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Light Years  作者: 塚原春海
ようこそフュージョン部へ
29/187

GO FOR IT

「って、言っちゃったんだけど、薫くん」

 部室に戻るなり、ミチルは真っ先に薫にあっけらかんと言った。

「PA、なんとかなる?」

「ないものはない!」

 それは、おそらくメンバーが記憶にある限り、村治薫少年の発した中で一番音圧レベルの高いセリフだった。またも敬語が鳴りを潜め、タメ口に戻っている。こっちの方が何となく自然体だと、メンバーには思えた。

「だいいち体育館、借りられるかどうかもわかんないんでしょ」

「借りられる前提で考えよう。どのみちストリートライブができない以上、他に選択肢はない。それに、歳くった先生たちを炎天下で聴かせるわけにもいかない」

 すると、マヤが割り込んだ。

「そうね。審査すると言ってきたのは向こうである以上、向こうは審査の場所を提供する義務がある。構うことないわ、どうせ今日の放課後はライブできないんだから、機材を運んでしまいましょう」

 マヤとミチルに共通する"理屈と勢い"で話を進めるスタイルも何だろうな、と思うメンバー達だった。だが、それなりに頼もしいのも確かである。

「けど、体育館のPAじゃまともな演奏はできないぜ。文化祭でバンドやってる奴らの演奏、去年聴いたけど、場末のライブハウスよりひどいもんだ」

 ジュナの指摘に、全員が唸る。すると、マーコが手を挙げた。

「オーディオ同好会の部室に、使えるスピーカーないの?あんだけたくさん置いてあるのに」

 すると、薫が指を振って否定した。

「オーディオ用とPAは、同じスピーカーのようでいて設計が違う。細かい説明は省くけど、要するに電気的な問題で言うと、耐入力が極めて高く設定されている。長時間、大音量に耐えられるように」

 突然自信に満ちて薫が仕切り始めたので、面くらいつつもメンバーは頷いた。

「それに対応できるスピーカーは、あの部室にないっていうこと?」

 クレハの質問で長い話がストップし、薫はごくシンプルに答えた。

「数字の上では、耐えられる物もあるかも知れない、としか言えない。あくまでホームユース前提のスピーカーたちだからね。演奏中にユニットが飛ぶか、アンプの保護回路が働かないという保証はない」

 だが、そうキッパリ言ったあとで、薫は何か思い出したように天井を仰いだ。

「ちょっと待てよ。…そうだ、あれがあった」

「"あれ"?」

 メンバーが声を揃えた。校舎に戻りがてら、オーディオ同好会の部室を覗く事になった。


「すっげえ…」

 まだオーディオ同好会の部室を見ていないキリカ、アオイ、サトルの1年生組は、林立する奇怪なスピーカー群に絶句した。その半数が、自分たちの身長をはるかに上回るのだ。

 薫は、奥の壁際に押しのけられるように屹立している、縦5列の16cmフルレンジユニットがついた巨大な柱型スピーカーに手を当てた。高さは2m近い。

「これなら使える」

「PAとして?」

 ミチルが期待をこめて訊ねると、薫は少し硬い表情で頷いた。

「昔の先輩たちの置き土産。その名も"トールハンマー"だ」

 そのネーミングに、クレハとマヤのオタクコンビが反応した。


 同じ昼休み、吹奏楽部の市橋菜緒は顧問の女性教師のもとを訪れていた。清水美弥子とはまた違ったタイプの神経質さを漂わせた、ネオソバージュのボブヘアをかき上げて耳を見せる。

「菜緒、あなたからコピーしてもらった音源、聴いたわ。確かに面白い才能ね」

 顧問の教師は、スマートフォンに挿された高級感のあるイヤホンを外して菜緒を見る。

「確かに、あなたが指摘した事は、今まであまり問題として捉えていなかった。私達は、演奏する事が仕事だものね」

「はい」

「それで、わざわざあれを聴かせた理由は?」

 顧問は、菜緒の目を横目に見て言った。菜緒の表情はいたって真剣である。

「一両日中、おそらくそのテーマについて、何かを提案する生徒たちが現れると思います。先生は、審査する立場になるかと思われます」

「ふうん」

「私は、何か特定の選択を先生に要求はしません。ただ私の意見として、あの才能と技術は、私達にも有益であると考えています」

「それを伝えるために、わざわざ?」

「はい」

 菜緒は、端的にそう答えた。顧問は、しばし思案したのち、頷いた。

「わかったわ。あなたの意見は預かった」

「ありがとうございます」

「あなた、例の彼女と仲直りしたんですって?」

 唐突に、ことさら他人に言われたくない事を持ち出され、菜緒は少しむっとした。

「べつに、喧嘩していたわけではありません」

 菜緒の様子を、顧問は見て笑う。

「すました優等生のあなたが、彼女をよそに獲られて、むくれっぱなしだったわね。今でも思い出すわ」

「本題と関係ない話ならけっこうです。それでは、失礼します」

 珍しく子供っぽい表情を見せながら、用件を終えた菜緒はくるりと踵を返して職員室を後にした。


「ねえ、またクレハが面白い事言ってるわよ」

 スマホのLINEトーク画面を開きながら、フュージョン部3年のサックス担当佐々木ユメは、5時限めと6時限目の間、同じくギター担当の田宮ソウヘイに、意地悪い笑みを浮かべて近寄った。

「例の放火事件の犯人像、ですって」

「あいつも、おとなしそうな顔してわりと中身は恐ろしいよな」

「それに気付いて去年、デートに誘うのやめたんでしょ」

「は?」

 何の事ですか、とソウヘイは長めのアップバングヘアをかいた。この田宮という男は、とりあえず女子とデートまでは漕ぎつけるのだが、対して進展もせず、付き合いなどという段階まで行く前に有耶無耶になる、という事を繰り返しているのだ。それを知っているミチル達は、先輩として尊敬しつつ、その点に関しては呆れていた。

 ジュナのギターの師匠でもあるのだが、ジュナの事はほぼ男子と同義に捉えており、「弟子としては可愛いが、なぜか彼女にしたいとは思わない」のだそうだ。ちなみに、ジュナに貸し出している32フレットギターは、彼が学校の精密工作機械を勝手に使って作り上げた逸品である。

「で、犯人像って何だよ」

「要するに、受験勉強でストレスが溜まってる3年生の仕業だろう、って。ミチルたちがライブで目立ってるのが気に食わない、その腹いせだとクレハは見てる。成績は良くない。着火にアセトンかメタノールを使った可能性がある、ですって」

「アセトンとなると、都市環境科か」

 ソウヘイはそう断定した。都市環境科には環境工学という科目があり、様々な有機物、化学薬品などと都市環境との関係を学ぶ。その一環でアセトンなどの劇物を扱う事があるのだ。

「他の科でもパーツの洗浄だとかに使う事はあるけど」

「そうね。一定量を常に保管しているのは都市環境科だわ」

「だけどなあ、それに該当しそうな奴を特定できたところで、取っ捕まえて尋問するわけにも行かないだろ」

 ソウヘイの言う事はもっともである。だが、ユメはトーク画面をスライドさせて言った。

「それなんだけどね。実は明日あたり、フュージョン部の審査があるらしい」

「審査ぁ?」

「あの偏屈教頭が言い出したらしいわ」

「そこまで部費を出したくないかね。もう、同情票だけで存続できそうだ」

 ソウヘイの冗談は実のところ、真実に近いところを突いていた。フュージョン部の活動が度重なる妨害に遭っている事から、このうえ存続の可能性まで断つのは気の毒だ、という空気が教師間で出来上がりつつあるのだ。

「でも、ミチルたちはその審査を逆に利用して、何か企てているみたいよ。興味あるでしょ」

「そりゃ興味はあるけど、それと放火犯がどう関係するんだ」

「うん。クレハが言うにはね」

 ユメは、トーク画面の一行を読み上げた。

「”もしかしたら放火犯を炙り出して捕まえられるかも知れません”だって」


 

 放課後、オーディオ同好会の部室前には柔道着を着た巨漢と、ラグビーのユニフォームを着た巨漢がそれぞれ二人ずつ揃っていた。その後ろから、彼らと比較すると女子か中学生にしか見えない、村治薫少年が歩いてきた。

「ありがとう、来てくれて」

「おう」

「報酬は後日渡す。プロテインドリンクと、田中商店の鯛焼きを一つずつ」

「わかった」

 本当に高校1年生ですか、という体格の4人が揃って頷く。薫は部室に案内し、屹立する巨大スピーカーを指し示した。

「これを第二体育館のステージまで運んでほしい。一本たしか78kgくらいあるはずだ。まあ、トレーニングだと思ってやってくれ」

「あ?」

 4人は怪訝そうに顔を見合わせたあと、薫を見て「わかった」とだけ答えた。


 その第二体育館のステージには、野球のユニフォームを着た男子が数名、野球の練習では使わなさそうな機材を次々と運び込んでいた。マウントラック、ドラムセット、モニター、ベースアンプ、などなど。

「ゆっくりな。壊したら鯛焼きは無しだ」

 折登谷ジュナの無慈悲な使役は、さながら奴隷を使役した古代ローマの神殿建築であった。古代ローマで奴隷に鯛焼きの報酬があったかどうかは不明だが。

「おいミチル、こいつ雇うのはいいけど、資金はあるんだろうな。田中商店の鯛焼きだけで、もうすでに千円超えてるぞ」

 ジュナは、自分のサックスやEWIのケースを運び込むミチルを呼び止めて言った。

「任せて。竹内顧問から資金受け取ってるから。あたし達の分、残るかわからないけど」

「せめてドリンク1本分くらいは残せよ。1年生の分も」

「そん時ゃ自腹切ればいいじゃん、ドリンクの1本くらい」

 ミチルの太っ腹さにジュナは感心しつつ呆れたものだった。ちなみに後日田中商店において、焼き上がった鯛焼きを背が低い不審な女子高生が買い占めて行った、との事である。

「来たよー。みんな、ちょっと道開けてー」

 自らはケーブル類を肩にかけただけの参謀マヤが、巨大な物体の搬入作業をマーコとともに指揮していた。

「おーらい、おーらい…ストップ!手前、右に17cm寄って!ぶつけないでね!」

 自分より頭ひとつ以上の背丈の、柔道着の巨人たちに向かってマーコが容赦なく具体的な数字を投げつけた。その数値が妥当であったかは不明である。やがて体育館に搬入されてきたその長大な物体を、フュージョン部の面々も、手を休めた作業員も、単なる野次馬たちも、感嘆の思いで眺めていた。ユニットが5つも連なった巨大な柱。しかも正面からは気付かないが、奥行きも50cm以上ある。内部は徹底的に補強されてコチコチの合板の塊である。

「冷蔵庫よりは何キロか軽いはずだ。男子2人で運べないはずはない」

 後ろからツールボックスを下げた薫が現れ、自らは体力を消費する事無く悠然と言い放った。その後ろから、柔道部員に続いてラグビー部員も同じ物体を運んできた。


 それがステージ両脇に屹立した様は圧巻だった。ちなみに薫の指示で、ステージ上にはベニヤ板と、コンクリート製のドブ板が敷かれ、その上にスピーカーは設置された。

「ようし、ありがとう。明日にも報酬は渡す。ご苦労様」

「おっす」

「うっす」

「あざーす」

「おっすっす」

 言語であるか否か不明瞭な返事をして、搬入係の4人は体育館の床を鳴らして去って行った。そこへ入れ替わりに、ガラガラとワゴンを引いて白衣の女子2名が現れる。

「ロボット工学科です。フュージョン部の村治薫さんはどちらですか」

「あっ、こっちです」

 薫が手招きすると、白衣の二人は慎重にワゴンを押してきた。わずかな段差にも注意している。

「先生から特別な許可を得て借りてきました。扱いは気をつけてください」

「はい。使用後は速やかに返却します」

「絶対壊さないでください。それでは、失礼します。絶対壊さないで」

 念押ししつつ、白衣の女子は体育館を後にした。薫は、預かったワゴンに載っている高価そうな――実際に高価な測定器に触れ、「よし」と頷いた。

 その後、高校生の若さを恃みにして、フュージョン部と現・オーディオ同好会の薫による、ライブステージ設営作業が突貫工事で進められた。ドラムスの面倒な設置が済み、ようやく終わりが見えて来た段階で、ミチルが改めて薫に訊ねた。

「トールハンマー、だっけ。あれ、どういうスピーカーなの?」

「たぶん、こういう使用を想定して作られたスピーカーだね。さっきも言ったけど、インピーダンスが普通のスピーカーの3倍くらいある。フュージョン部のアンプで、とりあえず数字的には鳴らすのには問題ない」

「数字的に?」

「…何年も眠ってたスピーカーだからね。一発でまともな音は出ないと思って欲しい」

 

 その後ようやく大雑把な設置が終わり、フュージョン部は音出しの段階に漕ぎつけた。その少し前に、ほとんど事後承諾の形で、竹内顧問からは体育館の使用OKの連絡が入ったのだった。ミチルたち2年生5人はそれぞれの楽器を手にスタンバイする。1年生はステージ下で音を確認する役だった。獅子王サトルが、ワクワクしながら音が出るのを待っている。

「よーし、鳴らすよー。薫くん、オッケー?」

「いいよ。適当に音出ししてみて」

 体育館の真ん中に、測定器と何本ものマイクとともに腕組みして立っている薫に向かい、ミチル達は何の曲とも言えない、いつも音出しでやっているアドリブのセッションを鳴らした。

 音が出た瞬間、スピーカーの真っ正面にいた1年生たちは驚いて後ずさった。あまりの音の圧力に、ほとんど物理的に身体を押されたかのようだった。

「うおお!!」

「わあ!!」

 おかっぱ眼鏡のアオイと、ショートのキリカが唐突に高鳴る心臓を押さえた。その後ろで、リアナが無言で目を丸くしている。薫は測定器の数字を見ながら、極めて冷静に出て来た音を確認していた。その口元には、小さな笑みが浮かんでいる。

「ふうん。眠ってたわりには、初っ端から鳴るね」

「どう、薫くん」

 いったん演奏を止めたミチルが訊ねる。薫は、測定器のモニターに目を向けたまま言った。

「試しに一曲やってみて。波形を調べる」

「はーい」

 ステージ上でミチルたちはヒソヒソと話し合い、やがてセッションが始まった。フュージョン部定番のT-SQUARE、1988年のアルバム「YES,NO」から”GO FOR IT”。ナチュラルなサウンドで、フュージョンバンドとしての音の確認にはちょうどいい曲だ。

 薫以外の1年生たちは演奏に聴き入っていたが、薫は渋い顔をして測定器を見ていた。

「音そのものの素性はいいけど、やっぱり体育館で鳴らすのは大変だな」

 曲が終わった時、ちらほらと集まっていたオーディエンスから、パラパラと拍手が漏れた。薫は内心邪魔だなと思ったものの、むしろ音の反応を見るのにいいと判断することにした。


 そのあと、薫はステージのマウントラックに駆け寄り、イコライザーを調整した。

「もう一度、同じ曲を演奏してみて」

 ミチルに指示すると、5人は薫に頷いてスタンバイした。もう、エンジニアとアーティストである。

「それじゃ、お願いしまーす」

 薫の合図で、再び同じ曲が始まる。そして、一聴した瞬間にリアナたちも、集まっていたオーディエンスも驚きの表情を見せた。音の表情が、全く違うのだ。さっきまでの音は、力強く厚みはあったが、透明感と高音の伸びがいまひとつだった。それが今度は、フィルターでろ過した水のように、澄み切ってシャープに切れ込む音に変身したのだ。

「うん、いいね。じゃ、違う曲をお願いしまーす」

「わかったー」

 ミチル達はそのまま、音出しチェック兼即興ライブへとなだれ込んだ。PAの放火から当初はどうなるかと思われたものの、災いが転じたのかどうかはわからないが、最後はステージで演奏する事になってしまった。つい昨日まで行われていた狭いスペースでのライブが、すでに懐かしく思い起こされていた。

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