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Light Years  作者: 塚原春海
YOKOHAMA RED BRICKS
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67/187

君はハリケーン

 そのあと市橋先輩もとい、菜緒先輩に連れられて、全然知らない小路の雑貨屋さんとか、知ってはいたけど入った事はない楽器屋さんだとかを訪ねた。あらかた知っているつもりの市内でも、まだまだ知らない場所がたくさんある。

 教わりっぱなしでは何となく格好悪いので、ミチルも穴場の中古レコード店を教えてあげた。大学のテニスコート裏手にある、ちょっと歩いただけでは気付かない店だ。

「こんにちは」

 顔なじみのミチルは、もう少し若い頃の植松伸夫を彷彿とさせる、天然パーマのマスターに声をかけた。わかるようにサングラスを外してみせる。

「おや、久しぶり。今やちょっとした有名人じゃないか」

「やめてよ」

「今のうちに、サインを貰っておいた方がいいのかな」

 からかうように笑いながら、どうやら買い取ったばかりのアナログレコードを入念に診ている。盤やジャケットの状態で、値段が決まるわけだ。

「ほんとは、オリジナル音源を自主制作盤のCDにしようって話だったんだけどさ。まさかステファニーの前座なんて、考えもしない事になっちゃったから、ライブ終わってから改めて作ろうって事になった。ここにも置いてもらえる?」

「いいとも」

「最近は、自主制作もアナログ盤で出す人いるよね」

 ミチルは、ずらりと並ぶ70年代の洋楽ジャケットを持ち上げた。グランドファンク・レイルロードだ。ジュナの家にCDがあった。

「いるね。やろうと思えば、20万くらいである程度の枚数が出せる」

「あれもどうなの?やっぱり音って違う?」

 レコードどころか、物心ついた時にはCDさえすでに斜陽化していたミチルにとって、アナログ盤は未知の世界だ。

「確かに音は違う。当然だ、音の処理方法が全く違うんだから」

「アナログの方がいい、っていうのは?」

「あれは何十年も前から言われてる話だ。確かに、条件次第ではCD、ハイレゾよりも生々しい。けれど、ほとんどの場合は意味が違うな」

 なんとなく、マスターの語り口は誰かに似ている。誰だろう。

「うちにあるプレイヤーは、カートリッジ込みで20万だ。それに昇圧トランスだのイコライザーだのを加えると、中古車が1台買えるくらいの予算になる。これで、アナログ盤の世界じゃ入門クラスだな」

「でも、安いプレイヤーでもCDよりいい、っていう人、多いよ」

「俺の持論だけど、世間で言うアナログレコードってのは、一種のイコライザーだ。つまり、もともとは低音が薄っぺらかった録音が、アナログレコードを通して高音がガクンと落ちる。中低音は盛り上がる。これで厚みが増したようになる」

 すると、話を聞いていた菜緒先輩が混ざってきた。

「アナログレコードは高音が伸びているという話も、実際はほとんどのディスクが、15kHzくらいまでですね。学校で実際に、クラシックからロック等のアナログレコードの音響特性を測定した事があります」

「そうなんですか!?」

 ミチルはマスターと一緒に驚いた。いったいどういう授業内容なのだ。

「ええ。実音がCDの高音再生限界、22.05kHzを超えていたアナログディスクは、50枚測定したうち3枚だけ。それも、70年代の特殊な民族音楽のもの。あとは良くて18kHz止まり」

「そう。実際はそんなものだ。それでも、超高音のノイズが心理的にリラックス効果を与える、といった研究もあるから、一概には言えないけどね。…この子も君と同じ科技高なの?」

 興味がわいたのか、マスターはカウンターから身を乗り出して、見た目には文系のポニーテールの美少女を見た。菜緒先輩はニコニコして、いつの間にか手にしていた1枚の中古CDをレジに出す。

「またずいぶんレアなものを見付けたね。こんなの、うちにあったんだな」

 自分のところの商品を把握していないマスターは、ピンク色の紙ジャケットを眺めた。女性デュオ「SWAY」のデビューアルバム"チャイム"。1992年の作品だ。ジャケット、ディスク読み取り面には傷みが目立ち、ワゴンセールで200円である。

「探していたんです。ネットで中古を買おうかと思ってたんですが、まさかこうもあっさり見つかるとは思っていませんでした」

 ミチルは、ユメ先輩から教わって聴いているのでこのアーティストは知っている。当初は「さそり座」の名で活動し、1984年、ヤマハ主催の"ポプコン"で注目を集め、翌年デビュー。もはや伝説のポップ、フォークデュオだ。大昔にNHK「みんなのうた」でも流れたという名曲"最後のシュート"は、実はフュージョン部の隠れレパートリーに入っている。いまだサブスクでも彼女たちの楽曲を聴く事はできず、きちんとした音質で聴くには現物を手に入れる以外にない。サブスクも結局、メジャーな音源が幅をきかせる世界である。

「だいぶ傷んでるよ。研磨してやろうか」

 マスターは、盤面の傷を渋い表情で眺めて勧めた。プラス500円で、傷だらけのディスクに高品位な研磨を施してくれるという。そんなサービスがあった事を、今の今までミチルは知らなかった。


 菜緒先輩は嬉しそうに、買ったディスクをバッグに仕舞って歩き出した。

「先輩って、普段どういう音楽を聴くんですか」

 ふいに訊ねると、返ってきた答えはまったくもって意外なものだった。

「ふつうにキンプリとかBTSとか聴くわよ。洋楽だとジャスティンとか」

「…そうなんだ」

「なに?意外?」

 まったく意外だ。サブスクのランキングトップにふつうに出てくるようなメジャーな名前。

「なんかこう、それこそクラシックとか聴いてるのかなって」

「あはは、あのね。所詮は18になったばかりの女子高校生よ、わたし」

 そう言われてみればそうだ。ものすごく大人びて見えるので、何となく自分たちと違う気がしていたのだ。むしろ自宅でリー・リトナーだの、ジョー・サンプルだのを当たり前に聴いている、ミチルの方が変わっているのかも知れない。

「まあ、クラシックも聴くけどね、夢を壊さないように言っておくと。あとまあ、J-POPでもグダグダした歌は嫌いかも」

 なるほど。気っ風のいいユメ先輩と気が合うわけだ。ミステリアスな菜緒先輩の一面を知って、その印象がだいぶ変わった。


 昼は菜緒先輩が薦める喫茶店でランチ。ミチルはとろとろの卵がかかったナポリタン、先輩はボロネーゼ風ドリアを注文した。ドリンクは揃って水出しコーヒー。ここでも意外だったというか、先輩はマナーこそ完璧で上品だが、案外食欲は旺盛なタイプらしく、食べる勢いがミチルより早い。クレハも同じように上品だが、それでベース弾けるんですか、というくらい少食だ。

 ランプの落ち着いた灯りの下でくつろいでいると、明日3万人の前で演奏するという実感がいまいち湧いてこない。これでいいのだろうか。だが、何気なくスマホに目をやった時、お天気情報の通知がミチルの背筋を凍りつかせた。


【あす関東方面に雨、強風のおそれ】


 まじか。ミチルが硬直していると、菜緒先輩が何かを察して訊ねた。

「ひょっとして明日の天気?」

「はっ、はい」

 なんでわかるんだ。この人もカンが鋭いタイプか。

「大丈夫よ。たぶん晴れるわ」

「…根拠は」

「私の天気の予想はだいたい当たるもの」

 何なんだ、それは。あなた本当に科学技術工業高校の、理工科の生徒ですかとツッコミを入れたかったが、今はその天気予報を信じたい気持ちである。

 中止の時は、主催者からミチルたちに連絡が前もって入るはずだ。今の所そういう様子はない。それにしても、なぜステファニーは野外ライブにこだわったのだろう。それも横浜赤レンガ倉庫という、景観は良くても、野外ライブ会場としては必ずしもベストとは言えない場所だ。一応ブレイクしたアーティストなのだから、さいたまスーパーアリーナあたりでも余裕で確保できたのではないか。


 ランチのあと、駅ビルの書店などを物色して、午後2時過ぎにデートはお開きとなった。ここでも意外なことに、菜緒先輩はライトノベル読者だという事実が判明する。といってもいわゆる現代のラノベではなく、もっと古典的な、どちらかと言うと玄人好みの重厚なものが好きらしい。クレハと話が合うのではないか。

「それじゃ、明日上手く行くよう祈っているわ」

 先輩は、ミチルの手を取って応援してくれた。

「ありがとうございます。頑張ります」

「ええ。今日は楽しかった。思い出にするわ」

 

 電車に揺られながら、ミチルは菜緒先輩と撮ったツーショット写真を眺めた。2ヶ月前には考えられなかった事だ。

 本当に、この2ヶ月は色々あった。明日がその総決算のように思える。オープニングアクトは主役ではない。だが、ライブを盛り上げるという重要な役目でもある。それでも、もはや緊張はない。緊張などしている場合ではない。


 その日の夜、ミチル宅の壮行会を兼ねた夕食に啓叔父さんがやってきて、もとホテル料理人の腕を振るってくれた。スマホにも、山ほど激励の通知が入っている。フュージョン部の3年生、1年生。顧問。だが困ったのは、普段ほとんど交流がない相手からの激励だ。悪意はないから邪険にもできないので、出来る限りはありがとう、と返事をする。

 だが、中にはハッキリと嫌悪を覚える相手もいる。一番呆れたのは『サインもらえる?とりあえず10枚。色紙は用意したからさ』という電話だ。悪いけど対応できない、と返したところ、『ヒット曲も出したわけじゃないのに、大したものね』と言って切られた。

 どうせ、ミチル達が万一ブレイクした時を見越して、ネットフリマで売るとか下らない事を考えていたのだろう。ミチルは他のメンバーに、間違ってもそういう手合いには相手をするなと連絡を入れておいた。冗談ではない、電話で当の本人が言ったとおり、今のミチル達は無名のアマチュアに過ぎないのだ。そんな相手にサインをねだる時点で、応援などする気持ちがないのは明白である。

 そんな中、やはり田宮ソウヘイ先輩からのLINEメッセージは光るものがあった。

『お前達がヒットしたらフリマで高値で売るから、みんなが写った証明写真と一緒に、全員のサイン百枚ずつと、衣類とかの私物を大量に送ってくれ。着払いでいいから』

 そう、最初からこう頼めばいいのだ。ミチルは先輩に敬意と感謝を込めて、こう返信しておいた。

『いいですよ。横浜の海に沈めておくので、ご自分で取りに行ってください』

 先輩からの返信はなかった。


 その夜、ミチル達はなかなか寝付けずにいた。緊張なのは間違いないが、ステージに出ることの緊張ではなく、台風情報についてである。気象庁と米軍、両方の進路予測をリアルタイムでチェックする。近畿地方で雨、という情報には肝を冷やしたが、夜10時半を過ぎたあたりから、僥倖が見えてきた。

「おっ」

 ミチルは、台風のコースが少しだけ、東にそれたのをアプリで確認した。

「よし、そこだ、行け」

 同点の8回ウラ、ワンアウトで三塁にランナーがいるような気持ちで、ミチルは気象レーダーを見た。ここで一発、最悪一人アウトでも一点はいける。一点取れればいい。あとは抑えの山田が何とかしてくれる。山田って誰だ。

 少し経って、さらに台風は東にそれた。北上する様子もない。よし。ようやく1点リードだ。

 だが、次のタイミングでわずかに台風は北に寄ってしまう。東京湾の南南東だ。スリーアウト、チェンジ。ここで、ミチルの脳内のマウンドに抑えの山田が登板した。ライトイヤーズの守護神。任せたぞ、山田。知らんけど。

 その後、さらに台風は北に寄る。まずい。ファーストに出塁を許してしまった。このままだと東京湾にホームインされる。

 だが、山田は粘りの好投を見せる。守備も頑張ってくれた。ツーアウト一塁、ツーストライク。さあ、追い込んだ。ここで、山田の奇跡のスライダー。ストライク!台風は、今度こそ太平洋に抜ける。ゲームセット、ライトイヤーズの勝利。

「やった!山田、よくやった!」

 ミチルは謎の脳内投手、山田に喝采を送った。メンバー達から台風それたね、早く寝ろ、お風呂入ったか、歯磨けよ、というLINEが続々と入る。その直後ザ・ライトイヤーズのメンバーは、リーダーから『山田が頑張って台風を抑えてくれた』という謎の返信を受け取ったのだった。



 ミチルはその夜、夢を見た。ミチルは、巨大な船の艦橋に立っている。艦橋の外は、宇宙空間だった。

 不意に、船は加速を始めた。それは、一瞬で驚くほどの速度に到達する。ミチルは足元が揺らいだように感じて、よろめいてしまった。

 倒れるかと思ったその背中を、いくつもの手が支えた。何人いるのかわからない。だが確かに、そこにいる。何となく、4人いると感じた。船はさらに加速し、もはや光そのものの速さで、宇宙空間を駆け抜ける。一体、自分たちはどこまで行くのか。その恐れがミチルの心を覆った瞬間、目が覚めた。


 そこは、いつもの自分の部屋だった。時計を見ると、朝5時12分。まだちょっと早い。

 そのときミチルの頭に突然、メロディーが浮かんだ。ミチルは何かに突き動かされるように、デスクに置いてあったEWIを掴むと、そのメロディーを吹いてみた。勇壮なメロディーだ。慌てて、EWIをスマホに接続し、アプリでメロディーを録音する。

 この間は、夢の中でメロディーが流れた。今度は、目が覚めた時に浮かんだ。完全に覚醒していない状態で生まれたメロディー。それはいったい、誰が生み出したのだろう。

 考えているうちに、もう5時半を過ぎていた。カーテンを開けると、空は晴れている。わずかに雨が降ったようだ。ミチルは立ち上がると、1階に降りた。


 とくに変わる事のない朝だ。トイレを済ませ、シャワーを浴びて、キッチンに向かう。ハルトはまだ寝ているらしい。父も今日は珍しく遅い。母はミチルが来たのを確認すると、トースターのスイッチを入れた。

 パンの焼ける香り。フライパンの上に卵が落とされた。皿にはトマトとジャーマンポテトサラダが、主賓の目玉焼きの到着を待っている。

 いつもと、何も変わらない朝だ。ミチルは、いつものカシスジャムをトーストにのせて口に運んだ。

 だが、居間のテレビに目をやった瞬間、ミチルは今日が、いつもと違う事を思い知らされた。


『ステファニー・カールソン野外ライブ開演直前!』


 というテキストが画面に踊り、設営が完了したステージと交互に過去のステファニーのライブ映像が流れる。ミチルはトーストを喉につまらせかけ、慌ててオニオンスープを流し込む。

 いつもなら、単に自分と関係ないニュースである。だが今日は違う。自分たちはいま映っているステージに、夕方5時から立って演奏しなくてはならないのだ。その時間、たった15分。だが、きっとその瞬間は、今までの比にならないくらい長く感じることだろう。


 食事を終えてコーヒーを飲んでいる頃、スマホにマヤからメッセージが入った。

『起きてるー?今日ライブだよ』

 ノリが軽い。隣町のライブハウスじゃないんだぞ、と返しておいた。すると、ちょっと百倍広くてお客さんが百倍多くて屋根がないだけのライブハウスだと思え、という返信だった。それを野外ステージというんだ。

 いつものノリに呆れていると、バンドでいちばん騒々しい奴から、LINEではなく電話がかかってきた。他に誰あろう、折登谷ジュナその人である。

『おい、起きてるか!今日ライブだぞ!』

 やかましい。朝からオーバードライブ全開である。

「わかってるわよ!」

『忘れ物すんなよ!遅刻すんなよ!あと、家に帰るまでがライブだからな!』

「お前は校長か!」

 いつもと変わらない。台風がそれた理由がわかった。もうこんなやかましい台風がいるのだから、自分がわざわざ出張る必要もない、と思ったのだろう。


 そうだ、いつもと変わらない。ちょっとステージが大きいだけだ。私たちは変わらない。いつもの私たちのライブをやればいいんだ。

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