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Light Years  作者: 塚原春海
ようこそフュージョン部へ
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Keep it alive

 少年の目が、フュージョン部という名を聞いたとたん、それまでにない輝きを見せた。その時ミチルは、当たり前のことに気が付いた。オーディオ部ということは、たぶん音楽も様々なものを鳴らすはずだ。


 ロックを聴くのはマイケミが流れていたことでわかった。PCやネットワークサーバーが置いてあるデスクの隣には、ざっと見ただけでおそらく一〇〇〇枚以上あると思われる、ラワン合板で組んだCDラックがある。さすが工業高校、スピーカーからオーディオラックから、何から何まで自作ずくめである。


 ミチルはラックに近寄って並んだディスクを見た。クラシックは大編成やカルテットなど、編成ごとにきちんと分類してある。アニメや映画、ゲームのサントラも多い。J-POPは数える程度だが、誰でも知っているようなヒット作はいくらか押さえてあるだけで、あとは聞いた事のない名前が並ぶ。ロック系はTHE ALFEEなど、渋い所が並ぶ横にUNISON SQUARE GARDENだとかが見える。


 そしてミチルは、予想していた通りのライブラリーを見つけた。アコースティック・アルケミー、ブレッカー・ブラザーズ、デビッド・ベノワ、ラリー・カールトン、などなど。日本だと高中正義、松岡直也、カシオペア、MALTA、そしてスクェア。THE SQUAREからT-SQUAREへと、きちんと年代順に分けてある。

 それらを見て、今度はミチルの目が輝いた。一枚のディスクを手に取って、少年に振り向く。

「君、フュージョン好きなの?」

 ミチルが手に取ったのは、チック・コリア・エレクトリック・バンドの一九八七年の名盤「Light Years」だった。それまで饒舌だった少年は黙りこくって、ただ首を縦に振った。

「好きなアーティストは? 私は、ジャズファンクだけどキャンディ・ダルファーから入って、スクェア、本田雅人、クルセイダーズに行き着いたあたりから、古いフュージョンにはまったんだけど」

 いきおい、ミチルも口数が多くなる。フュージョンを普段聴いている高校生などそうそういない。だが、少年の反応は明らかにフュージョンが好きだという反応に思えた。

 少年は、ぽつぽつと名前を挙げ始めた。

「……フュージョンは全般的に好きだけど、なんていうか、最近はまってるのは、こう……夜の街を感じさせるようなサウンド。デイヴ・グルーシンとか、リー・リトナーとか」

 そう言うと、おもむろに少年はPCを操作した。デスク下のサーバーのインジケーターが点滅する。どうやら、あの四角いネットワークHDDに音楽のライブラリーが保存してあるらしかった。


 さきほど鳴らした、スワン――白鳥、と呼ぶにはちょっと不格好なスピーカーから、太いスチール弦の感触が伝わってくるようなベースが流れ始めた。一九七七年のデイヴ・グルーシンの名曲「モダージ」だ。まだフュージョンという呼称が定着する前の時代の曲である。

 少年が言ったとおり、夜を感じさせるサウンド。それも都会というより、都会の裏路地を一人往くような。音数は非常に少ないが、少ないだけに演奏ミスが許されない。サックスパートがないので、ミチルはライブではお休みを頂くナンバーである。


 ミチルは、椅子に座ってそのサウンドに身をゆだねた。家のミニコンポで鳴らすサウンドとは全く違う。といって、オーディオと言われておおかたの日本人が想像するような、ボンボン鳴るサウンドでもない。なんというか、清澄かつ力強く透明で、どこまでも広がる音の世界がそこにある。オーディオとはこういう事なのか、と思わされた。

 演奏が終わると、また違う曲を少年は再生した。リー・リトナー「ウェス・バウンド」だ。これもやはり、夜を思わせる静かなサウンドだが、ドラムスのアタックが効いて、決して眠くなる事はない。ギターのジュナはこの曲が苦手である。スローテンポでメロディを単音で弾かなくてはならない、非常に高度な曲だからだ。

「フュージョンだけじゃなく」

 少年は語り始めた。

「音楽全般が好きなんだ。中学の頃にオーケストラのコンサートを聴く機会があって、のちにそのCDになった音源を聴いたのが、入り口だった」

「どういうこと?」

 ミチルは訊ねる。

「うん……自分のコンポで聴いた時の、生のコンサートとの音の落差にガクゼンとした。あの、身体にぶつかってくるような音のエネルギーや広がりが、スピーカーからは全然出てこない。オーディオって何なんだろう、って考えた」

 少年が語る内容は、ミチルには若干追いつかない部分もあるものだった。生のオーケストラなど、特に高校生では聴いた事がない人の方が多いだろう。

「そこで、気付いたんだ。いま音楽と呼ばれているものは、オーディオ再生装置が前提としてある。オーディオ装置がなければ成立しない音楽だ、ってね。考えてみれば、当たり前の話だけど。むしろその気付きから、否定するんじゃなく、かえって色々な音楽を聴き始めた。J-POP全般が、どうして洋楽みたいに音がクリアじゃないのか、というのも謎だった。そうして色々聴いてるうちに、フュージョンの良さに気付いたんだ」

 今度は一転して明るいサウンドが流れてきた。スパイロ・ジャイラ「ピポズ・ソング」。抜けるような青空を思わせる、王道のフュージョンサウンドだ。サックスも吹いていて気持ちがいい。

「オーディオって、取り組んでみないとその良さはわからないんだ。先輩、いま聴いてみて良いって思ったでしょ」

 ミチルは素直にうなずいた。オーディオに大金を投入する人の気持ちが、ほんの少しだけわかったような気がする。それは、こうして聴くまでは気付かなかった事である。


「フュージョン部って、こういう曲も演奏するの?それともスクェアとか?」

 突然、話題はミチルの方に振られてきた。ミチルは自分に興味が向けられている事に、くすぐったいような気持ちもしつつ答える。

「うん、いま聴いたナンバーもやった事はあるよ。最近はジャズファンクのキャンディ・ダルファーと、スクェアを交互にやる事が多いかな。あと、本田雅人も練習中」

「本田雅人の曲、できるの!?」

「だから練習中。あんなナンバー、高校生がおいそれと演奏できたらプロの立場はないわよ」

 そこで、少年は初めてケラケラと笑い始めた。この会話のどこが面白いのか、本田雅人を知らない人には伝わらない。本田雅人はもとT-SQUAREのサックス奏者で、そのテクニカルな作曲と演奏は、天才というよりは変態のレベルである。ミチルは目下、その変態サックスのコピーを練習しているのだが、吹いているうちにその難しさに指か頭のどちらか、あるいは両方が音を上げる。

「へえー、聴いてみたいな」

「ふふ、何だったら練習をのぞきに来てもいいわよ」

「フュージョン部の部室って、どこなんですか」

 そう問われて、ミチルは改めて小さな驚きを覚えた。今まで互いの部活、同好会の存在を知らなかったというのは、ある意味で奇跡である。とくにミチルは1年3カ月この学校に在籍していたのに、オーディオ同好会など初めて知った。

「クラブハウスを挟んで、ここの反対側。といっても、奥まってるから気付かないかもね」

「あっ、あの田んぼのそばにある白い小屋?」

「あははは、そう。田んぼ農家の小屋じゃないのよ。私たちの部室」

 ミチルは笑った。どうやら、知らない人間には農家の小屋とでも思われているらしい。

「ふうん、面白いわね。オーディオ同好会って、何人いるの」

 ミチルがそう訊ねると、少年はとたんに黙り込んだ。何か聞いてはいけない事だったろうか、とミチルは思ったが、少し間を置いて語り出した。

「いちおう、先輩が四人いるんだけど、もう来ること自体ほとんどない」

「ふうん。うちと同じね。先輩たちは進路の事でもう忙しくなってて」

 そこまで言って、ミチルは一時的に忘れかけていた事を思い出してしまった。フュージョン部の存続問題である。よその同好会の部室で、呑気に音楽談義をしている場合ではない。まして、沈痛な面持ちで演奏を止め、自分だけ抜けてきた立場である。

 ミチルはわざとらしいとは思いながら、強引に話題を変えた。

「あっ、私のスマホに部活の練習の録音が入ってるんだけど、ここで聴ける? せっかくだから、このシステムで聴いてみたい」

 そう言って、ミチルはスマートフォンを取り出す。少年は興味深げに身を乗り出してきた。

「聴けるよ、有線でも無線でも。USBの方が手っ取り早いかな」


 ミチルのスマホがPCにつながれ、PCのエクスプローラからスマホ内の録音フォルダを探し出す。いちばん新しい日付のフォルダに3曲、フュージョン部の練習の音源が入っていた。とりあえず、その1曲目を再生する。ジュナの軽やかなギターのイントロとともに流れてきたのは、ザ・スクェアの名曲中の名曲「It's Magic」だ。

 少年は、自らベストポジションの椅子に座ってその演奏を聴いていた。それまでの女の子のような可愛らしい顔から一転、顔はそのままなのに、背筋がゾクッとするような鋭い眼光を見せた。

 演奏を聴きながら、少年はぽつりと言った。

「ふうん、先輩アルトサックスの演奏上手いんだね。いずれプロでやれるんじゃないのかな」

 そんな月並みと言えば月並みな感想が、少年の表情を見ていると、お世辞にはまったく聞こえないのが不思議だった。

 「スワン」から流れて来る生々しい音は、まるでフュージョン部の部室をそっくりここに持って来たかのように聴こえた。そのとき、少年が言った言葉にミチルは驚き、唖然とした。

「これ、スマホ用のワンポイントステレオマイクで録ったんだね。…音の響きから、部室は30畳くらいかな。演奏のレベルは高校生とは思えないくらいだけど、床も壁も天井も弱いみたいで、音が死んじゃってるのが残念だな。ドラムスは、壁に寄りすぎじゃない?吸音処理はしてるみたいだけど」

 それは、信じられないほどの聴覚、センスだった。なんとこの少年は、録音を聴いただけで、それが収録された部屋の広さや強度、ドラムスの配置まで当ててみせたのだ。全て、少年が言ったとおりである。一体どういう耳を持っていれば、そんな芸当ができるのか。一体、この少年は何者なのか。

 そのあと、シャカタク、ウェザー・リポート等のナンバーをひととおり聴いて、少年は「上手い」と言ってくれた。だが、なぜかミチルはそれをそのまま受け取る事ができなかった。嬉しくないわけではない。が、少年の述べる感想は、何と言うか、「プロデューサー」のような真剣さが感じられるのだ。とりあえずミチルは「ありがとう」と返すのが精いっぱいだった。

「それにしても、オーディオって凄いね。こんなリアルな音が出せるんだ。うちの部室のオンボロコンポじゃ無理だわ。音質どころか、鳴らした瞬間に電源が落ちるような状況だもの」

 ミチルはそう苦笑したが、少年は何か興味を持ったようだった。

「どんなコンポ?見てみようか」

 

 ミチルは、恐る恐るフュージョン部の部室に、少年を連れて戻る事にした。ドアを開けたら、ジュナに「帰ったんじゃねーのかよ」と言われるに違いない。しかし、それは杞憂だった。メンバーはすでに帰宅したらしい。灯りもついておらず、鍵がかかっている。ミチルは職員室に鍵を受け取りに戻った。

 部室に入ると、ジュナが直そうと試みたらしいレスポールが、元の場所に戻されていた。工具がその脇に置かれているので、後日また挑戦するつもりだろう。

「これなんだけど」

 ミチルは、壁際に置かれた古いコンポを少年に示した。すると少年は、目を見開きつつ苦笑する。

「こいつはまた……僕らの親が生まれる前の時代に出た、ベストセラーだよ」

「そうなの?」

「ヤマハNS-1000M。いちおう、名機と呼ばれるスピーカーだ」

 興味深そうに、少年はその大きく黒いスピーカーを眺め、手で触れた。

「でも、きのう鳴らしたらバリバリってノイズが出て、アンプが落ちちゃったんだ。怖いからそれから触ってない」

「ふうん」

 何気なく相槌をうちながら、少年は細い身体をスピーカーの後ろに入れて、手を延ばし裏面をまさぐっていた。そして、ほんの十数秒経ったあと、身体を引き抜いて少年は言った。

「直ったよ」

「え!?」

 ミチルは、耳を一瞬疑った。何が直ったというのか。すると少年は勝手にアンプとCDプレイヤーに電源を入れ、中に入っていたCDを再生した。ちなみに、入っていたのはサックス奏者・伊東たけしのアルバムである。

 演奏が続いても、昨日のようにノイズが乗る事もなく、伊東氏の深みのあるサックスが響いた。

「どっ、どこ直したの?」

「スピーカーの左チャンネルの配線がショートしてた。誰かが、いい加減に配線したんだと思う」

 そう言われて、ミチルはある人物を思い出した。この間掃除した時に配線を直していた、某ギター担当である。すると、少年は真顔で言った。

「音楽やってる人達って、なぜかオーディオの扱いはぞんざいな事が多いよね」

 反論しようかと思ったが、まったくその通りでぐうの音も出ない。

 すると少年は、ジュナが立てかけたレスポールをふいに持ち上げ、ストラップを肩にかけ始めた。

「あ、それピックアップが調子悪いから――」

 そこまで言って、ミチルは何を言ってるんだ、と自分で思った。ギターが弾けるのか、と訊ねるところだろう。

 しかし、その質問は必要がない事がわかった。アンプを通さない壊れたレスポールから、CDに合わせてアドリブで、見事なリフが奏でられたのだ。

「!?」

 ミチルは驚愕した。演奏は完璧である。ギター入門者の最初の難関で、ミチルが半年経ってもまだ練習中のFも、当たり前のように押さえている。ちなみにミチルのギターはというと、教官のジュナいわく「もう100回くらいサジを投げた」との事である。


 この少年は何者なのか。全てが奇妙だ。不思議の国から来た、と言われても疑問には思わない。しかし、訊ねようと思ったミチルに先んじて、ギターをスタンドに立てた少年は部屋をぐるりと見回して言った。

「うーん。この部屋そこそこ広いし、防音にはなってるけど、あまり造りは頑丈じゃないね。この部屋で、このサイズのスピーカーだと、いい音出ないかも。うちの部室にあるスピーカーで、スリムな丁度いいやつあげようか」

 突然そんなことを言い出すので、ミチルは言った。

「いやいや、勿体ないよ。直してくれただけで十分。ありがとう」

「そう? うーん」

 突然少年は、腕を組んで何かを思案し始めた。それが気になってしまい、ミチルも訊ねざるを得ない。

「なに?」

「いや、実はね。オーディオ同好会は、今年いっぱいで無くなるからさ」

 その一言は、まるで自分の事のようにミチルの胸に突き刺さった。

「二年生がいないからね。三年生は進路のことで忙しくなる。実質、いまオーディオ同好会は僕一人だけなんだ」

「そっ……そうなんだ」

「うん。だから、置いてある機材の処分に困っていてね。プレイヤーだとかは学校の備品にできるけど、問題はあの無数の自作スピーカーだ。だから、一セットだけでも受け取ってもらえれば、実の所とても助かる」

 ネットフリマに出してもいいが、サイズが巨大で簡単ではない、という。

「ま、これはこっちの都合だから、無理強いしてるわけじゃないよ。もし欲しいのがあったら、僕の所に来て。僕は一年四組、電子工学科の村治薫」

 カオル。ようやく教えてもらった少年の名前は、やはり女の子みたいだった。薫は、鞄を手にするとドアに手をかけた。

「聴きたい音源があったら、持って来てくれればいつでも鳴らしてあげるよ。それじゃ」

 それだけ言うと薫は、爽やかな笑顔をミチルの目に残して、ひとり正門に歩いて行ってしまった。


 ひとり残されたミチルは、薫の話を考えていた。

 オーディオ同好会はなくなる、という。それは、ミチルにとっても切実に聞こえる話だ。というより、今のままでは同じ運命をたどる可能性が高い。

 しかし、薫はそれについて、残念そうではあっても、どこか清々しい態度に見えた。訪れる現実を、そのまま受け入れるような、しなやかさと清々しさだ。


 ミチルは今、部活を存続させる方策を考えている。まだ、なんとかできるのではないか、と考えている。しかし、あの薫という少年は、しがみつこうとはしていない。その姿が、ミチルにはそれなりに美しく思えた。


 何が正解なのだろうかと、ミチルは自問する。フュージョン部はどうするのか。潔く消えるのか、それとも最後まで抗うのか。陽は、もう傾いていた。

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