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Light Years  作者: 塚原春海
伝説の夏
40/187

ティーンエイジャー

 ミチルたちが出演する市民音楽祭は、厳密な歴史を辿ると1960年代にまで遡る。ただし前半の数十年は街角でささやかに行われていただけで、今のように2日間かけてプロ・アマのミュージシャンが何十と出演し、売店や屋台が多数出店するような規模になったのは、30年くらい前からだった。


 とりあえず機材の運搬は何とかなる、という連絡を受けたマヤは、目が冴えてしまいギリギリまで寝ている計画が破綻をきたしたため、マーコと一緒に2時半過ぎには人がごった返す会場を訪れて、出演者特典である飲食屋台の2割引パスで豪遊していた。

「見ろ、マーコ。奴ら一般客は定価で飲み食いを強いられている中、我々は2割引という権利を保有している。これが門閥貴族の既得権益だ」

「門閥貴族もタコ焼き食べるんだ」

「ははは。卿のジョークも磨きがかかってきたな」

 何の爵位なのかよくわからない自称貴族マヤは、さして優雅でもない手付きでタコ焼きを口に運びつつ、ステージで演奏する地元のロックバンドを観ていた。メロコア系で、ちょっと気だるいようなメロディーのオリジナルバンドだ。ジュナはあまり好まなさそうな緩めのギターだが、マヤとしてはそう嫌いではない。

「3時半くらいにホワイトアウトのおっちゃん達、出るみたいだよ」

 公式サイトの出演者リストに、マーコは知っている名前をいくつか見付けた。

「ハングドマンも出るみたい」

「ああいうハードコアパンク系のって、一般客としてはどうなんだろう」

 マヤはステージに響くパンクサウンドを聴く、家族連れだとかの反応を想像してみた。しかし、今こうしてメロコア系の音が流れていてもそれなりに年齢関係なく盛り上がってはいる。

 リストを見るとブラスバンド系、ジャズ系のグループもいるが、フュージョンバンドというのは2日間通して、マヤたちただ一組である。インストだとバイオリン独奏とか、廃物で作り上げた楽器によるジャグ・バンドなど多彩だった。

「こうして見ると、私達も多くのグループのひとつなんだって思えてくるわね」

 タコ焼きの紙トレーを巨大なゴミ箱に放りながら、マヤは次に何を食べるか、居並ぶ屋台を見定めていた。

「あんまり食べると演奏中に吐くぞ」

 マーコのツッコミに笑い返しつつ、絶対あり得ない話でもない、とマヤも考えた。そうしていると、ミチルからスマホにメッセージが入ってきた。


『そろそろ会場に着く。もし会場にいたら機材降ろすの手伝って』


「だそうだ」

「よし」

 二人はゴミを片付けると、関係者パスを手に搬入スペースへと乗り込んだ。

 ほどなくして、搬入ゲートの周囲は何やらものものしい雰囲気に包まれていた。警備員が無線に向かって、微妙に険しい顔をしている。

「なんかあったのかな」

 マーコが土塁に上がって、搬入ゲートを見た。すると、それはゆっくりとゲートを通過して、積み下ろしスペースにむけて進んできた。紫のメタリック塗装が眩しい、重量が増えるだけの自称エアロパーツがツノのように飛び出した改造ミニバンだ。

「…あれ、見覚えがあるんだけど」

「ジュナの兄貴のだよ」

 マヤは額に手を当ててため息をついた。まさか、あれで来るか。よく見ると助手席にはミチルが座り、真ん中にジュナが挟まれている。運転席にはライトブラウンの髪を立てて、ドラゴン文様入り白ジャージを着たグラサンの青年。ミチルは関係者パスをこれ見よがしに掲げて、不審者ではない事を必死にアピールしていた。不審者はたいがい、自分のことを不審者ではないと言うものである。

 ところが、それだけでは終わらない。その不審なミニバンの後ろに、後部が真っ黒なスモークガラスの、黒塗りの高級車が続いてきたのだ。運転しているのは黒いスーツに黒いネクタイに黒いサングラスの男性。助手席には見目麗しい、天然ゆるふわロングの見知った少女が、優雅な手付きで関係者パスを示していた。

「…クレハって一体何者なんだ」

「命が惜しかったら知らない方がいい系?」

 まさかそんな人と今まで一緒にバンドやってきたのか、とマヤは軽い戦慄を禁じ得なかった。


「ごきげんよう。遅れてごめんなさい」

「いっ、いえっ、おつとめご苦労さんです」

 合流したミチルとマヤは、黒塗りの高級車から降りてきたクレハに、やや開いた腿に手を当てて頭を下げた。そこへ、例の黒ずくめの男性がやってきて、ミチルたちの緊張度はマックスに到達した。

「クレハ様、積み荷はどちらに」

「ああ、待って。今確認するわ。ミチル、受付に行きましょう。あなたが代表だから」

「はっ、はい、クレハ様」

 代表のミチルはクレハの後ろに控えるようにして、出演者用の受付ブースに向かうのだった。


 とりあえず楽屋が空くまで仮置き場に機材を置くと、搬入車両の駐車スペースが係員から説明された。そこへ、遅れて天然パンチパーマにサングラスをかけたスーツの中年男性が現れ、再び周囲は騒然となった。どこからどう見ても、そのスジの若頭補佐といったところだ。それがミチル達の所へ、軽い足取りで歩いてくる。

「いやあ、悪い大原。タクシーがなかなか早く来なくてな。おっと、お二人には世話になりました。むき身で申し訳ない」

 そう言って天然パンチの若頭補佐こと竹内顧問は、機材を運んでくれた黒服とジャージのチャラ男に五千円札を差し出す。

「いえ、とんでもございません、クレハお嬢様がお世話になっている身。この程度のこと、いつでもお申し付けください」

 そう言って黒服は丁寧に辞退すると、逆に名刺を取り出して、竹内顧問に深々と頭を下げた。

「そうですか、いやあ、すみませんな。ははあ、千住組の小鳥遊龍二さん。いや、こちらこそ」

 竹内顧問もまた、こういう場面でサッと名刺を出せるのはキチッとした大人である。そんな事より、ミチル達は確かに聞いた。名刺の名前を確認した、竹内顧問は「千住組」と確かに言った。この黒服のタカナシさんという人は、千住組という組織の構成員であるらしい。そのタカナシさんは、クレハをお嬢様と呼んでいた。

「竹内先生ですね。今後ともよろしくお願い申し上げます」

 周囲の野次馬からは「先生って呼ばれてるぞ」「先生って、ああいう世界のいわゆる先生かしら」などと、ヒソヒソ言われていた。ああいう世界の先生とは、どんな先生なのか。すると今度はジャージのチャラ男、ジュナの兄が話に加わった。

「おっ、千住組さんなら俺らも仕事させてもらった事ありますよ!」

「はて、失礼ですがどちら様でしょう」

「田端組の折登谷ってもんです」

「ああ、田端組の!これは、いつもお世話になっていながら失礼しました」

 完全にそっちの世界の人達の会話だ。しかも、ジュナのお兄さんもその界隈の末端の構成員だったらしい。ペンキ屋だと聞いていたが。

 その後、黒塗りの高級車とメタリックパープルの改造ミニバンが去ると、クレハが振り向いてニッコリと微笑んだ。

「まだ楽屋が空くまで間があるわね。少しゆっくりしましょうか」

「はっ、はい、お嬢様」

「?」

 クレハは、ミチルのよそよそしい態度を不審に思いながら、やわらかな髪をなでた。


 フュージョン部2年生の5人は、色々あった一学期ラストの労をねぎらうように、芝生に座り込んで寛いだ。空はかすかに夕暮れの予感を感じさせている。

「今日が総決算ってとこだな」

 ジュナが、コーラのボトルをひねって奥に見えるステージを見やった。三味線を弾くお婆ちゃんの声が、スピーカーを通して聴こえてくる。

「ま、スクェアの4曲なんてのは」

「寝てても弾ける、でしょ」

 ジュナのセリフをミチルが先取りすると、全員が笑った。

「なんなら他のもいけるだろ。ミチル、お前はキャンディ・ダルファーやりたいんじゃないのか」

「うーん。まあ、やりたいのは確かだけど。こういうステージだと、ベタにスクェアでいいかなって」

 ミチルは、丸いポテトフライをつまみ上げた。ジュナが口を開けたので、「熱いよ」と注意しつつ押し込むと、器用に前歯でキャッチする。

「老若男女に通用して、しかも音楽レベルも高いとなると、選択肢って限られてくるじゃない。スクェアがベタな選択肢なのは、ベタになりうるだけの理由があるってことよ」

「なるほど。そういう見方もあるか」

 マヤが、感心しながら草色の焼き団子をかじった。出演前に食べ過ぎるな、というマーコの忠告は忘れている。

「なんだったら、ブレッカー・ブラザーズとか、リッピントンズとかやってもいいけどさ」

「ここにいる面子で、すぐやれる自信がある曲となると、何だろうね」

 5人の少女は、およそ今どき40代50代、下手をすると60代でさえ知識も関心もなさそうな、クロスオーヴァーからフュージョンと呼ばれるに至るアーティストの名を羅列していった。

「すぐやれる、ってなるとやっぱりベタなとこでしょ。日本のアーティストで比較的新しい世代だと"DEZOLVE"とかもいるけど、やった事ないしな」

「私達とはちょっと系統が違うからね、だいぶ現代的っていうか」

 ミチルも頭の中で、色々とアーティストを羅列してみる。しかし、マニアックなものをやりたい気持ちはあるものの、「万人受け」という言葉を甘く見るものでもないな、とも思う。

 そんなことを考えていると、よく知っている声が聞こえてきた。

「あれれー。これから出演する人達が、ずいぶん寛いでるなあ」

 その声の主はフュージョン部3年、サックス担当佐々木ユメその人だった。その横には吹奏楽部の市橋菜緒先輩、そして後ろには田宮ソウヘイ先輩以下、フュージョン部の3年生が勢ぞろいしている。

「わあ、オールスターズだ!」

 ミチルは立ち上がって拍手した。3年生が素顔で全員揃っているのを見るのは久しぶりである。他の面々はカジュアルなスタイルなのに、ユメ先輩だけは浴衣に団扇という風流な装いだ。隣の市橋先輩は普段のクールなイメージがどこへやら、タコ焼きを食べ歩きしていた。

「準備はどう?」

 菜緒が唇に青のりをつけたまま訊ねると、ミチルは胸を張った。

「大丈夫です。ミスっても死ぬわけじゃありません」

「全然ダメじゃねーか!!」

 ジュナがツッコミを入れると、全員が爆笑で応えた。

「大丈夫そうね、その余裕なら」

「座席を確保するの、もう難しいかも知れませんよ。男子の先輩たちは立ち見でいいから、早めに確保してくださいね」

 男子3人組からは「虐待だ」「差別だ」という文句が飛んで来た。だが、ユメ先輩は余裕の表情である。

 ふと時計を見ると、4時20分を過ぎている。

「そろそろ楽屋入りかしらね」

 マヤが立ち上がると、他のメンバーもそれに倣う。陽はすでにかげりを見せていた。

「それじゃ先輩、行ってきます」

「期待してるよ、後輩!」

 ユメ先輩はミチルの肩をバンと叩き、去年自分が立ったステージへと後輩を向けた。6人の先輩たちは5人の左右を花道のように、拍手で送り出してくれたのだった。


 新生フュージョン部、最初の大舞台。すり鉢状の客席は、ざっと見て2000人弱といったところか。大トリの例のジャズボーカルを目当てに、これから人が増えるかも知れない。自分達はプロの演奏と比較される、一番近いところにいるということだ。5人がそれぞれの思いで楽屋に向けて歩いていると、前方から息を切らせて走って来る一団があった。

「間に合った!!」

「あぶねー」

 それは、フュージョン部の新たに入った1年生5人組だった。みんな制服で見慣れているから、私服はとても新鮮だ。リアナの古風なノースリーブのワンピースがよく似合っている。男子2人は示し合わせたように、Tシャツとジーンズである。芸が無いのか、仲良しなのか。そしてキリカとアオイの二人は、ユメ先輩と同じく浴衣だった。

「最前列で応援に来ました!」

 アオイが、トレードマークの黒縁メガネを光らせて胸を張る。しかし、今から最前列の席などどうやって確保するというのか。それどころか、座れる椅子を見付けるだけで苦労しそうである。ところが、薫は不敵に笑ってみせた。

「そのために、友達に頼んで席を取っておいてもらってるんですよ。タコ焼きとお好み焼きで買収してね」

 まずい。人は買収するものだという先輩のやり方を、完全に受け継いでいる。のちにミチルたちは、私じゃない、あなたの影響だと互いに責任をなすりつけ合った。

「さすがにこの状況だと、しょぼい音しか録れませんけどね」

 そう言って薫は、腰のポーチからビデオカメラを取り出した。PAはそれなりに高品質だが、音質うんぬんを問えるような環境でもない。純粋に演奏を楽しむお祭りである。だが薫のことなので、録画した音源もマスタリングで何とかするつもりだろう。

「それじゃ行って来るね」

 ミチルたちが一列に歩き出すと、今度は後輩たちが花道を作ってくれた。先輩と後輩に送り出された5人は、喜びと緊張の中、それぞれの機材を抱えて楽屋に入ったのだった。


 音楽祭の楽屋は臨時に設置された4棟のプレハブで、出演するアーティストが順繰りに使用する。残りのアーティストは次に出るひと組と、ミチル達と、ジャズボーカルの木吉レミおよびそのバンドだけである。木吉レミは一人でひとつの楽屋を使用するらしい。

 楽屋に入ると、まずミチル達は機材の確認に入った。ミチルは愛用のラッカー仕上げのアルトサックスとEWI。ジュナは愛機のレスポール。クレハも愛用のジャズベース。予備の機材も持って来たが、ミニアンプで音出しした限りでは何の問題もないようだった。マヤのキーボードは、折り畳みスタンドごとステージまで持って行かなくてはならない。ツインキーボードなので、片方は運ぶ物が椅子だけのマーコに手伝ってもらう算段である。

 ジュナは当初アナログエフェクターを4つばかり持って来ようと考えたものの、接続に時間がかかるのでマルチエフェクターでやっつける事にした。歪み系、空間系といったプリセットの切り替えが瞬時にできるので、曲のチェンジのたびにエフェクターと格闘せずに済む。

「よーし、機材はOKだ。あとは衣装だな」

「あたしはもうOK」

 マーコは、なんと今着ているままで出るという。Tシャツにハーフパンツ。ドラマーは一番汗をかくからこれでいい、との事である。カーテンが閉まっていることを確認し、女子高生フュージョンバンドはマーコがコーディネートしたステージ衣装に着替えを完了した。

「ようし、準備完了!」

 5人は楽屋の真ん中で、いつものように円陣を組むと、まずミチルが開いた手の甲を上にして突き出した。

「夏いちばんの大舞台だ、いくよ。マヤ、お願い」

「オッケー」

 マヤがミチルに手を重ねると、他の3人もそれに倣う。マヤはすうっと息を吸って、力強く声をかけた。

「高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に!」

「臨機応変に!!」

 元ネタを知っている人が聞けばツッコミを入れずにいられないフレーズに続いて、ミチルが締める。

「フュージョン部、レディー…」

「ゴー!」

 凛とした声が重なると、5人は一瞬でステージ仕様の表情に切り替わり、熱気が残る外へと出た。ミチル達の前のギター弾き語りが、あと2曲くらいで終わるらしい。

 ミチルは何気なく、周囲の様子を見た。もう、例のジャズボーカルの人は来ている事だろう。そう思って、反対側の楽屋を見ると、何やら様子がおかしい。

「?」

 見るからにプロのバックバンドといった人達が、音楽祭の運営スタッフと向かい合って、何事か話し込んでいる。音響にでも文句を言っているのだろうか。少なくとも、ミチル達には関係はなさそうである。よその事を気にしている余裕はない。


 ギター弾き語りのおじさんが、拍手の中マイクに向かってぽつりと呟いた。

『どうもありがとう。次でラストです』

 いよいよだった。おじさんの演奏が終わったら、ミチル達の出番だ。空はもう、赤く染まり始めていた。

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