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Light Years  作者: 塚原春海
YOKOHAMA RED BRICKS
72/187

Street Life

 表面的には、穏やかな朝だった。昨夜ステファニーのライブが終わって、ザ・ライトイヤーズのメンバーは小鳥遊さんが運転するワゴンで自宅に送られ、ミチルは遅い夕食をとりながら、家族に間近で観たライブの凄さを語った。そのあといつも通りシャワーを浴びて、疲れのせいかベッドに入るとすぐに眠ってしまった。夢を見た気もするが、覚えていない。


 朝のニュースでも、ステファニーの赤レンガ倉庫での野外ステージは話題になっていた。だが、ステファニーサイドの配慮もあってか、ミチルたちのオープニングアクトについては各メディアとも触れる様子はなかった。

 だが、それが通用しないメディアがある。ネットだ。ステファニーのライブを観に行った観客が、ツイッターやらインスタやら5chやらで、前回どころではない勢いでミチル達の演奏について意見し合っていた。

 

 【悲報】ステファニーのOAにド素人出演ww

 無名のガールズフュージョンバンドwww

 今どきフュージョンやる女子高生wwwww


 なにわろてんねん。こんな調子のスレタイばっかりで、中身は読む気もしない。こちとら太陽の下で、3万人の視線の中、たった15分だが全精力を注いだのだ。いい歳して人を冷笑する事しか考えつかない奴らなんか、相手にしていられない。もちろんそんな人はごく一部で、ほとんどはミチル達の演奏を素直に賞賛してくれるものだった。そして、ライブでだけ演奏されたオリジナル音源を聴きたい、なぜ配信されていないんだ、という声もある。ごめんなさい、としか言えない。今ちょっとそのへんは議論している所なんです。


 例によって、アップしてあるフュージョン部の動画もPVが伸びている。海外からのコメントも目立ってきた。アメイジング、エクセレント。これぐらいならミチルも読めるが、ロシア語や韓国語は文字そのものが全く読めない。中国、台湾は「好」とかの字があると、ウケてるような雰囲気はある。そして肝心の日本人はというと、「この曲好き」とか「目を閉じてるとスクェア本人かと思う」といった好意的なコメントに混じって「プロになれるのは一握りだけだよ」とか書いてる奴も目立つ。何でお前に説教されにゃならんのだ。じゃあ、その一握りになってやろうじゃないか。来月にでもグラミー賞を獲ってやる。

 そんなふうに鼻息荒くスマホの前でカフェオレを飲んでいると、クレハから唐突にメッセージが入った。

『ミチル、今電話いいかしら』

 なんだろう。またストーカーが出たのか。事件続きだったので、すぐ不吉な想像が頭をよぎる。

「もしもーし。どしたの」

『ミチル、まだお休みしてたらごめんなさい』

「だいじょぶだよ。なんかあった?」

『実は、例のシモンズさんからメッセージが届いていたのだけれど』

 その一言で、ミチルは身構えた。ステファニーのライブでディレクターを努めていたシモンズさん。昨日、デモ音源をアメリカのインディーズレーベルに紹介してくれると言ったばかりだ。

「…どういう内容なの」

『例の、アメリカのワンダリングレコードっていうレーベルがね。私達の音源を、ミニアルバムとして配信したい、って』

「なに!?」

 いきおい立ち上がってしまったミチルは、デスクにしたたかに太ももを打ちつけた。デスクに広げていた、ステファニーから贈られた公式グッズの山が崩れる。

「いだっ!」

『どうしたの?』

「なっ、なんでもない…それ、マジなの」

『マジよ』

 焦りのせいか、クレハの口調もおかしい。痛む腿をさすりながら、ミチルは努めて冷静に問い返した。

「それ、いつ届いていたの」

『午前3時くらいかしら。そうね、ニューヨークに本社があるレーベルだから、時差を考えると…向こうでおそらく、午後2時くらいには決定して、シモンズさんに伝えたという事になるわね』

「早すぎない!?」

 驚くというより、呆れるほどの早さだ。シモンズさんは、ミチル達の音源を置いてあるファイル共有サービスのURLを知っている。おそらく昨夜ライブが終わって、すぐに先方にそれをメールしてくれたのだろう。仮にこっちで夜11時ごろに送ったとすると、向こうは朝の10時くらいにメールを受け取ったはずだ。

 つまり4時間かそこらの間に、ミチル達のオリジナル曲を全部聴いて、吟味して、配信の契約を取り付けるべく動いた、という事になる。

『さすがに契約そのものについては、シモンズさんが仲介するわけにもいかない。つまり、ここからは私達の決断に任されている、ということよ』

 ミチルは、唐突な話にどうするべきか悩んでいた。あまりにも急すぎる。返事があるにしても、何日か経ってからだろうと思っていたのだ。

「クレハ、とにかく話し合おう。みんなに声かけるから、リモートで」

『わかったわ』


 ミチルの呼びかけでザ・ライトイヤーズのメンバーにより、再びリモート会議が開かれた。マーコが後ろを横切った弟に『あっち行ってて!』と叫んでいる。

『もう夏休みなんて、あたし達にゃなかったんだな、これは』

 ジュナはウインドウの向こうで、ケラケラと自嘲ぎみに笑った。確かにそうだ。音楽祭、音源制作、ステファニーのライブその他もろもろ、ほとんどがバンド活動関連だ。海に行く余裕など、最初からなかったのだ。みんなで出かけたのだって、先輩たちに無理やり連れ出されていなければ無かっただろう。

『それで、どうすんだリーダー。もう、来るとこまで来たけど』

「そうだね」

『あっさりしてんな』

 ジュナが、笑いながらコーラをあおる。昨日レッドブル2本にコーラ1本飲んだだろうに。カフェインと糖分のお祭りだ。

『どうすんの』

 マーコが、いつになく真剣な表情で訊ねてきた事が、今までとは事態が違う事を象徴している。インディー、それもアメリカのレーベルからの音源発表。しかも日本のガールズフュージョンバンド。何もかもが前代未聞だ。みんな、次の言葉が出て来ない。そこでミチルが、リーダーらしくみんなをまとめる役を買って出た。

「今ここで何もかも決めるのは、そもそも不可能だよ。仮に契約を決めるにしても、私達は未成年。こっち側で調整しなきゃいけない事が山ほどある」

 ミチルの指摘に、ふだん落ち着いているマヤやクレハまでもが、なるほどと頷いた。

「今ここで決めないといけないのは、私達の意志。つまり、プロを目指すのかどうかっていう決断だよ」

 その言葉が、全員の胸にズシンと響いた。プロを目指す。今まで、なんとなく考えていた事が、突然現実味を帯びてきたのだ。マヤが、カメラ越しに真剣な表情を向けた。

『…そうだね。ミチルの言う通りだ。もう、決める時が来たんだよ。私たちはどうしたいのか。プロになりたいのか、アマチュアとして楽しくやっていくのか。もう私たちはあの大舞台に立ってしまった。ある意味では、すでに私達自身の手に負えない状況になってしまったのかも知れない』

 手に負えない状況。抜き差しならない状況に、すでに自分達は立たされている。いや、そうではない。それは自分たちで選択して来た結果なのだ。オープニングアクトも、断ろうと思えばできた筈だ。それをしなかったのは、なぜか。それは、自分達がそこに立ちたかった、チャンスを逃したくなかったという思いがあったからではないのか。

 だが、決断する事には恐れがあった。もしデビューしたら、その後自分達はどうなってしまうのか。そこまでのビジョンは、ミチルたちにはない。所詮は16の高校生である。だが、ミチルは毅然と言った。

「私の気持ちをもう一度言うね。私は、プロになりたい。それも、できるならこのメンバーで」

 その宣言に、4人はどこか、心の重荷が下ろされたような表情を見せた。

「それに、何も例のワンダリング・レコードっていうレーベルに、一生縛られるってわけでもないでしょ。ミュージシャンなんて、レーベルからレーベルへ移動する職業よ。だいいち心配しなくたって、出したはいいけれどさっぱり売れない、なんて事もあるだろうし」

 そこで、ジュナが吹き出した。

『心配する方向が逆だろ。売れるのを心配してるみたいだ』

「売れなきゃ売れないで、またゼロに戻るだけって事。逆に言うなら、私達が覚悟しなきゃいけないのは、売れなかった時じゃない。売れた時、名声を手に入れた時に、自分たちでいられるか、っていうことよ」

 ミチルの言葉に、全員が黙りこんだ。いつもは威勢よく言葉を発するジュナでさえ、ミチルに頼っているような雰囲気がある。そこで、クレハが全く意外な態度を表した。

『わかった、ミチル。あなたが決めて。私たちはあなたの決定を、あなたと共有する』

「えっ!?」

 さすがにミチルも、その提案にはたじろいだ。だが、他のみんなもそれに異を唱える様子がない。

『そうね。ここは、リーダーに決めて欲しい。あなたは一個艦隊の提督よ。一戦交えるのか、退くのか。』

「ちょっと待って!」

 ミチルは声を荒げる。

「私は、みんなの意見を聞くためにこうやって集めたの。それを、私に預けるなんて」

『違うわよ、ミチル。あなたを信じるっていうのが、私たちの意見の総意なの』

 クレハは、普段のおっとりした口調からは想像しにくい、はっきりした声でそう言った。

『あなたが私達を引っ張って来たから、ここまで来たの。それは誰の目にも明らかな事実。私たちは、投げやりな気持ちであなたに任せようと言ってるんじゃないわ』

『そうだよ。ミチルと一緒に音楽やりたいって、みんな思ってるんだよ』

 マーコもクレハに続いて、普段の飄々とした様子ではなく、きっぱりと言った。

『けど、やっぱり恐いっていうのはあるじゃん。その先に何があるのか、わかんないもん。恐いのはみんな同じだよ。だから、ミチルに掛け声をかけて欲しいんだ。あたし達はこっちに行くぞ、っていう』

 マーコの言葉は、全員の気持ちそのものだった。そう、みんな恐いのだ。けれど、その先にあるものを見たい。決断してくれる人を、みんなが求めていた。それは主体性の放棄ではない。ミチルを信じてくれたからこその選択だ。そうであれば、ミチルはその気持ちに応える義務がある。

『ミチル、全部お前の責任にしようとか言ってるんじゃねーぞ。逆だろ。お前と一緒に、みんなで背負って行こうって言ってるんだ。上手く行こうが、失敗しようが。お前の決定は、あたし達の決定だ。けど、誰かがそれを先頭切って示さなきゃならない。あたし達が背中を支えてやる。だから、お前は方向を決めてくれ。頼む』

 頼む。そんなセリフをジュナから聞いたのは、いつ以来だろうか。ジュナはミチルをいつも、相棒と呼んでくれる。ミチルも、ジュナを相棒だと思っている。それなら、相棒に頼まれた事を、断れるはずはない。

「わかった」

 ミチルは、決意した表情でそう言った。

「ザ・ライトイヤーズは、ワンダリング・レコードと契約する方向を選ぶ。まず、その意志を先方に伝える。それでいいわね」

 ミチルがそう言うと、全員が頷いたあとに『異議なし』『了解』といった返事が返ってきた。

「クレハ。あなたには、先方との連絡をお願いするわ。まず、契約の意志がある事と、契約をまとめるために、こちら側で解決しなくてはならない問題がある事を伝えて欲しい。未成年である以上、保護者や学校の確認を取る必要がある、と」

『わかりました。任せてください』

「メンバーは各自、それぞれの親に、今バンドが置かれている状況と、自分の意志を包み隠さず伝えて、契約の許可を取るよう動いて欲しい。それと、何らかのアドバイスがあったのなら、きちんと聞くこと」

『ねえ、ミチル。それに関して、ちょっと相談があるの』

「え?」

 突然クレハがそう言うので、ひとまず他の3人は各自動いてもらう事にし、ミチルはクレハの話を聞くことにした。


 クレハが直接会って話したいというので、ミチルは最寄りの駅で待っていた。昼食も兼ねて話し合いをする予定である。しばらくすると、見慣れない独特な深いグリーンのセダンがミチルの前に停まる。助手席に乗っていたのはクレハで、運転席からは見覚えのない、20代半ばくらいのイケメンが降りてきた。いや待てよ、なんかそのオシャレなヘアスタイルは見覚えがあるぞ。イケメンさんはグレーの上質なスーツを着こなしている。

「ミチル、お待たせしたわ」

 助手席の窓が開いて、クレハが微笑んだ。相変わらず天使のような笑顔だが、どうも中身は必ずしもそうではないらしい事が、ここ最近わかってきた。

「大原さま、どうぞ」

 イケメンさんは丁寧な、見覚えのある手付きで後部座席のドアを開けてくれた。その声でミチルはわかった。

「たっ…小鳥遊さん!?」

「本日は私服で失礼します」

 私服。つまりいつもの黒服は、クレハのところの社長から指示されているということだ。クレハの家、千住組の社長ってクレハのお父さんなんだろうか。呆気に取られながらも、ミチルはどうやら小鳥遊さんのマイカーらしいセダンに乗り込んだ。


 小鳥遊さんのセダンは、アウディA5という車種らしい。

「やっぱイケメンじゃん!」

 ミチルは若干興奮ぎみに後部座席から、運転する小鳥遊さんを見た。

「恐縮です」

 否定しない。

「本日はクレハお嬢様より、私を交えてお話したい件があるという事でしたので、運転手も兼ねて参りました」

「えっ。今日、オフなんですか」

「ミチル、今日は日曜日よ」

 クレハの指摘で、ミチルは今さら気付いた。もう毎日バタバタしていて、曜日の感覚などマヒしていたのだ。っていうか、やっぱり小鳥遊さんはクレハのところの社員らしい。

「いいの、クレハ。小鳥遊さん、彼女とデートの予定とかあったんじゃないの」

「あら、優しいのね。けど龍二さ…小鳥遊さん、現在はフリーよ」

「いないの!?」

 マジか。お母さんが好きな、BUCK-TICKの櫻井敦司がもうちょいマイルドになったみたいなイケメンなのに。いや、現在はって言ったから、前はいたのか。心なしか、表情が若干硬くなった気もする。

「まあそれは後でじっくり訊くからいいや。で、相談って何?」

「きちんと座って話しましょう。小鳥遊さんお薦めのハンバーガーレストランがあるの」


 小鳥遊さんの相変わらずスムーズな運転でやって来たのは、ホントにこんな辺ぴなところにあるのか、と思えるほど辺ぴな、山間に近い民家が並ぶ中にぽつんと建っているハンバーガー店"Street Life"だった。渋谷あたりにあっても違和感がないようなお洒落な店だが、値段も負けじとお洒落である。周りに畑や田んぼが見える田舎で、ストリートライフを名乗るのも見上げた度胸だろう。

「せんごひゃく…」

 ミチルは、メニューのセットの値段を見て愕然とした。ハンバーガー単品で千五百円。ミチルは恐る恐る財布の中身を確認しようとしたが、小鳥遊さんは笑ってそれを止めた。

「ご心配なく。本日は、私が持ちます」

「いやでも、そういうわけには…」

「そうですね、ではこうしましょう。普段お嬢様がお世話になっている事への、感謝だと受け取ってください」

 そう言われると、ミチルも引き下がるしかない。小鳥遊さんは3人とも同じ、プレミアムハンバーガーとアイスコーヒーを注文した。

「ごっ、ご馳走になります」

「どういたしまして」

「あの、前から訊きたかったんですけど。小鳥遊さんって、クレハの所の社員さんなんですか」

 ミチルが何気なく訊ねると、小鳥遊さんは少し真面目な顔で名刺を取り出し、ミチルに差し出した。

「改めて自己紹介いたします。わたくし、株式会社千住組の外部顧問調査士、小鳥遊龍二と申します」

 受け取った名刺の肩書を見て、ミチルはつい首を傾げた。

「小鳥遊探偵社?」

 そう、名刺には確かに「小鳥遊探偵社」と書かれているのだ。

「さっき、外部顧問調査士って…あっ、だから外部なんだ」

「そうです。まあ、詳しい事を説明すると長くなるので省きますが、まあ個人の探偵社という名目で、実態は千住組の社員みたいなものですね」

「調査士ってことは、要するに企業の信用調査みたいな仕事って事ですか」

「ご明察です。千住組は建設だけでなく、複数の事業を行っております。そのため私のような調査士、早い話が企業のための探偵が必要になってきます。」

 そこでミチルはピンときた。以前ミチルたちに接触してきた、あまり感心できないレコード会社について、小鳥遊さんは当初から懸念していたとクレハから聞いているのだ。

「そして同時に、いわゆる世間で言うところの探偵としても活動が可能です。弁護士の資格も持っていますので、法的な問題にも直接対処できるのです」

「スーパーマンじゃん!」

 小鳥遊さんは謙遜するように笑うが、スーパーマンだろう。警察の人も一目置くわけだ。

「なるほど…今までの謎が解けたけど、クレハ。なんで今ここで、その調査士さんを呼ぶわけ」

「ええ。ミチル、私達これから、だいぶ特殊な形で音楽活動をする事になると思うの。もし、例のレーベルと契約した場合」

 まあ、そうだろうな。特殊も特殊だ。日本のレーベルならコミュニケーションも容易に取れるだろうが、何しろアメリカのインディーレーベルである。

「だから小鳥遊さんに、私たちのマネージャー的なポジションについてもらおうかと思っているんだけど、どうかしら」

「マネージャー!?」

 ミチルが驚いているところへ、ハンバーガーが運ばれてきたので話はいったん中断になった。

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