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Light Years  作者: 塚原春海
ようこそフュージョン部へ
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MONEY

 噂が広まるのは早く、速かった。一昨日のラジオ局来校のインパクトが大きかったせいで、5時限目が終わる頃にはもう多くの生徒の間で、「フュージョン部が話題づくりのためにラジオ局に金を渡した」という噂が、もはや事実であるかのような空気が出来上がっていたのだ。

 当然、それを全くデマだと理解している生徒もいる。部費の使途は学校に提出しなくてはならないのに、話題づくりのためにわざわざ帳簿に使途不明金を追加する部活など、あるわけがない。


 だが問題はフュージョン部の千住クレハが見抜いたとおり、噂が広まったという現実そのものにある。大衆とは誰かを叩いて憂さ晴らしができるなら真実が那辺にあるかなどどうでもいい生き物であって、フュージョン部を一時的にせよ白眼視する空気が醸成されれば、それで"犯人"の目的は達成されるのだ。


「犯人の目的は、フュージョン部の存続を潰すこと。その理由は私怨、この線で間違いない」

 クレハは廊下でマヤと話し込んでいた。その様子を、チラチラと生徒たちが見ている。

「私怨だとすれば、思い付く人物が二人いるわね」

「ええ。ミチルに突っかかって難癖をつけてきた、あの吹奏楽部の2年女子二人組」

 マヤは、ポニーテールとミディアムヘアの二人組の顔を思い出していた。あまり思い出したくない目つきではあるが。クレハは、深いため息を吐きつつ同意する。

「私もそう思う。けど、仮に彼女たちが流言の出どころだとして、その証拠を見つけるのは難しいわね」

「不可能ではないかも知れないけれど、時間がかかる」

「フュージョン部の部員募集タイムリミットの件を、どこからか知ったのね。その間だけ、流言が効果を発揮すればいい、と」

「悪知恵は働くってことか。いっそ、市橋菜緒先輩に持ちかけてみる?」

「それは出来ないわ」

 クレハは、マヤの案を即座に否定した。マヤは、納得しがたい表情で訊ねる。

「どうして」

「まだ憶測の段階で吹奏楽部の人間を疑う事は、吹奏楽部にとっては不名誉な事になる。…相手と同じやり方は、避けたい」

「真面目だこと」

 マヤは再び、きょう何度目かのため息をつく。そうしているうち、6時限目の開始時刻が迫ったため、二人はそれぞれの教室に戻る事にした。


 結局のところ、流言問題についてはクレハ達にできる事はなく、ミチルを欠いた4人は釈然としない気持ちのまま、部室にストリートライブの準備をするため集まる事にした。

 ところが、マヤが部室の鍵を職員室に受け取りに行ったとき、異変が起きていた。

「うん?フュージョン部なら、さっき3年生が鍵を持って行ったぞ」

 職員室の鍵ケースの近くに席がある小太りの先生が言った。

「3年生?」

 どういう事だ。廊下で2年生の4人は首を傾げた。3年生ということは、ユメ先輩か。考えても仕方ないので、ともかく部室に向かう。ジュナは、だいぶ急いで掃除などを片付けてきたのに、その自分達より早く3年生が鍵を取りに来ていた事に驚いた。

「どんだけ早いんだよ。掃除すっぽかして先回りしたってことか」

 あれこれ疑問を浮かべながら昇降口を出る。部室が近付くにつれて、人だかりができている事に気がついた。

「なんだあ?」

 ジュナは特に意味もなく、両目の上に手をかけて人だかりの向こうを見た。ちょうど、いつも自分たちがストリートライブをやっているあたりだ。

 その、人だかりの影からニュッと上方に突き出ているものに、ジュナたちはギョッとした。

「…馬だ」

 そう、馬の頭が飛び出ているのである。もちろん被り物である事はその無機質さですぐにわかった。


 ジュナたちが駆け足ぎみに部室前に急ぐと、そこにはこの状況下で、全く予想し得ない光景があった。たとえ孔明であろうと、黒田官兵衛であろうと予想できない、と断言できる。

 そこにいたのは馬のベース、ライオンのドラムス、ヤギのエレキギターの男子生徒が計3頭に、宇宙人の頭部だかなんだかよくわからない被り物のキーボードの女子、仮面舞踏会ふうの仮面とキラキラつきの赤い帽子を被ったサックスの女子、総勢5名の不審なフュージョンバンドが、ジュナ達の代わりにスタンバイしていたのである。たぶん演劇部から借りて来たのだろうが、だいぶ異様な空間が出来上がっており、否応なくオーディエンスも集まっていた。

「…先輩たち何やってんだ」

 それが3年生である事は一般生徒にもシャツ、ブラウスの学章の色ですぐにわかる。状況を考えると、頭だけ仮装したフュージョン部の3年生である事はジュナたちには一目瞭然であった。

『あー、あー。ただいまマイクのテスト中。テース、テース、ワーン、トゥー、ワーン、トゥー』

 わざとらしい。声と、唇の雰囲気でユメ先輩とバレバレである。男子3人は背丈が似通っているので区別はつかないが、楽器のパートで誰なのかはすぐわかる。

『はーい。私達、フュージョン部のストリートライブの前座を務めます、マネーロンダリングストーンズでーす。1時間くらい前に結成しましたー』

 そのバンド名に、立ち尽くすフュージョン部2年生の面々はギョッとした。マネーロンダリング、資金洗浄。巨額かどうか不明だが、地元のラジオ局に金を渡した事になっているフュージョン部の3年生が、そんなバンド名を名乗っていいのか。被り物の異様さに引き付けられて集まった生徒達も、呆気に取られていた。

 そんな空気の中、暫定ユメ先輩の仮面の女がマイクをスタンドから外して手に取った。

『えー、それじゃ聴いてください。ピンク・フロイドで"MONEY"』

 チーン、ジャラジャラジャラ。チーン、ジャラジャラジャラ。レジスターと硬貨のSEから、気だるげなロックナンバーが始まる。

「ストーンズのMONEYじゃねえのかよ!」

 思わずロックファンとして言わずにおれなかったジュナのツッコミを無視して、たぶんフュージョン部の3年生による謎の仮装バンドは、ピンク・フロイドの1973年のナンバーの演奏を始めた。仮面の女、たぶんユメ先輩のボーカルは低いトーンがとても上手いのだが、首から下げているアルトサックスはいつ出番があるのか。

 現代の高校生でピンク・フロイドを聴いた事がある人間は、だいぶ限られてきそうである。そんな空気はガン無視で長い間奏も含めて演奏を終えると、仮面の女は再びMCコーナーに突入した。女は隣のヤギのギターに話しかける。

『ねー聞いた?フュージョン部、ラジオ局にお金渡して呼んだんだって。話題づくりのために』

『まじかよフュージョン部最低だな』

『ねー。旧校舎のお下がりの骨董品みたいなコンポ、いまだに使い続けてる貧乏クラブなのに、よくそんなお金出せたよね』

 そこで、オーディエンスから笑いが起きる。だが、次の一言で突然、その場が沈黙に包まれた。

『でも部費を何に使ったか、学校にちゃんと申告しなきゃいけないのに、そんな勝手な使い方していいのかな。何て書いて申告するの?』

 一瞬笑いが置きかけて、ハッと息を飲む生徒たちが大勢いた。そう、常識的に考えるなら、部員募集の目的のために部費でラジオ局を呼ぶなど、学校が納得するはずがないのだ。どうやらその反応からして集まった生徒の多くは、フュージョン部が本当にラジオ局にお金を出した、と思い込んでいたらしい。仮面の女はさらに続けた。

『っていうか、そもそもラジオ局にいくら払ったの?』

『ヤギの俺に聞かないでくれる?ヒヒーン』

『それは馬だろ!』

 笑うところだが、笑いは起きない。そう、ラジオ局に払われたという金が具体的にいくらだったのかも、それが部費から捻出されたのかどうかも、全くわかっていないのだ。フュージョン部にヤジのひとつも飛ばすために集まったであろう生徒たちは、ほんのわずかなジョークで、自分たちが確かな情報も持たずに、流言に乗せられていた事を自覚させられた。そこに、仮面の女は決定的な一言を言った。

『そもそも、それを最初に言い出したのって、誰なのかな』

 

「参ったわね」

 クレハは、力なく笑って拍手した。

「たったひとつ学年が違うだけなのに、さすが先輩と言うほかないわ」

 注目を集めておいて、音楽でインパクトを与え、耳目を引き付けたところで流言の不完全性を指摘する。最後に、流言の出どころは誰なのか、という疑問を呈した事で、それまで流言に乗せられていた生徒たちは、自分たちを乗せたのはどこの誰なのか、と考え始めた。つまり、もはやフュージョン部が一歩も動かずとも、流言が飛び交ったのと同じ速度で、”犯人捜し”が始まることだろう。すると仮面の女は、見覚えがあるニ枚のクリアファイルを取り出した。

「あっ」

 クレハはすぐに気がついた。そう、昼休みに部室に貼られていた、何者かによるフュージョン部の糾弾ビラである。

『これ、フュージョン部の部室に貼られてたらしいんだけど、たぶん彼女たちを陥れるために誰かが貼ったんだよね』

『きれいな明朝体ですね』

『そう…いや、フォントはどうでもいいのよ!』

 ヤギの頭を仮面の女がはたくと、ようやく笑いが起きる。仮面の女は、ファイルを高く掲げて四隅のセロハンテープを指差した。

『このセロハンテープ、指紋がくっきりついてるよね。フュージョン部の誰かがこの状態で保管してたんだろうね』

『指紋フェチなの?その人』

『どういうフェチだよ!』

 またしてもヤギがしばかれ、笑いが起きる。もうお笑いで食っていけるんじゃねえのか、とジュナが突っ込んだ。

『いざとなれば、警察に持ち込んで指紋鑑定すれば、これを貼ったのが誰かわかるって事!』

『あっ、それ名探偵コナンであった!コナンが敵の指紋採ろうと仕掛けたやつ!』

『版権作品のタイトルを出すな!』

 ヤギの頭がしばかれるたび、笑いは大きくなる。すでにこの場の群衆は、フュージョン部の味方に取り込む事に成功したように見えた。そのとき、ジュナたちの背後で影がふたつ、ゆっくりとその場を移動したが、ジュナたちは気付かなかった。その影と入れ替わるタイミングで、1年生の戸田リアナが駆け足でやってきた。

「ごめんなさい、遅くなって…って、先輩たちなんでまだここにいるんですか」

「不審者にライブ会場を乗っ取られたんだよ」

 ジュナが指差した先にある光景を見て、リアナは絶句していた。それはそうだろう、と誰もが思った。その不審者の代表、仮面の女がマイクに向かって姿勢をただす。

『さて、この辺でもう一曲だけやって、フュージョン部にご登場願いますか。では聴いてください、ザ・ビートルズで"Money"』

 そこでとうとうジュナが前に飛び出し、ぞの場の全員に聴こえるように叫んだ。

「お前ら全員ストーンズに謝れ!」

 唐突に入ったツッコミに爆笑が起きる中、”マネーロンダリングストーンズ”の面々はビートルズの1963年の曲を、我関せず演奏し始めた。ジュナ達は疑惑を晴らしてくれた謎の不審者バンドに感謝しつつ、部室に入ってそれぞれ準備を開始したのだった。中では相変わらず、オーディオ同好会の薫が黙々とライブの様子を録音している。もうオーディオ同好会というより、レコーディング同好会である。


 各自準備を整えたフュージョン部2年とリアナは、マネーロンダリング・ストーンズの演奏が終わるのを脇に控えて待っていた。そうしてようやく演奏が終わると、たぶん最後のMCコーナーが始まった。

『えー、さっき結成した我々に前座をやらせてくださった、フュージョン部の皆様に感謝します』

 仮面の女がジュナ達に向かって深々とお辞儀すると、拍手が沸き起こった。ちなみに、前座をやるという話も聞いていなければ、許可した覚えもない。

『えっと、何か我々に対して言いたそうな顔してますけど、何かあればどうぞ』

 そう言ってジュナにマイクを差し向けると、ジュナはずかずかと進み出てマイクを受け取り、ギターを弾くヤギに向かって、指差しして言い放った。

『田宮だろ、お前!!』

 唐突に名指しした田宮とは、フュージョン部3年のギタリストでジュナの師匠でもある田宮先輩の事を指しているのだが、プロレス史に残る「平田だろ、お前」事件がわかる高校生など、いったいその場に何人いるのか。すると、ヤギは『俺は田宮じゃねえ』と突然逆上して被り物を脱ぎ捨ててしまう。その下から現れたのは、白いバラクラバを被った頭であり、結局誰なのかはわからなかった。バラクラバの人は、自前のグレッチのコピーモデルを持って、その場を立ち去ってしまう。すると、後ろにいたライオンと馬と宇宙人も、捨てられたヤギの被り物を回収しつつ、無言で歩き去って行った。

 後に残った仮面の女は再びマイクを取ると、オーディエンスに向かって挨拶をした。

『えー、それじゃ私これから、吹奏楽部のヘルプでサックス吹いてこないといけないので、失礼します。フュージョン部のみなさん、あとよろしくー』

 そう言うと、仮面の女は結局一度も吹かなかったサックスを下げたまま、足早にその場を走り去ってしまった。残されたフュージョン部の面々は、今度こそ呆気に取られてしまう。

「…おい」

 ジュナが全員を振り返った。

「どうすんだよ。サックスいなくなったぞ」

「知らない」

 マーコはお手上げのポーズを取った。確かにユメ先輩は、サックスの事は心配しないでそれぞれのパートを確認しておけ、と言ったはずである。だからジュナ達は、各自の担当部分をチェックしてきた。自分のパートに関しては準備OKである。

「先輩なに考えてんだ」

 そうジュナが憤りかけたところへ、アスファルトを鳴らすローファーの音が近付いてきた。


「何をボサッとしているの、あなた方。自分のポジションにつきなさい」


 その、どこか威圧的なほどに凛として美しい声色は、まったくもって意外すぎる人物のものだった。

「えっ!?」

 振り向いたジュナたち5人の目の前に立っているのは、なんと吹奏楽部の市橋菜緒その人であった。右手にはアルトサックスのケース、左手にはウインドシンセを下げている。ジュナたちのみならず、集まった生徒たちの間にもざわめきが起きる。

「まさかあなた達、ラジオ局にお金が渡ったなんていうデマに怯んでしまったんじゃないでしょうね。そんなことで、この私のサックスと合わせる事ができるの?」

 そのよく通る堂々とした声に、その場の全員がハッとさせられた。校内の有名人である吹奏楽部の市橋菜緒が、例の噂はデマだと断言してみせたのだ。この影響力は大きかった。「やっぱりデマだったんだ」というざわめきが、そこかしこから聴こえてくる。

 そしてジュナ達はといえば、てっきりユメ先輩がサックスを演奏してくれるものと思い込んでいたところに、予想もしていなかった市橋菜緒が現れた事に驚きを隠せなかった。

「せっ、先輩が吹いてくれるんですか!?」

「そうよ。何かおかしくて?」

「いや、その…吹奏楽部の練習はどうするんですか」

 ジュナの疑問はもっともである。だが、そこで5人はさっきの”仮面の女”の言葉を思い出した。彼女は、吹奏楽部にヘルプで出る、と言っていたのだ。あれは冗談でも何でもなかったらしい。だが、なぜわざわざ部活の間で、同じサックス担当者をスワップする必要があるのか。そんなフュージョン部の面々の疑問はお構いなしに、菜緒は普段ミチルが立っているポジションに立つと、サックスとEWIの準備を進めた。

「さあ、早く準備なさい!」

 ミチルとはだいぶ違うノリの、突然現れたサックス担当者に指揮されて、5人はそれぞれのポジションについたのだった。


 その頃、校舎A棟の一室で、ひそひそ話し込むふたつの影があった。

「まずいわね」

「ええ」

「まさか、あんな形で3年生が絡んでくるなんて」

 女生徒二人は、暗い室内で若干の不安を抱えつつ、苦々しい表情をしていた。

「どうする」

「ビビる必要ないわよ。何か言われても、私たちも誰かが言い出した事を聞いただけ、って言えばいい」

「あのセロテープの指紋はどうするの?間違いなく私たちの指紋よ」

「バカじゃないの。あんなもの、警察に持ち込んだって取り合うはずがない。たかが学生の悪戯に」

「…そう断言できる根拠が、どこにあるのよ」

 二人の間に、険悪さを伴った緊張と亀裂が走った、その時だった。暗い室内に、もうひとつの影が現れた。


「なるほどね」


 突如現れた招かれざる客に、二人は心臓を悪魔に鷲づかみにされたかと思った。

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