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Light Years  作者: 塚原春海
YOKOHAMA RED BRICKS
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El Mirage

 ステファニー・カールソンのライブは3日後で、リハーサル、いわゆるゲネプロは翌日午後と明後日の午前中に行われる。そこで、ミチルたちザ・ライトイヤーズのメンバーは、翌日午前8時には横浜赤レンガ倉庫で待機し、午前中に自分たちのゲネプロを行って欲しいという。

「音響チェック要員の役割もありそうね」

「音響チェック?」

 ミチルは、ユメ先輩に訊ねた。

「野外ステージとなると、音響スタッフ…いわゆるPAさんが綿密に音響調整をする事になる。ミチル達の演奏シミュレーションと、音響調整を同時に行えれば、ステファニーのゲネプロはスムーズになるわね」

「でも、私達の音とステファニーの音は違うんじゃないですか」

「そうでもないと思う」

 ユメ先輩は、スマホでミチル達のデモ音源を鳴らしながら説明した。

「むしろ、あなた達の音がステファニーに近いと思ったから、白羽の矢が立ったんじゃないかしら。基本的にフラットな音を好むでしょ、あなた達は」

 そうなのだろうか、とミチルは思う。ただ、ここ最近のミチル達の音作りに、大きな影響を与えた人物が一人いる。ミチルは、その人物に声をかけた。

「薫くん、悪いけどゲネプロにはあなたも一緒に来てくれる?」

「ぶっ!?」

 いつも落ち着いている薫くんが、アイスティーを吹き出した。

「きたねえな!!」

 目の前にいたジュナが、タオルを広げて大げさに拭く。薫は、怪訝そうな目をミチルに向けた。

「…なんで僕が」

「うん、なんかあなたは困った時に役立ちそう。今までずっと、そうだったでしょ」

「向こうには、アメリカの優秀な音響スタッフがいるんだから、僕がついて行く必要ないと思うよ」

「うーん。そういうのじゃないんだよな」

 ミチルは、周りのメンバーの顔をうかがった。他の4人も一様に頷いている。

「そうね、音楽祭の例のドタバタでも、薫くんが大急ぎでセトリを決めてくれたのは大きい」

「部活の審査の時も、薫くんの設置したスピーカーとか、音響調整がなかったら、先生方を納得させられなかったと思うわね」

 マヤとクレハも援護射撃に加わると、薫くんは追い詰められて行った。そこへマーコが言ったひとことが後押しというか、トドメとなる。

「なかなかお目にかかれないアメリカのプロの音響機材、たくさん見られるかもよ」

 こののちフュージョン部員の間には、薫を手懐けるにはオーディオ機器というオモチャをちらつかせればいい、という雑な認識が共有される事になったのだった。


 午前中の後輩の指導を終えたユメとソウヘイは、満足げな表情で校門を出た。

「あとは、ステファニーのサインを貰えるかどうかだな」

「あの子たちの分はくれるかも知れないけど」

 意地悪くユメが笑うと、ソウヘイは憮然とした。

「しかし、あいつらは何かしでかすと思ってたけど、まだ信じられねえな。ステファニーの前座だぜ」

 ソウヘイは、立秋をとうに過ぎた空を見上げた。夏休みが終われば、文化祭まであっという間だ。秋が来て、冬が来て。その先は考えない事にした。

「なあ、ユメ。お前は音楽、続けるのか」

「そうね。せっかくここまで続けて来たんだから、続けてもいいかもね」

「ハッキリしねえな」

「そういうあんたはどうなのよ。プロのギタリストになるんでしょ」

 そう言われて、ソウヘイはギクリとした。それは、後輩たちには言っていない事だからだ。付き合いの長いユメは、ソウヘイの言った事をよく覚えていた。

「…なれるもんならな」

「そうね。けど、あの子たちを見なさいよ。何が起きるかわからないわよ、人生」

 そう言ってユメは、スマホの音楽ストリーミングアプリのページを示した。それは、3年生が配信しているオリジナルアルバムである。だが、1年足らずの期間に、雀の涙みたいな再生数しか得られていない。そんなもの見せるな、とソウヘイは思ったが、ユメが指差した部分の数字を見て、表情が変わった。

「なに?」

 見間違いか、みたいな表情でソウヘイは画面に目を近づける。アルバムの楽曲トータル再生数、3万4千件。ついこの間まで、4桁を超えなかったはずだ。

「うおっ、まじか。同名の他のアルバムじゃねえのか」

「違うわよ」

 ユメが1曲目をタップすると、いつのプログレだよ、みたいなストリングスのイントロが流れた。カリナのシンセの音だ。間違いなく、自分たちの楽曲である。

「知らなかったの?あの子たち、自分たちの動画に関連作品として、私達や1年生の楽曲や動画のリンクを貼らせてるのよ。あの子たちが話題になったことで、自動的に私達にも影響が及んでるの」

 ユメは、ソウヘイの顔が僅かにニヤついているのに気付いた。ソウヘイは基本、お調子者である。

「へ、弟子のおかげで聴いてもらえる師匠ってのも情けねえな」

「でも、その弟子に演奏を教えたのは、あなたでしょ。自信持ちなさいよ」

 ユメは、ソウヘイの背中をバンと叩く。ソウヘイは力無く笑った。

「…そっか。そうだよな」

「そうよ。それに何よ、あんた自分がまだ10代ってこと、忘れてるんじゃないの」

「…そうだった」

 呆れた。ソウヘイは自分を、若い連中に置いて行かれた年寄りとでも思っていたのか。たかが、彼女たちよりひとつ上なだけの青二才である。その思い込みの激しさが可笑しく、ユメは笑い始めた。

「あはははは!」

「なんだよ!」

 ソウヘイは憮然として、足を早める。ユメは笑いながら、その隣に並んだ。

「ね、なんか食べて行こうよ」

「なんかって、何だよ」

「なんでもいいよ。ほら、行こう」

 今度はユメが先に出る。二人は、ほんの少しだけ秋の気配が近付いた空の下、心の中で後輩たちにエールを送った。がんばれ。それとステファニーのサインも頼むぞ、と。


 一方でミチル達はというと、とりあえず曲は頭に入っていつでもやれるぞ、という所まできたので、実務的な問題を片付けてから演奏の練習を再開する、ということになった。

 衣装については、もう考える時間がないので、市民音楽祭に出た時の衣装で出ます、とステファニー側に伝えたところ、オー、ザッツ・インクレディブル、という返信だった。これがアメリカ人なのか、この人達だけそうなのか。

「っていうか、移動はどうすんの!?今更だけど!」

 マヤがキレ気味に叫ぶと、ランチの惣菜パンの欠片が宙を舞った。きたない。さり気なく身をかわしていたクレハは、ガードがわりの譜面を下ろして言った。

「ごめんなさい、言うの忘れてた。龍じ…小鳥遊さんがこの間のバンを出してくれるそう。機材の運搬にももう一台、回してくれるって」

「ほんとに?助かるなあ」

「でも当日は早いから、集まれる人は駅とかで集合しててくれると都合がいいそうよ」

 という要望だったのでミチル、ジュナ、マーコ、薫の4人は、ジュナの最寄り駅で集合という運びになった。

 ちなみに機材は余程変なデザインでない限り、自前のもので構わないが、エフェクター類は備え付けのものを使って欲しい、とのことだった。とはいえプロ中のプロの機材だ、歪み系から空間系まで何でも揃っているだろうし、シールドケーブルも飛び切り高品位なはずである。マヤは、いつものキーボードが霞んで見えるハイエンド機種に触れられるのを楽しみにしているようだった。なかなか余裕があるじゃないか。使いこなせるのか。

「あっそうだ、クレハ、わたしEWIも使うって…」

「すでに伝えてあります。対応してくれるそうよ、アルトサックス用のマイクも含めて」

「あっ、ハイ」

 どちらも、なんて気が利くのか。ともかく、だいたい準備は整ってきたように思える。

 そのとき、ジュナがスマホを握って「わあ!」と叫んだ。何だ何だ、とメンバーは焦る。ジュナは、スマホのブラウザ画面を示した。それは、ステファニーのライブ告知に関するニュースだった。

「何よ」

 ミチルは画面に顔を近付けると、ジュナと同じように叫んだ。

「ぎゃああ!」

 何なんだ、とマヤがスマホをぶん取って、クレハ、マーコとともに覗き見て、そのまま硬直した。ブラウザには「更新情報」とある。


【オープニングアクトにステファニー絶賛の、謎のガールズフュージョンバンド"Light years"が、オリジナル未発表曲を引っ提げて登場決定!】


 見事だ。一切の過不足なく煽る。というか、チケット完売してるのに意味あるのか。

「ステファニー絶賛、ときたぜ」

 ジュナの笑顔は引きつっている。ステファニー絶賛とまで言われたら、へたな演奏もできない。おまけに「オリジナル未発表曲」である。もはや逃げることはできない。

「謎のガールズフュージョンバンド、だって」

 マーコがケラケラと笑う。お前余裕あるな。そう思っていると、クレハも口元に手をあてて、上品にではあるが笑いをこらえ切れずにいた。大丈夫か。

「ま、笑う以外にないわな。メジャーデビューもしてない、自主制作盤すら出していない、しかもフュージョンっていう斜陽ジャンルの、女子高校生バンド。前代未聞のバーゲンセールね」

 マヤはマヤで、もはや動じる事もなく優雅にボトルコーヒーを傾ける。ミチルも、どうにでもなれと思い始めたその時、すごいタイミングで電話が鳴った。

「げっ」

 相手の名を見てミチルはたじろぐ。それは以前取材を受けた音楽誌のライター編集者、京野美織氏だった。ミチルはドキドキしながら通話を選択する。

「…もしもし」

『もしもし!大原ミチルさんですか!?いま、お電話よろしいでしょうか!』

 その勢いに「ダメです」と答えたら面白いだろうなと思いつつ、OKだと伝えると、京野さんはその勢いのまま続けた。

『いやー、ビックリですよ!ステファニーの前座に出るんですよね!』

 さすが音楽誌編集、反応が早い。しかも、ミチルの連絡先を知っているという利点を、遠慮なしに活用してくる。

 内容は要するに、「レコードファイル」誌のWEBサイトにあるステファニーライブ情報ページに、コメントを載せていいだろうか、という事だった。この間の取材の謝礼に、ほんの少し上乗せしてくれるという。あれこれ考えている余裕がないミチルは、その場で当たり障りのないコメントを適当に答えておいた。

『ありがとうございました!みなさんの出演のご成功をお祈りします!あ、あとこの間の取材が載った本誌は来月11日発売ですので、よろしく!』

 えらい勢いでまくし立てた京野さんは、えらい勢いで通話を切った。通話が終わったあと、ミチルは蒼白になってマヤの顔を見る。

「わたし今なんかマズイ事言ったりしなかったよね!?」

「さあ。ちゃんと聞いてなかったし」

 マヤは半笑いして明後日の方角を見る。ミチルは食い下がった。

「嘘だ!答えて!」

「プロになったら、あらゆる場面で取材に答える事になるのよ!その練習だと思いなさい!」

 そう言われるとぐうの音も出ないのだが、べつにプロになると決まったわけでもない。出演が終わってみれば、あっという間に人々の記憶から消え去る可能性の方が高いのではないか。逆にそう考えるほうが気楽だ、とも言えるが。ミチルは苦笑しつつ溜息をついた。

「やれやれ…よーし、それじゃもう一回、通しでやってみるよ。薫くん、なんかおかしい所があったら、遠慮なく演奏止めていいからね」

「りょーかい」

 ミチルの合図で、みんなは素早く昼食を片付け、再び自分のポジションについた。ジュナの手には、ソウヘイ先輩から預かったギブソンの赤いギターピックが握られている。ステージで緊張しないお守りに、と借りたのだ。


 ミチル達が練習している間に、すでにレコードファイル誌のWEB版には、ライトイヤーズのリーダー・大原ミチルのコメントが掲載されていた。「本誌独占コメント」とあり、アクセスは地味に伸びているらしい。何を言ったか覚えていないので、ミチルは見ない事にした。

 その後のマヤの報告によると、ミチルたちがステファニーのオープニングアクトを務める事に関して、ネットでは賛否両論だという。先輩たちの励ましもあって、もはやミチルたちは精神的にタフになりつつあり、文句は演奏が終わってから言え、という気分だった。こっちはステージで、無事にパフォーマンスを完了させる事で頭がいっぱいだ。


 その日の夜、アルトサックスとEWIの手入れをして翌日の準備を終えた大原ミチルは、朝5時半には起きる予定でいながら、眠る事ができずにいた。

 ベッドで目を閉じると、この2ヶ月ほどの間の事が思い起こされた。駆け抜けるような日々だった。この夏の事は、一生忘れる事はないだろう。もし、みんなとワンマンで大きなコンサートができるような日が来たら、楽屋で、ゲネプロで、あの夏は大変だったね、けど楽しかったね、と語り合うに違いない。そんなことを考えているうち、ようやく睡魔がやってきて、ミチルは夢の中へと吸い込まれて行った。



 翌朝、夏休みだというのに異例の早起きをしたミチルは、母親がもっと早起きして、朝食を用意してくれた事に感謝した。トーストにオレンジマーマレードを塗りながら訊ねる。

「ねえ、3万人のオーディエンスって緊張するかな」

 なんて馬鹿な質問だろうとミチルは思う。3万人相手に緊張しない方がおかしい。だが、母親は笑いながら、予想外の方向からアドバイスをくれた。

「そうねえ。ミチル、お母さんが昔GLAYの追っかけもどきやってたのは、知ってるわよね」

「うん」

 追っかけもどきと言われても、もどきのレベルがよくわからないが、そういう話は聞いている。現代だとツイッターで炎上しそうなエピソードも、母親の友人から聞いているが。

「じゃあ、バンド活動してて知らない筈はないでしょ。GLAYの、20万人近く集めた伝説のライブ」

「あっ」

「20万人に較べたら、3万人はどう?」

 なるほど、そう来たか。そういえば、日本で最初に10万人規模の野外ライブを行ったのがTHE ALFEEだ。横浜ベイエリアという呼称は、そのライブの時に生まれたらしい。その前はただ単に「13号埋立地」と呼ばれる、無味乾燥な土地だった。GLAYもALFEEも、ミチルたちとジャンルは違うが、音楽の偉大な大先輩である。10万、20万の世界に較べれば、3万人は少ない。そういう話でないのはわかっているが、ひとつの気休めにはなりそうだ。

 音楽は伝説を残す。ミチルたちもいつか、伝説を残せるだろうか。もっとも、無名のバンドが世界的シンガーソングライターのオープニングアクトに抜てきされた時点で、すでに伝説を築いたとも言える。それなら、きちっと打ち立ててやろう。トーストとスクランブルエッグ、厚切りのベーコンを片付けると、ミチルは外出の準備を整えた。


 駅につくと、すでにギターケースを背負ったジュナがいた。こっちに手を振っている。元気だ。

「おせーよ!」

「あんたが一番近いんだから当たり前でしょ!」

 いつものやり取りをしていると、後ろから知っている声がした。

「おはよー」

「おはよう」

 マーコと薫が眠そうな顔で歩いて来る。どうやら、ミチルと同じ電車に乗っていたらしい。すると、まるで4人が集まるタイミングを計っていたかのように、黒塗りの海外製ワゴンと、やはり黒塗りのハッチバック車が目の前で静かに停車した。

 ドアが開いて黒ずくめのスーツにサングラスの多分イケメン、小鳥遊さんが現れた。後ろの車からも同じ黒服の2人組が降りてくる。この間、あの映画関係者の人に会った時にも同行してくれた2人だ。3人とも、きれいに揃った仕草でミチルたちにお辞儀をする。

「みなさま、朝早くからお勤めご苦労様です。お出迎えに上がりました」

 黒ずくめでお勤めご苦労様ですはやめろ。道行くおばちゃん達がヒソヒソと話しながら通り過ぎていく。ワゴンの助手席にはクレハ、その後ろにはマヤがすでに乗っていた。

「折登谷さま、大原さま、楽器は後ろの車でお運びします」

 小鳥遊さんの指示で、この間チョコレートシェイクを飲んでいた黒服ふたりは恭しく楽器のケースを受け取ると、丁寧にハッチバックの後部に積んでストッパーをかけた。クレハのベースもすでに積まれている。

「本日の送迎と皆様の警護をお嬢様より仰せつかっております。どうぞ、お乗りください」

 黒服さんがわざわざドアを開けてくれたワゴンに、どう見てもふつうの少年少女が乗り込む様子を、道行く人々がざわざわと話しながら見ている。もう早く出発してくれ、とミチルたちが願う中、ワゴンとハッチバックは横浜赤レンガ倉庫へ向けて、静かに発進した。アスファルトの向こうには陽炎がゆらめいている。今日は暑くなりそうだった。

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