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Light Years  作者: 塚原春海
YOKOHAMA RED BRICKS
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Night Owl

 ミチルたち「ザ・ライトイヤーズ」の5人は、ステージの状況を常時チェックするスタッフ用のスペースから、ライブを観覧する事を特別に許可された。機材や配線が丸見えで、客席の角度から見るステージとはだいぶ異なる。

 だが逆にミチル達にとっては、世界のプロがどういう仕事をしているのかを間近で見る事ができる、またとない機会でもあった。ローディの動きもよく見える。

 ステファニー・カールソンのバックバンドはシンプルな4ピース構成だが、曲によってはサックスが参加する。30代半ばくらいに見える黒髪の男性で、ミチルは知らない奏者だが、やはりその腕前は次元が違った。少なくともミチル自身にはそう思えた。ユメ先輩や菜緒先輩も上手いが、彼女たちの演奏も、このプロの演奏と比較すると、やはり未熟さがわかってしまう。

 主役であるステファニーの歌は堂々としていて、現在主流の鼻にかかったような女性ボーカルではなく、深みと伸びがある。爪弾くアコースティックギターはシャープで、かつ底力を感じさせる。ガソリンスタンド時代を振り返った"Energy Girl"は、乾いた地平線の向こうに見る夢を希望的に歌った曲だ。

 彼女の音楽は必ずしも、楽しさだけを表現したものではなかった。時にはギョッとするほど反権力的な世界観を見せる。人間の争いの不毛さを嘆いたナンバー"Power illusion"は、往年のプログレの名曲にも引けをとらない。ステファニーは歌う。


 "あなたの住んでる場所が違うだけで

 彼女たちに生きる価値がないなんて

 あなたは本当に信じているの?

 女神様の眼には王様の住む宮殿も

 ビニールの配線が這うただの小屋"


 ポップ、と言われるステファニーの本質は、実はロックなのではないか、とミチルは思った。歌は言葉によって意志を伝える事ができる。ミチル達のようなインストゥルメンタルでも、不可能ではないかも知れないが、難しい事だ。あるいはジュナがやりたいのは、そういう音楽かも知れない。ジャズにも、フュージョンにもボーカルはある。そもそも、ロックやポップスとフュージョンの区別がないアーティストもいる。ジュナはボーカル曲も喜んでやってくれそうだ。

 そのときミチルは、ステファニー・カールソンという大スターの演奏を聴きながら、自分たちの活動について考えている自分自身に驚いていた。至近距離でステファニーを聴けるというのは、音楽ファンとしては夢のような体験で、事実ミチル達も感激している。だが、その体験が鮮烈であればあるほど、ミチルは自分自身の表現意欲をかき立てられてしまうのだ。

 

 ライブは半ばを過ぎ、空は赤くなり始めた。サックスの印象的なイントロが始まる。ヒット曲"California Sunset"。ガソリンスタンド時代の友人から聞いたという体験が基になっていて、別れた恋人への気持ちを沈む夕陽とともに閉じる歌だ。ともすれば泥臭くなりそうなサウンドも、ステファニーが歌うと洗練されたものになる。

 ミチルは、この会場にフュージョン部のショータ先輩とカリナ先輩が来ている事を今思い出した。二人には、自分たちの演奏はどう映っただろうか。ステファニーの演奏と存在感の前には、霞んでしまっただろうか。

 やがて街明かりが灯り始め、空はいちだんと暗くなり始めた。もう、夜が来る。ライブも終盤を迎え、印象的なアコースティックギターのイントロが流れると、客席から歓声が聞こえた。インディーズのファーストシングル"Night Owl"。孤独に夢を追う切なさと、わずかな喜びを歌った大ヒットナンバーだ。スローテンポで染み入るようなサウンドが、暗闇の赤レンガ倉庫に反射する。

 そのとき、ミチルはひとつの歌詞に戦慄を覚えた。それは、間奏明けの一節である。


 "赤レンガの隙間を逃げるように走る

 お願いだから私の足を止めさせないで

 赤レンガの隙間を逃げるように走る

 夜の古い赤レンガの倉庫の隙間を

 フクロウのように"


 何度も聴いている歌なのに、サビの歌詞ではないので、ミチルはすっかり気がつかなかった。そして、3万人のオーディエンスの半数近くも、それまで気付かなかった。ステファニーは、この短い詞を歌うために、横浜赤レンガ倉庫をライブ会場に選んだのだ。

 なんという演出だろう。ミチルも、他の4人も脱帽して立ち尽くしていた。音楽の持つ表現の可能性が無限である事を、5人は悟らされた。


 そのあと3回のアンコールがあり、アンコールのたびにプロジェクションマッピングによる演出が行われた。一見するとフォーク系シンガーに思えるステファニーのライブは、実のところ最新技術も惜しまず投入する、華やかなパフォーマンスで知られている。内向的なサウンドから、弾けるような表現まで、そのレンジの広さにミチル達は驚かされた。

 倉庫の壁が割れるのではないかと思えるほどの歓声のなか、3時間半に及ぶステージはようやく幕を閉じた。


 ステージ裏に戻ってきたステファニーは、まるで疲れを感じさせないくらいエネルギーに満ちていた。たった3曲やっただけで、3万人を前にした緊張から気力を使い果たしたミチル達とは違う。やろうと思えばまだやれるのではないか。

 ステファニーはスタッフ達とハグ、ハンドシェイクで互いの労をねぎらい合った。全ての人間がいなければ、ステージはできない。ミチル達はその一部始終を、間近で体験できるという幸運にめぐまれたのだ。

 5人が後ろの方で遠慮がちに控えていると、突然目の前が開けて、ステファニーが現れた。緊張して何を言えばいいかわからずにいると、ステファニーはミチルに握手を求めてきた。

『素晴らしかったわ。あなた達に、オープニングをお願いして良かった』

 クレハが通訳してくれなくても、何を言っているのかはわかった。世界のミュージシャンに認めてもらえたのだ。その喜びに、ミチルの目から涙が溢れてきた。スタッフ達から、盛大な拍手がザ・ライトイヤーズに贈られた。


 そのあとミチル達も交えて、ステージ裏でソフトドリンクのささやかな乾杯が行われた。夢のような体験だった。トップアーティストの輪の中に入れてもらえたのだ。

 だが、その感激もジュナの一言がぶち壊すまでだった。

「甘っ!」

 ジュナはアメリカから持ち込まれたコカ・コーラの甘さに驚いた。そこから、日本のコーラとの味の違いだの、メキシコ産のコーラが一番美味しいだのといった話題に華を咲かせた。

 だが、ある一人の若いスタッフのお兄さんが訊ねた一言で、その場の関心はミチルたちに集中する事になった。

『君たちは当然、今後も音楽活動を続けるんだろう?』

 一瞬、場はシーンと静まりかえった。誰もが、反応を待っている。ステファニーもだ。誰もが、少女たちのこれからの構想について知りたがった。ミチルは、甘いコーラを両手で持ったまま語り始めた。

「もちろんです。この先も、ずっと音楽を続けて行きます」

『じゃあ、例えばメジャーデビューする意志があるっていう事かい』

 お兄さんは遠慮なしに訊いてくる。メジャーデビュー。口で言えば一瞬だが、ハードルは高い。それに、日本とアメリカ等では”メジャー”と”インディー”の捉え方が違う。

「正直に言えば、まだそこまで明確なビジョンはありません。そもそも、今の自分達に何ができるかもわからない、というのが、嘘偽りない現状です」

『なるほど。けれど、君たちはすでに一歩を踏み出してしまったんじゃないか?』

 その一言に、ミチルたちはある意味で愕然とした。そうだ。ミチルたちはすでに、世界のトップアーティストのオープニングアクトという、無名のバンドとしては大きすぎるほどの大舞台を経験してしまった。今後ミチルたちに何が起こるのか、まったく予想ができなかったが、おそらくこのライブを観た3万のオーディエンスの中から、オープニングアクトを務めた無名のガールズフュージョンバンドを話題にする人間が現れる事は、想像に難くない。

「…そうかも知れません」

 すると、ステファニーが真面目な顔で訊ねてきた。

『もうすでに、いくつか音源があるんじゃないの?あなた達には』

「完成と言っていいものが5曲と、メロディーはあるけれど手つかずの曲が2曲。それと、さっきシモンズさんが話をさせてくれと言われた1曲」

『あと2曲もあれば、アルバムができるわね』

 その指摘に、控室内がざわついた。ミチルたちのファーストアルバム。だがそこでミチルは、ステファニーサイドと接触する直前まで計画していた、自主制作盤のことを説明した。

『なるほど』

 突然ステファニーが、シモンズさんに何か耳打ちすると、シモンズさんが再び指を曲げて5人を呼び出した。


 翌日の撤収作業のために、すでに片付けの準備が一部始まっている設備エリアを抜けて、シモンズさんは周りに人のいない壁に囲まれた所で、声をやや潜めて言った。

『アメリカの"ワンダリング・レコード"という、ジャズやフュージョン系に強いインディーレーベルがある。規模はそう大きくないが、アーティストの自由度が高い。私が声をかけられる中では、もっとも信頼できるレーベルだ。アーティストの権利を第一に考えてくれる。単刀直入に言おう。そのレーベルを通じて、音源を発表してみたらどうだろう』

「ええっ!?」

 5人はその唐突な提案に、さすがにたじろいだ。

「つっ、つまりインディーズデビューしろっていう事ですか。アメリカのレーベルから」

『そういうことだ。君たち日本とアメリカでは、インディーレーベルの捉え方が少し異なるようだが、まあそこは置いておくとしてもだ。今の時代、すでにどの国で音楽をやるか、というのはあまり関係がないと私は思うね』

 言っている事はいちおう筋は通っている。だが、あまりに性急すぎやしないか。ただデビューするだけでも大ごとだというのに。そんな少女の戸惑いを察してか、シモンズさんは言った。

『もちろん、今このステージ裏で決断しろと言っているわけじゃないさ。即座にプランを決められるはずもない。ただ、僕の気持ちを言おう。君たちの音楽は、グローバルな世界でこそ活きる音楽だと思う。今は良くも悪くも、ストリーミングの時代だ。活動の拠点は日本に置く事もできる』

 なるほど。アメリカのインディーズレーベルと契約しつつ、日本に活動の基盤を置き、ストリーミングを中心に発表する。確かに今の時代、そういう形もあるのかも知れない。だが、それが実現可能かどうかは未知数だった。

『今回演奏した3曲を含めたデモ音源5曲がすでにある以上、レーベルに持ち込む音源としては申し分ない。まず、ものは試しだ。挨拶がわりに送ってみてもいいのではないかな』

 シモンズさんの提案に、5人は興味を覚え始めた。とりあえず送ってみる。それは、悪くない選択であるように思われた。ミチルは、メンバーといくつか相談をして、ひとつの決断をした。

「わかりました、まず今ある5曲を送ってみます。その仲介を、シモンズさんにお願いして構いませんか」

 それを聞いたシモンズさんは、シワが目立ち高齢者の仲間入りを始めた顔に笑みを浮かべ、スマホを取り出した。

『いいだろう。話を持ち掛けたのは僕だからね』


 シモンズさんは、英語でやり取りができるクレハを連絡の窓口に指定してメールアドレス、フェイスブックのアカウントを伝えてくれた。シモンズさんの立てたプランは、大まかに次のようなものだった。

「まず、アルバムを制作できる数のデモ音源を制作する。それも、できれば完成形といえる段階まで仕上げたもの」

 帰りの車中で、クレハはシモンズさんから別れ際に受けた説明をメンバーに伝えた。

「それに先立ってシモンズさんの紹介でまず5曲、ワンダリング・レコードというインディーレーベルに、クラウド経由でデモ音源を送る。そこから先は私たちの仕事になる」

「つまり、上手くいけばそのままインディーレーベルからリリースってことか。Spotifyだとかに」

 ジュナの声は眠そうだ。ステファニーのステージに、直前のチェックから参加していたのだから、当然である。

「おそらくね。まあ、そんなトントン拍子に進むとも思えないけれど。ある意味で、心配は要らないんじゃないかしら」

 クレハの言葉にメンバーは苦笑した。結局はいまだ無名の学生バンドである。今ある5曲だけでは、配信するにしても足りないだろう。

「小鳥遊さん、ワンダリングレコードっていうレーベルは知ってる?」

 試しにミチルはそう訊ねてみた。小鳥遊さんはなぜかそういう、企業の評判に詳しそうだからだ。小鳥遊さんはいつものように、クールな表情のまま答えた。

「いま詳しく調べさせていますが、私が少しだけチェックした感触では、まっとうなレーベルだと思います。そういうのは、WEBサイトを見ただけで何となくわかります」

「そうなの!?」

 一体、小鳥遊さんは何者なのだ。今さらミチル達は謎が深まった。ふつうに訊けばわかる事なのかも知れないが。メンバー全員疲れている事もあり、今日はそれ以上考える事はできそうになかった。

 窓の外を、トンネルの照明がメトロノームのようなリズムで過ぎて行く。兎にも角にも、夏の一番大きな舞台は確かに終わったのだ。もう、夏休みも数日しか残っていない。大変な夏休みだった。一度くらい海に行っておけば良かったな、などとミチルは思った。とにかく、明日は休もう。今度こそゆっくりしよう。でないとまた倒れてしまいかねない。

 ミチルは、メンバー全員にステファニーが贈ってくれた物販グッズの中の、サインをしてくれたニューアルバムのケースを眺めた。サインどころではない体験をしたというのに、これはこれで特別なものである。ステファニーは別れ際、今度はステージで共演できるといいわね、と言ってくれた。いつか、そんな時が本当に来たらどうしよう、とミチルは思う。厳密に言うと、さっきのステージで一瞬だが、ミチルたちはステファニーと同じステージに立っていたのだ。スモークの中でステファニーと入れ替わるという案は演出スタッフの思い付きで、ミチルは心臓バクバク状態でステファニーにバトンタッチしたのだった。ついさっきの出来事なのに、もう夢だったのではないか、と思えてきた。


 だが、それが夢でも何でもなかった事を、ミチルたちは翌日、否が応でも思い知らされる事になる。それは、夏の大舞台の残り火だった。

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