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Light Years  作者: 塚原春海
伝説の夏
35/187

SQUARE

 ミチル達が通う南條科学技術工業高校がある、南條市。いちおうは政令指定都市になっているこの市の市役所から西に1.3kmの川沿いに、西公園と呼ばれる緑に囲まれた公園がある。ここでは毎年夏、2日間かけた音楽祭と、それに付随する各種出し物、出店などが恒例になっていた。ミチルたちが在籍するフュージョン部も、2年生が出演するのが伝統になっており、一学期の早い段階で市の方から参加メンバーを確認しに来る。


 西公園には半ドーム状の屋根付きステージがあり、音楽祭まで10日を切って、照明や音響の業者が忙しなく出入りして設営が進められていた。

 そこへ、黒塗りのミニバンが乗り付けてきて、微妙に搬出入の邪魔になる位置で停車した。設営現場の監督の男性が、どかすよう頼みに駆け寄ると、降りてきた人物の顔を見て立ち止まった。

「こちらがステージになります」

 そう言って車を降りてきたのは、小太りの50代、田辺市長だった。地元の特産品の食レポだけは定評がある人物である。

 その市長に案内されて、ブランデー色のサングラスをかけ、細身のパンツスタイルにウェーブヘアをなびかせた女性が降り立った。後からはマネージャーらしきスーツの男性も降りてきた。

「ふうん、広さはあるのね」

 サングラスをずらしてステージを一瞥すると、女性は客席側を見渡した。

「PAはちゃんとしてるのよね」

「それはもう。ね、君、そうだろう」

 市長は、設営監督に大げさな様子で確認した。この女性は音楽祭のフィナーレを飾る2日目ラストのゲスト、ジャズボーカリストの木吉レミ氏46歳だった。国内外で様々に活躍する実績を持ち、今回、市としては清水の舞台からバンジージャンプする思いで出捐を打診したところ、だいぶ渋い顔を向けられつつ"快諾"してもらえたそうである。

「ええ、はい。機材の搬入は明日、音出し確認は明後日以降を予定してますので、そのあたりに来てくれれば実際に確認していただけたんですがね」

 設営監督は、若干の作り笑いを向けて説明する。要するに、遠回しに"なんでこの忙しい最中に来た"と言っているのだが、それが市長と木吉氏の両名に通じたかはわからない。

 やがて、木吉レミ氏の少々尊大な自分語りに市長が愛想を振りまく様子に、資材搬入を妨げられた作業員が十数分付き合わされたあと、黒塗りのミニバンはようやく出て行った。



 音楽祭に向けてミチルから、暫定の選曲候補が各メンバーに送られたのは、夏休み2日目の午前11時すぎだった。その日はやや気圧が低く、いまにも降りそうな重い雲が空を覆っていた。

「とりあえず、この間のストリートライブでやった曲から選んでみたんだけどさ」

 ミチルの自室のノートPCが、マヤとオンラインで繋がっている。マヤはスマホに送られたリストを見て小さく頷いた。

「ま、あくまで叩き台だからさ。これやりたい、とかって曲があったら、みんなで自由に提案してよ」

『うん。けど、時間的に考えると、一度やってる曲から決めるのは無難かもね』

 ディスプレイの向こうのマヤは、いつものお団子を解いてポニーテールにまとめている。これもこれで可愛いなと思いながら、ミチルも頷いた。

「機材は、前日に竹内先生がトラック借りてくるって言ってたから、その日のうちに運び込む事になるね」

『つまりその日を除くと、練習にあてられる日は…』

「ちょっと待って、いま確認する。えっとね、28日はクレハが家の用事でダメ。31日は私が出られない。ほかは今のところ特になし」

『そうなると、正味5日か』

 それだけあれば、たかが数曲何の問題もない。ストリートライブで自発的に大変な思いをした今となっては、だいぶ彼女たちの気持ちも大きくなっていた。すでにやった曲を復習して、ステージでそれをくりかえすだけである。何事もなければ、だが。

「まあ、演奏よりも私は衣装とMCの方が不安だけどね」

 それはミチルの全くの本心だった。いまさら演奏など何でもない。あの教頭先生のしかめっ面を真正面に見据えながらサックスを演奏しきった今、たかだか千人かそこらの観客を前にしても、何一つ緊張しない自信がある。

 むしろ、何でもなさそうな衣装決めが、実際に考えるとけっこうな難題である。いっそ学校の制服で出ようかという誰かの冗談が、それも最適解ではないか、と思えてきた。

「マヤ、なに着て出るつもり?」

『うーん…ふつうのブラウスとパンツとか』

「ほら、そうなるでしょ。それを全員が選択したら、どうなる?」

『…なるほど』

 ミチルの指摘に、マヤは唸った。全員がブラウスかTシャツに、スラックスかジーンズなど「ふつうの選択」をしたらどうなるか。

『70年代のフォークミュージシャンみたいな事になるな』

 全員似たような格好。そうなるくらいなら、ジュナに変な日本語の面白Tシャツを着せておくほうがまだマシだ。

「全員の衣装をトータルで考える必要がある。それも、予算をかけず」

『いよいよやってる事がプロじみてきたな』

「だからさ、練習の時に各自いろいろ着たいもの持って来て、衣装決めしようよ。この人はこういう路線、みたいな」

 ミチルと参謀マヤのオンライン会議は、マヤの背後から『お昼だよー』という声が入ったところで、いったんお開きになった。聞き覚えがある。たぶん大学に通うお姉さんだ。


 ミチルは、スマホに入っている各メンバーからの選曲への意見に目を通しながら、ルーズリーフにリストの絞り込みを行っていった。


 ストリート・ライフ/クルセイダーズ

 トワイライト・イン・アッパー・ウエスト/T-SQUARE

 Candy/キャンディ・ダルファー

 夜明けのビーナス//T-SQUARE

 MEGALITH//T-SQUARE………


「…うーん」

 ミチルは、チェアーに背をもたれさせて考え込んだ。

「スクェアが多過ぎるな」

 あまり偏るのもどうか、とミチルは思う。が、何だかんだでスクェアのフュージョン――アーティスト自身は「ポップ・インストゥルメンタル」と呼ぶ音楽は、やはり場を盛り上げるのに最適なのだ。だからこそ、メンバーの激しい入れ替わりを経てなお長年、不動の座を占めている。

 家族が出払っている中、自分の昼食のラーメンを茹でながら、ミチルは考えた。メンバー全員が、スクェアを少なくとも1曲以上は提案している。事実上ミチル達は「ガールズ・スクェア」と言っていいくらい、演奏する比率も高い。

 ミチル個人としてはキャンディ・ダルファーもやりたいのだが、いかんせん4曲という制約がある以上、入れられるのはせいぜい1曲だろう。各アーティストから1曲ずつ、というのが無難だろうか、とミチルはラーメンをすすりながら考えた。


 食後のアイスクリームをほじくりながら、ミチルはジュナに選曲の件で相談してみた。どうも、メンバー全員スクェアに偏っている。どうすればいいだろう。すると、ジュナの回答はレスポールを割ったように明快だった。

『だったらスクェアだけやりゃいいじゃん』

 ミチルは一瞬呆気に取られて、スプーンの上のバニラアイスをベッドに落としかけた。

『いちいちバランス取ろうとしたら、スクェアからマイルス・デイヴィスまで全部考慮しなきゃいけないだろ。結局どっかで切り捨てるものが出て来る。それならひとつのアーティストに絞る方が、潔くてわかりやすいとあたしは思うよ。スクェアは、あたし達全員に共通する要素でもあるし』

 それは、ミチルを開眼させるものだった。

「ジュナの言や良し!予は考えすぎた」

『なんか取り憑かれてね?』

 ミチルが誰に憑依されたのかはともかく、ジュナの進言によってミチルの迷いは吹っ切れて、セットリストの大枠は決まったのだった。



 ジャズボーカリスト木吉レミ氏は、市民音楽祭に先立って3日後に市内でのコンサートも予定しているため、駅に隣接したグランドホテルに宿泊が決まっていた。今日明日はひとまずゆっくりして、その後は雑誌のインタビューやTV出演などが控えている。

 今後の予定をホテルのラウンジカフェでマネージャーと確認したあと、木吉レミは音楽祭の出演者リストに何気なく目を通した。

「フュージョン部?」

 木吉レミは、自分の前に出演する予定となっている"南條科学技術工業高校フュージョン部"なる名前を、おかしそうに見た。

「私の前座が高校生のお嬢ちゃんとは、なかなか面白いわね。しかもフュージョンですって」

「レミさんのいい引き立て役になるでしょう」

「意地の悪い事を言ってはダメよ」

 笑いながら、木吉レミはフュージョン部の"お嬢ちゃん"達の名前を見た。大原ミチル、折登谷ジュナ、金木犀マヤ、千住クレハ、工藤マーコ。若い子達に、プロの仕事がどんなものなのか教えてやるのもベテランの仕事ね、と思いながら。



 その"お嬢ちゃん"達だったが、衣装の問題について、まったく意外な人物からアドバイスがあった。突然ミチルに送られてきたそれは、ドラムスのマーコからのものだった。

『みんなの衣装考えてみた。こういう感じでどうかな』

 それは、妙に達者な衣装コーディネートのスケッチだった。線の一本一本は雑だが、下手なのではなく”絵が上手い人間が描いた雑な絵”というやつだ。驚くのは、見ただけでどれが誰を指しているのか、わかる点である。漫画でいうところの、描き分けができている。ミチルはちょっとカジノのディーラー風のパンツスタイル。ジュナはあまり下品になりすぎない程度の、ホットパンツにシューズのいわゆるアメカジ風。マヤはちょっと80年代っぽい、ペンシルスカートにビッグシルエットのブラウスをインしてボウタイを下げたもの。クレハはスリムタイプのパンツに、ノースリーブのシャツをリボンベルトで巻いたスタイル。マーコ自身はTシャツにハーフパンツとシンプルである。感心しながらミチルは思い出した。

「あいつ、変なラクガキはたまに描いてると思ってたけど、絵を描くこと自体が上手かったんだな」

 昨今、ジュナの口調が伝染しかけているミチルである。しかし、マーコは絵が上手いだけではないらしい。ファッションセンスがこれほど優れているとは、考えもしなかった。今まで謎だったマーコの生態の一部が解明された気がする。

 ミチルは、さっそくそのスケッチ画像をメンバー全員に回した。真っ先に返って来たのはマヤである。

『ホントにマーコが描いたの?』

 疑ってどうする。

『いいんじゃない。そっくりそのまま、絵のとおりのは揃えられないかも知れないけど。明日の練習の時、衣装もこの線で試してみよう』

 参謀の意見はだいたいそのまま通るのだが、今回もミチルはその流れでOKした。一説には、フュージョン部の決裁の8割は参謀総長マヤによるのではないか、と言われている。

 その日の午後、ミチルはマーコを少しだけ見倣って、面倒な宿題を少しだけ片付けた。


 翌朝、夏休み3日目。フュージョン部の2年生は市民音楽祭に向けてのリハーサルのため、3日ぶりの部室集合である。どういうわけか、通常の出校日と同様に、マーコ以外の4人は電車内で合流した。学校に着くと、もう音楽室からは吹奏楽部の練習の音が聴こえてくる。

「あちらさんも、コンクールに向けて追い込みだな」

 ジュナは複雑な表情でその音色を聴いていた。吹奏楽部とは、主にミチルがらみではあるが、何かと因縁めいた関係にある。それでもどうにか関係は修復されつつあり、コンクールでの健闘を祈る気持ちは全員にあった。


 まず部室に入ると、とりあえず荷物を下ろしてドリンクで喉を潤した。窓も全開にして空気を入れ替える。

「おっ」

 ミチルは、薫から連絡をもらったモニタースピーカーの存在に気付いた。それまでコンポの両脇に置かれていたヤマハNS-1000Mが、演奏スペース奥のPAの場所に設置されている。

「なんだ、薫のやつ、また一人で作業してたのか」

 ジュナが呆れながら、ピカピカになった古いスピーカーに触れた。ユニット周りのホコリも丁寧に払われている。

「みんな早いなー」

 眠そうな目をこすって、マーコが現れた。

「おっ、マーコ。例のスケッチ見たぞ。お前、あんな画才あったんだな」

「あの程度のラクガキどうって事ないよ」

 そういう、上手い人間の謙遜が一番人を傷つけるのだ、という自覚がないらしいマーコは、平然と定位置に腰を下ろすと、大きな保冷ボトルの中身を喉に流し込んだ。

「はーい、ちゅうもーく」

 ミチルが、クラッシュシンバルをシャンシャンと叩いた。「うるせーよ」と毒づくジュナを無視して、話を進める。

「とりあえず、叩き台として当日のセトリを決めてみた。意見は受け付けるから、とりあえずこんな感じでどうかな」

 そう言ってミチルが提示したセットリストは、以下のような内容だった。


 1曲目:夜明けのビーナス/T-SQUARE

 2曲目:BREEZE AND YOU/THE SQUARE

 3曲目:OMENS OF LOVE/THE SQUARE

 4曲目:TWILIGHT IN UPPER WEST/THE SQUARE


 リストを見た他のメンバーの反応は様々だった。マーコは「ふーん」といった感じで、ジュナは何やらニヤニヤしている。クレハとマヤは顔を見合わせて難しい表情を見せた。

「どうかな」

「ちょっと待って、これ全部スクェアじゃない」

 マヤは当然ともいえる質問をした。ミチルは平然と「そうだよ」と答える。

「いや、昨日ジュナと相談してさ。へたに色んなアーティストから選ぶくらいなら、みんなの共通項のスクェアに絞るほうがいいんじゃないか、ってなったの」

「…なるほど」

 その説明を受けて、マヤもクレハもいくらか納得したような表情になった。クレハが訊ねる。

「微妙に選曲が渋いっていうか、ほとんどTHE SQUARE時代なのはどうして?」

「まったくの偶然」

「ゼロ年代以降の曲は考えてないのね」

「ちょっと考えたけど、テーマとしては”古きを訪ねて”何とやら、っていうあれかな。あと、4曲目はちょうど夕方にさしかかる時間帯でしょ。夕暮れっぽい曲で締め括れればきれいに終わるかな、って」

 さすがに、演奏の時間帯までは他のメンバーは考えていなかったので、素直に感心しているようだった。ミチルたちの演奏は予定どおりいけば午後5時30分くらいになる。そこから4曲やれば、終わる頃には6時近い。

「あとはまあ、余計なお世話かも知れないけど、トリの何とかっていうジャズボーカルの人に、雰囲気的に繋げやすいかなって思ったの」

「ずいぶんとお優しいこと」

 そう言いながらマヤは、少しだけ意見をはさんだ。

「”OMENS OF LOVE”はちょっと違うかな、って思う。3曲目に”BREEZE AND YOU”を持って来て、2曲目はもうちょっとパンチのある曲で盛り上げたらどうかな」

「うーん、例えば?」

「本田雅人の曲とか」

「本田とくれば…」

 ミチルとマヤは、互いに指差して同時に言った。

「MEGALITHか」

「MEGALITHだな」

「間奏大変だけど、みんなやれる?」

 すると、ジュナが愛機のレスポールを準備しながら不敵に微笑んだ。

「逆に言えば、その1曲さえ練習すればあとはどんな曲でも楽勝だろ」

「あんたのそういう発想法って、どっから来るの?」

 ミチルは笑いながら、リストに修正を加えた。

「じゃあ、これでいいかな」


 1曲目:夜明けのビーナス/T-SQUARE

 2曲目:MEGALITH/T-SQUARE

 3曲目:BREEZE AND YOU/THE SQUARE

 4曲目:TWILIGHT IN UPPER WEST/THE SQUARE


 暫定的にまとまったセットリストに、異論をはさむメンバーはいなかった。

「よし、じゃあ一回通してやってみよう」

 ミチルの合図で、全員がそれぞれのポジションで準備を始めた。この、今から始まるぞ、という雰囲気がミチルは好きだった。


 これが、のちにフュージョン部の間で”伝説の夏”と呼ばれる時間の始まりだった事を、まだこの時のミチルたちは知りようがなかった。

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