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Light Years  作者: 塚原春海
伝説の夏
55/187

メン・イン・ブラック

 8月下旬の某日午前9時すぎ、フュージョン部2年生の5人”Light Years”のメンバーは、建設会社・千住組の小鳥遊龍二氏が運転する、6人乗りのドイツ製ワゴン車で移動していた。

「小鳥遊さん、いつもサングラスかけてて素顔見た事ないよね」

 メンバーももういいかげん馴染んできて、ミチルは2列目の左席から小鳥遊さんの横顔を見た。小鳥遊さんは小さく笑う。

「いずれお見せしましょう」

「おー、楽しみ。クレハ、どうなの。イケメン?」

 すると、助手席のクレハも笑う。

「さあ、どうかしら。私もそういえば、しばらくサングラスを取った顔は見てないわね。最後に見たの、いつだったかしら」

「なんで」

 一体どういう人なのだろう。家でジャージ着てゴハン食べる時もサングラスなのだろうか。

「ところでさ、ちょっと気になってるんだけど」

 ミチルはチラリと、後方に視線を移す。小鳥遊さんのワゴン車の後ろを、出発時からずっと、一緒に発進した黒塗りのセダンが同行している。運転席と助手席には、サングラスのお兄さんが乗っていた。

「あの車もクレハのとこの社員さん?」

「そうね」

 クレハはサラリと答えるが、ミチルたちはその社員さん達のルックスが気になった。小鳥遊さんと同じ格好である。つまり黒スーツに黒いネクタイ、黒いサングラスの3点セット。それが黒い、スモーク窓のセダンに乗っている。なので、周りの車は自然と距離を取る。煽り運転に遭う事も絶対ないだろう。

 ミチル達の疑問を乗せて、車は南條市はずれのファーストフード店にやって来た。豊国エンターテインメント社の金山氏に会うためだ。


 ワゴンを降りた5人は、ミチルのメールにあったシルバーのセダンを探した。すると、店の入り口から遠い所に、それらしい車が停まっている。ミチル達の姿を認めると、中からグレーの薄いストライプ模様のスーツを着た、40前後くらいに見える男性が、カバンを持って降りて近付いて来た。

「お嬢様」

 小鳥遊さんが何か確認すると、クレハは髪のサイドに手を入れて髪を直した。

「それでは、私どもは車で待機しております」

「よろしくお願いね」

「はい」

 小鳥遊さんはクレハにお辞儀をする。お姫様に仕える騎士といった感じで、それなりにカッコいい。

「失礼ですが、南条科学技術高の皆さんでしょうか」

 いまどきの40代としてはちょっと古風な髪型の男性は、にこやかな表情を向けた。ミチルが代表して前に出る。

「はい。豊国エンターテインメントの金山様でしょうか」

「そうです。今回はこちらの依頼をご快諾いただきまして、ありがとうございます」

「とんでもありません」


 ごく無難なやり取りのあと、金山さんを含めた6人は店内に入り、席を確保すると金山さんが全員分のアイスコーヒーを注文してくれた。

「さっそくですが、まずご提出いただいた音源を会議にかけましたところ、当方のスタッフ達からたいへん好評で、ぜひあの音楽を劇中で使用したい、との意見でした」

「ありがとうございます」

 ミチルは恐縮して頭を下げた。こうして、自分達の作品が評価されるのは、何よりも嬉しい。最初に作ったオリジナル曲が、これほど喜んでもらえる事など、多分そんなにないはずだ。

「そこで、皆さんには映画のワンシーンに、扱いとしてはモブなのですが、怪物と戦うレジスタンス組織の中で、希望を捨てずに音楽を奏でる少女たち、といった役で出演していただきたいと、こう思っております」

 なるほど、面白い。

「セリフはないんですよね」

「ええと、申し訳ないことですが、セリフはなく演奏のみ、ということで…」

「いえ、それでいいです!ここの5人全員、たぶん役者としてはダイコンなので」

 ミチルが言った事はジョークでも何でもないのだが、金山さんは笑ってくれた。

「ははは、いや失礼しました。それでは、出演していただけるということでよろしいですか」

 ミチルは、いちおう全員に確認する。異論をはさむ者はいない。

「はい」

「良かった。では、契約内容についてご説明いたします」

 金山さんいわく、先にも伝えたとおり、出演契約はアルバイト扱いになるとの事だった。いちおう年齢もあるので親の同意書も含めて、契約書類に必要事項を記入のうえ、撮影当日に持参してほしいという。はからずもミチルは、夏休み中に2種類のアルバイトをする事になった。

 撮影時間は特にトラブルもなければ、30分程度で終わるらしい。機材の搬入がミチルたち自身によることや、楽曲制作の報酬も含めて、給料は予想外に高い金額だった。ジュナはすでに、新しい機材の購入計画を考える顔になっている。

「では、撮影場所と集合日時は本日中に、代表の大原さんにお知らせいたします。衣装はすでにあるものの使い回しになるのですが、きちんとクリーニングしてありますのでご安心ください」

 そう言って金山さんは、各メンバーが提出した衣装の希望サイズを記した用紙をカバンに納めた。色々と細かいところまできっちりしている。人も良さそうだ。

「それでは、説明も終わりましたので、あとは撮影現場の監督、スタッフの指示を仰いでください」

 そう言って立ち上がろうとした金山さんを、止める声があった。

「すみません、金山さん。少々確認したい事があります」

 その、柔らかくも芯のある声が、真っ白なテーブルの上に響いた。その声の主は、千住クレハのものだった。クレハは、A4用紙に印刷された契約内容に目を通し、金山さんを向いた。

「はい、何でしょう」

 金山さんは再び着席する。ミチル達は、確認とは何の事だろうと、クレハの話を黙って聞いた。

「確認したいのは、楽曲の使用権についてです」

 その一言で、金山さんの眉間にわずかにシワが入った。だが、すぐに表情を元に戻すと、にこやかに金山さんは身を乗り出した。

「はい、使用権ですか」

「そうです。この契約書には、『楽曲の著作財産権および著作者人格権は事業者に委ねられるものとする』とありますが」

 その指摘に、金山さんの口の端がわずかに歪むのを、全員が確認した。今のクレハの質問は、明らかに何か核心を突いたものだったのだ。

「通常、著作者人格権というものは、例外をのぞけば、作品を製作した個人に帰属するもののはずです。それがなぜ、豊国エンターテインメント社に委ねられる、と記述されているのでしょう」

 クレハがその細く美しい指で指し示す文章は、契約書の下段に、ごく小さな文字で書かれているものである。よくそんな一文をこの短時間に読んだものである。さすが、ふだん小説の文字を追っているだけある。金山さんの目に、冷たい色が浮かんだ。

「私たちをアルバイト契約させたのは、楽曲制作を『職務著作』の範囲で依頼したかったため。そういうことですよね」

「そのような難しい言葉を、よくご存じですね」

「誤魔化さないでください」

 クレハの声に低音の響きが加わって、ミチルたちの背筋が強張った。

「通常、著作権を移譲したとしても、著作者人格権は個人の手に残る。けれど、それを回避する方法があります。それは、従業員に職務として、楽曲などを制作させることです。これで楽曲制作の主体はあくまでも会社のものになる。つまり今回の場合私たちは、あくまでアルバイト契約下の業務として楽曲を制作したことになり、提示した私たちの楽曲は、私達は自由に演奏できなくなる、ということではありませんか」

「えっ!?」

「あなた達はおそらく、予想外に楽曲の出来が良かったため、その権利を上手い事自分達のものにしようとした。有名な作曲家にギャラを払う事なく、職務著作扱いで、全体から見ればわずかなアルバイト代でそれが買えるのなら、安いという算段でしょう」

 ミチル以下4人は愕然とした。そんな事があり得るのか。だが、クレハの説明は隙がない。それが真実であるらしいのは、金山氏の歪んだ笑顔を見ればわかる。

「仮にそうだとして、そちらに何の不都合がありますか?あなた達は、有名俳優が多数出演する作品に、演奏しながら出演できるんですよ。そこいらの高校生にはできない体験です。非常に、やりがいのある事だし、あなた達の成功のきっかけにもなるかも知れない」

 その金山氏の言い方に、ミチルたちは今度こそ嫌悪の念を覚えた。成功のきっかけなどと言いながら、一方では権利を掠め取ろうとする。これが「オトナ」か。システムを利用して、何も知らない相手を絡め取り、自分達に都合よく物事をコントロールしようというのだ。そうした可能性を少しも考えず、大人に疑問を抱かなかった自分を、ミチルは恥じた。

「このさい、親御さんの同意書は無しでも構いません。今この場で契約書類を書いていただいて結構です。撮影当日は、学生証をお持ちくださいね」

 いけしゃあしゃあと金山氏は言う。だが、ミチルは立ち上がって言った。

「金山さん。今回のお話は、なかった事にします。楽曲の提供も取り下げます」

「今更そんな事を言われても困りますね。もう準備を進めた段階で。そうなると、こちらとしては損害賠償をそちらに求める事になる」

「―――なんですって」

 ミチルの目に、怒りの色が浮かんだ。隣のジュナも、全身で怒りを示して立ち上がりかける。だが、クレハが静かに手で制した。

「落ち着いて。うかつな事を言っては駄目よ」

「でも」

「小鳥遊!」

 クレハが突然、そう言った。すると入り口が開いて、小鳥遊さんを先頭に、3人の黒服グラサンが店に入って来た。うち2人がレジに向かって何か注文しているあいだ、小鳥遊さんはクレハの隣の席にしなやかな身のこなしで座った。突然現れた「その筋の人」っぽい男性に、金山氏は少し焦りの色を見せたようだった。

「今この段階で私たちが出演依頼を断ることで、私たちに損害賠償の責任が発生する可能性はあるの」

「ありません。出演契約が決まる前にどれほど準備を進めようと、それは契約とは関係ないからです」

「では、損害賠償を求めると言って出演を迫る行為は、どういう意味を持つのかしら」

「刑法第二編、罪の第三十二章、脅迫罪および強要罪が適用されるでしょう」

 まるでWikipediaで検索したようなレスポンスで、小鳥遊さんはスラスラと金山氏の罪状を説明した。金山氏は、一体こいつは何者なんだ、という顔をしている。要するに今この場では、金山さんが悪人ということだ。すると小鳥遊さんの隣のテーブルに、おそらく部下と思われるグラサン二人が、小鳥遊さんにはアイスコーヒー、そして自分達はチョコレートシェイクを買って来て着席した。子供か。別にいいけど。


 黒服に囲まれればそれこそ脅迫というイメージだが、実際のところ、小鳥遊さんたちは「飲み物を買って着席しただけの単なるお客さん」である。法は一切犯していない。黒服にサングラスは怖いなどと言えば、たぶん「容姿に対する差別行為」だと反論されるだろう。

 相手に隙を与えない。そう考えると小鳥遊さん達もそれなりに怖い人達に思えるのだが、今のミチル達には目の前の、少女たちが創った楽曲を権利ごとこっそり手中に収めようとする「オトナ」の汚さの方が憎い。作品を、生み出した者から奪って、その先に何が生み出せると言うのだろう。

「金山様と仰いましたね」

 小鳥遊さんは、わずかに鋭さを含む声で凄んだ。

「そ、そうだが」

「あなた方は職務著作という契約内容を伏せたまま、映画出演をチラつかせ、彼女たちにデモ音源の制作を促した。説明不十分であった事は、お認めになりますね」

「それは、そのときはまだ契約内容が決まっていなかった…」

 そこで金山氏は、ギクリとして口を閉じた。

「ほう。今、契約内容が決まっていなかった、と言われました。つまり、状況に合わせて裏で契約内容を選択し、彼女達には伏せていたのですね。それは民法第1条第2項から導かれる、説明の義務に違反します」

 ここで、ようやく金山氏は相手が「プロ」である事を悟ったようだった。金山氏個人では太刀打ちできない。そこで金山氏はミチルを指し、最終手段に訴えた。

「ひ、卑怯ではないかね、私一人に対して、大人の専門家まで呼び出して」

 ここで小鳥遊さんではなく、ミチルがその目を見据えて言った。

「卑怯?それはあなたじゃないんですか。大企業という権力をバックに、未成年の少女たちから創作物を手に入れようとする行為の、どこに正義が存在するんですか」

 ミチルの反論に、金山氏は今度こそ、負けを悟ったようだった。


 その後、小鳥遊さんは金山氏と法律の知識を交えて何事か相談し、金山氏がチョコレートシェイクを飲むグラサン黒スーツ2人に挟まれた状態で、「穏便に」話はついた。小鳥遊さんがなぜか用意していた謎の書類にサインをすると、契約は破棄する事を誓った(誓わされた)のだった。

 決定打となったのは、クレハがさり気なく取り出してみせた、ボイスレコーダーである。今の会話は全て録音されていたのだ。小鳥遊さんはカッコいいが、クレハはどちらかと言うと、静かな怖さがある。


 こうして金山氏は、力なくシルバーのセダンに乗って国道に消えて行った。せめて事故らない事くらいは祈ってやろう。

「小鳥遊さん、それからクレハ、ありがとう。二人のおかげで、作品を守る事ができたわ」

 ミチルと、それに習ってジュナ、マヤ、マーコも頭を下げた。クレハは首を横に振る。

「今回のことは、小鳥遊さん任せだったわ。ほら、これも」

 そう笑ってクレハは、左の髪をかき上げて、耳に装着したワイヤレスヘッドセットを示してみせた。

「あの会話は、小鳥遊さんが傍受していたの。私はこのヘッドセットで、小鳥遊さんの指示も受けながら行動していた、というわけ」

「そうだったんだ」

「この件は終わりよ。あんな汚い人達のこと、忘れてしまいましょう」

「うん…」

 ミチルは、釈然としない気持ちだった。仮にもレコード会社を標榜する企業に、アマチュアとはいえアーティストの存在を軽んじる人間がいるのだ。それが社会だと言われればそれまでだが、だからと言って不快さが消えるわけではない。

 しかし、そんな状況でも明るい人物が一人いた。マーコである。

「ま、あたし達の曲が良かったから、あんな事して権利を掠め取ろうとしたって事だよね」

 それは冗談めかした台詞ではあったが、ひとつの真実を突いたものでもあった。小鳥遊さんは、マーコに感心したように言った。

「工藤さまの言われる通りだと思います。これがロサンゼルスあたりの企業であれば、おそらくバンドそのものと契約を考えるでしょう」

「どーいう事?」

「企業風土の違いですね。目先の利益を安いコストで確保するか、将来的な大成功を戦略的に見据えて、才能に投資するか。まあ、ここで考えても仕方ない事ですがね」

 それは、初めて小鳥遊さんから聞く、意見らしい意見だった。

「小鳥遊さんて、法律とか経済にも明るいんですね。ひょっとして、弁護士の資格をお持ちですか」

 マヤの指摘は図星だったように見える。小鳥遊さんは、珍しくニヤリと笑ってみせた。

「黙秘権を行使します」

「ほら!そーいうとこ!」

 マヤが指差すと、後ろの二人の黒服さんも一緒に笑ってくれた。バイパスの向こうには、嫌な出来事を忘れさせてくれるような青空が広がっている。そのあと、3人の黒服と5人の少女がファミレスで和やかに食事をする光景が目撃され、無名のアイドルグループがSPと一緒にランチしてた、といった投稿がSNSに数件寄せられた。


 その後、レコードファイル社の京野編集に事の顛末を報告したところ、次のような返信があった。

『わかりました。そちらの判断を尊重します、お疲れ様でした。そして、結果的に私がトラブルのきっかけの一つを作ってしまったかも知れない事は、正式に謝罪します。申し訳ありませんでした』

 ミチルは面食らった。一方では呆れるほど姑息な大人がいて、一方ではこちらが申し訳なく思えるほど潔い大人もいる。結局はその人次第なのだろう。


 そして、一連の出来事が決着を見たあとで、ミチルたちの手元には5曲のオリジナル曲が残された。それが、未来という名のコードを進行させる、5本の弦だとはその時誰も知らなかった。

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