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Light Years  作者: 塚原春海
【終章】-ザ・ライトイヤーズ-
171/187

Blazing Horizon

 卒業式が終わってしばらくは、ザ・ライトイヤーズおよびそのサポートであるフュージョン部1年生にとっては、順調さと多忙さ、そしていくらかの混乱を伴う日々だった。

「ちょっと、これどっちがミチル先輩のサックスなんだっけ」

 ミチル達のもとに駆け込んできた薫が、ノートPCのDAWアプリのウインドウを示して訊ねた。何曲も平行して作業しているうち、トラックの分類整理が混乱してしまい、アンジェリーカが仮に入れたサックスと、ミチルが入れた本番のサックスの区別がつかなくなってしまったのだ。

「そんなの、聴けばわかるだろ」

「じゃあ聴いてみてよ」

 先輩にタメ口全開の薫は、2つあるサックスの音源を切り替えて、それぞれミチル達に聴かせた。当のミチルを含めて、「うーん」と首をひねる有り様だった。

「ミチル、どっちだよ」

「うーん」

「吹いた本人がわかんねーのかよ」

 ジュナが、ギターのストラップでミチルの後頭部をパシンとはたく。ミチルは眉間にシワを寄せてマヤの方を向いた。

「アンジェリーカがだんだん上手くなってきて、曲によっては私と区別つかなくなってるんだ」

「いい事なんだか悪い事なんだか」

 マヤが、呆れたように注意深く音源を聴き分けると、すぐ決断を下した。

「いま再生してる方がミチル」

「なんでわかるの!?」

「今まであんたのサックスをどれだけアレンジしてきたと思ってるの。こっちの方が、タンギングがわずかに安定してる。まあ、アンジェリーカが確かに上手くなってきたから、区別がつきにくいのはわかるけど」

 そう言うと、マヤは薫を見てニヤリと笑った。

「まだまだね、薫」

 薫は少し憮然としてパソコンを手元に引き寄せ、区別がつくようトラック名をわかりやすく書き直した。

「アンジェリーカに、仮トラックは全部EWIで吹いてもらうよう言っておいて。今回のアルバム、ほとんどはアルトだから区別がつきやすい」

「わかった」

「ミキシングはどこまで進んでるの?」

「とりあえず、5曲はもう完成目前ってところ」

 薫の報告を聞いて、マヤは腕組みして考えた。マヤは事実上ディレクター担当であり、自らキーボードを演奏しつつも、制作を取り仕切っていた。

「ミックスとマスタリングはレーベル任せでもいいと思うけど、どうする?薫」

「ひとまず僕も参考までに、マスタリング済みデータは用意しておくよ。僕のミキシングが通用するか、試してみたい」

 その薫の反応に、ミチル達は軽い驚きを隠せなかった。薫はどこか飄々としていて、明確な意志らしいものを見せる事は少ない。だが、今はハッキリと自分の意志を示してみせた。自分の音響のセンスが、プロに受け入れられるかどうか、と。

 その薫の気持ちに鼓舞されたのか、ミチル達もやってやるぞ、という気持ちになっていた。例によってギリギリのスケジュールではあるが、このペースなら間に合う。ただし、あるふたつの課題さえクリアできれば。


 その夜、金木犀マヤは3曲に絞った新曲のデモ音源をクラウドに上げて、メンバーおよび1年生全員に投票をさせるためLINEで連絡した。自信があるのが1曲、そこそこなのが1曲、これはどうなのか、というのが1曲。A、B、Cのラベルを貼るなら、Aが選ばれる自信がある。翌朝までにはたぶん投票結果が出ているはずだ。

 自分の作品も不安ではあるが、ミチルの作品も大丈夫だろうか。今まで作ったきたデモは、お世辞にも使えるレベルではない。聴かせるミチル自身の目に生気がなかった。ここにきて、ミチルはスランプに陥っているようだ。最悪、自分が作る必要もあるかも知れない、とマヤは考えていた。ミチルを責めるつもりはない。リーダーはここまで、本当に頑張ってくれた。ミチルなくして今の自分達はなかったのだ。

 だが、とマヤは思う。

「あんたならやってくれるよね、ミチル」

 マヤは、小さく呟いた。そうだ、最後の1曲はミチルがきっちり作ってくれる。ザ・ライトイヤーズのファースト・フルアルバムの、オープニングを飾る最高のナンバーを。そう信じて、マヤは自分のトラックの録音を進めた。少しずつ、アルバムは完成に近づいている。ジュナ、マーコ、クレハが入れてくれたトラックに合わせ、マヤは心をこめて鍵盤を叩いた。



 翌日、ミチルは授業も上の空になりかけ、そのたびに自分を戒めた。理由はたったひとつ。最後の1曲がどうしても出来ないのだ。なぜだ、とミチルは自分に問いかけた。どうして、ただの1曲が作れないのか。

 昼休みも、ミチルはレコーディングを進めつつ、メロディーの構築に集中した。周りのメンバーがなんとなく、気を遣ってくれるのが辛い。これがベテランのプロであれば、必要なメロディーをすぐに生み出せるのだろうか。考えてみれば、ミュージシャンというのは凄い仕事だ。感性の産物である音楽を、業務として作るのだ。あるいは小説家、漫画家も同じかも知れないが、情感に訴えるものを仕事として生み出すというのは、ある意味ではとてつもない矛盾である。

 

 同じクラスのマヤとも、今日は会話らしい会話をしていない。アルバムは1年生の協力もあって、着実に完成に近づいている。それなのに、自分に任された楽曲が出来上がらないのは、ものすごいプレッシャーだった。そして、そのプレッシャーがついに、極大値に達した。

「先生、大原さんが苦しそうなので保健室に連れて行きます!」

 突然、左となりの席の女子が、そう言ってミチルの背中に手を添えた。ミチル自身も気付かなかった。いつの間にかミチルは、腹部を押さえて机に伏していたのだ。窓際にいたマヤが立ち上がり、その女子に代わってミチルを立たせてくれた。



 保健室のベッドでミチルは、情けなく天井を仰いでいた。腹痛は突発的なもので、病院に行く必要はないかも知れないが、一応行っておきなさいと養護教諭の先生に言われて、結局その日は早退して病院に行った。メンバーには、LINEでしつこいくらい謝った。こんな大事な時に身体を壊してごめんなさい、情けないリーダーでごめんなさい、と。

 だが、みんなの反応はミチルの予想と少し違った。

『ミチル、ごめんな。あたしがもっと作曲できれば、お前たちにばっかり世話かけないで済むのにな。とりあえず、何も心配しないで休め。マヤの計算だと今のペースなら、今日明日お前が休んでも、アルバム制作に支障はない。1年生のサポートもあるからな』

 ジュナが、みんなを代表してそうメッセージを送ってくれた。何件ものメッセージを読ませるのは負担になる、と考えたのだろう。ほんとにみんな、いい友達だ。病室の天井を見上げる視界が、涙でにじんだ。

『悪いけど、お見舞いには行けない。お前なら、きっとレコーディングを進めてくれと言うだろうしな。お前がサックスを入れればいいだけの状態に仕上げておく。きっちり治して、戻ってこい』

 戻ってこい。ジュナはそう言ってくれた。必要とされる事が、今のミチルには嬉しかった。


 医者の診断では、特に所見はないとの事だった。ストレスによる神経性の腹痛だが、胃炎などの症状は認められないらしい。仕事帰りに父親が迎えに来てくれた。

「君は自分がやりたい事になると、命がけだなあ」

 心配するでもなく、ハンドルを握る父の渡は笑った。

「それだけ、音楽に対して真剣だって事なんだな」

「ごめん。心配かけて」

「そうだな。ときどき、心配にはなるけれど」

 赤信号で停車すると、目の前を同じ年頃の女子高校生が数名、笑いながら横断していった。アルバム制作などしていなかったら、あんなふうに無邪気に帰路についていたのだろう。

「なあミチル。以前、音楽の学校に通う事を相談しただろう」

 父は、何か月か前にそれとなくミチルが切り出した話を、まだ覚えていてくれた。高校を出たら、音楽理論を学ぶために学校に行く、という選択についてだ。その時両親は、ひとつの道としてはあるかも知れないね、みたいな一般論的な反応で終わった。

「その意志は、君にはまだあるかい。いや、君たち、と言ったほうがいいだろうか」

 再び、車は走り出した。

「腹痛のあとに言う話ではないかも知れない。けれど、ミチル。自分の気持ちを定めない限り、君はまた同じストレスと戦う事になるよ」

 その言葉はなんだか、ミチルの胸に重く響くと同時に、妙な清々しさを覚えた。

「けれど、これは僕や、母さんにも責任がある。気持ちを定めていないのは、君たちだけじゃない。周りの僕らが、君たちが出した結論から逃げ続けていた。だから、まずその責任を果たす事にしよう」

 車は陸橋に乗り、眼下に夕暮れの街並みが広がった。きれいだ。こんなふうに、父と車で語らうのは、いつ以来だろう。車の中の会話というのは、なぜかとても心に残るものだ。父は、ヘッドライトが照らす道を見据えたまま言った。

「母さんと話したんだ。ミチルが音楽の道に進むのであれば、それを僕達も受け入れる。音楽の学校に行きたいのであれば、行ってもいい」

「…本当?」

「ああ、そうだ。ただし、条件はあるよ」

 条件。そう語る父の横顔は真剣だった。

「君たち5人、全員が同じ気持ちである事だ。僕たちが見たところ、君たちは5人揃ってはじめてミュージシャンとして活動できている。つまり、ザ・ライトイヤーズが存続すること。それが、僕達が”融資”する条件だよ」

「…ちょっと待って、お父さんが言ってる、僕達っていうのは」

 ミチルは、父の言葉の表現に妙な違和感を覚えた。父が言っている”僕達”というのは、誰と誰の事を指しているのだろう。ミチルの疑問を察して、父は答えてくれた。

「そうだ。隠すつもりはない。ジュナちゃん達、バンドメンバー全員の親御さん達と、実は話し合ったんだ。話し合わないはずがない、君たちはすでにプロの端くれとして活動してるんだからね。互いの親御さん達がどんな考えでいるのか、確認しておきたかった」

「そっ、それで」

 ミチルは、急き立てるように訊ねた。他のみんなの親は、どう考えているのか。父は笑った。

「正直に言おう。当初は、金木犀さんと工藤さんのご両親が、反対されていた」

 マヤとマーコの両親だ。つまり、ジュナとクレハのところはOKだったのか。

「当然だろうね。音楽の道で、将来は大丈夫なのか。ふつうの親ならそう考える。というより、僕と母さんだって、そういう考えがないと言えばウソになる」

 それは、しごく当然の反応だとミチルも思う。子供が音楽の道を選ぶなどと言えば、そんな馬鹿な事は考えないで普通の仕事に就いて欲しい、と考えるだろう。だが、と父は言った。

「ミチル。今の君たちがミュージシャンとして続けて行くのと、”普通の仕事”とやらに就くために音楽をやめるのと、どっちが将来性があると思う?」

 そう問われて、ミチルは答えに窮した。将来性。そんなふうに具体的に考える事はあまりない。というより、考えることから逃げて来た。

「…わかんない」

 ミチルには、そう答えるのが精いっぱいだった。父は笑って言った。

「じゃあ僕の考えを言おう。君たちの音楽には将来性がある。これは父親の贔屓目ではなく、長年デザイナーをやってきた、表現者としての感想だ」

「…そうなの?」

「君たち自身はどうなんだい。自分の音楽に、自信はないのかい」

 父はあえて、意地の悪い訊き方をしてきた。だが、ミチルの答えは決まっていた。

「自信はあるよ。私達にしかできない音楽があるって、今は全員が信じてる」

「その言葉を聞きたかったんだ」

 陸橋を降りて、車は加速した。子供の頃を思い出す。陸橋を高速で降りるのが、まるでミチルにはジェットコースターのように思えたものだ。

「いいデザインをするにはね。まずデザイナー自身が、自分のセンスを信じてないといけない。自分にデザインなんかできない、なんて思ってちゃ、まずロクなものは作れない。音楽もたぶん、同じじゃないのかな」

「お父さんは、自分のデザインに自信があるの?」

「なかったら、デザイン事務所なんて設立してないよ!」

 本当に可笑しそうに父は笑った。

「ミチル。もう君たちは決断をする時だ。漠然とではなく、明確に。その決断ができるなら、僕達はザ・ライトイヤーズというバンドの、最大のサポーターになろう」

 ライトイヤーズ。バンドとしての選択を訊ねてくれることが、ミチルには嬉しかった。自分だけでなく、みんなの事を認めてくれているのだ。ミチルはこの時、ひとつの覚悟を決めた。

「わかった。お父さん、私…ううん、私達はザ・ライトイヤーズとして今後もやっていく。そして、バンドの表現力を高めるために、音楽を学びたい」

「よし。しっかり聞いたよ。君はまず、帰ったら薬を飲んで、きちんと休むこと。話はそれからだ」

「…うん」

「お母さんには僕から話をしておく。明日、きちんと3人で確認しよう」

 ミチルは、両親の寛大さに涙が出そうだった。


 

 翌朝、ミチルは両親と話をして、当然まだ具体的な選択は決められないが、高校を出たら音楽の学校に行く、という事で合意した。そのことが、ミチルにとっては大きな安心をもたらした。迷いがひとつ晴れたのだ。

 胃の調子は全快でもないが、学校に出るのは問題なさそうだった。ただし医者からは、サックスを吹いて痛みが出たらすぐに演奏を中断するように、と言われている。朝、部屋でこっそりEWIを吹いた時は何ともなかったので、たぶん大丈夫だろうとミチルは思った。


「おはよ」

 電車でジュナと丁度会えたので、ミチルはいつも通り挨拶した。ジュナは驚いた表情で、心配そうにミチルの肩を握ってきた。

「お前、大丈夫なのか」

「昨日よりはね」

「無理すんなよ」

 いつだか部室で倒れた時、難聴になった時と、同じ顔をしている。みんなに心配かけすぎだな、とミチルは反省した。どうしてこうも自分は、重い気持ちを抱えすぎてしまうのだろう。部室でみんなに会うのが怖い。ジュナは心配しながらも、進捗を教えてくれた。

「実は、思ったよりも制作は順調でな。オーバーダビングの作業も、みんなだんだん慣れてきてる」

「そっか」

「マヤが作って来たデモに、悪いけどミチルの決定抜きでゴーサインを出しちまった。一応、お前も投票してた曲だからな」

 マヤが夜中に送って来たデモだ。1曲目のバラードが文句なしにいい出来だったので、ミチルは即座に投票した。ドラムスが力強い、広大な大地の夕焼けを思わせるナンバーだ。

「タイトルは?まだ決まってなかったよね」

「クレハが考えてくれた。"Blazing Horizon"でどうだろう、って」

「燃える地平線、か。いいね」

 まさにサウンドそのもののイメージだ。以前作ったバラード"Twilight in Platform"の寂静感とは対照的だ。

「そのクレハだけどさ。ミチルに、最初につっかかったのは自分だから、自分がお前を追い込んだ所もあるかも知れない、って気にしてる」

 心配そうなジュナの表情を通して、クレハの顔が浮かんだ。

「…そう」

「ひとこと声かけてやりなよ。あいつも、いちばん大人に見えて、根っこはお前と同じだ。あたしらの知らないところで、お前みたいに腹痛抱えてるって事もある」

 それは、なんとなく想像できる話だった。クレハはミチルより、自分のコントロールができる。だがそれは、対処方法を知っているというだけのことで、ストレスや不安を抱えていないという事ではないかも知れない。

「わかった。折をみて、クレハと話はしておく」

「あたしはこれ以上関知しないからな。ケンカにでもならない限りは」

 ジュナがそう言うのは、突き放しているからではない。人と人の関わりに割り込むのは、無粋だと考える少女だからだ。それをわかっているので、ミチルも黙って頷いた。

「うん。ところで、その曲のレコーディングはどうなってるの」

「もう、お前がサックスを入れればいいだけの状態になってる。…お前、いけるのか」

「たぶん大丈夫じゃないかな」

 ミチルはあっけらかんと答えたが、ジュナは不安そうだ。昨日の今日なので仕方がない。だが、思ったより制作は順調なようだ。まあ何とかなるだろう、とミチルは思っていた。

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