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Light Years  作者: 塚原春海
伝説の夏
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雨にぬれても

「以前から日本でライブを行う事が夢のひとつだった、と言われましたが、それは主にどういった理由によるのでしょうか」

 新聞紙の男性記者が訊ねた。ステファニーはいくつものカメラのフラッシュが光るなか、微笑んで答える。

『私は自らのサウンドを形作るうえで、近年の欧米における、日本のシティ・ポップブームの影響を受けています。スキャンダラスなサウンドが幅をきかせる中で、その洒脱で都会的なアレンジにある意味で衝撃を受けました。そのサウンドの土壌となった、日本でライブを行うのは夢のひとつだったのです。今回ようやく、それが叶いました』

「では、日本で印象深いアーティストは、どういった方でしょうか」

『挙げるとキリがありませんが、アンリ、ジュンコ・オーハシ…マリヤ・タケウチなども印象に残るサウンドです。それと、最近日本で行われた、ある音楽祭で演奏されていた、日本のコンテンポラリー・ジャズ。こちらではフュージョン、という方が通りが良いのかしら。現在、新たにそういったサウンドにも興味を持っています。シティ・ポップに通じるサウンドです』

 ここで、記者たちからは意外そうな反応が見受けられた。

「フュージョンですか。どういったアーティストなのでしょう」

『どうやら無名の女子学生によるコピー演奏らしいのですが、個々の楽曲、アーティストについては詳しくありません。T-SQUAREの名前は有名なので知っていますが…少女たちのバンドは確か、ザ・ライトイヤーズというバンド名でした。女学生5人組の』

 それが、日本のメディアの片隅に「ザ・ライトイヤーズ」というバンド名が現れた、最初の出来事だった。


 嵐の前の静けさ、とは誰が最初に言った言葉だったか。誰が言ったにせよ、それは一面の真実ではある。

 村治薫少年は、録音した音源5曲をCD-Rの自主制作ミニアルバムとして販売する、という連絡を受けて、改めて音源のマスタリング作業を行っていた。予定どおりであれば、このうちの1曲が映画の中で演奏されるはずだった。

 マスタリングとは、正確に言えば単なる1曲ごとの音質調整ではなく、アルバム単位で音色をトータルで考える作業だ。J-POPでは近年は通称「海苔波形」などと言って、音全体をピークまで持ち上げ、最初から最後までフォルテッシモという録音が主流だった。メリットは騒音が多い環境でも楽曲が耳に届く事だが、実質的にコンプをかけるのと同じなので、ピアニッシモからフォルテッシモへの音楽的抑揚がなくなる。それでも一時期よりはマシになってきた、とも言われているが。

「洋楽のリマスター版でも、立ち上がりが抑えられて盛り上がりが欠けちゃってるやつがちょいちょいあるね。プログレ系は特に致命的だ。タンタンタン、ドーン!っていうところが、ドーン!でなくドン、で終わっちゃって、あれ?ってなるやつ」

 薫は、電話の向こうにいるマヤ先輩に意見した。

「CDで海苔波形なのに、配信のハイレゾ音源だとコンプをかけてない、自然な波形の曲も多い。これは、CDの少ないビット数をフルに使おうっていう考え方だけど、コンプがかかるのは一緒。どっちを選ぶかだね」

『なるほど』

「最近は、ヨーロッパのクラシック音源でもコンプ、マキシマイズさせて音圧確保の流れになってる」

『相変わらず何でも知ってるわね。薫はどっちがいいと思う?今回のCD』

 薫の呼び方は、2年生でもメンバーによって変わる。ミチル先輩は「薫くん」、クレハ先輩は「村治くん」、あとは名前の呼び捨てだ。

「僕の好みならピークは削りたくないけど、音圧も必要だから、ほどほどにピークを抑える、という考え方でいいと思う」

『なるほど。とりあえず、その線でいくか』

「何パターンか作ってみるから、聴いて決めてよ」

 "影の部長"マヤとの通話を終え、薫はさっそく音源の調整作業に入った。CD化というのは良い判断だ。サブスクリプション、ストリーミングの時代に物理メディア販売は、特に欧米では消滅しかけているが、音源によっては配信されないというデメリットもある。

 業績不振でストリーミングサービスが無くなれば、もちろん楽曲は聴けなくなる。アーティストへの収益配分も含めてサブスク化は良い事ばかりではなく、サブスクを考えた奴はくたばれ、と言っているミュージシャンさえいるのだ。物理メディアが時代遅れ、という考え方が、いつか時代遅れになると薫は予測していた。

 

 静かだ。工藤マーコは、自宅で宿題を全てやり終え、家族が出払った居間で一人、おとといBSで録画した古い映画を観ていた。"Butch Cassidy and the Sundance Kid"、邦題"明日に向かって撃て!"だ。自室のテレビは19インチと小さい。将来、200インチくらいのスクリーンを自宅に置くのが夢だ。

 この映画の切なさが、マーコは好きだった。邦題がちょっと希望的すぎる気はするが、映画でも音楽でも、昔の邦題を考えた人達のセンスはものすごい。

 ちょうど主人公たちが逃走を開始したあたりで、スマホのメッセージ通知が鳴った。

「だれだ」

 渋い顔をして停止ボタンを押し、表示を見るとミチルだった。

『この間の音源、ミニアルバムにするから、ジャケットとレーベルデザイン考えてみてくれるかな。タイトルは"Dream Code"でいこうかと考えてる』

「へー」

 マーコは『好きに決めちゃっていいの?』と訊ねた。間をおいて、返信があった。

『せいぜい1000円くらいで出すから、そんな極端にこだわらなくていいけど、まあ適当にオシャレなやつ。タイトルどおり、希望的な明るいやつがいいな』

『わかった。ラフを描いたらいったん送る』

 フュージョン部ビジュアル担当におさまりつつあるマーコは、スマホのペイントアプリを立ち上げると、映画を流しながら指で器用にスケッチを始めた。

「希望的な明るいやつ。希望的」

 なんとなく頭に浮かんだのは、虹のイメージだ。虹。虹の橋が空に向かって延びている。だが、単なる青空では面白くない。

 じゃあ、成層圏を突き抜けて、宇宙に向かって虹が延びているイメージはどうだ。何千光年も先まで。

「これだ」

 ものの2分でイメージは決まってしまった。なんだか、80年代初期のレコードにありそうなイメージである。レーベルはあまりインクを使いたくないので、テキスト配置を工夫してシンプルに仕上げよう。


「早いな!」

 マヤとオープンカフェのテーブルを挟んでいたミチルは、驚くような早さでマーコからジャケットのデザイン案が送られてきて驚愕していた。マーコにメッセージを送って、アイスカプチーノを注文して席についたばかりである。

「こんなイメージだって。どう」

 ミチルは、スマホにマーコから送られてきたジャケットのデザイン案を見せた。青空の上に広がる宇宙空間に、ゆるやかな孤を描いて虹が延びている。

「うん。なんか、大昔のフュージョンアルバムって感じで、いいね」

「あいつ、この方面の才能あるよな…」

 父親のグラフィックデザイン事務所でバイトできるんじゃないか、とミチルは思う。

 しかし、音源ができている以上、こっちはCDを焼くぐらいしかやる事がない。薫やマーコに任せっぱなしで、のんびりカフェで寛いでいていいのだろうか。

「いいんじゃないの。ゆっくりしても」

 マヤはそのへん、切り替えも割り切りも上手い性格だ。引き受ける、任せる、の線引きがハッキリしている。それに倣って、ミチルも息抜きすることにした。


 だが、息抜きの時間は5分ともたなかった。

「何だ?」

 ミチルは、街を歩く人達が、チラチラと自分たちがいる店の方を見ている事に気が付いた。どちらかと言うと、若い人が多い。

「誰か、芸能人でもいるのかな」

 ちょっと期待をこめて、並ぶテーブルをぐるりと見回す。だが、それらしい人は見当たらない。

 そこで、マヤは何かに気付いた。

「違う、そうじゃない」

 唐突な鈴木雅之やめろ、とツッコミたかったが、マヤが言ったのは言葉どおりの意味だった。店に芸能人がいるのではない。ふいにマヤが、トレードマークのお団子ヘアを解いて、ミチルと同じストレートヘアになった。

「どしたの」

「ミチル、ゆっくり立ち上がりなさい。ゆっくりよ」

 なんの事かわからないミチルは、買ったカプチーノを持ち、マヤに倣ってゆっくり立ち上がる。

「あんたは髪を結いなさい」

 マヤが差し出したシュシュを受け取ると、ミチルは言われるままに、首のうしろで髪をまとめた。ここまできて、ようやくミチルも事態を把握し始めた。


 見られている。


 この間のストーカー事件を思い出したが、それとは違う。道行く人々、カフェの客までが、明らかにミチル達を見ている。近付いて来るでもなく、無言でスマホのシャッターを切っている人達もいる。薄気味悪い。マヤは耳打ちするようにミチルに顔を近づけた。

「いい、ミチル。あの道路反対側の、お蕎麦屋さんの脇の小路。あそこに入るよ」

「わっ、わかった」

「さり気なくね」

「うっ、腕とか組んじゃう?」

「積極的に目立ってどうする」


 腕を組む案は却下され、二人は信号が青になるタイミングで並木通りを渡り、蕎麦屋"柳庵"の脇から奥に続く小路に入り込んだ。そのときすでに、制服の同じ女子高生グループが、スマホ片手にミチル達を見ているのがわかった。

 ビールケースやポリバケツが並ぶ小路を、野良猫に吠えられながら、繁華街を抜けて比較的通行者が少ないビル街に出る。やはり若いサラリーマンが、チラチラと見てくる。いったい、何なのだ。

 そう思っていると今度はついに、明らかに何人かの男女がミチル達を追っているのがわかった。中でもマヤとミチルがゾッとしたのは、望遠レンズつきの一眼レフを構えた鉄道オタクっぽい風貌の男性が、微妙に離れた位置から二人を撮影して追跡していた事だ。いったい、どこから尾行されていたのか。もはや冗談ではない。身の危険を感じたミチル達はやむなく、ダッシュでその場を逃げることにした。


「"明日に向かって撃て"かしらね。この間BSでやってたけど」

 追手から逃れるポール・ニューマンとロバート・レッドフォードを連想し、マヤは苦笑いして呟いた。ミチルはタイトルだけは知っているが、お話は知らない。とにかく、マヤが何かを目指して小走りに進むので、あとをついていく。

 マヤが目指していたのは、百円ショップだった。駆け込むと、マヤは不織布マスクと伊達メガネを買い込んで、店を出るなりミチルにメガネを渡す。

「かけなさい」

 そう言って、自分はマスクをつける。風邪を引いた女子大生、といった雰囲気だ。ミチルはといえば、メガネひとつでスーパーのレジ係に変身した感がある。

「よし。まあいいでしょ」

「これって、どういう事?まるで私達が…」

「ミチル、あれ」

 会話を遮ってマヤが指差した先には、開店準備中の小料理店の戸が開いていて、中のテレビが見えた。そこには、来日したアメリカのシンガーソングライター、ステファニーの記者会見が流れていた。いったい、いつまで会見を放送するのだろう。

 そう思った次の瞬間、画面は夜のライブステージに切り替わった。ステファニーの過去のライブ映像だろうか。だが最近どこかで見た、半ドームのステージによく似ている。そういえば右手にいる、おでこにヘアバンドを巻いたギタリストも、知っている人によく似ていた。

 そして突然、センターでサックスを吹いている、ロングストレートヘアの少女がアップになった。この子もなんだかよく知っているというか、他人のような気がしない。

 それもそのはずである。そのサックス少女は、今ここにいる大原ミチル本人だったからだ。

「えええ―――!?」

 昼下がりのビル街に、ミチルの金切り声が響き渡った。


「どっ、ど、どういうこと!?なんで、全国ネットで、私達のライブが流れてるの!?」

 公園の女子トイレの陰に逃げ込んで、ミチルはマヤに訊ねた。マヤは努めて冷静さを保ち、スマホでSNSを開く。

「…やっぱり、そういうことか」

「なに?なに?」

「見て」

 マヤが示したSNSの検索結果には、どうやらワイドショーらしい、ミチルたちの演奏のスクリーンショットが大量に表示されていた。「ベースの子めちゃくちゃ可愛い」「ドラムス陰に隠れてて草」「10代でこの演奏能力は神だろ」などといったコメントもついている。そして、画面左上のテキストでミチルは全てを理解した。


『ステファニー絶賛の女子高校生フュージョンバンド "light years" その正体とは!?』

 

 その正体とは、じゃねえよ!ただの女子高校生だよ!いきおい、ミチルの口調もジュナに寄ってしまう。要するに、来日しているステファニー・カールソンがたまたま動画か何かでミチル達の演奏を聴き、それを記者会見中にポロリともらしたのだ。

 SNSにはすでに、カフェにいるミチルとマヤの写真が流れていた。「さっき広川通りでサックスの子見かけたぞ」といったコメントも流れている。広川通りとは、まさに今さっき歩いて来た通りの事である。ミチルの脳裏には、この間のストーカー事件が思い起こされて、正直ゾッとした。

「でっ、でもまあ、単にフュージョンのコピーバンドだし、別にそこまで大ごとには…」

「甘いわよ。話題沸騰中のシンガーソングライターが絶賛したとなれば、話題にならないわけがない」

「でっ、でも」

「大衆を甘く見るな。あいつらにとって、"中身"なんてどうでもいいの。とりあえず話題があれば、私達の演奏に興味なんてないくせに、追いかけ回すのが大衆って生き物なの」

 言う言う。もうちょっと容赦してやれ。そうミチルは思ったが、事態はそうも言っていられないレベルに発展したようだった。SNSを見て、ミチルはさらにゾッとした。「サックスとキーボードの子が今、一緒に歩いてるみたい」「私も見た!」「どのへん?」

 何なんだ、リアルタイムすぎる。もう、すでに「ウォーリーをさがせ」みたいになってきている。探してどうしようというのか。すでに日常生活を切り取って、居場所の情報ごとネットに暴露されている。それ犯罪やぞ多分。


 兎にも角にも危険を感じて警察に電話したマヤは、通話を切るなり眉間に思い切りシワを寄せて舌打ちした。

「ストーカー被害を受けている、という客観的かつ明白な状況が確認できない限りは動けない、だって」

「何よそれ!何のための警察なの!?」

 市民の味方であるはずの警察が、現にこうして身の危険を覚えている少女たちの訴えに、聞く耳を持ってくれない。ミチルは不安を押し殺しつつマヤに訊ねた。

「ねえ、私達の肖像権はどうなってるの。勝手に全国ネットで、音楽祭の映像を流されて」

「それに関しては文句は言えない。音楽祭に出演申込みした時点で、私たちはステージの映像を放送する事に同意してるのよ。つまり、こっちのローカル局は私達の映像も全国ネット局に提供できる。全国ネットのワイドショーで取り上げられたとなると、認知度は一気に高まるわね。しかもステファニー・カールソンの絶賛というオマケつき」

「そんな…」

 ミチルが文句を言っても、契約とはそういうものである。そのとき、突然ミチルのスマホが鳴った。ミチルは慌てて、相手も確認せず出てしまった。周囲に音が響くことを本能的に恐れたのだ。

「もっ、もしもし」

『大原か。いまどこだ』

 その声が、今ほど頼もしく聞こえた事はない。我らがフュージョン部顧問、鈴木雅之と具志堅用高のハイブリッド種、竹内克真47歳である。蛇足だが、奥さんも娘さんも美人だ。

「先生!?」

『今、どこにいる』

「えっと…」

 すると、マヤがすでにスマホで現在地をチェックしていた。早い。ミチルは、マヤが示したマップ表示を読み上げた。

「高岡町原富14-7、噴水がある公園!マヤも一緒です!」

『わかった。俺が行くまでじっとしてろ。またかける』

 そう言って、竹内顧問は通話を切った。

「先生、どうして私達のこと…」

「さあ。それより、他のメンバーは大丈夫かしら。連絡取ってみよう」


 とりあえず、フュージョン部LINEグループに部長として連絡を入れておいたが、どうやら顧問がすでに全員の安全を確認してくれていたらしい。さすがだ。近所のスーパーに出かけていたジュナ以外は、全員自宅にいるということだった。ミチルもマヤも、それぞれ母親から確認の電話があったが、顧問が動いてくれた事を伝えると、安心したようだ。

 気が付くと、ぽつぽつと雨が降って来た。二人はわずかに張り出した軒下に身を潜める。公園の生け垣の隙間から外を見ると、気のせいか通行人が全員ストーカーに見えてしまう。

「1年生は大丈夫かな」

「SNSを見る限り、あくまで私達5人だけが話題になってるみたい」

「良かった…いや、私たちは良くないけど」

 マヤが調べたところ、SNSだけでなく、お約束の掲示板にもスレが立っているらしい。ヒマなのか、どいつもこいつも。こっちにも、ほぼ個人情報に近いプライバシーが掲載されている。

「気の毒なのは、ステファニー・カールソンね。本人のライブそっちのけで、関係ない私たちの事が話題になるなんて」

 マヤの言う事もそのとおりだとは思う。本質とズレたところで盛り上がるのは、なんというか”いかにも日本的”だ。ただ、悪意はなかったのかも知れないが、ミチルたちの今の状況を作り出したのも、ステファニーの不用意といえば不用意な発言である。何も、ミチル達のバンド名まで言ってしまう必要はなかったのではないのか。別に悪い事をしたわけではないのだが、たかが女子高校生のT-SQUAREコピーバンドに、なぜ世界のステファニーが注目しなくてはならないのか。

 そんな愚痴を考えていると、見覚えのある後部左側が凹んだハイエースが、公園沿いの道路に現れて停車した。

「あっ、あれ」

 ミチルに顧問から電話がかかってきたが、もう見えたのでミチルたちはそのままダッシュする。向こうも気付いたのか、すぐに着信は切れた。

「乗れ!」

 窓が開いて、髪が多めの鈴木雅之が叫ぶ。助手席には、かすかに見覚えのあるミディアムロングヘアの女性が座っていた。そうだ、竹内顧問の大学に通う娘さんだ。二人は勢いよく後部座席のドアを開けて乗り込んだが、なんと舗道でスマホを構えている一団が、一瞬でミチルたちに気付いたらしく、シャッターを切りながら車に近付いてきた。もうパパラッチだ。そんな事してるヒマがあったら、映画でも観てる方がよっぽど充実するだろうに。

「まずいな」

「先生、出して!」

 言われるまでもなく、竹内顧問はハイエースを発進させる。ミチルとマヤは背をかがめて顔を隠した。なるほど、このためにいつものプリウスでなく、車高が高いハイエースで来たのだろう。ありがとうハイエース。この間はオンボロとか言ってごめん。

 歩道の一団は、先生のハイエースも遠慮なく撮影している。何を考えているんだ。無意味な熱に浮かされた大衆というものが、こんなに怖いものだとは思わなかった。

「先生、ありがとう。助かったわ」

「娘に言ってくれ。ツイッターを見ていたら、なんだか雲行きが怪しいと思って、俺にお前たちの安全を確認させたんだ」

 助手席の娘さんは、わずかに後ろを向いて微笑んだ。ミチルはかがんだ姿勢でどうにか頭を下げる。

「あっ、ありがとうございました」

「どういたしまして」

 日本的な美人だ。どうにも、ビジュアル的にヒップホップ系の香りがする竹内顧問のイメージとは結び付かない。それはともかく、竹内親子に保護された二人を乗せて、シルバーのハイエースはわずかに強まった雨の中を、市内中心地を離脱したのだった。

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