I'm Not Okay
ミチルたち「ザ・ライトイヤーズ」による、ステファニー・カールソンのオープニングアクト本番の練習を兼ねたゲネプロは、ひとまず順調に進んでいた。楽曲はすでにここ数日繰り返し演奏していた事もあり、メンバー全員の頭に入っている。
だが、5曲やり終えたところで、ミチルたちは何かしっくりこない表情で集まっていた。何が悪い、という事もないのだが、何かスッキリしない。そしてそれは、どうやらミチルたちの演奏を聴いていた、国内外のスタッフ達にとっても同じだったらしい。さっき、本田雅人の曲をやった時のような、勢いのある拍手が返ってこない。
楽曲には自信がある。いい曲だと思う。だからこそステファニー側も、無名の高校生バンドをオープニングアクトに呼ぶなどという"暴挙"に出たのだ。
ミチルたちが無言でドリンクを飲んでいると、コンサートディレクターのシモンズさんという、ひょろっとした背の高い、色白で金髪のおじさんからステージの隅に呼び出された。シモンズさんはクレハに二言三言説明して、クレハは「OK」と頷いた。ミチルが、何か不備があったのだろうかと不安そうに訊ねる。
「なに?なんかマズイとこあった?」
「うん、演奏は問題ないって」
「じゃ、なに」
「当日の私達の持ち時間は約15分らしいの。つまり、平均4分から5分ある私達の曲だと…」
「3曲か」
うーん、とミチルは唸った。
『選曲は君達に任せるが、決まったら一応僕に知らせてくれ』
『わかりました』
シモンズさんは進行表らしきものを手に、どこかに行ってしまった。
「選曲か」
「うーん」
ミチルは、ついマヤの方を向いてしまう。だが、マヤも今回は少々悩んでいるようだった。
「とりあえず"Dream Code"は外せない。これをラストに持って来る」
マヤは、それは決めていいだろう、と言った。ミチルたちも異存はない。自分たちの、今のところ代表曲と言っていいサウンドだし、実際色んな人に訊ねても、この曲は文句なしに良い、という。
「じゃあ、1曲目も"Shiny Cloud"でいいんじゃないの。いかにもオープニングって感じで」
ミチルの提案に、他のメンバーが頷く。だが、最後の1曲で全員が悩んでしまう。"Friends"という曲は、緩やかなリズムで展開する爽やかなナンバーだ。全体の統一感という意味では、この曲が良さそうである。だが、爽やか路線で言うと"Seaside Way"という、スパイロ・ジャイラ風のストレートなフュージョンナンバーもある。あるいは、真ん中にあえてジャジーな曲調の"Midnight City"を持って来る、というのも考えられる。
音楽祭のアンコールでは、セトリが思いつかないゼロの状態で悩んでいたが、今度は2曲外す作業である。ただそれだけの事なのに、ミチルたちは答えが出なかった。さらに、音がなぜか決まらない、という問題もある。
ミチルたちが悩んでいるところへ、薫がステージ機材をジロジロ見ながら歩いてきた。玩具の山を前にする子供の目だ。
「なんかあった?」
相変わらず察しがいい。ミチルたちは、休憩も兼ねてその場に座り込んだ。
「選曲か、なるほど」
「薫くんはどう思う?」
ミチルは期待を込めて薫くんの表情をうかがう。だが、そう簡単に答えは出ないようだ。
「うーん。先輩たちが決める以外にないんじゃないの」
「うっ」
こいつ逃げたな、とミチルは思ったものの、すぐに薫の言う通りだ、と反省した。いつも薫くんがいてくれるわけではない。
「でもまあ、意見はって聞かれたら、統一感が優先かなとは思う」
薫くんの意見は、難しい話ではない。尺が30分もあるなら、間にスローテンポな曲を挟んで緩急をつける事もできるが、15分で下手にそれをするのは、盛り上がりを削ぐのではないか、ということだ。なるほど。
「じゃあ、決まりだね。オープニングアクトのセトリ」
ミチルは、結局一度も見なかった譜面の裏にボールペンで走り書きした。
M-1 "Shiny Cloud"
M-2 "Friends"
M-3 "Dream Code"
『この順でやりたいと思います』
クレハが、ドリンク休憩中のシモンズさんにリストを確認してもらうと、ニコリと笑って頷いてくれた。
『OKだ。君達の演奏もひとまず問題はないようだし』
問題ない。その言い方が、クレハには引っ掛かる。やはり、聴いていたスタッフ達も、期待していた手応えがなかったと感じているのではないのか。シモンズさんは立ち上がって、紙コップをダストボックスに放り投げた。
『君達、ボーカル曲を何曲かやってみてくれないか。ボーカルの音響バランスも、ステファニーが来るまでに調整できれば助かる』
それは、モヤモヤしていた所に丁度いい気晴らしだった。特にジュナは、大きなステージで歌えるのが嬉しそうだ。そこでジュナのために1曲、ハードロックナンバーを好きにやらせる事にした。ただし、注文はつく。
「すぐ弾けるやつだよ!あんたのスマホに入ってるようなマニアックなやつじゃなく!」
ミチルは念押しするが、ジュナは残念そうだった。
「マニアックって、どれくらいのレベル?」
「あんた、すぐクランベリーズの"ゾンビ"とか薦めてくるじゃん」
「ゾンビはメジャーな名曲だろ!」
「あんたの言う"メジャー"とあたし達の考える"メジャー"には、1億光年くらいの開きがあんのよ!」
後ろでマヤが笑いを堪えている。後世の音楽評論家によれば、ザ・ライトイヤーズが音楽性の違いで揉めた最大の瞬間がこの時だという。
結局、例によってフュージョン部の伝統「いつでもすぐ弾けるレパートリー」から、ベタにマイ・ケミカル・ロマンス"I'm Not Okay"、テイラー・スウィフト"Shake it off"、そして特に意識したわけではないのだが、つい最近のステファニー・カールソンの大ヒットポップナンバー"California Sunset"を続けて演奏してみせた。なぜかこの演奏はスタッフに大ウケで、ミチルたちは嬉しい反面、釈然としないものがあった。
他人のコピー演奏は感激してもらえるが、自分たちのオリジナルはそうでもない。もちろん、プロの大ヒット曲に対して無名のオリジナル、しかもインストゥルメンタルという、厳しい比較条件があるのはわかるが、それにしても何かもうちょっと反応があってもいいのではないか。
そんなふうに5人が思っているところへ、薫くんがドリンクを持って来てくれた。
「なんか、浮かない顔だね」
薫くんは相変わらず緊張感がない。ひょっとして、ステファニーが目の前に現れても平然としているのではないか。ミチルはレモネードのボトルをありがとうと受け取りながら、訊ねてみた。
「ねえ、薫くん。私達のオリジナル曲調の演奏、何か問題あった?」
「問題?」
「音が合ってない、とか」
「うーん」
薫くんは、コーラの蓋をゆっくりと開けた。カラメルの香りが漂ってくる。
「問題はなかったと思う」
「そうなのかな」
「ひょっとしたら、その"問題がない"のが、最大の問題なんじゃないのかな」
その、薫くんの一声で、全員が雷に撃たれた思いがした。
問題がないのが、最大の問題。
薫くんが何気なく言っているのは、実のところ、とてつもなく高度な指摘であり、要求だ。その、言わんとするところが、ミチルたち5人には一瞬で理解できた。
「僕の言いたい事、わかる?」
「…嫌になるくらいわかった」
ミチルは、初めてこの村治薫という少年が「憎い」と思った。いったい、この少年は何なのだ。ミチルたちが抱えている問題を、涼しい顔で的確に指摘してくる。薫の言っている事はおそらく正しい。だが、それをどう解決すればいいのか、ミチルたちにはわからない。だがそこで薫が続けた言葉もまた、ミチルたちにとって意外なものだった。
「うん。演奏技術は、学校でストリートライブをやってた頃と較べて、段違いにまとまってきてると思う。お世辞抜きで、プロ級って言ってもいい。けど、ストリートライブやってた時の演奏と、さっきのオリジナル曲の演奏、どっちが好きかって訊かれたら、たぶんストリートライブの演奏、って答えると思う」
「…何が違うんだろう」
「それは、僕にはわからない。たぶん、先輩達自身でないと、わからない事なんだよ」
薫は、お手上げという表情だった。そこまでは、薫にはわからない。実際に楽器を手にして、ステージに立っているミチル達自身でなくては、わからない事なのだ。
そこへ、音響のダニエルさんがやってきて、クレハに英語で何事かを説明した。クレハは「イヤー、ジャスタセカンド」と答えてミチル達を向く。
「とりあえず、私たちの今日の役割はこれでオーケーだそうよ。意外にスムーズに行ったから、拘束時間の正午まで、自分達の演奏のリハーサルをしたければステージを使っていい、って」
ミチルは、ジュナたちの表情を見た。ジュナの目は、もう一度やりたいと言っている。
「なんだか釈然としないまま、本番を迎えたくはないわね」
「マヤちんの意見に同じでーす」
マヤとマーコも、まだやる気らしい。ミチルも頷いた。
「そうだね。やれるだけ、やってみよう」
クレハに向かってそう伝えると、クレハはダニエルさんに流暢な英語で、メンバーの意志を伝えてくれた。ダニエルさんも、がっしりした首で大きく頷く。
『わかった。いい演奏を期待してるぜ』
ミチルたちは、まだ答えが出ないまま、再びそれぞれのポジションに立って音出しを始めた。基本的に、ミチルたちがやる事は演奏する事だけなので、今までやってきた自主的な演奏活動に較べれば、楽なものである。学校でのストリートライブは、機材のセッティングは当然自分達でやらなくてはいけなかった。あの時は必死だった。部活がなくなるかも知れないという不安も手伝って、ギリギリの精神状態だった。事実ミチルは、一度倒れている。
その大変さは二度と体験したくないが、じゃあ楽しくなかったのかと言えば、それもまた違う。大変な事と並行して、楽しい瞬間もたくさんあった。
薫は、その時の演奏の方が好きだ、という。ギリギリの、余裕がない時の方が、良い演奏ができていた、というのか。今は、譜面を頭に叩き込んで、余裕を持って演奏できている。今の方が、いい演奏ができているのではないのか。
考えても仕方ないので、とにかくミチルたちは演奏を再開する事にした。メンバーとアイコンタクトを取り、オーケーの合図を送る。
マーコのバスドラム、クレハのベースが、いつものように始まる。マヤとジュナのキーボードが重なる。リズムは完璧だ。ソウヘイ先輩に指摘されたとおり基本に立ち返って、息はぴったりと合っている。何が違うのだ。何が、ダメなのだ。ミチルの思考は、限界を迎えていた。
「(何が、ダメだっていうんだ!)」
ミチルは、その気持ちをぶつけるようにサックスを吹いた。ミチルの、混乱と焦燥と不安が、エネルギーに変換される。それは、マインドのバイブレーションとなって、赤レンガ倉庫のスペースを駆け抜けた。
ステージ下で聴いていたスタッフたちの表情が変わったのを、ミチルは気付かなかった。後ろで演奏しているメンバーの表情が変わった事も、薫の目がわずかに開かれた事も。ただ、どう音を出せばいいのかわからない、という気持ちを、そのままサックスに吹き込んだ。
いつしかミチルは、モニターから返って来るメンバーの演奏が、今までと違って聴こえる事に気が付いた。何だろう。何が変わったわけでもない。リズムは合っている。音程も合っている。何も変わったようには聴こえない。だが、確かにそれは、今までと違う演奏だった。言葉で説明できない、熱さがある。
わからない。これでいいのか。やがて、ジュナのギターソロが始まった。
「!」
ミチルも、他のメンバーも、驚愕を禁じ得なかった。それまで、正確に演奏されていたジュナのギターが、正確さはそのままに、唸りを上げている。それは演奏ではなく、咆哮だ。雷雲の中を駆ける、龍の咆哮だった。
ジュナのギターの唸りを受けて、ミチルはサックスのソロを力いっぱい吹いた。メロディーラインという名のサーキットを走る、フォーミュラマシンのように。それは時にレーシングラインを外れ、ランオフエリアにはみ出し、縁石に乗り上げる。それでもエンジンの内燃機関は、ドライブシャフトを回し続けた。ミチルのサックスは、テクニカルなコーナーを華麗にうねり、高速コーナー、ストレートを高らかに駆け抜ける。
ようやく我に返ったミチルは、ステージ下のスタッフたちが、身体を揺すってリズムを取っている事に気付いた。それは、さっき自分達がマイケミをコピーしていた時と同じ光景だった。
これでいいのか。ミチルには、答えはわからない。言葉の答えは出て来ない。だが、サックスから出てくる音が、全てを理解していると感じた。クレハのベースは、力強く、かつ気品さえ感じさせる。マヤのキーボードは艶を増し、マーコのドラムは野生の馬のギャロップだった。
きっと、これでいいんだ。答えがわからない状態。薫は、問題がないのが問題だ、と言った。であればその答えは、「正解がないのが正解」なのではないか。音楽の感動とは常に、理解を超えたものでなくてはならない。理解の範囲内におさまる音楽など、それはただの「情報」にすぎないのではないか。
1曲目を終えた時、ミチルたちに盛大な拍手が贈られた。それは、とても久しぶりに聴く音だった。そうだ、ストリートライブでも音楽祭でも聴こえた、あの拍手のリズムだ。感動を共有できた、という実感だ。それを、自分達の楽曲で体験できた事で、ミチルたちに言い知れない感情が湧きあがった。音楽をやるというのは、こういう事なのか、と。
この場所にいたい。ずっと、この5人で。私たちはステージに立ち続けたい。5人に、同じ気持ちが芽生え始めた。マーコが、次のナンバーのリズムを取る。マヤ作曲"Friends"。ピアノの軽やかなイントロから始まるスムース・ナンバー、と思わせておいて、実はアレンジが最初に作ったデモから、大幅に変更してある。サックスだけだったメインのメロディーは、サックスではなくウインドシンセサイザーのEWI、ギター、キーボードでシームレスにつながなくてはならない、非常に難しいものになっているのだ。しかもそれは小節の途中で行われる。メロディーのバトンタッチに継ぎ目が出来てはならない。マヤはこの曲に、継ぎ目のない友情を込めた。3人は見事に息を合わせ、難しいパートを演奏し切った。そして間奏は、ベースとドラムスのみという構成である。ドラムソロが終わって一瞬の静寂のあと、一斉に5人の演奏になって曲は幕を閉じる。実のところ恐ろしく高度な編曲で、マヤ自身もどうやって作曲したのか思い出せないという。
拍手が鳴り止まない間に3曲目、"Dream Code"のイントロが流れる。スタンダードな8ビートの、奇をてらった所は何もない、ストレートなフュージョンサウンド。しかしその不思議なメロディーは、リズムをねじ伏せるように夢幻的に展開され、さり気なく仕掛けられた変拍子がアクセントを加える。実際に演奏するには高度な技術を必要とするナンバーである。
何かをつかんだ5人の演奏は、そのレベルの高さをプロのスタッフ達に知らしめることになった。この少女たちは、普通ではない。ひょっとして、とんでもない才能の開花に自分達は立ち会っているのではないか。ステファニーが注目した理由がこの時ようやくわかったと、スタッフの一人がその日の午後に語っている。
無我夢中のうちに、ミチルたちはようやく自分達の演奏をつかむ事ができたような気がした。だが、そこに明確な答えはない。きっと、それでいいのだ。ステージの下で、ダニエルさんもシモンズさんも、ヘレナも盛大な拍手を贈ってくれている。5人はいつものように深くお辞儀をして、その日の”仕事”を終える事ができたのだった。