シューメイカー
「まず、メロディーラインだとかを復習するから、ステージでやったのと同じく合わせてみよう。基本アレンジってことだから、薫くん、一応これも録音しといて」
ミチルの指示で、仮タイトル"Detective"の基本となるアレンジを、全員で演奏してみる。前より音は合うようになってきたが、やはりいかにも単なるフュージョンで、面白味も何もない。
「これが基本ね。スーパーとかホムセンで流れていそうなバージョン。ホムセン版、って名前つけて保存しといて」
身も蓋もない、と聴いている1年生も呆れる。ただ一人、現役フュージョン部のノリがいまだ理解できていない、入部して5分のアンジェリーカだけがキョロキョロしている。この人達何を言ってるんだろう、と。
ミチルは、マヤと何事かを打ち合わせを始めた。時おり「シャララン」とか「ポロポロポロリン」とか、オノマトペが聞こえてきた。
「ほわわ~ん、みたいな感じで」
「うん、わかった」
マヤは頷いているが、傍からは何がわかったのか不明である。
「ジュナ、ちょっと。効果あるかわかんないけど、レスポールのPUフロント寄りにしてみてくれる?」
「ふうん、いいよ」
ミチルに言われた通り、ジュナはPUスイッチをフロント寄りに切り替える。こころもち音色は柔らかくなるが、ストラトキャスターに比べると変化の度合いは少なめだ。
「マーコのドラムは、抑え目に。重さよりも、アダルトな落着き感を重視して。クレハも、アタックよりも伸びとふくらみを大事にするように。なんていうのかな、メロディーの雰囲気を重視するっていうか…」
「つまり、ヨーロッパのジャズ的な?」
クレハが何気なく言ったその表現に、ミチルは目を見開きながら指さして言った。
「そう!そのセンテンスが出て来なかったの!さすがクレハ、語彙力が違うわ」
「こんな感じかしら」
ミチルの要求どおり、クレハはベースを鳴らしてみせた。ウッドベースのような、柔らかさを備えた演奏だ。
「そうそう。その柔らかさを維持したまま、ロックのリズムで弾いて欲しい」
「…要求がだんだん高度になってくるわね」
クレハの眉間にかすかにシワが寄る。
「みんなちょっと聴いて。イントロなんだけどね。ミチルと相談して、こんな感じで始めることにした」
マヤが奏でたピアノは、独特の切なさ、寂静感を伴うものだった。曲全体の、前向きなイメージとは違う。そして、徐々に盛り上がり始めたところで一気に転調する。華やかで煌めくような、ジャズ調のピアノだ。ジュナが若干首を傾げる。
「さっきと全然違うな。最初のは"スクェアのニセモノ"みたいだったけど」
「いいんじゃないの。合わせてみようよ、とにかく」
マーコがスティックを振り回した。とにかく演奏して感覚を掴む、右脳型ドラマーである。ミチルとマヤはアイコンタクトを取り、それぞれがポジションについた。マヤから、マーコへの指示が飛ぶ。
「私のイントロが盛り上がったところで、マーコのドラムが入る。あとは同じだけど、いわゆるフュージョンよりもジャズを意識して」
「りょーかい」
「薫、録音担当のあんたが合図出してちょうだい」
薫は頷くとマヤの指示どおり、パソコンの録音を開始すると、手を下ろして演奏開始を示した。先程と同じように、マヤのピアノが始まる。
マヤのピアノと入れ代わりに、マーコとクレハのリズム隊が入る。続いてギター。ここまでは同じだが、ミチルのサックスの音色が、さっきと全く違う事に薫は気付いた。ミチルはリガチャーのセッティングを変えて、厚みのある音に調整したのだ。
そして、その吹き方も今までより、細かなニュアンスを重視したものになっていた。さらに、マヤのピアノ演奏が微妙に違う。それに気付いたのは、同じキーボード担当のキリカだった。ほんの少しだけピアノのメロディーラインがマイナー調になっており、それが曲全体にミステリアスな印象を与えているのだ。さらに、その音色も不思議なエコーが加えられている。
(全体としては、そんな極端に構成を変えたわけじゃないのに…)
キリカは、わずかなアレンジの変化で楽曲全体を変えてしまう、マヤのセンスに敬服していた。そして、それを促したミチルにも。それは他の1年生も同じだった。音はこうやって変えて行くものなのか、と。
ひととおり演奏を終えて、録音を自らチェックした2年生たちは、さっきより断然いいね、と口を揃えた。つまり、まだ向上の余地があるということだ。
「薫くん、どうだった?」
「いいと思う。さっきより、テーマ曲っぽい」
「よし」
ミチルは得心がいったように、小さくガッツポーズを取る。
「何をどう変えたんですか」
「そう。さっきと全然イメージが違います」
アオイとリアナの問いに、ミチルは自信あり気な笑みをのぞかせた。
「ヒントは、新入部員のアンジェリーカが言った、”刑事ドラマ”。そして、いま私たちがテーマ曲のコンペに参加しようとしているテレビドラマは、19世紀ロンドン風の架空の都市が舞台の、やっぱり刑事ドラマ。魔法が出てくるのはちょっと違うけどね」
ミチルは、スマホで検索したドラマの原作小説の公式サイトを開いてみせた。「メイズラントヤード魔法捜査課」というタイトルで、架空都市リンドンで起こる、魔法を用いた犯罪事件を追う3人の刑事、という物語だ。すると、アオイが反応した。
「あっ、それ1巻だけ読んだ事ありますよ。なんていうか、ファンタジーなんだけど物語のベースは完全なミステリで。主人公の一人が天才少年魔導師で刑事、っていう設定もハリー・ポッターみたいで好きです」
「そう。日本の刑事ドラマにはそれらしいテーマ曲がある。それなら、イギリスの刑事ドラマにもそういうサウンドがあるはず。イギリスの刑事ドラマ、あるいはミステリドラマのテーマ曲には、独特の寂静感があるでしょ。ポワロなんかもそうだけど、今回参考にしたのは”主任刑事モース”のテーマ」
ミチルの説明に、マヤが補足を加えた。
「そして、ハリー・ポッター。あの不安を煽るような独特のファンタジックな響きを、キーボードで演出してみたの。魔法が登場する作品だからね。つまりミチルのアイディアは、日本の刑事ドラマの音楽を、ヨーロピアンにアレンジしよう、というもの。どうなるか不安だったけど、叩き台としてはなかなかいいわね」
その叩き台という言葉に、サトルは「え?」と眉をひそめた。
「これでいいじゃないですか。良くなったと思いますよ」
「だめだめ。まだ未完成もいいところ。ここから少しずつ、ジュナたちの意見も交えてブラッシュアップしていく。ようやく、自分達の曲作りがわかってきた感じね」
マヤは、他のメンバーと頷き合って譜面を見た。ここから、さらにアレンジや演奏を追及していくのだ。それは大変な作業でもあり、楽しい作業でもあった。1年生達が、嘆息して肩を落とした。
「やっぱり凄いっす、先輩たちは」
サトルが諦めたようにうなだれると、ミチルがケラケラと笑った。
「あたし達だって、正しい音楽の作り方なんて知らないよ。ただまあ、今までいろんなアーティストのコピーとか、アレンジやってきたのは助けになってるね。あんた達にだって、自分達だけの抽斗があるでしょ。音の」
「抽斗っすか」
うーん、とサトル達は唸る。
「何だろうな」
「そういうの、他の音楽をやると気付く事もあるよ。だから、これからあんた達には、フュージョン部の定番ナンバーを教えて行く。スクェアもそうだし、リッピントンズとか、シャカタクとか、あるいはジョン・コルトレーンやマイルス・デイヴィスなんかもね。ちょうど奇跡的なタイミングで、サックスの子が入ってくれたでしょ」
ミチルがアンジェリーカを見ると、視線が集中したアンジェリーカはドギマギして挙動不審の様相を呈した。
「あっ、あのっ」
「入部したてのリアナみたいな反応してるな。緊張するとみんなこうなるのか」
ジュナは笑うが、引き合いに出されたリアナは若干不服そうな顔をした。アンジェリーカは、自分のサックスを握ってミチルに訊ねる。
「覚えられるでしょうか」
「全部覚えるってわけじゃないよ。まあ私たちは気付いたら、レパートリーがたくさんできたけどね。それに、吹奏楽やってたなら曲を覚えるコツもすぐ掴める。私も中学は吹奏楽部だったし」
「そうなんですか」
まだ不安そうなアンジェリーカの肩を、ミチルはポンと叩いた。
「不安に思うのは、それはそれでいいよ。けど、とりあえず不安なままでいいから、やってみなさい」
「はっ、はい。あのっ、よろしくお願いします」
頭を下げるアンジェリーカに、ミチルは微笑んだ。2学期になろうという時に、ようやく直接教える後輩が現れたのだ。一緒にいられる時間は限りがあるかも知れないが、教えられるぶんは教えてやろう、と思った。
「ま、何を教えるにせよ、私たちの片付ける事がひと段落してからだね。じゃあ、アレンジは見えてきたから、さっさとジャケット写真撮影終わらせちゃおうか」
ミチルがサックスを下ろすと、キリカが「待ってました」とバッグからデジカメを取り出した。型は古いが、そこそこ大きなセンサーを備えた高画質モデルだ。
「任せてください!」
そのあと、ミチル達は市民音楽祭やステファニーのステージでも着た衣装に着替えると、校内のあちこちでジャケット写真の撮影を行った。アスファルトの上。廊下。階段。渡り廊下。他の生徒がいない今は、撮影し放題だ。使うかはわからないが、各パートの楽器と一緒にポートレート風の写真も撮っておく。マーコの要望で、切り抜き合成用に青い壁面をバックにした写真も撮った。写真撮影の間、薫には24ビットのミックスダウン音源も準備させておく。
ついでなので、1年2年が揃った集合写真や、各メンバーの練習風景の動画なども撮影しておく。何に使うかはわからないが、それならそれで、のちのち思い出になるだろう。とりあえずその日は午前中で解散し、マヤは銀行口座を作るため銀行へ行った。マーコはミチル宅を訪れて、グラフィックデザイナーであるミチルの父親のパソコンを借り、ジャケットデザインの作業である。
突貫工事で作ったジャケットデザインは、ミチルの父親のアドバイスで若干の修正が加わり、ようやく完成の運びとなった。ようやく、レーベルに手渡す音源5曲と、メンバーの写真、ジャケット画像が揃ったのである。ミチルは「あとは任せた」というメッセージとともに、データを窓口担当のクレハに手渡した。かくして、最後の最後で実に2日間だけ、ようやく本当に何もない夏休みが、ザ・ライトイヤーズの5人に訪れたのだった。
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市、アッパーウエストにある古い6階建てビルの3階に、老舗インディーレーベル「ワンダリング・レコード」のオフィスがあった。レーベルそのものの規模としては中くらいだが、ジャズ系のレーベルとして少なくないベテランアーティストが所属している。その一方で、新人の発掘に熱心なレーベルとしても知られ、根強い支持を獲得していた。またストリーミングの時代にあって、時代の状況に対応する一方、大手レーベルでは手を引いているSACD=スーパーオーディオCDでのリリースにも力を入れている。
午前9時28分。棚やデスクにアナログ盤やCDケースが”整然と山積み”にされている、整っているのか散らかっているのかわからない、そしてそのせいで狭く見えるのか、あるいはもともと狭いのかもわからないオフィスの奥に、今年で72歳になるレーベル代表、マイケル・シューメイカーが落ち着かない様子でデスクに座っていた。何もかもが古びたオフィスの中で、彼が座る最新式のゲーミングチェアーが異彩を放っている。これは彼の健康を気遣ったスタッフが、座り心地が良いという評判でプレゼントしたものだった。
「まだ来ないか」
だいぶ白髪が多い頭と、ふさふさのヒゲをかきむしりながら、マイケルはパソコンのモニターとスマホを交互に睨む。彼は、約1万km離れた日本からのメールを待っているのだ。
イギリス出身の音楽プロデューサーであり、コンサートディレクターの友人シモンズからの紹介で、日本の"The Light Years"という、少女5人のフュージョンバンドの存在を知った。つい最近までコピー中心だったという少女たちが、必要に迫られて作ったというオリジナル曲のデモ音源を聴いた時、マイケルに雷が落ちた。今、こんな音を出せる若いアーティストがいるのか。まだ粗削りな所は確かにあるが、そんなものは問題にならない。3曲聴いた段階で、この少女たちと契約を結ばなくては、と思った。あのステファニー・カールソンが、急きょオープニングアクトに抜てきした、というのも頷ける。急がなくては、日本のレーベルに獲られてしまうかも知れない。
バンドの窓口を担当してくれている、クレハ・センジューという不思議な響きの名前の少女からは、契約に前向きだという返信は受け取った。ただし、まだ未成年でもあり、まず学業を優先したうえで活動したいという。それもその通りだ。今は良くも悪くもストリーミングの時代だ。少しずつでも音源を送ってもらえれば、配信はできる。
時差は13時間として、向こうは今夜の10時半すぎくらいか。日本の高校生なら、まだ起きている時間だろう。そう思っていると、オフィスの古いドアが情けない音を立てて開いた。
「まだ唸ってんですか、社長」
28歳の生意気な社員、エドワード・ジャクソンが、相変わらず芸のないダンガリーのシャツを着て戻って来た。マクドナルドの袋をひとつ、ドンとマイケルのデスクに置く。
「僕は、契約しない方にLサイズのコーラ一本を賭けますよ。日本の女子高生なら、日本のレーベルを選ぶでしょう。それでなくても日本人は権威主義的なんだ、海外のインディーレーベルを相手にするとは思えませんよ」
「ピザも1枚だ」
「はい?」
「私が勝ったら、ピザのLサイズ1枚とLサイズのコーラ。忘れるなよ」
ハンバーガーに年齢を感じさせない勢いでかぶり付きながら、マイケルはエドワードを指差した。エドワードはほくそ笑む。
「いいですよ。なんなら一番高いピザでも」
エドワードが言い終えるかどうかというタイミングで、パソコン画面を睨んでいたマイケルは、ニヤリと笑みを返した。
「残念だな、エディ。手をついて謝るというなら、ピザはMサイズにしても構わないぞ」
マイケルのデスクにある台湾製のディスプレイのメールウインドウには、たった今受信された、日本からのメールが表示されていた。
『親愛なるMr.シューメイカー。音源リリースの件でご連絡いただきました事に感謝します。
先に貴社との契約についてですが、我々ザ・ライトイヤーズ内で協議した結果、全員異存ありませんので、進めていただくようお願い致します。
指定されました通り、ミックスダウンした24ビット音源を準備しましたので、ご査収ください。先日ご案内した共有フォルダー内にアップロード済みです。受け渡し期間は1週間となっていますのでご注意ください。
(中略)
今後ともよろしくお願いします。なお、可能であれば一度は対面にてご挨拶したいと考えておりますが、なにぶん我々は日本の学生であるため、自由にならない点をご理解ください。
ファイルに不備があれば、ご連絡ください。それでは。
ザ・ライトイヤーズ 千住呉葉』