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Light Years  作者: 塚原春海
【終章】-ザ・ライトイヤーズ-
168/187

"Lightning"

『では、音源データが完成し次第、クラウドに上げてください。ミックスダウン前と後、両方をお願いします』

 ニューヨークに本社-というほどのオフィスでもないが-を構えるワンダリング・レコードのサマンサ・クラックソン氏と、ザ・ライトイヤーズのオンラインでの打ち合わせが進行していた。例によってその担当はメンバーで唯一英会話ができる、千住クレハだった。

「わかりました。ただし、以前ジャズフェスのあとに打ち合わせした内容とは、異なるアルバムになるのですが」

『それは深く考える必要はないわ。うちはメジャーではないし、活動に関してはアーティストの自由度を優先しているもの』

「ありがとうございます。これから作る新曲以外は、以前作ったデモをまとめてクラウドに上げたので、確認してください」

 クレハは自分側のパソコンでも、ファイル受け渡しサービスにデモ音源がアップされている事を確認した。細かい所が気になる性格である。

「ただし、もう制作に入っているので、アレンジについては…」

『わかってるわ。そちらの判断にまかせる。ただ、曲順についてはこちらのスタッフの意見も聞く事になるわね。それとミキシング、マスタリングも場合によっては、こっちで調整するかも知れないわ』

「それで構いません。リリースはまず、ストリーミングでの配信になるんですね」

 クレハはその点を確認した。クラックソンさんは即座に答えてくれた。

『ええ。ひとまず大手サービス3社でリリースする。ストリーミングの再生回数次第では、CDでのリリースも検討します。今はそもそも、フィジカルで出さないアーティストさえいるけど。日本では世界でも珍しいくらい、まだフィジカルが生き残っているものね』

 フィジカル、つまり物理メディアでの音楽販売は、ストリーミングが主流の現代においては過去のものになりつつある。その是非についてはクレハには何とも言えないが、パッケージとして自分達のファーストアルバムを手にしてみたい、という欲求は当然あった。

 そこで、クレハはひとつの相談をした。

「クラックソンさん」

『サマンサ、でいいわよ』

「サマンサさん、その…私達はレコード発売記念の、地元でのライブを予定しています。すでに会場が決まる前から問い合わせが来てるような状況なんですが」

 その告白に、サマンサさんは笑った。

『相変わらずバタバタしてるのね』

「まあ、そのへんは私達の風物詩というか…」

 ジョークのつもりはなかったのだが、サマンサさんはモニターのウインドウの向こうで笑い転げていた。アメリカ人の笑いのツボがよくわからない。

「…その、ライブ会場で、自分達で制作したCD-R音源を手売りする事は可能なんでしょうか」

『ああ、アーティストがセルフで販売するというのね。もちろん構わないわ。ただし、記録メディアの調達だとかは全て、予算も含めてあなた達が自分で準備する事になるけど』

「その場合、売り上げとかの管理はどうなるんでしょうか」

『そのへんは、エージェント・タカナシに任せたらいいんじゃないの?彼、会計だとかは得意なんでしょう』

 得意どころではない。わからない事は税務署まで行くより、小鳥遊さんに訊いた方が早いんじゃないか、とさえ思う。千住家とは長年の付き合いだが、いまだに謎も多い。

 そのあと細かい事を確認したあと、サマンサさんが思い出したように言った。

『そうだわ。肝心な事を忘れてた。それであなた達のファーストアルバム、タイトルは決まってるの?』

 それを指摘されて、クレハは軽く血の気が引いた。まだ話し合ってさえいない。



 第1部室ではすでに、マーコ達が完成ずみの楽曲の、個別トラックの収録を始めていた。今はサトル君がクレハの代わりにベースを弾いてくれているようだ。『レコーディング中!ノック、立ち入り禁止』の札がドアに下がっていたので、現在は事務所のように機能している、第2部室に向かう。


「ミチルはいないの?」

 ドアを開けるなり、クレハは部長のミチルの姿が見えないのに気付いた。マヤは学校だと落ち着いて作曲もできないと言って、早々に帰宅している。いまいるのは、サトルと薫を除いた1年生女子4人だった。キリカと一緒に譜面を睨んでいたアンジェリーカが、ひとつの方向を指さして言った。

「先輩なら、裏手の神社に行ってます」

「神社!?」

 クレハは耳を疑った。神社。確かに学校の裏手には、ひっそりとした神社がある。

「…なんで?」

「静かな所なら、曲が浮かぶかも知れない、って…」

 

 クレハが学校裏手の闇淤神 (くらおかみ)神社という小さな古い神社に近付くと、かすかにサックスの音色が聴こえてきた。メロディーを手探りしている、不規則な音だ。

 恐る恐る境内に入ると、社殿の軒下で、貞子にしか見えない長髪の女が、下を向いて一心不乱にサックスを吹いている。近くの小学生が通りかかったら、翌日には確実に都市伝説が生まれているだろう。自殺した吹奏楽部員の女の霊が出た、とか何とか。

「ミチル」

「わああああ!」

「わああ!」

 クレハが声をかけた瞬間、ふたりして同時に、心臓を押さえて飛び上がった。

「くっ、くっ、クレハ!?」

 ミチルは社殿の柱に掴まり、あやうく転倒するのを防いだ。

「脅かさないでよ!幽霊かと思った!」

 そのミチルの返しがあまりに可笑しくて、クレハは突然、笑いが込み上げてくるのに耐えることができなかった。

「くっくっ…あはははははは!」

「な…」

「幽霊って…どっちが幽霊よ、あはははは!」

 まだ今年の4分の1も過ぎていないが、たぶん今年一番笑った。傍目からはサックスを吹く貞子にしか見えない相手から、逆にこっちが幽霊呼ばわりされたのだ。クレハは、きざはしの擬宝珠にもたれて腹を抱えていた。

「いちいち人の事笑いに神社まで来たわけ!?」

「そっ、そんなわけないでしょ!くっくっく」

 笑いをおさめるのが、こんなに大変な仕事だとは思わなかった。ついさっき、オンラインでサマンサさんの爆笑する姿を見たばかりである。人はそれぞれ、笑いのツボがあるらしい。ようやく会話ができるまで立て直したクレハは、涙目を拭ってミチルに向き合った。

「…何を言いに来たんだっけ」

「あんたも、出会った頃から見るとだいぶ変わったよね」

 ミチルは、廻縁にへたり込んで微笑んだ。そうなのだろうか。互いに出会った頃を思い出しても、あまり会話らしい会話をした記憶がない。もっとも、あの頃は自分の趣味をひた隠しにしていた事もあり、コミュニケーション不足に関してはクレハも若干責任を感じてはいた。

「どう変わったと思うの?」

「そうやって、自分の事をストレートに訊いてくるとこ。出会った頃は、わりかし壁を作ってたでしょ」

「…私は、あなたのそういうストレートすぎる所が、最初は苦手だった」

「えっ、そうだったの!?」

 ミチルは疑いの眼差しで驚く。だが、それは事実だった。クレハは微笑んで答える。

「本当よ。私は自分を隠しながら、どうにかみんなと、少しずつ関係を構築していこうと努力していたのに、あなたは自分をさらけ出して、目の前の人間のドアを平然とノックする。この子何なんだろう、って思ってた」

「今のクレハはだいぶストレートに私を傷つけてると思うけど」

「安心して。今のミチルは好きよ」

 今の、と強調されたのが面白くないのか、ミチルはわざとらしくむくれて見せた。

「それで、メロディーは浮かんだの?」

「ぜんぜん。神社なら何か降りてくるかなって思ったんだけど」

「神社はスマホじゃないのよ」

 ミチルの安直な発想に、クレハはまた笑ってしまう。

「そうだ、思い出した。サマンサさんが、アルバムのタイトルはどうなるのかって。レーベルとしても告知しないといけないから、最低限タイトルは早めに決めて欲しいそうよ」

「タイトルか」

 ミチルは、胡坐をかいた真ん中にアルトサックスを寝かせ、腕組みして唸った。それに合わせるように、なにやら雲行きが怪しくなってくる。陽がかげり、肌寒くなってきた。クレハも風を避けるため、ミチルのそばに近寄る。

「楽曲がバラバラだからなあ。統一したタイトルっていうのは難しいな」

「必ずしもテーマに拘る必要もないんじゃない?あるいは、バンドそのもののイメージをタイトルにするとか」

「私達のイメージって?」

 ミチルは難しい質問を投げかけてきた。自分で言い出して何だが、自分達のイメージをそうそう客観的には捉えられない。

「突然、ギリギリの日程で仕事が回って来るところかしら」

「もうちょっとポジティブなイメージでお願いします」

「今回はミチルにも責任はあるんですからね。あの海原っていう先輩が、ミチルを煽ったのも確かにあるけど」

 ミチルは恨めしそうにクレハを睨む。クレハはつい吹き出してしまった。

「大丈夫よ。こんなの、私達にとってはどうって事ないわ。あと2週間くらいでアルバムを仕上げて、ライブをやればいいんでしょ」

「できると思う?」

「それは私達しだい」

「まったく答えになってない」

 ミチルがそうぼやいた、その瞬間だった。空が一瞬眩く光って、1秒ほど遅れて重く鋭い低音が、山並みに反響した。

「うわっ!」

「雷だわ。降るかも知れない。ミチル、戻りま―――」

 クレハが立ち上がろうとした、本当に一瞬だった。それまで曇ってはいたが、ぽつりとも降っていなかった雨が、まるで上空から巨大なバケツをひっくり返したかのように降ってきたのだ。

「…うそ」

「こんな予報だった!?」

 ミチルはスマホで気象レーダーを開いた。クレハも、今日の大雑把な天気予報は覚えている。たまに雲は出るようだが、おおむね晴れの予報だったはずだ。こんな、沛然たる豪雨なんて聞いていない。そのとき、クレハは社殿の扉が開く事に気付いた。

「ミチル、ちょっと神社の中に入らせてもらいましょう。縁側にいると雨に当たるわ」

 すでに、風で廻縁にも雨が入ってきている。ふたりは古い引き戸を開けて、薄暗い社殿の中に入った。


 社殿の中は、龍神様を祀っているらしい雑然とした祭壇みたいなものが奥にあり、壁には鬼の面だとか、あまり上手くもない白馬の絵だとかが掛けてある。いかにも、田畑の真ん中にある田舎の神社といった風情だ。

「参ったわね。傘はないかしら」

 クレハは、あったら少し拝借してあとで返そうと、部屋の中を調べた。が、そうそう都合よく傘など出てはこない。雨は相変わらず、古びた社殿を打ち付ける。大丈夫だとは思うが、やはり不安だった。

「なんだか、大晦日も似たような事があったなあ」

 ミチルが突然、そんなことを言い出した。

「大晦日?」

「ほら、年越しの写真送ったあの時。ジュナと、本殿でない方の小さなお社の前で、5拍子で拍手してたら、いきなり雨が降ってきたの」

 いったい何をやっているんだ。神様が変拍子に怒って雨を降らせたんじゃないのか。7拍子とか、11拍子とか、世の中には変態専用のリズムがある。リズム隊の一翼を担うクレハは、据え付けてある小さな太鼓に手を当てた。

「ミッション・インポッシブルのテーマね」

「いいよ」

「ワン、ツー」

 神社の太鼓だろうと、そこに楽器があれば演奏する。それがフュージョン部である。おあつらえ向きに、もう一人はアルトサックスまで持って来ている。この神社が創建何年なのかわからないが、境内にアルトサックスを持ち込んだのは、いま隣にいる長髪の少女が歴史上初めてだろう。

 タン、タン、タンタン。タン、タン、タンタン。5拍子というか、3拍子と2拍子の混合だ。あの独特のリズムが、映画の緊張感を表現している。神社の太鼓で叩く混合拍子に、ミチルのサックスから誰でも知っている”あのメロディー”が流れた。安っぽいアルミサッシの窓の外は豪雨である。だいぶ奇妙な空間だ。演奏が終わった時、ひときわ大きな雷がドドーンと鳴り、社殿を揺るがした。

「わあ!」

 ミチルが、サックスを手にしたまま仰け反る。クレハもさすがに驚いて、慌てて太鼓から手を離した。やはり、神様の前でややこしいリズムを叩いたりしてはいけないらしい。

「…そろそろ止んでくれないかしら」

 最悪、学校までダッシュする以外にない。クレハはそう覚悟して、窓の外の雨雲を睨んだ。だがその時、ミチルが何か神妙な顔で、同じく窓の外を見つめている事に気付いた。

「ミチル?」

 そう声をかけようとして、クレハは思いとどまった。これは、”来ている”顔だ。間違いない。ミチルは何か思いついたとき、いつもこの表情になる。

「…決まった」

「え?」

「タイトル。ザ・ライトイヤーズの、ファーストアルバムのタイトルは…」

 ミチルがつぶやいたその時、クレハはいつの間にか雨が止んでいる事に気付いた。ほんの十数秒前までは、確かに降っていたはずだ。突然雷鳴とともに降り始めて、一瞬でぴたりとおさまった。にわか雨にも程がある。

「思い付いたのね?」

「うん。アルバムと、私が作る新曲のタイトル。それはね」



 その日のうちに、ザ・ライトイヤーズのファーストアルバムのタイトルが公式に発表された。


  ”Lightning”


 それが、ミチルが決めたアルバムのタイトルだった。ライトニング、稲妻。その響きに、ジャズ・フュージョン界隈はにわかに湧き立った。


『ライトニング!なんて彼女たちらしいタイトルだ』

『雷のように突然音楽シーンに現れたザ・ライトイヤーズに、これ以上ふさわしい単語はない』

『今から楽しみだ。いったいどんな内容になるんだ』


 クレハは、ファンサイトやツイッターの色々な反応に、まだ進行が半ばにすら到達していないという不安を抱えながらも、同じように興奮を覚えていた。もう、こうなったらミチルと一緒に、どこまでも行ってやろう。そんな気持ちになっていた。ミチルはクレハに、確かに道を指し示してくれたのだ。その事実は揺るがない。


 明日はいよいよ卒業式。ひとつの区切りがやってくる。

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