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Light Years  作者: 塚原春海
【終章】-ザ・ライトイヤーズ-
172/187

シンギュラリティ

 順調、と言い切ってしまえる自信はミチル達にはなかったが、それでもギリギリでなんとかアルバムを仕上げられる、という見込みはあった。マヤの新しいバラードナンバーも、内容的にはそれほど難しいパートはない。

 未完成だった新曲"Sarasvati"も、意外にもクレハが的確なアレンジのアイディアを出してくれて、何とも言えないエスニック感の表現に成功した。本人いわく、あるラジオドラマのサウンドトラックの曲を参考にしただけなので、あまり自慢できないらしい。ファーストネームがミチルと同じ、作曲家の大島ミチルさんの曲である。

「いいんだよ細かい事は!いい音になったんだから!」

 ジュナの一声でみんな納得し、さあ次に行こう、という事になった。できた曲はすぐにクラウド経由でレーベル側に送り、いちおうOKを確認する。もう時間はないのでほとんどが一発OKだったが、いくつかの曲はギターのディストーションを抑えてくれとか、ドラムスをもう少しジャズ調にシフトしようなど、レーベルスタッフ達の意見も参考にして、サウンドは練り上げられて行った。

 シューメイカー代表いわく、ネットで音源をやり取りして即座にトラックを差し替えるなど、アナログ作業の時代からは考えられないそうだ。ミチル達は生まれた時に光回線がもうあったので、逆にアナログ時代の想像がつかない。


 そんなこんなでアルバム制作は佳境といっていい段階まで来たが、最後の問題は依然としてあった。ミチルの曲ができていないのだ。

「マヤ」

 1時限目の授業の前、ミチルは少し深刻な顔でマヤに言った。

「あなたが用意してくれてる、"いざという時"のための曲。私がダメだったら、あれをオープニングに使おう」

 それは、マヤが準備している緊急時のための曲だった。

「ひょっとしたら、私は作れないかも知れない」

 ミチルは、正直な気持ちを打ち明けた。今、どうしても曲を作れる気がしない。無難なそれっぽい曲はいくらでも出てくるが、これだ、と言える曲ができない。マヤは優しく微笑んで頷いた。

「わかった」

「ごめん」

「でも、ミチル。まだ時間がないわけじゃない。だいぶ切羽詰まってはいるけどね」

 マヤの目は真剣だった。諦めるな、と無言で語りかけている。

「私は、あなたに1曲目を作って欲しい。このバンドをまとめ上げてきたのはミチル、あなたよ」

 その言葉は、ミチルの胸にズシンとこたえた。

「あなたならできる」

 そんな、何の根拠もない言葉を、理知的なマヤが言うのは不思議だった。今のミチルに、何ができるというのか。


 昼休み、ミチルは作曲に集中するため、また一人で別行動を取った。EWIを手にしてB棟を歩いていると、久々に聞く声に呼び止められた。

「大原さん、何やってるの。体調はもういいの?」

 そのクールかつ艶のある声は、理工科の清水美弥子先生だった。手にはノートPCを持っている。まあ、生徒がEWIを持って校舎を徘徊していれば、不審には思うだろう。

「体調はもういいんですけど。作曲のアイディアが浮かばなくて」

「歩き回ってるの?」

 先生は口元に手を当てて笑い出した。そりゃ傍目には面白いだろうけど。


「ふうん、あと1曲ね」

「なんかアイディアないですか」

「理工科のIT教師に聞かないでくれる?」

 それはその通りだ。だが、先生はヴァイオリニストでもあるのだから、期待してもいいのではないか。その時ふとミチルは、ある一件を思い出した。

「…そうだ、先生。何年も前の卒業生で、仁藤和也って人、覚えてますか」

「仁藤カズヤ?」

 突然その名を訊かれ困惑しつつ、先生はすぐに思い出したようだった。

「ああ、思い出した。うん、いたわね。どうして?」

 ミチルは若干気まずかったが、以前の模倣バンド事件の顛末を、清水先生に説明した。先生は複雑な表情を見せる。

「そう、そんな事があったのね」

「事件については、もういいんです。公式に謝罪もしてもらいましたし。ただ、ひとつだけ不思議だったんです。あの仁藤って人が、あまりにも私達の楽曲を早く模倣してきたのが」

 ミチルは思い返していた。最後に模倣されたのは、シングルの2曲だ。リリースの数日後には、見事に酷似した完璧なアレンジを作ってきた。

「それを本人に訊ねたら、あの人がいた理工科の先生に訊けばわかる、って」

「…なるほど」

 先生は、ノートPCを開いてブラウザを立ち上げてみせた。動画サイトにアクセスすると、特定のキーワードを打ち込む。

「大原さん。最近発達してる、AI作曲サービスのことはしってる?」

「AI作曲…ですか。まあ、知識としてなら知ってますけど」

「結論から言いましょう。仁藤和也は、それを専門的に研究していたの」

 その情報に、ミチルはハッとした。

「これは、今業績を上げている作曲サービスのサンプル音源。イメージをユーザーが指定すると、それに沿った楽曲を人工知能が生成してくれる」

 ブラウザからは、軽快なフュージョンが流れてきた。アレンジも音も、80年代の薄いサウンドみたいだが、音楽になっている。それこそ、トークのBGMなんかには十分だろう。

「…どういう仕組みなんですか」

「すでに用意された無数の演奏パターンのライブラリーから、プログラムが最適と思われるものをピックアップする。あとは人工知能がそれを、音楽理論に基づいて楽曲に組み立てる」

「あっ」

 ミチルは何かピンときた。まさか。

「そう。おそらく仁藤は、大学でもその研究を続けていたのよ。そして、これは私の想像になるけど、既存の楽曲をAIに学習させて、よく似たアレンジを自動生成するアルゴリズムを完成させたんじゃないかしら」

 それを聞いて、ミチルは薄ら寒い気持ちになった。つまり、あの模倣ナンバーをアレンジしたのは、人工知能だったという事なのか。AI研究も守備範囲内の清水先生は言った。

「おそらくだけど、仁藤はあなた達の楽曲をAIに解析させて、AIによる"より感性に訴えるメロディーとアレンジ"を生成させた。そんな所じゃないかしら。彼はAIに関して、生徒の中では最も豊富な知識を持っていたしね」

「でっ、でもあの演奏は間違いなく生の演奏でしたよ」

「あなた達だって、デスクトップでまとめたデモ音源をもとに生でレコーディングしてるでしょ。そのおおもとが人間の発想か、人間の発想を利用した生成AIか、という違いだけよ。もとフュージョン部の仁藤にとって、AIはデモ音源を生成してくれる自動機械、ということね」

「…そんな」

 ミチルはゾッとした。だが、仁藤本人が理工科の教員に訊けばわかる、と言ったのだ。清水先生の推測はおそらく正鵠を射ている。AIが生成したメロディー、アレンジが、ミチル達のオリジナルに匹敵する人気を獲得していた、ということだ。

「仁藤が開発したのか、それとも彼の大学のチームが開発したのかはわからないけれど。そのプログラムを用いれば、既存の楽曲と酷似していながら、厳密には異なる作品が作れてしまう、ということね」

 それはつまり、クリックひとつで何ひとつ悩む事なく、作品を生成できるということだ。作曲のストレスで腹痛を起こすなんていうのは、まるで間の抜けた話になる。

 なんとなく納得がいかないミチルに、清水先生は言った。

「ミュージシャンとしては、そんなのは受け入れ難いでしょうね。そもそも現在の生成AIというのは、既存の著作物のデータを無断で利用している、という決定的な問題がある。私だってひとりのアマチュア・ヴァイオリニストとしては、納得しがたいわ。けれど、技術は技術として、存在している事はどうにもならないのが厄介ね」

 ミュージシャンと、IT技術教師と両方の側面を持つ先生にとって、そこは複雑なのだろう。それはミチルにもわかる。著作権問題を抜きにして、AI技術そのものは高度な技術なのは間違いないのだ。先生はさらに言った。

「例えばの話よ。もし今後AIが発達して、どんな人が聴いても、感動できる音楽を作るようになったとしたら、どうする?」

「そっ…そんな事が」

「そんな時代が来ないと、断言できる?そんなものはあり得ない、というものを、科学は実現してしまうの。良し悪しは抜きにして」

 ミチルは今まで、そんなふうに考えた事はない。もし、人工知能による音楽が人間のそれを上回った時、ミュージシャンに存在意義はあるのか。考えもしなかった疑念が、ミチルの中で大きくなるのを感じた。

「もっとも、来年や再来年にそこまでの飛躍があるとも思えないけれどね。生成AIには著作権侵害の問題もあるし。ただし、それを研究している人間も確かにいるし、世間は著作権なんてものに関心を持たないでしょう。シンギュラリティが起きないよう、祈るのね」


 シンギュラリティ。技術的特異点、などと呼ばれる。大雑把に言うなら、人工知能が人間のそれに匹敵し、やがて凌駕する可能性だ。これが提唱されたのは最近の話ではない。19世紀にはすでに複数の学者によって考えられてきた。ミチルはそういう考え方について書かれた本を読んだ事はあるが、実のところ大して関心はなかった。

 今のミチルにとって目下の問題は、シンギュラリティなどではなく、ただひとつの楽曲を完成させる事だ。特異点でもなんでも勝手に到達していればいい。それがいくらか悩ましい問題だったとしても、それが直接的な問題として目の前に現れるなどとは、考えもしなかった。



 ミチルは、清水先生による推測をクレハにも伝えたが、クレハはそれなりに驚いてはいたものの、「なるほどね」とだけ言って、それきり関心を示さなかった。彼女の中では、もう終わった話なのだろう。


 アルバムはもう、完成が目前に迫っていた。あとは、初期のナンバー3曲のリアレンジに、ミチルとマヤがサックス、EWIとキーボードを入れれば、予定の11曲のうち、10曲がとりあえず揃う。もう春休みまでわずかという時だったが、ステージで何度もやっている曲であり、その日のうちに終わらせる事もできる。

 だが、まったく想像もしなかった報せがザ・ライトイヤーズに届いたのは、その日の放課後だった。バンドの公式サイトのメールフォームを通じて、一通の問い合わせがあった。この切羽詰まった時に何だ、と思いながら確認すると、それは少しばかり驚きの内容だった。



『拝啓 ザ・ライトイヤーズ様


 来春を目途に日本国内でスタートを計画しているフォーミュラカーのレースカテゴリー、”エイジアフォーミュラ”運営のプロモーション事業本部長、豊橋と申します。皆様の日々のご活躍、注目しております。


 さて、お忙しいところ恐縮ですが、このたび当事業部では、プロモーション及びレースのTV中継に使用されるテーマ曲を検討しております。そこで、ザ・ライトイヤーズ様にも急きょご参加願えないかとの声が事業部内であったため、もし相応しい楽曲があれば、デモで構いませんのでお送りいただけないでしょうか。


 なにぶん締め切りまで時間がありませんので、お断りいただいても構いません。もしコンペ参加をご希望であれば、ご返信をいただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。


 エイジアフォーミュラ・プロモーション事業本部 部長 豊橋直久』



 メールの下部には、デモ音源のアップロード方法などについての説明があった。締め切りは奇しくも、アルバム完成予定期日の前日である。つまり目前だ。

「ちょっとこれは無理ね。土壇場すぎる」

 マヤは少し残念そうに肩をすくめた。本当にギリギリなので、事業部内でも突然提案されたのだろう。いちおう、あまり早く返信しても失礼なので、少しだけ間を置いて断りのメールを送る、ということになり、ミチルとマヤはすぐに制作途中の曲のレコーディングを仕上げる事にした。


 慣れている曲だけあって、レコーディングは驚くほど問題なく終了した。この時点で、もう10曲が揃った事になる。もう、このままアルバムとしてリリースしても、ファンとしては納得してくれるだろう。

 だが、まだバンドとして納得ができない。アルバムタイトルの曲がない状況では、リリースはできない。もう最悪、遅らせる事もあり得る、という気持ちになっていた。


 だが、レコーディングが終わってメールの返信を送ろうとクレハがメールアプリを立ち上げた時、またどこからかの問い合わせがあるのに気付いた。その送信元の名前を、クレハは訝った。

「…なにこれ」

 クレハは、怪訝そうにそのメールをミチルに見せた。その内容に、ミチルは驚いて目を丸くした。

「これ…!」

 そのミチルの反応に、他のメンバーもウインドウを覗き込む。



『拝啓 ザ・ライトイヤーズ様


 日々のご活躍、皆様にはご健勝のこととお慶び申し上げます。洋華大学情報科学科、宮本信一郎と申します。


 我々は今回、新設されるフォーミュラカーのレースカテゴリー、エイジア・フォーミュラのテーマ曲コンペに参加を決定しました。


 私が主導する宮本研究室では、AIによる映像、画像、音声、テキストの生成について長年研究して参りました。その中の研究テーマである、”AIによる音楽の生成”の技術をもって、参加させていただいております。AIという革新的な技術による音楽によるチャレンジです。


 人工知能が人間の創造力を超える日は、そう遠くないでしょう。ザ・ライトイヤーズという稀代の才能と競合できれば、研究者として喜ばしい限りです。コンペ参加を楽しみにしております。


 洋華大学情報科学科 宮本ラボ代表・宮本信一郎 

 研究員 清田邦和・仁藤和也・八幡絵里奈・新堂麻奈美』



「なんなんだ、こいつは」

 ジュナは、露骨に眉をひそめた。なぜ、こちらがコンペの誘いを受けた事を、この大学のラボの人間は知っているのか。だがそれよりも、クレハとミチルはひとつの名前に目が釘付けになっていた。

「…クレハ」

「ええ」

「どういうこと。仁藤和也…あの卒業生の名前が、なぜ」

 そう、メールにわざわざ付け加えられた研究員の名前の中に、以前の模倣バンド騒動でその名を知った元フュージョン部の卒業生、仁藤和也の名があるのだ。ミチルはなぜなのか、と訝った。だが、クレハはその名前を見た瞬間、全てを理解したらしかった。

「ミチル。どうやら私達は少し勘違いをしていたようね」

「え?」

「清水美弥子先生は、あの模倣音源がAIによるものだと見抜いた。けれど、考えてみたら、そんな高度なプログラムを一人の学生だけで作れるわけがない」

 クレハは、メールの一人の名前を指差した。

「私達の楽曲を解析したAI。その基礎を作り上げたのは、この人物よ」

「宮本っていう、このラボの代表!?」

「そう。そしておそらく、仁藤に指示を出したのも彼。ライトイヤーズの楽曲を上回るものを作って、私達に挑戦するために、私達に対してコンプレックスを抱いている仁藤を利用したのよ」

「何のために?どうして私達を?」

 ミチルは、理解ができなかった。なぜAIの研究者が、ライトイヤーズをまるで目の敵のように捉えるのか。

「それはわからないわ。けれど、このメールを見て。”ザ・ライトイヤーズという稀代の才能と競合できれば……”とある。私達はこの宮本という人物にとって、挑戦する対象になっているらしいわね。まして、模倣のからくりを見抜かれて、私達に一本取られた状況でもあるわけでしょう」

「何それ。つまり、コンペで私達に勝つのが目的ってこと?」

「そう。つまり私達が参加を辞退すれば、向こうの不戦勝ということになるわね」

 何気ない一言だったのかも知れない。だが、そのクレハの一言が、ミチルの中の何かに火をつけた。それに気付かず、クレハは続けた。

「逆に私達の曲がコンペで採用されれば、AIに人間が勝つ、という実績になる。もっとも、そんなのにことさら参加する必要もないとは思うけど。辞退して向こうが勝手に勝ち誇ったところで、私達は何も困らないし……」

 そこまで言って、クレハはミチルの表情を覗き込んだ。

「……ミチル?」

「やってやろうじゃない」

 ミチルは、憤りとも笑みともつかない表情を浮かべて、右の拳をぎゅっと握った。

「面白いわ。プログラムに作らせた曲が、人間の曲に勝てるかどうか」

 全身に、闘争心が満ちてゆくのがわかる。ミチルは、自分が案外闘争的な性格なのだと、このとき自覚した。もう、悩んでいる場合ではない。ミチルは立ち上がって、ひとつの宣言をした。

「私がこれから作るアルバムのオープニング曲、それをコンペに出す。明日までにメロディーを決めて来るから、みんな、力を貸して。提出するのはデモじゃない、完成版だ!」

 ミチルの目に生気が宿るのを、バンドメンバー全員が見た。

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