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Light Years  作者: 塚原春海
【終章】-ザ・ライトイヤーズ-
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Mist Of Time

 卒業式が終わっても、ミチル達にとっては大して感慨にひたるヒマはない。先輩達との体育館ライブが終わったら、ステージの機材はすぐに部室に運び戻され、すぐにアルバムの制作に入るのだ。

「相変わらずね」

 市橋菜緒先輩は帰り際、ユメ先輩と並んで笑った。こっちはスケジュール的に、笑っている余裕はない。

「合格決まったら手伝いに来ようか。一曲手伝うごとに鯛焼き1個でいいよ」

 ユメ先輩もすでに通常営業だ。余裕しゃくしゃくですけど、後期日程大丈夫ですか。

「さて、そろそろ行くよ。湿っぽくなっちゃう」

「あっ、せっ、先輩」

 ミチルは、校舎から一歩下がったユメ先輩を引き留めた。先輩は「ん?」とミチルを見つめる。ミチルは、意を決して言った。

「先輩のタイ、ください」

「そっか。うん、いいよ」

 ユメ先輩は何の迷いもなく、ずっと身につけてきたタイを襟から外し、ミチルに差し出した。ミチルはそれを恐る恐る受け取ると、大事に握って頭を下げる。

「ありがとうございます」

「ミチル。お別れじゃないよ」

 ユメ先輩はミチルの肩をぽんと叩いて、そう言ってくれた。隣の菜緒先輩も、黙って頷く。そうだ、べつにお別れするわけじゃない。また会える。これは、ただの区切りなんだ。そう思っていると、ソウヘイ先輩達が竹内顧問と一緒にゾロゾロとやって来た。フュージョン部3年生が、校門に勢ぞろいする。

「みんな、元気でな。…といっても人間、また何かあればすぐ再会するもんだが」

 卒業の感慨をぶち壊しにするような顧問の言葉も、淋しさをフォローするためだとみんなわかっているので、微笑んで互いの顔を見る。先輩達はみんな晴れやかだ。ユメ先輩が、バンドリーダーとして先生の前に進み出た。

「それじゃ、名残惜しい学び舎とはひとまず、サヨナラです」

「おう。みんな、元気でな」

「ありがとうございました!」

 先輩達が揃って、竹内顧問と校舎に頭を下げる。顧問は少し涙腺がゆるんだ顔で、一人ひとりの手をがっしり握ったあと、片手を上げて校舎に戻って行った。格好良い背中だ。

 それじゃあね、と先輩達もまた、風のように爽やかに、生徒としては最後の校門を通り抜け、最後の帰路を踏みしめ帰って行った。あの6人の3年間が、今終わったのだ。


 後に残されたミチル達5人は、不思議な高揚感を覚えながら立ち尽くしていた。先輩達はもういない。この瞬間から、自分達が最上級生である。そして、自分達にはやる事が、やらなくてはならない事がある。ミチルは振り返ると、メンバーに向かって言った。

「さあ、私達はまだ何も終わってない。始めるよ!」

「ようし、いっちょやるか!」

 ジュナが拳をパンと鳴らす。ザ・ライトイヤーズはレコーディングを進めるため、部室に向かって歩き出した。



 ミチルが「何も終わってない」と言ったのは、気取ったのでも比喩でもなく、本当に言葉通りの意味である。アルバムのリリース間近で、まだ完成している音源は2曲だけだった。普通ならこんな状況で、予定期日まで間に合うと考える方がおかしい。

 だがそれは、常識が通用するグループの場合である。誰が言ったか「世間の非常識はライトイヤーズの常識」だった。

「マヤ、とりあえず3曲のあたしらのパートは録った。お前のフォルダにもコピーしといたから、データ確認しといてくれ」

「わかった。とにかく、録れるのは録っておいて。ベースとドラムスに関しては、もう時間がないから、録ったものから暫定でOKってことにする」

 ジュナとマヤのやり取りの背後で、クレハとマーコが譜面を挟んで話し込んでいた。

「ここでボーン、ボボボーン、っていくから」

「ダッダッダッダッダカダン、ズッダン、ズダダン」

 もう、リズム隊の間で独自言語が発達しているらしい。マーコがまだ譜面をきちんと読めない事もあり、クレハがガイドしてやる必要があった。

 とにかく、最終的に曲になればそれでいいのだ。マヤも、パソコン上の譜面を見ながら「よし」とキーボードに向かった。

「ジュナ、私もとりあえず3曲録ってから帰って作曲する。そっちはそっちで進めてて」

「あいよー」

「ミチルはどうした。まさかまた神社か」

 マヤは、ミチルがいない部室を見渡した。アルトサックスは置きっぱなしで、EWIがない。すると、ミチルからLINEが入った。

『作曲中です 捜さないでください 校内にはいます』

 だいぶ近場の家出である。とにかく作曲はしているらしい。EWIを持って、誰もいない学校敷地内を徘徊する少女。若干怖いものはある。たった1曲作るだけだが、その1曲が難航しているようだ。そこでマヤは念のため返しておいた。

『了解。あと、リズム隊とギターまでは録った音源があるから、暇を見てサックスを入れてくれると助かる』

 少しして、既読マークだけはついていた。とりあえず放っておこう。ミチルもあれでけっこうマイペースである。



 大原ミチルは、卒業式が終わってガランとした校舎を、腰の超小型アンプにつないだAKAIのEWIを下げて歩いていた。主がいなくなった3年生の教室前の廊下は、どこか寂し気だ。ここに、春からはミチル達が通う事になる。

 試みに、廊下の真ん中で適当なフレーズを吹いてみた。廊下の端から、遅れて音色が反響する。自分で吹いておいて何だが、不気味だ。歩くたびに足音も反響する。誰もいない校舎内というのは、それほど歩く機会がない。この空気を味わっておこう、とミチルは思った。

 だが、肝心のメロディーが浮かんで来ない。今までは、何だかんだできっかけを掴むとそれが浮かんできた。夢に出てきたり、起き抜けに思い付いたメロディーもある。きっかけ。ミチルが今まで、これはと思えたメロディーは全て、何らかのきっかけを必要とした。だが今、それがやって来ない。新曲のタイトルは決まった。”Lightning”、それがアルバムと、ミチルがこれから作る曲のタイトルだ。

 ライトニング、稲妻。雷光のように閃く、アルバムのオープニングを飾るべき1曲だ。それは鮮烈な曲でなくてはならない。だが、考えても考えても、そんなメロディーは浮かんで来ない。それならいっそマヤの言うとおり、サックスのトラックを録音しに戻るべきだろうか。


 ふとミチルは、廊下の窓から見えるグラウンドを眺めた。野球部、ソフトボール部、サッカー部、陸上部が活動するグラウンド。そこで脳裏をかすめたのは、フュージョン部の定番コピーナンバーのひとつ、本田雅人作曲の”Little League Star”だ。

「鮮烈ではあるけど、ちょっとオープニングって感じではないよな」

 呟きながら、試みに吹いてみる。独特のメロディーだ。いわゆるメロディー、という発想とは違う気がする。やっぱりファンクに近いんじゃないだろうか。そう思いながら、間奏のソロを真似てみる。何度やっても完璧なコピーは難しい。今の自分ならどうだろう、と思い、誰もいない廊下の真ん中で吹いてみるが―――

「あと一歩だな」

 少なくとも昨年よりは、かなり再現できている。だが、完璧なコピーはまだ無理だ。というより、あれは本田さんでないと出来ないソロなのかも知れない。ずっと校舎内をうろついてもメロディーなんか浮かんで来ないので、ミチルは昇降口に向かった。


 自動販売機でコーヒーを買っていると、ひとりの女子生徒が前庭にいるのが見えた。切り揃えたミディアムロングが印象的だ。卒業証書を手にしているようだが、もうみんな退校した時刻なのに、まだ残っているのだろうか。そう思っていると、コーヒーが取り出し口に落ちた音で、生徒はミチルの方を向いた。つい目が合ってしまったので、ミチルはなんとなく会釈する。

「ご卒業、おめでとうございます」

 ホットコーヒーを手に、ミチルはとりあえずそう言って場を取り繕った。面識はない。女生徒は「ありがとう」と言って、昇降口に近寄ってきた。

「あの…、どうされたんですか」

「ええ。…校舎にね、お別れをしていたの」

 名前も知らない先輩は、そう言って感慨深げに昇降口の中を見渡した。

「さっき、友達と校門で別れたあと、ひとりで戻ってね。3年間の思い出を、思い返していたの」

「3年間の思い出」

「そう。楽しかった事も、辛かった事も、全部」

 先輩は目を閉じて、満足そうにうなずいた。辛かった事。それがどんなものだったのか、ミチルにはわからない。

「大原ミチルさんでしょう。さっきのステージ、聴いていたわ。凄いわね、尊敬する」

「あっ、いえ、その…ありがとうございます」

 先輩から尊敬するなんて事を言われ、ミチルは困ってしまった。少しばかり有名にはなったかも知れないが、それでも結局、いち生徒のままである。

「えっと、先輩はどちらの学科にいらっしゃったんですか」

「理工科よ」

「えっ」

 それは、市橋菜緒先輩と同じクラスということだ。そして理工科はもっとも倍率が高い。失礼ながら市橋先輩のようなオーラは感じないが、優秀な人ではあるらしい。

「2年前を思い出すわ。あの気難しい菜緒が新入生の子に入れ込んでるって、クラスで話題になってね。まさか菜緒の誘いを断る度胸がある1年生がいるなんて、思いもしなかったから、みんな驚いていたわ」

「そっ、それは…」

 ミチルは答えに窮した。菜緒先輩の誘いを断った一連の出来事は今の所、ミチルにとっておそらく高校生活で、思い出したくない記憶トップ3にランクインしそうである。それを察したのか、先輩は笑った。

「これ以上は言わない方が良さそうね」

「…そうしていただけると助かります」

 ミチルの返しに先輩は笑った。特徴はないが、憎めない先輩だ。

「あの、お名前伺ってよろしいですか」

「みちるよ」

「…えっ?」

「平野みちる。あなたと同じ名前」

 まさかの偶然に、ミチルは目を丸くして驚いた。べつに珍しい名前でもないかも知れないが、たまたま昇降口で出会った先輩が同じ名前だとは。

「…平野先輩、改めてご卒業おめでとうございます」

「ありがとう。帰り際に、素敵な後輩と出会えて良かったわ」

 そう言って、平野先輩は手を差し出した。ミチルはその手を握り返す。細くて柔らかい手だ。

「先輩はどちらに進まれるんですか」

「私は地元。南條工科大よ。理工学部」

「じゃあ、市内で見かける事もあるかも知れませんね」

 そういえば、本当はユメ先輩とソウヘイ先輩も、南條工科大に行く予定だった。バンド活動のために進学先を変えたのだ。こうして地元に残る人もいる。それも立派な事だと思う。先輩は言った。

「正直、私はまだ自分が何をしたいのか、わからないの。でも、工学とか自然科学は好きだから、勉強しているうちに見えて来るものがあるかも知れない。ひとまず、自分で勉強できそうな事をやってみるつもり」

 それじゃあね、と言って平野先輩は、改めて校門を出て行った。だが、南條工科大はこの高校と繋がりが深い。そのうちまた、ここに顔を見せるんじゃないだろうか。

 ミチルは、平野先輩の言葉について考えていた。ひとまず、できそうな事をやってみる。そういう考え方もあるんだ、とミチルは思った。ミチルにとっては、やりたい事が明確に決まっている。今できる事は何か、などと考えた事はない。自分がやりたい事をやるにはどうすればいいか、という考え方で今まで生きて来た。

 いまミチルは、メロディーを生み出そうとして苦闘している。だが、こうしている間にもジュナ達は、少しずつレコーディングを進めている。今の自分はこれでいいのか、とミチルは考えた。


 数分後、ミチルは部室のドアを開けた。

「おっ、徘徊してる奴が帰って来たぞ」

「老人みたいに言うな」

 とりあえずジュナに悪態をつくと、ミチルは腰をおろしてマヤに訊ねた。

「進捗はどんな感じ?」

「とりあえず、サックス以外の音を入れた曲が2曲できた。"Under the moon"と"Summer Days"」

「わかった。今日中に、サックスを入れてしまおう」

 そう言ってアルトサックスを準備するミチルを、マヤたちは不思議そうな目で見た。

「作曲は?もう終わったの?」

「ううん、ぜんぜん」

「…大丈夫なの?」

 怪訝そうに見るマヤに、ミチルは言った。

「とりあえず、今できる作業をやろうと思ってさ。作曲は家に帰ってもできるし。曲が仕上がってくれば、リラックスしていいアイディアが浮かぶかも知れないでしょ」

 その言葉に、マヤは少し驚いたあと微笑んだ。

「いいんじゃないの。さて、それじゃ私も何かやるか」

「ねえ、例の曲。”Sarasvati”のアレンジは完成したの?」

 その指摘に、マヤは少し間を置いて蒼白になった。ミチルが正月に思い付いたはいいが、まだメロディー以外は手付かずの楽曲である。アレンジが決まらないうちは、作業のしようがない。マヤは慌てて帰宅の準備をし始めた。

「ごめん、今日は帰る!新曲の前にそっちのアレンジを決めないと!」

「明日はスタジオ借りてレコーディングだからねー」

「わかってる!」

 クールなマヤが目に見えて慌てて帰る様は、本人には申し訳ないが面白いことこの上ない。明日は学校が開いていないので、すでにジュナがスタジオを予約済みである。


 すでに8割がた完成したマルチトラック音源は、ほとんど完璧な内容だった。アンジェリーカが入れてくれたサックスの仮メロディーも、これでもう十分ではないか、と思えるレベルだ。だが、"これで十分"で満足していたら、ミュージシャン失格だ。ヘッドホンをして、ミチルはひとり自分のパートのサックスを吹いた。

 すでに出来上がった音源に音を入れるのは、一発録りに慣れてきたミチルにとって、まだ不慣れで不安な作業である。だが、プロのミュージシャンはそれが出来なくてはならない。


 まだ、マヤもミチルもそれぞれ、最後の1曲は出来ていない。メロディーを探して、霧の中を進むような感覚だ。それでも、今作れるものを作ろう、とミチルは決めた。大丈夫、頼もしい仲間たちがいる。きっと、間に合わせてみせる。

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