When It Was
ザ・ライトイヤーズを模倣した、正体不明の謎のバンド。それは、予測を超えるスピードで知れ渡る事になった。
それもそのはずで、サブスクで"Light Years"と入力して検索すると、ミチル達のバンドより更新順で上に来るのだ。再生回数などではミチル達の方がまだ上だが、そのミステリアスな話題性で、あっという間に再生回数もミチル達に迫る勢いだった。
「最新のナンバーのタイトルは"Wind from Savannah"」
マヤは、パソコンのブラウザに表示された、"ザ・ライトイヤーズ"の最新ナンバーを再生した。ボンゴのような音色の、少しエスニックな香りがするアップテンポなナンバーだ。
「リッピントンズの"Kenya (ケニア)"に少し似てるかしら」
「あたしらのこの間出したばっかりの曲にも似てるぞ」
ジュナは、1月の終わりにデパート"タカソー"に納品した、バレンタイン催事用のBGMとの類似を指摘した。だが、マヤは難しい顔をしている。
「そこなのよ。コード進行もメロディーもリズムも、よく似ているけれど、違うの。私、ゆうべ専用のプログラムで、私達の楽曲と何曲か比較してみたんだけど、絶妙なラインで異なっている」
「つまり、どういう事だ」
「ざっくり言うと、私達が"パクられた!"って訴えても、たぶん専門家の分析で、模倣とは言えないと結論づけられる、という事ね」
マヤの出した推論に、全員が複雑な表情を見せた。もう、先日までのゴーストライターや盗作騒動などは過去の事で、この謎の模倣バンドに関心が移っていた。
「実際すでに、私と同じ分析をして、同じ結論に辿り着いた人もいる。見て」
マヤは動画サイトに投稿された、楽曲の比較動画を見せた。まだ20代くらいの若い男性配信者が、相変わらず人の楽曲を勝手にアップロードしていたが、そこは突っ込むとキリがない。
『こうして両者を比較すると、聴感上では非常に似て聴こえるのですが、音楽理論的に分析すると、絶妙に別物である事がわかります』
マヤと全く同じ結論だった。
「どういう奴らなんだ、いったい」
「頭が回る連中なのは間違いない。法的にはギリギリで訴える事ができないラインを守りつつ、あからさまに私達の楽曲を元にして、似たような楽曲をアップロードしている」
「儲けるためにか?」
ジュナの質問はストレートなものだったが、それについてはマヤも首を傾げた。
「そうなのよね。いわゆるパクリっていうのは、作風を上手に真似て、自分の名義で発表する手法でしょ。でもこのバンドは、まるまる私達と同じバンド名義でそれをやっている」
「バンド名が被ってるのは法的にどうなの?」
マーコが訊ねると、今度はクレハが答えた。
「"Light Years"っていうのは、単に物理的な距離を表す常用の単語だから、それをバンド名に冠したからといって、訴えるのは無理筋になるわね。たとえ、あからさまに私達を意識しているとしても」
「じゃあ、あたし達は何にも言えないってこと?」
「まあ、仮に裁判を起こせば勝訴に持ち込める可能性もゼロではないけど、少なくとも法的な見地からはそうね。つまりこのバンドの目的は、もっとも単純に考えるならジュナが言ったように、私達の話題性を利用して収益を得る事だと、言えない事もない」
それでも、全く同名で活動するのはあまりにもリスクが大きい。この点が、相手の正体を推測する事を難しくしていた。
「演奏レベルについてはどう思う?ミチル」
ここでクレハは、黙っていたミチルに意見を求めてきた。ミチルはフュージョンやジャズについては、メンバー中でもっとも知識が深い。
「このバンドの演奏レベルは確かに高い。単純に音楽理論的に言うならおそらく、私達を上回っている。それどころか、下手なプロよりも上ね」
ミチルの意見にマヤも同意した。
「そうね。ゆうべ分析していて、私も思った。まず、メロディーに対する正確性が非常に高い。プロ級というより、ベテラン並みと言った方が早い」
「それが逆に謎よね。それほどの技量を持っていながら、なぜわざわざ、私達に当てつけるような事をする必要があるのか」
考えれば考えるほど謎が深まる、とミチルは思った。だが、そこでクレハがひとつ重要な指摘をした。
「ひとつだけ、わかっている事がある。このバンドは、私達が何かをリリースした後でないと、自らもリリースしていないという点よ」
「なるほど」
ミチルは頷いた。確かに、今まで観測できている範囲内ではそうだ。仮に、つねに模倣という手法を取るバンドだとすれば、こちらがリリースしなければ向こうも作品を作れない。だが、とジュナは言った。
「それだと、こっちが何かをリリースした途端、向こうもパクって音源を出してくる可能性がある、って事だろ。そうなると、こっちはそれが怖くて何もリリースできない、って事にならないか」
「なるほど」
たしかに、ジュナの推測も筋は通っている。つまり、こちらの活動をけん制する目的だとすれば、ものすごく回りくどいが、それなりに有効な手段である事は認めざるを得ないのだ。
「なんだか、考える要素が多すぎて手に負えないわね。でも、ひとまず私達のリリースは来学期まではないだろうから、様子を見るしかなさそう。クレハ、どう思う?」
なんとなく、この手の事態になると"名探偵・小鳥遊さんの教え子"みたいなポジションになるクレハは、多少不安そうな顔はのぞかせつつ、やむなしといった表情で頷いた。
「そうね。この件に関しては、まだ対外的には話題にしないようにしましょう。私達とごく近い関係にある人達以外には、何を言われても知らなかったフリをする。そんなところかしら」
まあ、今出来る事はそんな程度だろうな、と全員思ったようだった。何にせよ今のところ、直接的な実害がない、というのも厄介な点である。これが、全く無許可の楽曲コピー演奏なら問題にもできるが、そうでないから始末が悪い。とりあえずその日は、アルバムに向けて録音できるトラックをいくつか収録しておいて、帰宅する事になった。
その後何日かは、特に変わり映えのしない日が続いた。そして先輩達の中には、すでに志望校の合格が決まって、修行僧のような面持ちが一変、そこだけ一人エレクトリカルパレードみたいな人達もいた。ドラムスのマーコの師匠、ジュンイチ先輩である。
「やあ、そこそこ可愛い後輩の諸君!」
あなたそういうキャラでしたか、といったノリで、面接用に普段より短めにカットした髪をなびかせて先輩は部室に現れた。楽しそうで何よりである。
「合格おめでとうございます」
「よかったっすね」
「おいおい、ノリが悪いな。また身投げしかけてるおっさんにでも遭遇したのか」
いまいち笑えないジョークを笑顔で言いながら、マーコとジュナの間に先輩は腰を下ろした。
「いい報せといい報せと悪い報せがある。どれから聞きたい」
なんだそれは。いい報せが2つということか。
「じゃあ、悪い報せから」
ミチルが怪訝そうに訊ねると、ジュンイチ先輩は涼しくなった耳まわりの髪をかきあげて言った。
「お前たちに関する話だ。市橋の奴から聞いて知ったんだが、お前たち、妙な気色悪いバンドに粘着されてるんだろ?」
その件を出されて、ミチル達は身構えた。そういえば、ジュンイチ先輩は市橋菜緒先輩と同じクラスだった。
「もう知ってたんですか」
「合格して、もうやる事ないからな。ユメとソウヘイの奴には悪いが」
そういえば、まだ試験が残っているのはあの2人だけだった。カリナ先輩、ショータ先輩はもう終わったはずだが、情報がまだない。
「まあ悪い報せっていうのは要するに、ネットであのバンドが、”本当のライトイヤーズ”だのと言い出してる奴らが増えてる事なんだが」
「増えてる、っていうのは」
「もう掲示板にスレが立ってるくらい、って言えばいいかな」
それを聞いて、ミチル達はまたか、とウンザリした。あまりにこういうケースが多過ぎやしないか。落ち着いてレコーディングもできない。
「それで、俺も気になってあの”ザ・ライトイヤーズ”って名乗ってるバンドのこと、調べてみた」
「何も出て来ないでしょ」
ミチルは、マヤやクレハと目線を交わしながら答えた。みんなでネット中をいろいろ調べてみても、全く出て来ない。サブスクの片隅に突如として現れたのだ。だが、先輩は言った。
「やれやれ、名探偵クレハもその程度か」
「むっ」
おお、さすが先輩。あのクレハを正面から苛立たせるとは。
「お前たちはミュージシャンだろう。ミュージシャンを特定する方法は、ネットの活動を辿る以外にもあるだろうが」
「え?」
「まあ、いい報せって言っていいのか、わからないがな。いや…むしろ、悪い報せその2かも知れんが。俺はあのサックスの音色に、聴き覚えがあるんだ」
その情報に、ミチル達はハッとした。サックスの音色。つまり、演奏の特徴からバンドを特定する、という考え方だ。クレハもそれは考えてはいなかったらしく、珍しく驚いた表情を見せていた。クレハは、身を乗り出して訊ねた。
「どっ、どこで聴いたんですか。というか、誰なのかわかるんですか」
「悪い、まだそこまでハッキリとは断定できない。だが、あの滑らかなデクレッシェンドからの、強烈な立ち上がり…確かにどこかで聴いているんだ」
それは、有力かどうかはわからないが、興味深い情報だった。だが、ミチルはサックスの音色と言われても、パッと思い浮かぶ演奏者がいない。
「確かに、あの演奏はクレッシェンド、デクレッシェンドの滑らかさが段違いに上手いと感じました。そこから一気に立ち上がる力強い演奏も。けど、プロならそれくらいザラにできるんじゃないか、とも」
「大原、今のお前に言うのも釈迦に説法かも知れないけどな。上手い下手以前に、その奏者が持つ演奏の個性ってものがある。クセ、と言ってもいい。それはどんなベテランでも必ずついて回るもんだ」
ジュンイチ先輩からの助言は、とても頼もしく感じられた。これまで、直接頼れる人がいなかったのだ。だが、先輩達の受験がひと段落すれば、こんな風に力になってもらえるかも知れない。いや、この先輩達のことだ。そんな面白い事件の調査、俺たちにも一枚噛ませろと首を突っ込んでくるに違いない。
「まあ、俺もなんとか思い出せるよう努力してみるがな。サックスに限らず、演奏全体のサウンドからバンドを推測する、っていう方法もあるはずだ。まあ、推理ごっこのつもりでやってみるといい」
ジュンイチ先輩は、懐から取り出した缶コーヒーを開けた。そういえば、ぬるくなったコーヒーや紅茶が好きだという変な人だった。ミチルは、力を貸してくれる事それ自体に感謝した。
「ありがとうございます。やってみます」
「ああ」
「ところで、いい報せがもうひとつあるんじゃないですか」
「おう。ひとまず、カリナとショータも第一志望合格は心配なさそうだ。確定じゃないが、まあ大丈夫だろうって言ってた」
その報せは、後輩であるミチル達を安堵させるものだった。残るはユメ先輩、ソウヘイ先輩だけだ。
「市橋先輩はどうなんですか」
「あいつは心配するだけ無駄だ。頭にくるほど、絵に描いたような才媛だからな。いちいち応援の言葉をかけるのもバカらしい」
ずいぶんな言い方ではあるが、べつに悪意はない。単純に、クラスメイトに対する称賛である。
「きっと、お前に直接報せてくるだろう。何かとお前の事を気にかけてるみたいだからな。おっと、これは市橋には黙ってろよ」
さて、と言って先輩は立ち上がる。
「レコーディングの最中だったんだろ、邪魔したな」
「いえ、何て言うか…こういう状況なんで、どうもスッキリしないんです。あまり進んでいません」
「そうか」
先輩は、少し真面目な顔に戻って言った。
「俺たちとしても、お前たちに当てつけるような真似をするバンドは気に食わない。釈然としないまま卒業したくもないからな。わかった事があったらすぐ伝える。じゃあな」
けっこう話したわりには、あっさりと先輩はドアを開けて立ち去った。この部室のドアをくぐった回数は、ミチル達よりずっと多いはずだ。先輩はあと何回、あのドアノブに手を触れるのだろう。
卒業するというのは、それまで慣れ親しんでいたドアや窓、廊下、あらゆる景色とお別れするということだ。先輩たちのそのまた先輩たちも、いまミチルたちが使っているマウントラックの機材の、スイッチやノブに触れてきた。一年後、ミチルたちがここを去る時は、アンジェリーカ達がここを受け継ぐ。その先はどうなるだろう。そこまではわからない。
「そっか。先輩たちをモヤモヤさせたまま、お別れしたくないね。せめて、あのバンドの正体だけでも突き止めよう」
「といっても、卒業式はもう3日後だぞ」
ジュナがカレンダーを見る。他の高校より若干遅いが、もう3月に入っている。くだらない騒動のおかげでバタバタしていて、あまり感慨もない。
「あと2日以内に、あのバンドの正体を突き止める。できると思うか?」
すると、約一名が妙に強張った表情で、突然立ち上がった。ゆるふわロングヘアのベース担当、千住クレハである。
「できるかも知れない」
「なに!?」
「…さっきの先輩のアドバイスで、少しだけピンときたの」
さすがは名探偵クレハ、と言いたいところだが、ミチル達にはさっぱりわからない。さっきのジュンイチ先輩との会話で、何がわかったというのか。クレハは、それこそどこかの漫画の探偵のような口調で言った。
「先輩が言ったこと、思い返してみて。先輩はあのサックスの音色に、聴き覚えがあると言っていた。そして、ミチルをはじめ私達にはわからない」
「うん」
「ミチルは、私達の中でジャズやフュージョンのアーティストに一番詳しいのに、あのサックスの音色には聴いた覚えがない。つまり、世の中のアーティストで似た人がパッと思い付かないのに、先輩は聴いた事があって、ミチルは聴いた事がない」
クレハがそこまで言ったとき、マヤがハッとした表情を見せた。何かに気付いたらしい。
「ミチル。これは私達フュージョン部員にとって、あまり愉快とは言えない結論かも知れない。けれど、私にはそれしか考えつかない」
クレハの説明に、ミチルは薄ら寒いものを感じた。なんとなく、クレハの言う事がわかってきたのだ。いや、気付く事をミチルの意志が拒んでいるのかも知れない。そんな事はあって欲しくない、と。だが、ミチルも気付いてしまった。クレハは、自分自身で考えを整理するように、ひとつひとつ論理を組み立てた。
「まず、あのバンドは明らかに私達を”標的”にしている。世の中には無数のアーティストがいるのに、その中で私達をなぜか標的にした。その理由はなぜか」
「…待って」
「竹内顧問から時々言われる事だけれど、今の3年生と私達2年生は、フュージョン部の歴史の中でも、突出している存在らしいわ。その中でも私達は、この8カ月ほどの間に、数々の実績を打ち立ててしまった。この事を、快く思わない人間がいるとしたら―――」
「待って!」
ミチルは、掌を突き出してクレハを制した。それ以上聞きたくない。だが、クレハは強い口調で言った。
「ミチル。確かに、まだ推理の段階よ。確定したわけではない。けれどそれが、可能性がもっとも高い推理なの」
「…ジュンイチ先輩が聴いた事があって、私達が聴いた事がないサックスの音色…」
「そう」
クレハは、ミチルが口にする勇気がない結論を、代わりに言った。
「あの”ザ・ライトイヤーズ”を名乗るバンドのサックス。それは、このフュージョン部の過去の卒業生よ」