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Light Years  作者: 塚原春海
伝説の夏
38/187

Breeze And You

 市民音楽祭にビッグゲストとして呼ばれたジャズボーカリスト木吉レミ氏は、市内のホテルで満員のディナーショーを終えた翌日、ドキュメンタリー番組「仕事人」の収録を行っていた。リハーサル風景の収録から始まって、後半は街を見下ろす土手の公園を歩きながら、二十数年プロとして活躍してきた木吉氏のキャリアを振り返りつつ、プロとしての心構えを語る場面だった。

「プロになるっていうのは、責任が生まれるっていう事だから」

 ベテランの木吉氏は、遠くに見えるビル群をバックに微風の中を歩きながら、プロとしての矜持を集音マイクに向けて語った。

「高校生、大学生のうちは何にも責任がないじゃない。ただ好きに弾いて、歌っていればいい。けど、プロになるとそうはいかない。一人のアーティストが立つ1回のステージの背後に、無数の関係者がいる。照明さん、音響さんもそうだし、コンサートの主催者はもちろん…自分が演奏して、気持ちよくなって終わりじゃないの。それを自覚することが、プロの条件」

 カメラマンと音声スタッフは、うんうんと木吉氏に頷いた。

「いま、高校生くらいで将来プロを目指してるミュージシャンの子たちに、伝えたい事があるとすれば、そういう事ね」

 ここでディレクターからのカットの合図が送られ、収録は終了となった。台本ではこのあと、エンディングテーマとともにナレーションが入って締め括られる予定である。

「木吉さん、お疲れ様でした」

「ありがと。それじゃ、あとはよろしくね」

 木吉レミはマネージャーを呼ぶと、翌日以降の予定を確認した。短髪を立てた妙な髪型の、30代半ばの男性マネージャーは、タブレットを軽快にさばいて予定表を開いた。

「今日はもう終了です。明日は午前中、地元のキウイ娘というアイドルグループと食レポ。それが終わったら、あとは地元のスタジオで、音楽祭へ向けてのリハーサルです」

「きちんとしたスタジオなんでしょうね。こんな地方都市で」

「東京やニューヨークほどではありませんが、十分です」

「ふうん。それならいいわ。バンドはもう到着してるのね」

 木吉レミ氏は、プロらしく仕事に厳しい様子で事細かに確認を取ると、目当ての温泉に向かうため、待機している黒いメルセデスのセダンに乗り込んだ。


 音楽祭を3日後に控え、南條科学技術工業高校のフュージョン部の面々は、すでに準備を整えつつあった。演奏はもう、ジュナ風に言えば「寝てても弾ける」状態である。

「どうかな」

 当日の衣装に着替えたミチルに、1年生たちは「おー」と歓声と拍手を送った。カジノのディーラー風のパンツスタイルで、胸には演劇部から借りてきた青いバラのコサージュが彩りを添えている。もともとモデル体型のミチルだけに、完璧に決まっていた。

「すげー」

 感嘆の声をあげたのは、獅子王サトルだった。長嶺キリカと鈴木アオイ、戸田リアナの女子3人は若干呆然としている。薫だけは、なんだかプロデューサー然とした様子で腕を組んでうなずいていた。

「どう?」

「どうも何も、完璧です」

 リアナはそう言いながら、スマホで撮影していた。ミチルもさり気なくポーズを取ってみせる。

「褒めても何も出ないよ!まあ、音楽祭のかき氷か、たこ焼きくらいはおごってやるか」

「やった!」

 サトルが薫の肩に腕を回してガッツポーズを取ったところへ、今度はジュナが棚の裏の着換えスペースから現れた。

「どうよ」

 ジュナは、アメカジふうのへそ出しショートパンツスタイルでミチルの隣に立った。インナーは赤いTシャツで、むき出しのそこそこ筋肉質な生足がセクシーだった。

「セクシーだけどエロくないところが逆にエロい」

「その、わけのわかんねー評価は何なんだ」

 ジュナは、ミチルの講評に細い目を向けた。

「カッコいい!」

「やばい」

 キリカ、アオイ組からは好評だった。リアナは無言でスマホのカメラを連射させていた。なんだか目が怖かった、とは後のジュナの言である。

 続けて、残りの3人が現れた。80年代ふうのブラウスとペンシルスカートのマヤ、シンプルにTシャツと黒のハーフパンツのマーコ、スリムパンツにノースリーブシャツをリボンベルトで巻いたクレハ。5人が揃った様は、まるでプロのアーティストのジャケット写真のようだった。マヤとクレハはもともと大人びているせいか、3歳くらい年上のような艶やかさをたたえていた。

「これ、撮って友達に送っていいですか!」

 アオイもキリカも撮影隊に加わり、シャッター音が部室に鳴り響く。まんざらでもない5人は、ある者は得意げに、ある者は控えめにポーズを取ってみせた。

「うん。準備はオッケーだね」

 薫は、ミチルに頷いてみせた。ミチルたちも、表情から自信がうかがえる。

「そうだね。機材の積み込みは明後日の午後だから、明日はお休みにしようか」

 ミチルの提案にメンバーは賛成し、その日の残りの時間は1年生に薫も加えて演奏指導する、という流れになった。まだ、薫が精神面でステージに立てるかどうかはわからないが。


 同じころ、フュージョン部顧問の竹内克真氏は、音楽祭の機材を積む予定のハイエースに、クリスタルコーティングをかけてもらって帰宅したところだった。

「ピカピカじゃん。エンジンの音は不安だけど」

 21歳で帰省中の大学生の娘が、珍しそうに窓から声をかけた。竹内顧問は得意げだが、娘の視線はサイドやリアの、年季を感じさせる傷や凹みに向けられていた。古いディーゼルエンジンがブルブルと、良く言えばノスタルジックなバイブレーションを響かせている。

「お前もこういうバンの運転に慣れておくと、あとあと役立つぞ」

「そうだね。そのうち、故障する心配のないやつで練習する」

 娘は冷ややかな視線を向けたのち、スマホを片手に家の中に引っ込んだ。ただ単に生徒一人と機材を運ぶだけなのに、無駄に見栄っ張りの竹内顧問は、当日乗せる生徒のためにシートをハンディ掃除機で丁寧に掃除し始めたのだった。


「ねえ、この木吉レミっていうボーカリスト、知ってる?」

 フュージョン部3年の佐々木ユメは、カフェのテーブルの向かいに座る市橋菜緒にスマホのブラウザを見せて訊ねた。菜緒は、紅茶をひとくち飲んで答えた。

「私もそっち方面は詳しくないから、何とも言えないけど。噂では、けっこう尊大な人らしいわよ」

 市橋菜緒は、普段の凛としたイメージから少し外れたフェミニン系のトップスを着ていたものの、そのトップスの可愛らしさとは無縁のクールな口調を披露した。

「わりと若いころにジャズボーカルの世界では異例と言っていいほどブレイクして、その後も安定して活躍してるのは凄いけれど。そのせいか、自分中心主義みたいな所があるらしいわね」

「ふうん。そんな人が、こういう地方都市の音楽祭に、よく出演をOKしたものね。いくら積んだのかしら、市長は」

 そう、女子高生らしからぬリアルな話を展開するユメは、デニムショートにロッド・スチュワートの顔写真がプリントされた黒いTシャツといういでたちだった。自分のメロンパフェに勝手にスプーンを突っ込む菜緒に、渋い顔をしながらアイスコーヒーを飲むと、お返しに菜緒のレアチーズケーキにスプーンを突き立てる。みっともない争いが終了したところで、菜緒は眉をひそめた。

「そもそもあなた、フュージョン部なのにジャズボーカルのベテランを知らないの」

「あたし達も、そっち方面は明るくないからね。ロック好きだって、ソフトロック志向でスラッシュメタルは知らない、っていう人もいるでしょ」

「なるほど」

「まあしかし、うちらの後輩たちもそんな大物の前座を務めるなんて、大変だわね」

 ユメはケラケラと笑った。

「あたし達なんて、去年はライブハウスで馴染みのおじさんバンドが前、おばさんのコーラスグループが後だったものね。気楽なもんだったわ」

「覚えてる。ベースが壊れて、あのバンドの人達に借りたんだっけ」

「そう。確か…ああ、今年も出てるわ、ホワイトアウト。挨拶しておこうかな」

 ホワイトアウトとは、近隣ではそこそこ有名な中年のメタルバンドである。メンバーの平均年齢38歳、ボーカルの女性だけはギリギリ20代で、超ハイトーンのボーカルと、超高速のギターを聴かせるベテランだった。ギター担当は38本ものギターを自宅に保管しているらしい。

「前から聞きたかったんだけど。ライブハウスでフュージョンバンドなんて、珍しいんじゃないの?」

 ふだんライブハウスなどに行かない菜緒は、素朴な疑問を口にした。ユメは首を傾げて答える。

「ライブイベントって、けっこう色んな人が出るんだよ。チアリーディングみたいなグループが出た事もあったし。なんかこう、歌っていうか読経みたいなのを、アコギで延々とやってる人とか、100均で買って来た意味不明のアイテムでギターを弾くおじさんとか。来てみたら、こんど」

「…遠慮しておく」

 菜緒は真顔で答え、紅茶を傾けた。



 市内にあるレンタルスタジオ「ソレイユ」に、木吉レミ氏のバックバンド4人が機材とともに集合していた。いずれも日本でトップクラスのプレイヤーである。当日のセットリストを確認すると、ボーカルの木吉氏ぬきで3曲ばかり演奏をチェックし、4人はいったん休憩に入った。

「今更だけど、レミさんがこんな場末のイベントに出るとは意外だったな」

 髪を後ろに結った、ヒゲのドラマーがミネラルウォーターをあおって言った。やせ型のウッドベース担当は、譜面をチェックしながら横目でドラムスを見る。

「まったくの場末でもないけどな。それなりに、歴史のある音楽祭だ」

「しかし、出てるのはほとんどがアマチュアだぞ。俺らの前座は、なんと女子高生のフュージョンバンドだと」

「フュージョン?わかった。どうせやるのはスクェアだろう。最後にTRUTHだな」

 3人がケラケラと笑ったが、優男ふうのサックス担当だけは神妙な顔をしていた。

「ものすごく上手かったらどうする。ネット動画なんか観ると、最近の若い奴らは凄いぞ」

「さてね。ま、俺たちの演奏を聴いて、音楽とは何かを学ぶ機会になるだろう。さ、残りの曲も通しでやっておこうか」

 4人のプロミュージシャンは、再びそれぞれのポジションにつくと、木吉レミのオリジナル曲の演奏チェックを再開した。



 大原ミチルはその日の夕方、なんとなく落ち着かない気分だった。それが何故なのかはわからない。市民音楽祭の準備は万端といっていい。天気予報も、むこう1週間くらいはほとんど快晴になっている。では、何が不安なのか。

「…第六感ってやつかな」

 突然ぼそりと姉がソファーで呟いたので、寝そべって漫画を読んでいた弟のハルトが怪訝そうに姉の顔を見た。

「大丈夫か、姉ちゃん」

「え」

「このあいだ倒れた後遺症、まだ残ってんじゃないのか」

 ミチルは、ハルトの尻にかかとを食い込ませた。

「いてえ!」

「あんたもニンニク注射打たれてこい」

「やだよ」

 ニンニク注射で苦悶する姉の様子を間近で見ていた少年は、眉をひそめて提案を拒否した。

「そういや、あんたのバンドどうなってんの。けっこう続いてるらしいじゃない」

「おう、わりとみんな上達したんだぜ。明日も練習すっから、何だったら観に来てもいいよ」


『って言ってるんだけどさ』

 ジュナがミチルからのWEB通話を受け取ったのは、その数分後だった。

『あしたヒマだったら、ハルトのバンドの演奏聴きに行かない?どんなものかと思って』

「ふーん。いいよ。あれからしばらく経つけど、まだ続いてるんだな。やめる奴は一週間ともたないからな」

 ジュナはヘッドセットで通話しながら、塗装が終わったテレキャスターを組み立てていた。青地のバラの壁紙を貼り付け、メタリックブルーとクリアラッカーでピカピカに仕上げたオリジナルデザインである。

「よし、わかった。明日行ってやるよ」

『ありがと。じゃあさ、明日9時くらいにうちに来てよ。ちょっと早いけど。で、終わったらどっか行こう』

 ミチルからのお出かけの誘いは、いつもの事だがジュナにとっては嬉しい事だった。作業の手を止めて、来ていく服を考えつつ答える。

「ああ、わかった。またあのリサイクルショップ行っていい?」

『どこでも、ご一緒しますとも』

「あっそうだ。あんたのおじさんの店のバイトの件だけど、8月半ばくらいだよな。OKって伝えといてくれる?ファストフードのバイトなら経験ある、って言っといて」

『おっ、ついにメイド服の覚悟ができたか』

 ミチルは驚いたような声を返してきた。ミチルのおじさんの喫茶店のウェイトレスは、古風なメイド服である。ミチルなら何を着ても様になるが、若干ボーイッシュなイメージもあるジュナに似合うのかという不安があった。だが、親友の叔父の店というのは少しだけ気楽な気がするし、時給もそう悪くない。喫茶店とは言っているが、そもそもちょっとしたレストランみたいなお店なので、お盆前後は書き入れ時なのだろう。何より、ミチルと一緒に給仕のバイトをするのも楽しそうではあった。

「ああ。お前も一緒にやるんだろ」

『うん。去年もやってたし』

「お前のメイド姿もちょっと間近で見てみたいな」

『何それ。変態っぽい。変態』

 親友からの唐突な変態連呼に、ジュナは眉をしかめた。誰が変態だ。

『わかった、伝えとく』

「頼んます」

『あ、あとさ。全然関係ないけど、ちょっと聞いていい?』

 突然もったいつけてミチルが訊ねたので、ジュナは何のことだ、と返した。 

『あのさ、ジュナってギターいじってない時は何してんの?』

 ミチルからのだいぶ失礼な疑問に、ジュナは首をかしげて答えた。その回答は、ミチルには若干信じがたい内容であるらしかった。

「そういえば、何やってるんだろうな。自分でもよくわかんないや」

 絶句したミチルからの返答には、そのあと13秒ほどの間を必要とした。沈黙を埋め合わせるかのように、開け放した窓から夕暮れ時の微風が舞い込んだ。

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