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Light Years  作者: 塚原春海
【終章】-ザ・ライトイヤーズ-
178/187

Music "No.4"

 三学期は気が付いたら終わっていた。ミチル達はライブに向けて練習、練習で、もう他の事を考える余裕がない。のちのちメンバーは、あの時きちんと授業を受けていた記憶がない、と語っている。

 練習して、練習して、ちょっと休憩して。その間に、ついにストリーミングサービス3社から、ザ・ライトイヤーズのファーストアルバム"Lightning"がリリースされた。ちょうど、桜が満開になった時期だった。


『載ってるぞ!ファーストアルバム!』

 マヤはわざわざ、サブスクにアップされたアルバムのページのスクリーンショットをミチルに送ってきた。ふだんクールなマヤも、今回ばかりは興奮しているらしい。が、そんなのを送られるまでもなく、ミチルはもう何度も何度も自分達のアルバムのページを開いては、再生しているのだった。

 ジャケット画像は打ち合わせどおり、霞ヶ浦の水面をバックに5人がジャンプしている写真が使われた。いい写真だ。レーベルの担当サマンサさん、代表のシューメイカーさんからも労いとお祝いのメッセージが届いていた。

『おめでとうございます、そしてお疲れ様でした。素晴らしいアルバムです。あなた達は約束どおりにアルバムを仕上げた。もうとっくにプロとしての一歩を踏み出した、という事よ。それを忘れないでね』

『おめでとう!素晴らしい作品だったよ。私のレーベルから、これを出せたことをとても嬉しく思う。先輩アーティスト達にも好評だ。グラミーの授賞式に着て行くドレスを、今から用意しておいた方がいいぞ!』

 スタッフと代表の温度差がすごい。まあグラミーは冗談として、実のところ、すでに再生回数は凄い事になっている。もちろん、「新人のファーストアルバムとしては」という注釈はつくが、それでも今までとは勢いが違う。

 参考までに、オープニングナンバーでありアルバムタイトル曲の"Lightning"は、リリースして半日で8千再生を超えた。まだ伸びている。最初は嬉しかったが、ミチルは少しだけ恐怖を覚えた。


『最高のアルバムだ!本当にこれが、17歳の少女達によって作られたのか!?』

『まさしく雷光だ!音楽は出尽くしたなんて世迷い言は、このアルバムを聴いてからにしてほしいね!』

『俺達はひょっとしたら、伝説が始まる瞬間に立ち会っているのかも知れない』


 なんとも、北米のレビューは大げさである。ミチルは思わず苦笑した。いくら何でも、伝説はオーバーだろう。そう思っていると、わりと身近な日本人達からのレビューが、LINEで直に届いた。

『アルバム聴きました!最高です!ライトイヤーズさんのとこで働かせてください!ローディでも靴磨きでも何でもします!オネシャス!』

 文面だけで誰だかわかる。ソウヘイ先輩だ。靴磨きはちょっと面白いので、検討しておこう。

『聴いたよ!凄いね、もう立派なミュージシャンだ。このまま続けるんだよ。あなた達なら、きっと凄いバンドになれる。その時は私達のバンドも宣伝してくださいお願いします』

 前半いい事言ってたのに、ラストで台無しにしてきたのは例によってユメ先輩だ。身も蓋もない。だが、ミチルは折に触れて先輩達のバンドを紹介しているため、実際すでに向こうも地味にリスナーは増えているらしい。プログレ・フュージョンというマイナージャンルだけに、聴く層は限られてくるだろう。


 そのあと、菜緒先輩や三奈、真悠子、竹内顧問、清水美弥子先生からもメッセージが届いた。そして。

『アルバム聴きました!なんか知らないけど凄かったです!』

 力強いまでに曖昧な書き出しの長文レビューを送ってきたのは、ジャズフェス会場に行く道中、車にはねられていた少女、市東レイネだった。後半は長いので割愛するが、なんか知らないけど凄かった。プロのライターのレビューだったら炎上ものである。そしてレビューのあと、予想外の報告があった。

『ライブにはバンドメンバー3人で行きます!』

 なに!?茨城からここまで来る気か。女子高校生としてはだいぶ気合いが入っている。ミチルは、しょぼい演奏は聴かせられないな、と気持ちを引き締めた。そして、その組んだというバンドの名前もまだ訊いていない事にミチルは気付いた。流れでさり気なく質問すると、答えはすぐに返ってきた。

『はい!私達、自称フュージョンバンド”カルボナーラ”です!』

 これはたぶん、半年くらいで名前が変わるやつだなと思いながら、ちょうどアップしたばかりだという演奏動画を再生してみた。うん、いちおう音楽にはなっている。だが、ちょっと想像していたフュージョンとは違う。EWIに打ち込みのドラム、キーボード、ギター。

「テクノポップだな」

 ミチルはボソッとつぶやいた。


 春休みに入ってからも、クレハの自宅で一室貸してもらい、練習する事になった。といってもドラムがないので、やむなくマーコは自宅の安い電子ドラムを持ち込み、ジュナ達もミニサイズの玩具じみたアンプでごまかす事になった。ミチルとマヤに至っては、簡易ミキサーから延々とケーブルを中継して、CDラジオのAUXに入れるという有り様だ。

「こんなんでも練習にはなるもんだな」

 1時間くらい演奏し続けて、クレハが淹れてくれたコーヒーで小休止しながらジュナがつぶやいた。

「明後日はスタジオでリハやるからね。みんな、どう?」

 マヤが、メンバーの顔を見渡した。全員、自信満々と不安の中間みたいな表情だ。

「とりあえず、楽曲じたいは弾けるけど」

 クレハは、まだ自信がなさそうだった。

「聴かせるためのリズム感とか、ボルテージを表現できるかどうかね。今はとにかく、楽曲をその通りに弾くのに精一杯、っていうところ」

「あたしも。ドラムは叩けるけど、”とりあえず間違えないように”っていうだけで、アップアップしてる」

 マーコも正直だ。そういうミチルはというと、

「右に同じ」

「あたし何も言ってねーよ」

 ミチルの右にいたジュナはとりあえず突っ込んできたものの、やっぱり若干自信なさげである。マヤも似たようなものだった。要するに、全員ちょっぴり自信がないという事だろう。

「ま、当然ね。初のワンマン、時間は過去最長。おまけに新曲盛り沢山ときた。緊張しない方がおかしいってもんだけど」

「でも、やるしかないよね」

 ミチルは、もう引き下がれない、という気持ちでEWIを見つめた。骨折した市東レイネの添え木に使った時の、わずかな傷が目に付いて、ジャズフェスのオーディエンスの波を思い出す。あの時は数十万、今回は350人。だが、おそらく今回の方が緊張するだろう。


 ところが、そんな当人たちの不安にある意味では拍車をかけるかのように、リリースされたファーストアルバムは、びっくりするくらいの速度で再生数が伸びて行ってしまう。アーティストのフォロー数も増えており、過去の楽曲も注目され始めた。これまでは、「新人としては」「マイナージャンルとしては」という注釈つきで、だいぶ健闘している、というイメージだった。しかし、もうそれは通用しない。いよいよ、そういう注釈抜きで注目されるフェーズに入ったようだった。

 これが一過性のものなのか、そうではないのか、それは今のミチル達にはわからない。ただひとつ普通と異なるのは、母数が桁違いということもあるが、基本的にザ・ライトイヤーズの曲にアクセスしているユーザーの地域は、北米が中心だったことだ。


 翌日、クレハの家に再び集合したメンバーは、一様にどことなく焦燥感が漂っていた。ライブ当日の心配ではない。

「…再生数、見た?」

 ミチルがボソッと訊ねると、機材を準備していたメンバーの手が止まる。

「やばくない?」

 まるでバカみたいな問いかけなのは、ミチルも自覚している。だが、感覚がマヒしてそれぐらいの言葉しか出てこないのだ。ある意味メンバーで一番落ち着いているはずのクレハも、今日ばかりは目が泳いでソワソワしていた。ほどほどの反応の方が精神的には実は気楽だったのだ、と5人は悟ってしまう。

「どうなるんだろ」

 マーコの実にシンプルな問いが、全員の気持ちを代弁していた。自分達はどうなるのか。今の生活はどうなってしまうのか。その不安がにわかに大きくなり、”平凡が一番”という大人の常套句は、あながち間違ってもいなかったのだとミチルは思った。

 そのとき思い出したのは、昨年秋にジャズフェスのステージの袖で出会った、寺岡ジョーというベテランのブルースミュージシャンとの会話だった。


『だがまあ、そうだな。君らが考えるべきなのは、失敗する事よりも、成功した時の事だな』

『…どういう意味ですか』

『言ったとおりの意味だよ。君らはひょっとしたら、いつか大きく花開くかも知れない。だが、その時が一番危険な時だ。その時、自分自身でいられるか、だな』


 成功。いまミチルたちが直面しているのは、単にアップロードした音源の再生回数が伸びている、という事にすぎない。全米ツアーを行ったわけでもないし、もちろんグラミー賞を受賞したわけでもなければ、大金を手にしたわけでもない。だが、ザ・ライトイヤーズは今、確実に以前とは段違いの反応を獲得している。SNSもフォロワー数が爆発的に増え始めた。すでに、各ポータルサイトの音楽ニュースでも取り上げられている。おなじ注目でも、昨年夏のような、一過性の話題とは明らかに違う。

「ジャズフェスで、寺岡ジョーさんに言われたよね。成功した時に、自分自身でいられるか、って」

 その言葉は、語ったミチル自身も含めて、その場の全員にのしかかった。

「まだ単に、数字が伸びたという事でしかないけれど。それでも、このリスナー数は明らかに、今までとは違う。つまり、このあと何が起きてもおかしくない、ということ。それが具体的に何かは、わからないけど」

 ミチルは、ペットボトルのミネラルウォーターをひと口飲んで喉を潤すと、みんなの顔を見た。

「みんな、いま焦ってるよね。わかる。私もそう。アルバムを一枚発表して、その直後にここまで大きな反応があるとは、思ってもみなかった」

 ミチルは、スマホのブラウザに表示された国内ニュースを見た。『ガールズフュージョンバンド”ザ・ライトイヤーズ”待望のインディー初アルバム!すでにトータル10万再生突破』とある。これももう何時間も前の記事である。コメント欄はおおむね好意的なものだった。


『今までミニアルバムとかばっかりだったから嬉しい。それと同時に、昨年から比較して明らかに演奏レベルが上がってる。一体どこまで行くんだろう』

『このバンドを真似たアイドルみたいなフュージョンバンドの子達もいるけど、やっぱり本家は格が違う!17歳でこのクオリティって、そりゃゴーストライター疑惑のデマが持ち上がっても不思議はないわ』

『可愛いだけが売りの女の子バンドかと思ってたら、騙された。本物だよ!』

『フュージョンブーム知ってるおじさんです。実は、バカにして今までちゃんと聴いていませんでした。こんな凄い子達だと知ってたら、去年のジャズフェス行ってたのに…』


 褒められる一方だと、今まで散々な目に遭って来たせいで、どう受け取ればいいのか逆に迷ってしまう。そのままストレートに受け入れればいいのだろうが、だいたい何かしらのトラブルがワンセットだった。現に今も、なぜか面識のない大学教授から妙な挑戦を受けている。

「ミチルはどういう姿勢でいるべきだと思う?」

 クレハは唐突にそう訊ねた。いつも何となくみんなに指針を示す事が多いクレハだけに、マヤ達も不安そうに見ていた。ここで、バンドリーダーがしっかりしなくては。ミチルは、ペットボトルを床にドンと置くと、背筋を伸ばして言った。

「あの場所に戻ろう」

 唐突にそう言われて、メンバーは首を傾げる。ジュナは訊ねた。

「あの場所って、どこだよ」

「部室の前の、アスファルトのスペース」

 ミチルが言うと、全員がハッと息をのんだ。

「あの場所が、今の私達の出発点だよ。あそこで色んな曲をやった事、色んな思いをした事。この先どんな事になっても、あの場所にいるつもりでやろう。部員が集まらなくて、部室でもんどり打ってた時の気持ちで」

「もんどり打ってはいねーだろ」

 ジュナは小さく笑った。

「そうだな。何とかして部活を存続させよう、って必死だった」

「ほんと、どうかしてたわよ。短時間で曲を覚えて演奏するなんて。ミチルは倒れちゃうし」

 マヤの言葉に、ミチルは耳が痛かった。あの時はみんなに心配をかけてしまった。

「でも、そうね。あの場所でやってた気持ちを思い出すと、不思議と勇気が湧いて来るわ」

「大丈夫だよ。私達は私達でいよう。ちょっと再生数が伸びたくらい、どうって事ないよ」

 あの場所に、間違いなく自分達はいた。それを忘れない限り、自分達は自分達でいられる気がする。ミチルはそう思った。

「さあ、今は目の前のライブに集中しよう!」

 ミチルが立ち上がると、ザ・ライトイヤーズは一斉に機材の準備を始めた。明日はスタジオでリハーサル、それが終われば明後日はいよいよレコ発ライブだ。2学年、本当の総決算の日がそこまで来ていた。



 そのころ、洋華大学の宮本研究室では、宮本信一郎教授がディスプレイを睨んで震えていた。目には焦りと、そして微かな怒りの色があった。

「バカな…そんな馬鹿な」

 ディスプレイに表示されているのは、ザ・ライトイヤーズのファーストアルバムの、AIによる解析結果だった。

「そんな筈はない…」

 震える手で、もう一度解析を開始させる。だが、何度やっても結果は同じだった。


 宮本教授は、エイジア・フォーミュラのプロモーション事業部あてに送られた、ザ・ライトイヤーズからのメールを傍受しており、その内容から、アルバムの1曲目に収録される楽曲がプロモーション用テーマ曲のコンペに提出される、という情報を得ていた。そこまでは正しかった。だが、その先が違っていた。

 バンドリーダーの大原ミチルという少女は、その生真面目で理知的そうな外見に反して、極めて感情的な性格だというデータを宮本は掴んでいた。そういう人間の挑戦意欲や敵意を焚き付ければ、その尖った状態の精神が、楽曲にも反映される。宮本の心理シミュレーションはそう結論を弾きだし、それが聴き手の神経に障る音階や旋律を用いるはずだ、という予測もAIによって立てられた。宮本は、その音を心理的に中和させる音域や旋律を含んだ楽曲を、AIに命じて生成させた。

 だが、リリースされたアルバムの1曲目をAIに解析させてみると、そのような神経を刺激する音は、いっさい含まれていない事がわかった。AIと宮本の予測が外れたのだ。

「…この楽曲と、AIが生成した”楽曲4号”の比較結果は」

 宮本は、音声認識を利用してAIに訊ねた。楽曲4号とは、コンペ用に宮本AIが生成した曲のことである。

『音響心理学モデルに基づいた比較では、互いの楽曲が聴き手の心理に及ぼす影響度は12.6パーセントです』

 要するに当初宮本が目論んでいた、ライトイヤーズの曲で不快感を覚えた審査員の神経を”楽曲4号”によって中和し、相対的に審査員の好感を狙うという算段は、もはや成立し得ないということだ。

「なぜ、こいつらは私の予測を、いつも超えてくるんだ!?」

 それは、無感情と言われる宮本の、誰も聞く事はない咆哮だった。

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