカは、自分のサックスを握ってミチルに訊ねる。

「覚えられるでしょうか」

「全部覚えるってわけじゃないよ。まあ私たちは気付いたら、レパートリーがたくさんできたけどね。それに、吹奏楽やってたなら曲を覚えるコツもすぐ掴める。私も中学は吹奏楽部だったし」

「そうなんですか」

 まだ不安そうなアンジェリーカの肩を、ミチルはポンと叩いた。

「不安に思うのは、それはそれでいいよ。けど、とりあえず不安なままでいいから、やってみなさい」

「はっ、はい。あのっ、よろしくお願いします」

 頭を下げるアンジェリーカに、ミチルは微笑んだ。2学期になろうという時に、ようやく直接教える後輩が現れたのだ。一緒にいられる時間は限りがあるかも知れないが、教えられるぶんは教えてやろう、と思った。

「ま、何を教えるにせよ、私たちの片付ける事がひと段落してからだね。じゃあ、アレンジは見えてきたから、さっさとジャケット写真撮影終わらせちゃおうか」

 ミチルがサックスを下ろすと、キリカが「待ってました」とバッグからデジカメを取り出した。型は古いが、そこそこ大きなセンサーを備えた高画質モデルだ。

「任せてください!」


 そのあと、ミチル達は市民音楽祭やステファニーのステージでも着た衣装に着替えると、校内のあちこちでジャケット写真の撮影を行った。アスファルトの上。廊下。階段。渡り廊下。他の生徒がいない今は、撮影し放題だ。使うかはわからないが、各パートの楽器と一緒にポートレート風の写真も撮っておく。マーコの要望で、切り抜き合成用に青い壁面をバックにした写真も撮った。写真撮影の間、薫には24ビットのミックスダウン音源も準備させておく。

 ついでなので、1年2年が揃った集合写真や、各メンバーの練習風景の動画なども撮影しておく。何に使うかはわからないが、それならそれで、のちのち思い出になるだろう。とりあえずその日は午前中で解散し、マヤは銀行口座を作るため銀行へ行った。マーコはミチル宅を訪れて、グラフィックデザイナーであるミチルの父親のパソコンを借り、ジャケットデザインの作業である。


 突貫工事で作ったジャケットデザインは、ミチルの父親のアドバイスで若干の修正が加わり、ようやく完成の運びとなった。ようやく、レーベルに手渡す音源5曲と、メンバーの写真、ジャケット画像が揃ったのである。ミチルは「あとは任せた」というメッセージとともに、データを窓口担当のクレハに手渡した。かくして、最後の最後で実に2日間だけ、ようやく本当に何もない夏休みが、ザ・ライトイヤーズの5人に訪れたのだった。



 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市、アッパーウエストにある古い6階建てビルの3階に、老舗インディーレーベル「ワンダリング・レコード」のオフィスがあった。レーベルそのものの規模としては中くらいだが、ジャズ系のレーベルとして少なくないベテランアーティストが所属している。その一方で、新人の発掘に熱心なレーベルとしても知られ、根強い支持を獲得していた。またストリーミングの時代にあって、時代の状況に対応する一方、大手レーベルでは手を引いているSACD=スーパーオーディオCDでのリリースにも力を入れている。

 午前9時28分。棚やデスクにアナログ盤やCDケースが”整然と山積み”にされている、整っているのか散らかっているのかわからない、そしてそのせいで狭く見えるのか、あるいはもともと狭いのかもわからないオフィスの奥に、今年で72歳になるレーベル代表、マイケル・シューメイカーが落ち着かない様子でデスクに座っていた。何もかもが古びたオフィスの中で、彼が座る最新式のゲーミングチェアーが異彩を放っている。これは彼の健康を気遣ったスタッフが、座り心地が良いという評判でプレゼントしたものだった。

「まだ来ないか」

 だいぶ白髪が多い頭と、ふさふさのヒゲをかきむしりながら、マイケルはパソコンのモニターとスマホを交互に睨む。彼は、約1万km離れた日本からのメールを待っているのだ。

 イギリス出身の音楽プロデューサーであり、コンサートディレクターの友人シモンズからの紹介で、日本の"The Light Years"という、少女5人のフュージョンバンドの存在を知った。つい最近までコピー中心だったという少女たちが、必要に迫られて作ったというオリジナル曲のデモ音源を聴いた時、マイケルに雷が落ちた。今、こんな音を出せる若いアーティストがいるのか。まだ粗削りな所は確かにあるが、そんなものは問題にならない。3曲聴いた段階で、この少女たちと契約を結ばなくては、と思った。あのステファニー・カールソンが、急きょオープニングアクトに抜てきした、というのも頷ける。急がなくては、日本のレーベルに獲られてしまうかも知れない。

 バンドの窓口を担当してくれている、クレハ・センジューという不思議な響きの名前の少女からは、契約に前向きだという返信は受け取った。ただし、まだ未成年でもあり、まず学業を優先したうえで活動したいという。それもその通りだ。今は良くも悪くもストリーミングの時代だ。少しずつでも音源を送ってもらえれば、配信はできる。

 時差は13時間として、向こうは今夜の10時半すぎくらいか。日本の高校生なら、まだ起きている時間だろう。そう思っていると、オフィスの古いドアが情けない音を立てて開いた。

「まだ唸ってんですか、社長」

 28歳の生意気な社員、エドワード・ジャクソンが、相変わらず芸のないダンガリーのシャツを着て戻って来た。マクドナルドの袋をひとつ、ドンとマイケルのデスクに置く。

「僕は、契約しない方にLサイズのコーラ一本を賭けますよ。日本の女子高生なら、日本のレーベルを選ぶでしょう。それでなくても日本人は権威主義的なんだ、海外のインディーレーベルを相手にするとは思えませんよ」

「ピザも1枚だ」

「はい?」

「私が勝ったら、ピザのLサイズ1枚とLサイズのコーラ。忘れるなよ」

 ハンバーガーに年齢を感じさせない勢いでかぶり付きながら、マイケルはエドワードを指差した。エドワードはほくそ笑む。

「いいですよ。なんなら一番高いピザでも」

 エドワードが言い終えるかどうかというタイミングで、パソコン画面を睨んでいたマイケルは、ニヤリと笑みを返した。

「残念だな、エディ。手をついて謝るというなら、ピザはMサイズにしても構わないぞ」

 マイケルのデスクにある台湾製のディスプレイのメールウインドウには、たった今受信された、日本からのメールが表示されていた。



『親愛なるMr.シューメイカー。音源リリースの件でご連絡いただきました事に感謝します。


先に貴社との契約についてですが、我々ザ・ライトイヤーズ内で協議した結果、全員異存ありませんので、進めていただくようお願い致します。


指定されました通り、ミックスダウンした24ビット音源を準備しましたので、ご査収ください。先日ご案内した共有フォルダー内にアップロード済みです。受け渡し期間は1週間となっていますのでご注意ください。


(中略)


今後ともよろしくお願いします。なお、可能であれば一度は対面にてご挨拶したいと考えておりますが、なにぶん我々は日本の学生であるため、自由にならない点をご理解ください。


ファイルに不備があれば、ご連絡ください。それでは。


ザ・ライトイヤーズ 千住呉葉』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ