Studio Squash
桐島さんの運転する黒塗りの高級バンが、ミチル達を乗せて、郊外寄りの寺町通りの近くにある住宅地を走っていた。
「事情は、小鳥遊から聞いています。これから、2年前に大原さん達の高校を卒業した、例の元フュージョン部員の実家に向かいます」
「えっ!?」
ミチルもマヤも、急展開に驚いた。いきおい、ミチルもタメ口になる。
「どういうこと?」
「千住クレハ様から、至急そのフュージョン部員、海原シオネさんのご実家を突き止めるよう、ザ・ライトイヤーズ名義で小鳥遊探偵社に依頼があったのです」
「至急って…ちょっと待って。私達がその、卒業生の名前を知ったのは、つい1時間かそこら前の話よ」
「市内にいる可能性が高い、氏名もハッキリしている人間の所在を、この通信機器が発達した現代で30分以内に突き止められないようでは、探偵は廃業です」
自信があるというより、それが当然といった様子で桐島さんは言った。だが、マヤはひとつ疑問を指摘した。
「実家がわかったからって、本人がいるかはわからないんじゃないの?東京の音大に行ってるんでしょ」
すると、今度は花園さんが答えた。
「大学はもう春休みです。海原シオネさんが帰省している事は調査済みです。在宅でなければ、行き先を調べるだけの事です」
さすが探偵社。あてが外れた場合の対処も折り込み済みである。
バンは、一般の家庭としてはやや大きめの立派な庭に囲まれた、いかにも現代的なスクエアデザインの戸建て住宅の前に停車した。白い表札に、やはり現代的な明朝体で"海原"とある。ハザードランプをつけると、桐島さんは言った。
「私達が同行するかは、大原様にお任せします」
ミチルは、マヤと頷き合って言った。
「私達だけで行きます」
「わかりました」
クレハの住む、古い木造だが大きな屋敷に比べるなら、庶民的と言っていい。だが、ミチル達の慎ましい自宅と比べるなら、海原邸は大きな家だった。
「いくよ」
なんとなく緊張するのでマヤに確認を取ってから、ミチルはインターホンのボタンを押した。よく知ったメロディーが流れて、やがて若い、張りのある女性の声が返ってきた。
『はい』
「あっ、あの、私達は…」
ミチルが緊張で一瞬言葉を噛んだところで、即座に向こうから返事があった。
『フュージョン部の後輩が、何かご用かしら。大原ミチルさんに、金木犀マヤさん』
その言葉に、ふたりは硬直した。向こうは、一瞬でこちらの氏名と所属を把握してしまったのだ。間違いない、この声の主はフュージョン部のOG、海原シオネその人だ。
『自宅の前に黒いスモークのバンが停まってるのも落ち着かないわ。敷地の、桜の木の横に停めていただけるかしら。黒服さんも、寒空の下で待たせるのは気の毒だし、入っていただいて』
なんというか、噂に違わぬ"仕切り屋"だ。市橋菜緒先輩と似たようなキャラかと思ったが、押しの強さはこちらがはるかに上回る。ミチル達は言われるまま、桐島さんにバンを移動してもらった。
応接間がある自宅、というのはそんなにない。ミチルの父はグラフィックデザイナーだが、仕事の打ち合わせは事務所だ。ミチル達4人は海原シオネさんに案内され、落ち着いた雰囲気の応接間のチェアーに腰を降ろした。
海原シオネのシルエットはクレハに少し似ているだろうか。クレハよりもストレートに近い髪と、強い眼光が特徴的だった。市橋菜緒先輩のクールさとは対照的だ。
「はっ、初めまして、大原ミチルと申します」
「金木犀マヤです」
ふたりは、丁寧に頭を下げる。海原シオネは、シンプルなカップに淹れられたコーヒーを勧めた。
「それで、噂の後輩達がSPつきで、どんなご用なのかしら」
自ら淹れたコーヒーの湯気の向こうから、微笑むでも、睨むでもない、美しい瞳がミチルを見た。その威圧感は、これまで会った誰よりも強い。
「当ててみせましょうか。あの、ザ・ライトイヤーズを名乗るバンドの正体を探って、あのサックスの音色から私に疑いを向けた。違う?」
そのものズバリの、ど真ん中ストレート。遠回しに探りを入れてくる姿勢など一切ない。竹内顧問が言ったとおりの性格だ。そして、驚くほど推理能力も秀でている。
「ご存知でしたか」
「もちろん。自分が所属していた部活の後輩が活躍していて、気にならない筈はないわ。あなた達の活動は全て把握している。ステファニー・カールソンのオープニングアクトから、ジャズフェスティバル、龍膳湖でのゲリラライブに至るまでね」
もう、何もかも知っているようだ。ミチルは、こちらも探りを入れるのは無意味だと悟り、正面から行く事にした。
「その通りです。私達は、あからさまに私達を意識している、あのバンドの正体を知りたいんです」
「知ってどうするの?裁判でも起こす?」
「いいえ。ただ相手に、正体を突き止めた事実を知ってもらい、私達とは別のバンドだと公表してもらえば、それで十分です。その意図がどこにあるかなんて、知りません。私達はただ、卒業と、大学受験の後期日程を控えた3年生の先輩方に、無用な心配を与えたくないだけです」
マヤがミチルの代わりにそう言った。シオネは、マヤの態度に感心したようだった。
「なるほど。それで、ここまで来たからには、私にそれを告げようというわけね。あなた達のあからさまな模倣をして、本当のザ・ライトイヤーズがどこかにいるのではないか、とネットを騒がせている張本人に」
「お認めになるという事ですか」
「もし認めたら、あなたはそれで満足なの?」
その返しに、ミチルもマヤもたじろいだ。それはどういう意味だろう。
「そうね。回りくどい話は嫌いだけど、いたずら心がないわけでもないわ。あなた達の真っ直ぐな目を見ていると、少し引っかき回してみたくなるもの」
「いったい、何を仰ってるんですか?」
「あなた達が望むなら、私が犯人です、とここで言ってもいい、ということよ。LINEでみんなに伝えるといいわ。模倣バンドのサックスはやはり推理どおり海原シオネでした、とね」
ミチルは、その人を馬鹿にしたような態度に、一瞬腰を浮かしかけた。なんて性格だ、ストレートどころか、捻じくれた天の邪鬼ではないか。だが、ミチルの思考をかすかによぎった疑念が、それを抑えさせた。
「…今、裏を取っているところです。今回お伺いしたのは、私達がこうして動いている事をお伝えするためです」
「裏なんて取る必要はないんじゃないの?私がここで罪を認めれば、あなた達はそれで満足なんでしょう?」
なんだ?何を言っているんだ?ミチルの思考はすっかり混乱してしまった。いきおい、ミチルも訊ね返してしまう。
「あなたが犯人なんですか」
「そう答えてあげてもいいわ」
「馬鹿にしないでください!」
ついにミチルは激昂し、テーブルをバンと叩いて立ち上がった。黒服のふたりは一瞬早くコーヒーカップを手にし、こぼれるのを防ぐ。
「私達は、ただ私達の音楽を追求しているだけです。それをまるで、お前たちより自分達の方がいいアレンジやメロディーを作れるぞ、とでも言わんばかりに、当てつけてくる模倣行為は不愉快です。作れるというなら、わざわざ酷似したタイトルと内容でなく、最初から堂々とオリジナルを作ればいいじゃないですか!」
ミチルの剣幕に、海原シオネは一切動じる様子を見せなかった。隣のマヤの方が驚いている。シオネは、先程までの挑発的な笑みが消え失せ、ごく真剣な表情で言った。
「羨ましいわね」
その、全く予想外の反応に、ミチルはなぜか毒気を抜かれてしまった。何が羨ましいというのか。すると、海原シオネはコーヒーカップを置いて、静かに言った。
「信じる信じないはあなた達の自由だけど。私はあの模倣音源など、演奏もしていなければアップロードもしていないわ」
「な…」
「もし私がやるなら、もっとハイレベルな演奏を聴かせてあげられるもの。もちろん、あなたなんかよりもね」
それは挑発だっただろうか、あるいは侮蔑だっただろうか。とにかく、その一言でミチルに火をつけるには十分だった。
「その言葉、よく覚えておきます。春にはオリジナルアルバムをアップロードする予定なので、お暇であればぜひお聴きください」
「あらそう。じゃあ、採点の準備をしておきましょうね。合格ラインは65点くらいにしてあげましょうか」
シオネの瞳に、侮蔑の色はない。真っ直ぐな挑戦の目だ。ミチルは目の前の女性に、それまでにないほどの闘争心が燃えるのを感じた。市橋菜緒先輩に挑発された時も、こんな気持ちは湧いてはこなかった。
話は終わりだとばかりにミチルが立ち去ろうとした時、海原シオネはふいに訊ねた。
「それで、春とは言ったけれど、いつの春かしら。まさか来年の春まで待たされるなんて事はないでしょうし。といって、5月なんてもう春とは言えないわよね」
その挑発は、直情型のミチルの導火線に火をつけるのに十分だった。
ミチル達が海原邸を訪れるのと前後して、小鳥遊龍二氏の運転する黒塗りのセダンが、市内にある録音スタジオ、"スクウォッシュ"の前に停車した。
「ここで間違いないのね」
助手席のクレハが訊ねると、小鳥遊さんは頷いた。
「間違いありません。ここの標準利用プランの3時間からすると、あと12分ほどで退出してくるはずです」
「じゃあ、待ちましょう」
まるで退屈への対処に慣れた大人のように、クレハはヘッドレストに頭をかけて目を閉じた。後部座席のジュナが訊ねる。
「誰を待ってるんだよ。このスタジオで」
「私達の”先輩”よ」
「なに?」
「しっ。来たわ。予想より少し早かったわね」
クレハは、スタジオのガラス張りのドアから、5人の若い男性が出てくるのを確認した。年齢は20歳前後といったところだろうか。ギターやベースのハードケース、そして中にはアルトサックスのケースらしきものを提げた人物もいた。
5人は、スタジオ前に黒塗りの高級そうなセダンが停まっており、運転席にはサングラスをかけた黒服の男性がいるのを見て、一瞬驚いたようだった。
「行くわよ」
「おっ、おい」
焦るジュナとマーコをよそに、クレハは迷う事なく車を降りて、5人の男性の正面に歩み寄った。見慣れない車から、突然女子高校生が降りて来た事で、5人はさらに驚いたようだった。
「ごきげんよう。失礼ですが、仁藤和也さんでいらっしゃいますか」
クレハは、アルトサックスのケースを提げたロングヘアの男性に向かってそう訊ねた。いきなり名前を訊かれて、男性は警戒したらしかった。
「そっ、そうだけど…何だ、君らは」
そこで男性を含めた5人は、クレハと遅れて駆け付けたジュナ、マーコの顔を見て、いよいよ驚いたようだった。
「えっ!?、ま、まさか君たち…」
「失礼いたしました。私たちは、南條科学技術工業高等学校、フュージョン部の2年生です」
「ライトイヤーズ!」
男性は、目を丸くしてクレハたちの顔をまじまじと見た。男性の後ろにいる4人のメンバーも、何やら狼狽えているように見えた。
「そのような名前で呼んでいただける事もあります。お会いできて光栄です、フュージョン部の大先輩の皆さんに」
「いや、こっちこそ…活躍はよく知っているからね。いや、実は暇を見つけて、母校に挨拶に行こうと、みんなで話していたところなんだ。なあ」
仁藤和也、と呼ばれた男性は、後ろのメンバーを振り返った。4人が、少しばつの悪そうな様子で笑みを浮かべたり、頷いたりしている。
「そうでしたか。こちらから押し掛けたようで申し訳ありません。私は千住クレハ、ベースを担当しています。こっちらはギターの折登谷ジュナ、ドラムスの工藤マーコです」
クレハに紹介されて、2人はお仕着せに頭を下げた。
「折登谷です」
「工藤です」
すると、男性は困ったように頭をかいた。
「いや、君たちの名前は知ってるよ。俺たち卒業生のヒーローだからな。本当に、昨年夏からの活躍、すごいと思うよ」
「とんでもない。フュージョン部あっての私達です。先輩方の薫陶なくしては、何もできなかったでしょう」
「そ、そうか…それで、どうしてわざわざ俺たちの所へ?」
仁藤は、当然の質問をした。自分達のスタジオ利用を知っていた事も、訝っているようだ。そこでクレハは、単刀直入に訊ねる事にした。
「唐突に伺った事は、申し訳ありません。ただ先輩方に、ある人物についてお訊ねしたい事がありまして」
「ある人物?」
「はい。同じフュージョン部の、仁藤さん達のひとつ下の学年のサックス担当、海原シオネさんについてです」
海原シオネ。その名を問われた仁藤以下5人は、一様に「あいつか」といった顔をした。
「なるほど。君たちの演奏を、あてつけるように模倣しているバンドか」
交差点わきのベンチがあるスペースで、卒業生の5人はクレハ達の話を聞いてくれた。ザ・ライトイヤーズと同じ名前で活動している、正体不明のバンドがいる事。そのサックスの演奏の特徴が、卒業した海原シオネの演奏に酷似している事。
「責任逃れをするつもりはありませんが、その演奏の特徴に気付いたのは、私達のひとつ上の先輩です。その先輩によると、その…先輩に対して大変失礼ではあるのですが」
「わかってるよ。ひと癖ある性格の先輩だったんじゃないか、と言いたいんだろう」
ギターケースを背負った刈り上げの先輩が苦笑して言った。
「うん。まあ、俺たちも同じフュージョン部の後輩を、悪く言いたくはない。だが、海原に関しては、その範囲を逸脱している所はあったな」
その評価に、仁藤氏も頷いた。
「ああ。言いたくはないがな。何て言うか、僕ら上の学年に対しても、平然と嫌味を言うような所があった。確かに彼女のサックスは上手かったからね。僕は、ずいぶん演奏の欠点を指摘されたもんだよ」
その言葉に、あまり上下意識が強くないクレハ達も首を傾げた。さすがに、上級生の演奏について正面から批判する勇気はない。
「その、模倣した演奏ってのはどういう演奏なんだ」
「少々お待ちください」
クレハは、スマホのサブスクアプリから、”ザ・ライトイヤーズ”を名乗る別なバンドによる演奏を再生し、5人の先輩に聴いてもらった。その演奏を聴くなり、先輩たちは「ああ」とか「なるほど」といった風に、苦笑したり、頷いたりしてみせた。
「うん。その、気付いたっていう君たちの先輩の言う通りかも知れない。これは彼女のサックスに非常に似ている。彼女の性格をそのまま音にしたようなね」
「つまり…ストレートにお訊ねしますけど、こういう、私達にあてつけるような演奏をしても」
「不思議はない。端的に言うなら、他人を敵に回す事が多い性格だったからね」
そう答える仁藤氏は笑ってはいなかった。
「といっても、あまり考えたくはないけどね。僕らの後輩には違いない。ただ…君たちは数々の成功を収めてきただろう。彼女のように、自分の実力に自信を持っていた人間にとって、年の離れた後輩がジャズフェスに招かれたりといった状況は、耐え難いものがあったんじゃないかな」
「そっ、それは…」
「ああ、別に気まずく思う事はないよ。君たちは、実力でここまでの成功を掴んできたんだ。それは堂々と誇るべきだ。たとえ、ひとりの先輩に嫉妬されたからって、遠慮する事はない」
仁藤氏の言葉に、他の4人も一様に頷いた。そこでクレハはひとつ気付いた事があった。
「そういえば、この演奏は全てのパートが揃っているようですが…仮にこれが海原シオネさんだとして、彼女は現在も、バンドを持っているという事ですか」
その問いに、仁藤氏は首を傾げた。
「どうだろう。彼女の学年のバンドは、彼女以外はさほど上手くはなかったし、風の噂では卒業後、自然消滅したって聞いてるけど」
「それじゃ、このバックの他のパートは…」
「またバンドを集めたんじゃないかな。押しは強いからね、彼女は。私のバンドに参加しなさい、と凄まれれば、断れない可能性はある。まあ、そこは憶測でしかないけど」
そこでクレハは、ひとつ気付いた点を指摘した。
「けど、失礼ですがこのバック演奏、そこまでレベルが高いようには思えないんです」
「え?」
仁藤氏は、少し難しい顔を見せた。
「…どのへんが?」
「ベースはリズム感はいいですけど、音程が微妙に不安定だし…ジュナ、ギターはどう」
クレハが訊ねると、ジュナは腕組みしたまま答えた。
「カッティングとかリフは上手いけど、ソロになると若干腰が引けた演奏だな。エッジが甘いっていうか。マーコ、ドラムスはどう思う」
「うーん。まあ、基本は叩けてると思うよ。こんなもんじゃないの」
3人がそれぞれ自分と同一のパートについて感想を言うと、仁藤氏は苦笑いした。
「まあ、ひょっとしたら君たちの先輩かも知れないんだ。お手柔らかにね」
海原シオネのバンドをフォローする仁藤氏の後ろの4人が、やや険しい表情なのをクレハは見た。