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Light Years  作者: 塚原春海
伝説の夏
58/187

Mistral

 シルバーのハイエースは、ひとまず国道沿いのコンビニの、広い駐車場の片隅に停車した。竹内顧問は、電話で警察とやり取りをしている。顧問の娘の由貴さんは、ミチルとマヤにアイスコーヒーを買ってきてくれた。さっきカフェラテを飲んだばかりだが、好意としてありがたく受け取る。

「だめだ、話が通じない」

 竹内顧問は、多少の憤りを込めてスマホをドンと置いた。

「明らかに迷惑行為だと説明できる状況でないと、事件として扱えないんだと」

「この間のストーカーの時は、すぐ動いてくれたのに」

 ミチルも憤慨しつつ、アイスコーヒーを飲む。歩き回ったおかげで、けっこう水分を消費していたらしく、一気に半分くらい飲んでしまった。

「まずいわ」

 スマホでツイッターを逐一チェックしていたマヤが、眉間にシワを寄せて舌打ちした。

「一番良くない状況になりつつある」

「どういうこと」

「私達の"敵と味方"という構図になりつつある」

 すると、由貴さんも「あー、まずいわね」とスマホ片手に同調した。マヤは、ミチルを向いて説明する。

「要するに、私達を追い回そうという勢力と、私達を守ろうという勢力に分かれて、論争が始まってるの」

「守ろう?」

 なんだ、それは。なんとなく良識的な存在に思えるが、なぜか不穏さを伴って聞こえた。

「読むね。『この子たち、私達で探し出してマスコミから護らなきゃいけないと思う』」

「は!?」

 どういうことだ。マスコミから護る?つまり、図々しい取材から護る、と言いたいのか。マスコミが横柄で図々しいのは知っている。だが、なぜ「私達で探し出して護る」となるのだ。それは立派なプライバシーの侵害であり、やってる事は横柄な取材と変わらないのではないのか。

「でも、まさか本当にやる奴なんて…」

「ミチル、あなた警戒心が薄いわよ。もうすでに、さっきストーカーみたいな連中に追われたでしょ」

「うっ」

「ともかく先生、すみませんけど私達を、自宅まで送っていただけますか」

 マヤがそう言ったのと、ほぼ同時のことだった。竹内顧問のハイエースの隣に、何やら見覚えのある黒いセダンが乗り付けてきた。

「ん?」

 ミチル達がまさかと思っているとドアが開いて、黒い傘をさした黒いスーツの3人組が現れた。


『カーナンバー南條893-XXXX、シルバーのハイエース見つけた。いま市内、県道363号線を北上中』

『確認した。後部に身をかがめている影が見えた』

『例のバンドの子たちに間違いない』

 そんな情報が、ネットの掲示板に投稿されていた。それを見て、一人の少年がふいに椅子を立ち上がり、自分の部屋を出て行った。


 県道を走るシルバーのハイエースは、後ろをつけてくる軽自動車の存在に気付いていた。ハイエースはスピードを上げて、軽を振り切ろうと試みる。だが、軽もスピードを上げて追跡してきた。

 やがてハイエースは、波打ちトタンで囲われた、廃材置き場のような所へやってきた。尾行していたらしい軽自動車も、そのままトタンの内側に進入する。

 ハイエースが停車すると、ドアが開いて中から3人の人物が降りてきた。それは、黒いスーツにサングラスをかけた若い男性たちだった。真ん中の、あたかもハリウッド俳優のようなスタイルの男性が、ゆっくりと軽自動車に歩み寄る。軽自動車は後退する様子を見せたが、うっかりアクセルとブレーキを踏み間違えたらしく、あと一歩で不幸にも銀塗りのハイエースに追突しかけるタイミングでどうにか停まった。

 黒スーツの男性3人組が紺色の軽の搭乗者に降りるよう促すと、降りてきたのはうだつの上がらなさそうな、一眼レフを下げた50代半ばくらいの眼鏡の男性だった。


 同じ頃、南條市内の一軒の住宅前に、1台の黒塗りの高級車が停まった。後部座席が開くと一人の少女が降り、運転席に深く頭を下げた。

「ありがとうございました、先生、由貴さん」

 慣れない高級感漂う運転席から、竹内顧問は頷いてみせた。早く家に入れ、と促している。実は竹内顧問のハイエースをどういう方法でか、クレハの執事だか付き人だかの小鳥遊さんが把握しており、ハイエースのナンバーが割れている可能性を考えて車を交換していたのだ。その後ハイエースがどうなったのかは知らない。

 ミチルは周囲に警戒しつつ、玄関に足早に入った。

「ただいま」

「ミチル、無事ね」

「うん。マヤも先生が自宅に送ってくれた」

 ミチルは肩を握る母親の手に、以前の事件を思い出してしまう。

「どうして私達って、こんなにトラブルに巻き込まれるんだろうね」

 ミチルは苦笑する。もう、恐怖よりも困惑の方が大きい。ただ音楽をやっているだけなのに、どうしてこれほど事件が起きるのか。すると、母親は笑ってみせた。

「ひょっとしたらあなた達、大物になるかも知れないわね」

「どういう意味?」

「あるロックバンドの話よ。デビューしてからヒットするまで、とんでもなく多くのトラブルに巻き込まれたらしいわ。発売決定したはずのレコードが土壇場で発売中止になったり、ギャラを持ち逃げされたり。でもその後、トラブルを乗り越えて、何十年も第一線で活躍するバンドになった。お母さんも、ファンの友達に誘われてライブに行ったものよ」

「成功すればの話でしょ」

 すると、母親は笑いながら居間に手招きしてみせた。居間には、例によってバットを構えた弟のハルトが立っている。

「玄関の外に立ってたから、やめさせたの。ここがメンバーの誰かの家だと教えてるようなものだ、って」

 母親はハルトの頭を指で小突きながら、ミチルにワイドショーをやっているテレビ画面を示した。するとそこには、やはりミチルたちのライブ映像が映っていた。やはり話題は収まっていない。

 だが、左上に表示されているテキストに、ミチルは目をわずかに見開いた。


『専門家が絶賛する少女たちの演奏センス』


 それは、いかにも話題に乗っかったような内容ではあったが、悪意も感じなかった。コメンテーターにはフサフサの白いヒゲの、何とかという音楽の専門家がいて、ミチルたちの演奏について解説していた。

『普通こういう世代の演奏というのは、テクニックを上手く見せようと張り切るあまり、リズムが走ったり、無理なフィルインを入れたりするんですよ。彼女達にはそれがない。自分たちではなく、音楽を届けようというサービス精神が感じられる』

 改めてそんな事を言われると、ミチルはかえって困惑する。そんなのは、ミチルにとって当たり前の事だったからだ。特にプロのコピーを演奏する際は、楽曲とアーティストへの敬意が第一だ。

『彼女たちにオリジナル曲があるのかはわかりませんが、高校生でここまでドラマティックで深みのある演奏は、ありそうでなかなかない』

『では、島崎さんから見てどうなんですか。この子達は将来性が…』

『そこは、あえて断言しません。ここで絶賛することは、かえって彼女たちの才能を殺してしまう事になるかも知れない。彼女たちの主体性を、まず尊重してやって欲しいなと。いたずらに追い回したりなど、論外です』

 このヒゲのお爺さんは島崎さん、というらしい、と思ったらテロップが出た。作曲家、音響研究家の島崎登志夫、とある。マヤなら知っているだろうか。

「姉ちゃんたちの演奏、ネットでもべた褒めになってんぞ」

「まじか」

 ハルトが、動画サイトの再生数を示してみせた。音楽祭での、スクェア"夜明けのビーナス"の演奏を勝手にアップした動画だが、アップ1時間ですでに5万再生を超えている。評価も99.99パーセントは好意的だ。相変わらず「俺の方が上手い」コメントもあるが。

 ミチルはここまで、ストーカーじみた集団への恐怖しか感じていなかった。だが、ミチル達への好意的な反応もまた、数多くある事に気付く。そこで、母親はミチルに決定的な一言を述べた。

「ミチル。あなたが今ほんとに考えるべきなのは、あなた達に迷惑をかけようとしてる人達の事じゃないと思うわ」

「え?」

「あなたが考えるべきなのは、あなたを評価してくれた人たちの事よ。違う?」

「あっ」

 そのシンプルな指摘に、ミチルは返す言葉がなかった。そうだ。結果的におかしな人達が現れたのは確かだが、それはステファニー・カールソンがミチル達を評価してくれたからだ。そして今こうして、専門家や動画ユーザーが好意的に評価してくれている。

「あなた達が何を選択するかは、お母さんは口出ししない。この人も言ったでしょ、あなた達の主体性を尊重してやって欲しい、って。つまり、この先何かが起きたとして、そこではあなた達自身が決断しなくてはならない、という事よ」

 何か、とは何だろう。この状況で、この先何が起きるというのか。だが、大人というのはなぜか、「わかっている」事がある。まるで予言者のように、10代の少女にはわからない事を知っているのだ。

 それを裏付けるかのように、ミチルのスマホに着信音が鳴り響いた。

「!」

 テレビに集中いたミチルは焦りながらも、その着信の相手を確認した。それは、1年生の村治薫だった。

「もしもし」

『先輩、いま自宅?』

「うん、なんとかね」

『良かった、大変だったね』

 薫の声色からは、安堵の気持ちと同時に、何か別な緊張感が伝わってくる。

『ねえ先輩、ちょっと落ち着いて聞いて欲しいんだけどさ』

「なっ、なに」

 改めてそんな事を言われると、逆に身構える。なんだ、いったい。

『実はある人が今回の件で、ツテを頼って例のステファニー・カールソンとコンタクトを取ってくれたんだけど』

 なに?

『ステファニー本人もすでに騒動は把握していて、ライブのリハーサルが始まる前に、先輩たちに直接会って謝罪したい、と言ってるらしい』

 え?

「えええ――!?」


 ミチルは、薫からの情報をまとめた。薫が言う「ある人」とは、ベテランのクラシックギタリストで薫の祖父、村治幸之助氏その人だった。幸之介氏はレコード会社に顔がきき、ステファニー本人にこのトラブルの沈静化を依頼できないかと薫が相談したところ、マネージャーを通じてステファニーの所属レーベルと話を取り付けてくれたのだ。

 薫の祖父が、そこまでの人物だったとは知らなかった。そして、まさかステファニー本人から直接の謝罪の申し出があるなどとは、予想もしていなかった。直接の責任は、ステファニーにはないからだ。

 とにかく、これはフュージョン部全体の問題だ。少なくとも2年生5人の総意が必要になる。そう思っていると、弟のハルトがスマホを持って駆けこんできた。

「姉ちゃん、見て。ステファニーが緊急会見やってる」

「え!?」

 ミチルは、慌ててその様子を確認した。各動画サービスで同時に配信されている。どうやら、先に公の場でメッセージを述べるらしく、同時通訳の女性が隣に座っていた。

『私の不用意な紹介によって、日本のフュージョングループの少女たちが、プライバシーを侵害されています。SNSや掲示板に、メンバーを乗せた車のナンバーが公開されたり、所属する学校への侵入行為などが確認されているとの報告を受けました』

 同時通訳ならではのテンポで、通訳の女性がステファニーの言葉を和訳してくれた。そんな事になっているのか。

『幸い、まだ直接の被害はないようですが、彼女たちは自宅を出ることもままならない、との事です。私は責任を感じており、フュージョングループ"Light Years"の皆さんに、謝罪します。申し訳ありません』

 そこまで謝る必要もあるのか、とミチルは思う。この間の、レコード会社のおじさんの偉そうな態度とはえらい違いだ。だが、次の一言が、全ての人々を騒然とさせた。

『もし彼女たちに直接の被害が及んだ場合、私は責任を取って、今回の日本公演を中止せざるを得ません』


『参ったわね、どうも。話が大きすぎて』

 電話の向こうで、マヤが溜め息をついた。

『でもまあ、これでさすがにネット上でも、自分たちのバカさ加減に気付いた層が現れたみたい』

「先生のハイエース、どうなったかな」

『ああ、さっきクレハから連絡があった。小鳥遊さんの工作が成功して、すでに掲示板では、あのハイエースは私達と無関係だっていう事になってる』

 工作って、何をどう工作したんだろう。あまり知らない方が良さそうだ。

『それで、どうするのリーダー。ステファニーに、あそこまで言わせちゃった件について』

「うん。それなんだけど、私はステファニーに会うべきだと思う」

 ミチルが即答したので、マヤは少し驚いたようだった。

『会って、どうするの』

「伝えるの。私達のことで、ライブを中止になんかしちゃダメだ、って。あなたには、自分の歌を歌う自由と、チケットを握り締めて待ってるファンに応える責任がある、って」

 それは、ミチルの本心だった。何が起こったのであれ、自由な音楽を妨げられるいわれはない。まして、暴力的で身勝手な大衆のために。もしステファニーがライブをやめたら、あの無責任な連中に勝利を与える事になる。それは、音楽の道に生きるミチルにとって、許されず、耐え難いことだった。

「マヤ、悪いけどみんなに連絡しておいて。ステファニーに会うから、そのつもりでいてくれ、って。ステファニー側には、私から意思を伝えておく」

『サイン貰いに行くわけじゃない、ってことも付け加える?』

 マヤのジョークめいた確認に、ミチルは答えた。

「この空気の中でサインをねだる度胸があるなら、止めないわ」


 そうして、ミチル達"Light Years"とアメリカのシンガーソングライター、ステファニー・カールソンの対話がセッティングされたのは、翌日午前10時だった。東京近郊にあるレストラン「Mistral」2階を貸し切っての会談である。

 クレハ以外の、きっとどこかのビルの会議室か何かだろうと油断していた4人は、先にテーブルで待機しながら、ドレスコードなどは大丈夫なのだろうか、とソワソワしていた。ちなみに今日も小鳥遊さんは同行してくれていて、もはや専属SPのように、ヘッドセットをつけて入口近くに控えている。まだデビューもしてない学生バンドなんですけど。

 メンバーが緊張していると、出勤してきたバイトの大学生みたいな普通の足取りで、輝くブロンドをなびかせた女性が両脇をSPに護られつつ現れた。ステファニー・カールソンだ。後ろには、テレビで見た通訳の女性がいる。

 やっぱりクレハ以外の4人は、ギクリとして慌てて直立し、ゼンマイ人形のような挙動でお辞儀をした。クレハだけが、ステファニーに引けを取らない優雅さで会釈する。

 通訳が、挨拶したステファニーの言葉を伝えてくれた。

「お会いできて嬉しく思います、"Light Years"のみなさん。ステファニー・カールソンです」

「こちらこそ、お会いできて光栄です。ライトイヤーズのリーダー、大原ミチルです」

 頑張って平静さを保ちつつ、ミチルはステファニーが差し伸べた手を握り返した。後ろでマーコとジュナが『本物だ、生のステファニーだ。生ステだ』『すげえ、ステファニーと握手してら』と呟く。静かにしろ。入り口横では小鳥遊さんが、特殊部隊出身としか思えない屈強な黒人SP二人と握手している。強盗が入ってきても、絶対助かりそうな頼もしさだ。


 コーヒーが運ばれてきて会談が始まった。ステファニーは、すぐに本題から入る。

「今回の事は、本当に申し訳ありませんでした。皆さんに謝罪します」

 ミチルは、メンバー達と目線を交わしながら答えた。

「ミス・カールソン、私達は気にしていません。あなたは、あなたの歌を、ファンの皆さんに届けてあげてください」

「そう言っていただけると、私は救われます。ありがとう。けれど、私が許されるだけではまだ落ち着きません」

 どうもこの女性は、日本人でもなかなかいないくらい、気を遣うタイプのようだ。それはそれでやりづらい、とミチルは思うが、目の前に世界的ミュージシャンがいる事を平然と受け入れている、自分自身にも驚きを感じていた。

 どうにかステファニーが納得して、ライブを予定通り行うことを約束してくれたので、5人はホッとした。自分たちのせいで、何万人ものファンをガッカリさせるわけにはいかない。


 ようやく、くだけた会話ができるようになったあたりで、驚くべきことが判明した。クレハが、ふつうにステファニーと英語で会話している事に、10分くらい経って他の4人が「あれっ?」と気付いたのだ。なんであなた普通に英語話せるんですか。

 クレハは、こちらの日本語を翻訳して伝えてくれた。互いの音楽性などについて話しているうち、ミチル達が最近オリジナルの楽曲を制作した事を伝えると、ステファニーは興味を持ってくれたようだった。

「オリジナル!とても興味深いわ。作曲は誰なの」

 そのあと、ステファニーがそれを聴かせて欲しいと言い出したので、ミチル達はどうするべきか困ってしまった。だが、たかだかアマチュア女子高校生のバンドが作った曲ぐらいどうという事もないだろうと、聴かせる事で話が決まる。英語を話せるクレハが、ステファニーのマネージャーで通訳のヘレナ・キャシディ氏とメールを交換し、ファイル共有サービスへのリンクを伝える事になった。

 こうして、まさかのビッグ・アーティストとのカフェタイムという望外の体験をした5人だったが、ステファニーが帰ったあとで、サインをもらうのを忘れたクレハ以外の4人は悔やんだのだった。

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