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Light Years  作者: 塚原春海
【終章】-ザ・ライトイヤーズ-
176/187

Emancipation

 第2部室に戻ってきたジュナ先輩は、脇目もふらずレスポールにシールドをつなぎ、さっきまでの困惑したような表情が打って変わって溌剌と、しかし険しい表情で練習を再開した。その場にいたサトルたち1年生達は、ジュナ先輩が奏で始めたフレーズに軽い驚きを覚えた。気分転換だと言って部室を出て行く前とは、まるで違う演奏である。

「このギターで本当にいいのか」

 サトルは、キリカにボソッと呟いた。キリカも多少怪訝そうな顔を見せながらも、

「先輩がいいって思ったんなら、いいんじゃないの」

 と返した。ここでジュナ先輩はクレハ先輩達がまとめた演奏の音源を再生し、いま考案したソロを間奏に合わせてみた。その瞬間に聴いていた1年生達、いつもクールな薫までもが、ハッとして目を瞠った。

 ジュナ先輩は「これだ」というような表情で、もう一度間奏を再生し、さらにフレーズを練り直してゆく。たどたどしかったリズムは正確にまとまってゆき、4回ばかり弾いた頃には、すでに完成形と思えるものになっていた。

 ある程度得心がいったのか、先輩はレスポールのシールドをはずし、自信ありげに頷いた。

「リアナ、助かった。お前のおかげでヒントが掴めた。ありがとうな!おい薫、レコーディングだ。行くぞ!」

 そう言うと、意気揚々とドアを出て行く。ペグがドアにぶつかって「わあ!」と焦りながら、先輩は薫を引き連れて第1部室に戻っていった。

「リアナ、お前何したんだ?」

 サトルが訊ねると、他のメンバーもリアナを見た。リアナを連れて校内を散策してきただけで、あのフレーズを思いついたのか。すると、リアナはキョトンとした顔で答えた。

「私はただ、クラシックギターの弾き方のポイントを教えてくれ、って言われたから教えただけ」

 その答えに、ますますメンバーは混乱した。クラシックギター?なぜ、フュージョンの間奏にクラシックギターの奏法を学ぶのか?後輩に平然と教えを請う度量も含めて、やはり先輩は只者ではない、と思う1年生だった。



 他方、自分のレコーディングが終わった千住クレハは、スマホを耳に当てて誰かと会話していた。

「…なるほどね。わかったわ、それで十分よ。ありがとう」

 通話を切ると、クレハは夕暮れの気配が近付く空に向かって、小さくため息をついた。



 部室にクレハが戻ると「レコーディング中!開けた奴は黒板に爪を立ててキイイーってやる刑に処す」と書かれた、いつもの札が下げてあった。実際にその刑を受けた人がいたのかは不明である。

 風が冷たいのでできるだけ日向に立っていると、のっそりと部長のミチルがドアを開けて札を回収した。

「あっ、クレハいたんだ!寒かったでしょ」

「ううん。サックスをダビングしてたの?」

「聞いてクレハ!完成だよ!」

 ミチルの満面の笑みがクレハに向けられた。完成とは何が完成したのか。まさか。

「最後の曲?」

「そう!私達の記念すべきファーストアルバムの、オープニングナンバー!」

 

 部室には、1年生も含めて制作に関わった全員が勢ぞろいしていた。ミチル先輩は、立ち上がって全員に晴れやかな笑顔を向ける。

「えー、私のスランプも含めてすったもんだの末、ついに全ての楽曲が完成しました!みんな本当にありがとう!」

 全員から一斉に拍手が送られる。ここしばらく、楽しくも大変な日々だった。薫は、ようやく戦いが一段落する事に正直安堵していた。

「それじゃ、たった今私とジュナがサックスとギターを入れた、出来立てのオープニングナンバー"Lightning"です!」

 ミチル先輩の指示で、マヤ先輩がスタートボタンをクリックすると、モニタースピーカーからイントロが流れた瞬間に、全員が比喩ではなく仰け反った。さあ始まるぞ、という驚くほどの高揚感に満ちたイントロ。マヤ先輩が作ったデモとはまるで違う。本番の演奏でなければ、やはり音にはならない。

 ミチル先輩のサックスは鮮烈で、攻撃的でありながらも、卑屈さは一切ない。どこまでもポジティブで、ストレートだ。ライトニング、雷鳴。その名に恥じないサウンドだった。だが、このサックスの音の運び方は、あまり聴いた事がない。まるでF1マシンがコーナーを駆けて行くような、うねり、かつ高速で切れ込むメロディーライン。いったい、どうやってこの音に辿り着いたのか。

 そう思っていると、いよいよ問題の間奏、ギターソロになった。ここで、全員があっと驚く。バックでかすかにギターのカッティングが流れるその上に、なんとクリーントーンの高速アルペジオが奏でられたのだ。しかも唐突なマイナースケール。まるで、長いグランプリレースの中盤で雨が降り、レースの流れが変わったかのような演出。そこから畳み掛けるように、ディストーションが効いたメジャートーンのソロに移行する。クリーントーンとディストーションの、二段構えのギターソロだ。

 間奏が明け、ライトイヤーズとしては控え目な転拍子が入る。8ビートから、気付かないくらい自然な4分の3拍子のピアノへ。そこから少しだけプログレっぽいベースとドラムを挟んで、再びミチル先輩のサックスに移行する。

 ラストの展開はマヤ先輩いわく、「本当に何も考えないで自然にできた」そうだ。サックスのサビが爆発し、ジュナ先輩のギターが重なる。最後はいつ終わるのかというサックスとギターのバトルのあと、全員で一斉に締め括った。フェードアウトは使わない、潔いラスト。時間は実に6分40秒近くにもなる。

 

 再生が終わったとき、全員が一瞬、あまりの完成度に我を忘れていた。リアナがパチパチと手を叩いたのに倣って、盛大な拍手の渦が、古びた部室に響きわたった。これは名曲だ。疑いもなく、薫は思った。それも、フュージョン史どころか音楽史にさえ残るだろう。これが実質、1週間もかけずに作られたなどと、誰が信じるだろうか。

 すごいアルバムになる。そんな予感に、薫は背筋がゾクゾクした。これを、自分達が作ったのだ。みんな、興奮していた。だが、薫はひとつだけ、ミチル先輩に訊きたい事があった。

「ねえ、ミチル先輩。このサックスのメロディーラインって、どうやって出来たの?ふつうのサックスとは違うよね」

 その問いに、真っ先に同調したのが同じサックス奏者のアンジェリーカだった。

「そうです。今までの曲と全然違う…実は、仮メロ吹くのが大変だったんですけど」

 アンジェリーカは、独特なメロディーラインやリズム感に苦戦していた事を、ここで白状した。するとミチル先輩は、立ち上がってジュナ先輩のレスポールのヘッドに手をかけた。

「これは、エレキギターのメロディーラインを意識して作ったの。ギターソロみたいな、うねるようなラインをアルトサックスで吹いてみよう、って。EWIの方がラクなのはわかってたけど、あえてアルトサックスで挑戦した」

「どうりで、息継ぎのタイミングが難しいと思った!」

 アンジェリーカは、少なからず動揺しているらしい。当たり前だが、エレキギターに息継ぎなどない。アルトほどの息の量は必要ないEWIでキツイと感じたというのだから、アルトサックスを使っていたら、アンジェリーカにきちんと吹けたかはわからない。それを、ミチル先輩は難なく吹き切ってみせたわけだ。これは、呼吸法のレベルの差だろう。

 エレキギターのイメージでサックスを吹く。いかにもミチル先輩らしい、エキセントリックな発想だが、現にこうして凄い曲になったのだから敬服する以外にない。

「ジュナ先輩のギターソロは?あれはリアナと練習したのが関係してるの?」

「ああ。曲全体がハイスピードでパワーがあるから、いっそ間奏でドロップDチューニングのアルペジオでも挟めば、逆にものすごいインパクトなんじゃないか、って思ったんだ」

 インパクトどころではない。パワフルなロックサウンドに突然暗めのアルペジオが入ってきたら、落差が激しく聴いている方はむしろ心臓に悪い。すると、先輩はケラケラ笑った。

「実を言うと、これはTHE ALFEEの坂崎幸之助の向こうを張りつつ、あたし独自の解釈でアレンジしたんだ。ロックサウンドのど真ん中に、いきなり静かな生ギターが入ったりする曲が当たり前にあるからな。うるさいだけがインパクトじゃないって事だ」

「その、6弦のペグのとこについてるネジみたいなの、なんか関係あるんすか」

 サトルは、ジュナのレスポールのヘッドに追加されている金属パーツを指して訊ねた。手回しのネジの頭みたいなものが、6弦の上に覆い被さっている。ジュナは意地悪い笑みを浮かべた。

「まだまだ勉強不足だな。こいつは『PITCH KEY』っていって、回すだけで一瞬で弦のチューニングを変えられるんだ。これがあれば、ステージでも演奏中にドロップDチューニングに変えられる」

「ドロップDチューニングってなんすか。リアナ、わかる?」

 まったく知らない、という顔でサトルはギター担当のリアナを見た。リアナは小さく頷く。ジュナは腕組みしてサトルを向いた。

「サトルもいちおうギタリストだしな。こんど教えてやる。ものすごく雑に言うと、低音を強調した重めのチューニング。まっ、このへんの知識量の差が、あたしと君たちの差ということだ」

 わざとらしくジュナがケラケラ笑うと、サトルは面白くなさそうな顔をした。そこで拍手を送ったのが、マヤ先輩だった。

「さすがね。だてにフュージョン部いちのロック博士じゃない」

「もっと褒めればなんか出るかもよ」

「あとでLINEでしつこく褒めちぎるよ」

「気持ち悪いわ!」

 ジュナ先輩のツッコミに、"ドラムスティックが転がっても面白い"年頃の11人はゲラゲラ笑った。ようやく笑いが収まったところで、ミチル先輩がパンパンと手を叩く。

「さあ、まだまだやる事はあるよ!マヤ、この後はどうなってる!?」

「かっこつけながら人に丸投げすんな!」


 マヤはスマホのスケジュール帳で今後の流れを確認した。

「まず最優先はレーベルに送る音源の編集。あと、ジャケット画像はどうなってる?」

 マヤが確認を求めると、キリカが勢いよく手を挙げた。

「準備できてます!あとで確認お願いします!」

「よし、そっちは任せるとして、肝心の音源だ。1曲目はコンペにも応募する事になるけど、そっちは…」

 すると、クレハが手を挙げた。

「私が手続きしておきます」

「助かる。あとはライブだけど、マグショットで3月31日午後3時オープン、3時半スタート。ワンマンだから、メンバー全員気合い入れておいてね!ちなみに黙ってたけど、電子チケットは完売しております!」

 ここで全員から拍手が起きる。初のワンマンライブのチケットが完売。客の半分くらいは名前の雰囲気からして、けっこう年配の人も多そうである。たぶん内外のジャズ・フュージョン愛好家のおじさん達だ。ちなみに不公平ではあるが、見知った人間には前もって連絡して優先的に販売した。

「例の出版社の人も来るんだよね、ミチル」

「そうだよ、レコードファイルの京野美織さん。ほんと耳ざとい!あの人にも完成したら連絡しないといけないんだ」

「インタビューあるんじゃない?もう私達の専属ライターじみてきてるもんね」

 ミチルの顔には緊張の色が浮かんでいる。いい加減取材に慣れろ。マヤは引き続き予定を確認した。

「あとは…あっそうだ!CD-R焼かないといけない!」

「それもあったか」

 口頭で確認してもキリがないので、マヤは今後のスケジュールをカレンダーに書き込んだ。事務的な作業が終わったら、今度はライブに向けての練習である。アルバムの曲はこの数日間嫌になるほど全員やったので問題ない。問題は、ここしばらく演奏していないナンバーだ。

 やる事はまだまだある。それでも音源の完成で一区切りはついた。5人並んで「アルバムレコーディング完了!」というコピー用紙を繋げた垂れ幕を掲げ、記念写真を取ってインスタ、ツイッターにアップすると、「おめでとうございます!」「Congratulations!」などなど、日本語や英語、そしてまったく読めない謎の言語の祝辞が次々に寄せられた。翻訳にかけるとおおむね「お疲れ様でした」系のコメントがほとんどである。


 ひとまずレコーディングは終わったということで、自販機からドリンクを買ってきてみんなで乾杯した。むろん、バンドの予算からの出費である。デパートのBGMのギャラがそこそこ入っており、ちょっと飲み食いするくらいはどうという事はない。が、みんなで新幹線で移動でもしたらあっという間に吹き飛ぶだろう。人気が出て来たといっても、実情はそんなものである。

「今のうちに1年のみんなに約束しておくけど、今回手伝ってくれたギャラはこれくらいを予定してる」

 マヤがスマホの電卓アプリに数字を打ってみせると、1年生たちの眼が一瞬輝いて、すぐに怪訝そうな顔になった。サトルがミチルを見る。

「大丈夫なんすか。いや、嬉しいっすけど」

「ギャラは払うよ。今まであれこれ頼んだ事を考えると、安くて申し訳ないくらい。だから、気にしないで受け取っておきなさい。それに、あんた達が思ってるよりはお金貯まってるかもよ、私達」

「そうなんすか!?」

 サトルとキリカ、アオイは目を丸くした。他の1年生3人は冷静である。

「とりあえず、1年生のみんなはギャラを受け取った時点で、今回のお仕事は終わり。ご苦労様でした。またなんかあったらお願いします」

「ありがとうございました!」

 ライトイヤーズの5人は、一斉に1年生に向かって頭を下げた。上下関係がハッキリしている部活なら、まずあり得ない光景だろう。そのあと、春風の中を久しぶりにみんなで帰路についた。もう、日増しに桜が咲いている。桜とともに完成したファーストアルバム。忘れられない思い出になりそうだった。


 その日の夜、ミチルが自宅で演奏の練習をしていると、喜ばしいニュースがLINEで送られてきた。

『私は解放された!イマンシペイション!』

 1996年のプリンスのアルバムなんか、今の高校生の誰がわかるんだ。ついこの間卒業した、佐々木ユメ先輩からのLINEである。もう文面でわかったので、ミチルも祝辞を送っておいた。

『おめでとうございます』

『おめでたい!』

『ソウヘイ先輩はどうなったんですか』

 念のため、同じ大学を受けた先輩の事も訊いておいた。すると、『実は…』という重苦しいメッセージのあと、

『あのバカも受かってました!残念!またあいつの顔見ないといけない!』

 もう浮かれてしまっている。まあ、ずっと頑張ってきたんだから、LINEで後輩に絡むくらいは大目に見てやろう。まあ丁度いいや、とミチルもここで報告することにした。

『おめでた続きで結構ですけど、実は私も報告がありまして』

『えっ!?まさかグラミー賞でも獲った!?』

 グラミー賞の発表は先月だよ。駄目だこの先輩、早く何とかしないと。っていうか、酒飲んでるんじゃないだろうな。まだ20歳までだいぶあるぞ。

『獲れればいいですけどね。ファーストアルバム、きょうレコーディングが終了しました』

『おーおー!よくやった!頑張ったね!』

 エクスクラメーションマーク多過ぎである。感慨も何もない。卒業なんてこんなものか、とミチルは抽斗にしまってあるユメ先輩のタイを見た。

『ライブは予定通り、31日にやります。全員来られるんでしたっけ?』

『みんな、引っ越しの準備放り出してでも行くって言ってるよ!』

『そっちはちゃんとやって下さい!』

 大丈夫なのかこの先輩たち。もう、長い受験勉強から解放されて、浮かれ放題のようだ。まあ、先輩が楽しそうなのはとりあえずミチルも嬉しかった。

『アルバムの配信はいつになるの?』

『音源をレーベルに送るんで、まだ数日かかりますね。ひょっとしたら、ライブ当日くらいまでかかるかも。わかったらすぐ連絡します』

『すぐ教えてね!もう宣伝しまくるから!』

『先輩は、羽目外しすぎないようにしてくださいね』

 この間送り出したばかりなのに、まるで在学中と変わらないコミュニケーションが、もう戻って来た。なんだ、お別れなんてないんじゃないか。竹内顧問の言ったとおりだ。お互いに離れない気持ちがあれば、人と人は繋がっていられるのだ。

『レコーディング手伝ってやろうと思ってたのに、もう終わってたかー』

『CD-R焼いて、ケースにジャケ写はさむ仕事ならありますよ』

『時給いくら!?』

 まずい、本気だ。先輩に内職をやらせたバンドというのも伝説としては面白そうだが、さすがに洒落にならないので、丁重にお引き取りいただいた。


 その夜、ミチルは話の流れでプリンスのアルバム"Emancipation"を聴きながら、EWIを合わせてみた。キャンディ・ダルファーも一緒に仕事をした、伝説的ミュージシャン。グラミー賞の常連だ。いつか、こんな人ぐらいのレベルまで到達できるだろうか。さすがにそれは夢か、とミチルはひとり笑った。

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