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Light Years  作者: 塚原春海
ようこそフュージョン部へ
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うち水にRainbow

 昼休み、フュージョン部の面々は部室に集まり、昼食をとりながら放課後の打ち合わせをしていた。もう何度もやっているうちに、大急ぎで演奏の準備をする、という作業にだんだん慣れてきた感もあり、メンバーは思わぬ形でバンドとしての成長を実感していた。

 理工科の教師、清水美弥子が若い頃、バイオリニストを目指していた事について報告を受けたメンバー達は、なるほどとは思ったものの、今起きていることに対して有用な情報とも思えず、特に何も言わなかった。

「前にロック関係の古いバックナンバーで読んだんだけど、THE ALFEEはライブの前の日に、いきなりリハーサルと違う曲をリーダーがセトリにぶち込んで来るせいで、ベースボーカルが大変なんだと」

 ジュナは惣菜パンのカツサンドの袋をくしゃくしゃ丸めた。口もとについたパン粉をミチルがつまむ。その様子を1年のリアナがじっと見ていた。マーコがふいに訊ねる。

「リーダーって誰?あの真ん中のメガネの人?」

「違うでしょ。エレキ弾いてる、いつも銀河帝国皇帝みたいな格好してる人がリーダー」

 マーコとマヤが、保冷ボトルの中身を互いにカップに注ぐ。片方は紅茶で片方は緑茶のようである。

 そこへ、コーヒーを飲んでいたクレハが会話に入ってきた。

「ソウヘイ先輩の影響で、私たちもあのバンドの曲はいくつかやってるけど、変拍子と転拍子が大変よね。アルバムのプログレ系ナンバーなんて、こんなのどう弾けばいいの、って思う」

「1999年のアルバムの2曲目とか、書くのも弾けるのも頭おかしいとしか思えないレベルの難易度だよな。本田雅人と並んで、変態の双璧だ」

 頭おかしいとか変態とか、公の場で発言したら色々問題になりそうなワードではある。そんなナイトメア級難易度の曲、ジュナが演奏しようと言い出さない事をミチルは祈った。

 すると、ドアをノックする音に続いて、軽やかな声が聞こえた。

「ミチル先輩いますか」

 声でメンバーはすぐわかった。連日フュージョン部に入り浸っている、オーディオ部の薫少年である。

「いるよ、どうぞー」

 もはや勝手知ったる様子で薫はドアを開ける。開け放した窓から入口に、爽やかな風が吹き抜けた。

「音源のマスタリングまで終わったから、渡しておこうと思って」

 薫が差し出したのは、1枚のSDカードだった。

「ハイレゾフォーマットで入ってる。CDで欲しかったら言って」

「うん。ありがと」

「今日もやるの?」

 薫が確認すると、メンバーは若干渋い表情を見せた。この中で薫だけが、朝起きた出来事を知らない。ミチルは、少し難しい顔をしてその事を説明した。

「一応、今日もやろうって事にはなった。けど、ひょっとしたらあの先生が怒鳴り込んで来るかも知れない」

「ふーん。今日のセトリは?」

「これ」

 ミチルからセットリストのプリントを受け取った薫は、1曲目を見て「へえー」と言ったあと、残りの曲を見て怪訝そうな顔をした。

「…オーディオサーバーの中身をかき混ぜたみたいなセトリだね」

「褒めてる?」

「そう受け取ったならそれでいいよ」

 呆れたように笑って薫は座り込み、持ってきた缶コーヒーを開ける。

「でも1曲目はいいね。いまの季節にぴったりだ」

 薫は、タイトルどおり風が吹き抜けるようなサウンドを思い起こしていた。THE SQUARE名義で2003年に、当時の旧メンバーが再集結して作られたアルバム「Spirits」の1曲目"風の少年"である。

「いいでしょ」

「うん。難易度もそれほどでもないよね」

 その言葉に、ジュナが何か引っ掛かったようだった。

「ん?なんだ、まるで弾いた事あるみたいな言い方だな」

 そこで、薫と一緒にミチルまでがギクリとした。薫はギターを弾けるが、人前で弾けない事をミチルは知っている。今の所、まだそれは伏せている事だった。

「う、うん、聴いててそんな感じかなって思うだけ」

「ふうん」

「それで、生ギターのパートあるけど、どうするの?」

 そこで全員がハッとした。そう、この曲はアコースティックギターが多用されているのだ。

「ジュナ先輩がエフェクターのオン・オフでごまかすの?」

「いや、ちょっと待て」

 ジュナは突然リアナを向いて言った。

「リアナ、お前弾けるんじゃないか?いや、弾けるだろ」

 エレアコを取り出すと、ジュナはイントロの生ギターを爪弾いてみせた。風に乗って、爽やかなメロディが響く。

「ほら」

「えっ、あ、あの」

 リアナはドギマギしながらエレアコを受け取ると、ひと呼吸置いて同じメロディを弾いてみせた。上手い。柔らかいのに芯がある。さすがクラシックギターで鍛えられた腕前だった。

「いけるじゃんか。お前、参加しろよ。今日から」

「えーっ!?」

 おとなしそうなリアナが初めて見せる、狼狽の表情だった。他のメンバーも感心したように見ている。ミチルも太鼓判を押した。

「うん、いけるね」

「あたしの仕事は減るし、音にも厚みが出る。よし、演奏に合わせてやってみよう」

 ジュナは自らも青いアイバニーズをアンプに通した。スマホのイヤホン端子からコンポにつなぎ、ストリーミングサービスからその曲を探し出す。コンポが古いせいか、やや高音がこもりがちなのでギターを合わせるのにはちょうどいい。

 

 リアナとジュナが合わせた素のエレアコとエレキギターのセッションは、完璧ではないにせよ、仕上げればいい音になる事がわかるものだった。クラシックギターといっても、音を出す基本はアコースティックギターも同じである。

「うんうん」

 ジュナは満足げに頷く。リアナは入部して最初のセッションという事もあってか、若干表情が強張っていた。

「いいね。リアナは、エレアコでいける?」

「はっ、はい。大丈夫…だと思います」

 身長が高いわりに何となく控えめな態度のリアナだが、演奏している時の表情は自信に満ちたものだった。リアナはようやく弾く決心がついたようで、ジュナに力強く首を縦に振った。

「よーし、朝はつまらない邪魔が入ったけど、いけるね」

 ジュナ達は再び気持ちを取り直し、昼休みの残り時間で各自練習を行う事にし、機材を準備していった。

 だが、一人だけバッグに弁当箱のポーチをしまうと、部室を出るために立ち上がる者がいた。

「おい、ミチル。お前、練習はいいのかよ」

「ごめん。ちょっとその放課後の演奏のことで、用事がある」

 ミチルはそこで言葉を濁す。ジュナは、嫌な予感がして釘をさした。

「まさか、清水先生んとこ行って抗議を取り下げさせるとか、やろうとしてるんじゃないだろうな」

「あの先生のとこに行く気はないわよ。それじゃ、放課後にね」

 ミチルはそれだけ言うと、さっさと歩いて行ってしまう。残されたメンバーは多少呆気に取られたが、マヤは仕方なさそうに笑ってため息をついた。

「ま、いつもの事ね。思い立ったら行動する子だし。何かやろうとしてるなら、放っておきましょ」

 それでいいのか、とメンバーは思ったが、他にどうする事もできないので、それぞれ自分のパートの確認と練習に入るのだった。


 清水美弥子は、不機嫌というわけではないが、愉快というにもまた程遠い様子で、午後の授業の準備をしていた。

 脳裏にあるのは、職員会議でのフュージョン部顧問とのやり取りではない。大原ミチルの、反抗的ではあるが、毅然とした態度だった。

 ふと、自分の学生時代の姿を思い出してみる。まだ、姓は清水ではなく「川村」だった。あの頃、川村美弥子は何を見ていただろう。何を追っていただろう。記憶を辿り、それが手に触れられそうなほどに形を成しかけた時、美弥子は怖くなって首を横に振った。

 思い出したくない。思い出すのが怖い。あの時描いていた自分と、今の自分は違いすぎる。

「…大原ミチル」

 その名を呟いて、清水美弥子は窓の外で揺れる桜の葉を見た。


 3年1組、ミチルと同じ情報工学科の教室を、ミチルは訪れていた。

「あの、佐々木ユメ先輩はいらっしゃいますか」

 教室に入ってすぐの席にいた女子の先輩に、ミチルは訊ねた。先輩は「ちょっと待ってて」と立ち上がると、「おーい、ユメちん。可愛い子が来てるよー」と、教室の奥に声をかけた。

 ほどなく、ほんの少しだけ癖のあるショートヘアをかき上げながら、ミチルより少し背が低いユメ先輩がやって来た。

「おー、どうした後輩」

 相変わらずのフランクな態度で、ユメ先輩はやって来た。手にはハムサンドを持ったままである。ジュナと並んで、行儀が悪いこと甚だしい。

「お金貸してってんなら他の先輩を当たってよ」

「あー、当たらずとも遠からずです」

「なに?」

 ミチルは、ある事を目の前の先輩に打診した。力になれる事があったら言ってくれ、と先輩は先日、メッセージを送ってくれたのだ。そこでミチルは遠慮なく、その好意を最大限に利用する事にした。

「なるほど。断ったら、あたしがウソついた事になるものね」

 先輩はニヤリと笑い、ミチルの肩をポンと叩いた。

「いいよ、わかった。早い方がいいよね」

「えっ」

「ちょい待ち」

 ユメ先輩は手のひらを向けて待つように言いながら、片手で素早くスマホを操作すると、耳にあてがった。少し間をおいて、スマホから鈍い音で「はい」と男性の声が返ってきた。

「もしもし、お父さん?」

『ああ、どうした』

「今、家にいるの?仕事場?」

 どうやら、自宅の父親に電話しているらしい。たしかユメ先輩の家は自営業の小さな会社で、事務所は自宅のすぐ隣にあるはずだ。

「あのさ、大変申し訳ないんだけど、家から持って来て欲しい物があるの。無理なら明日でも―――えっ、いいの?」

 その後、二言三言やり取りしたのち、ユメ先輩は通話を終えてミチルに向き直った。

「営業ついでに学校に届けてくれるって、うちの社長が」

「ほんとですか」

「ええ。だからあなたは最大限、私に感謝しなさい」

「ありがとうございます!女王陛下!女神様!伯爵夫人!」

 だいぶ階級が上下しつつ、ミチルは手を合わせて頭を下げた。ユメ先輩は笑う。

「ま、置いといて使わないよりはずっといいか。でもあんた、大丈夫なの」

「任せといて下さい!」

 そこそこある胸を張るミチルに、ユメ先輩は訝しげな視線を送ったのだった。


 放課後、ストリートライブ会場ではちょっとした異変が起きていた。それに先立って、ミチル達は昇降口を出た際に、来客用の駐車場に見慣れないバンが停まっていることに気付いていた。

「あの、私達は構いませんけど、学校側の許可は取ったんですか」

 演奏の準備中、ミチルは代表としてその来客との応対に時間を取られ、やや憮然としていた。そこへ、Tシャツを着たいかにもスタッフです、といった風情の若い男性が走り寄ってきて、ミチルが応対中のパンツスーツの女性に、両腕で大きなマル印を示した。

「オッケーです!学校の許可もらいました。あとは部活の皆さんが良ければ」

「そう!よくやった!」

 女性は手をパチパチ叩いて喜び、ミチルに向き直った。

「ということで、学校の先生方からはOKが出たそうです。改めて、フュージョン部の話題の校内ストリートライブを、当コミュニティFMで録音、放送してもよろしいでしょうか!?」

 改めて、女性はハンドマイクをミチルの鼻先に向けた。そう、どこから嗅ぎつけたのか、地元のコミュニティFM局が取材の申し込みに訪れていたのだ。もうすでにマイクセッティングも終わっており、撤退する意志は皆無である。ミチルは困惑して"参謀"マヤに助けを求めた。

「どうしよう」

「あなたに任せる。私は最終チェックで忙しい。考えてる時間ないわよ。もしプロだったら、そんなの受けるも断るも即決できなきゃ」

 そういう言い方するか、とミチルはマヤを大袈裟に睨んだあと、どんな風でも微動だにしそうにないほど髪をきっちりまとめたリポーターの女性を振り向いた。

「わかりました。OKです」

「やった!ありがとうございます!」

「演奏中は音立てないでくださいね!」

 そう釘を刺すと、ミチルは自分のパートの確認に戻った。だが、このささやかなコミュニティFMとの関りが、のちのち大きな意味を持つ事になるのだが、その時のミチルには全く予想できない事だった。そもそもミチルは通常の演奏パートにくわえもうひとつ重要な仕事があり、地元の小さなFM局など、通りかかって立ち聴く近所のおじさんと同じ事だったのだ。ミチルはサックスのパートを確認すると、ひとり部室に短時間こもって何かを準備していた。


 いつになくバタバタした準備のすえ、ようやくライブは始まった。ラジオ局が来ている事もあり、生徒だけでなく、それこそ通りかかった一般市民も集まっての演奏である。新入生のリアナは、初の出番がちょっとした数のオーディエンスになってしまい、だいぶ緊張しているようだった。ジュナはリアナのピンと張り出した肩を叩く。

「リアナ、大丈夫だって。そうビクビクすんな」

「ででで、でも」

「お前は持ってる奴って事だよ。お前が入部したとたん、この騒ぎだ。ラッキーガールだよ」

 その一言でリアナは、わずかながら落ち着きを取り戻したようだった。ジュナがクレハとマーコにアイコンタクトを取ると、マーコはスティックでリズムを取った。

 バスドラムのリズムとともに、リアナはエレアコを軽やかに鳴らし始めた。ミチルとマヤの意見で、リアナはミチルの隣、ジュナよりも手前にポジションを取っている。これは、1年生が加入した事を聴衆にアピールするためである。

「ねえ、あの子昨日いた?」

「初めて見たな。1年生だぞ、おい」

「新入部員かよ。めちゃくちゃ上手いな」

 すでにその効果は表れており、リアナはその長身も手伝って文字通りの看板娘の役目を見事に果たしていたのだった。

「フュージョンっていうのも、おっさんの聴く音楽ってイメージあったけど、悪くないな」

「そうね。ちょっとイメージ変わったかも」

 少しずつではあるが、フュージョンという音楽の良さを認識し始める生徒も、少ないが確かに現れていた。演奏の最中、そんな言葉はミチル達には聞き取れないが、風向きがほんのわずかに変わった事をメンバーは肌身で感じていた。

 ミチルはEWIを吹きながら、オーディエンス達を見渡していた。演奏していて、これほど楽しいと思えたのは久しぶりである。


 だがそんな中、ミチルはオーディエンスの中に、ふたつの強烈な視線を認めた。二人の人物がオーディエンスの中に、並んで立っている。左にいるのは吹奏楽部の3年生、市橋菜緒だった。そして、その隣にいるのは。

「(清水先生…!)」

 なぜこの二人が並んでいるのか考え、すぐにミチルは気が付いた。市橋菜緒だ。市橋先輩が、何らかの意図をもって清水美弥子先生をこの場に連れてきたのだ。フュージョン部の野外ライブに批判的な清水先生を連れ出せば、いきなり出て来て無理やり中止させるとも限らないのに、先輩は何を考えているのか。

 だが、少なくとも清水先生が出てくる事はない、とミチルは断言できる。小規模とはいえ、地元のコミュニティFMという公共のメディアが入っているためだ。教職員が、その目の前で生徒の自主性を軽んずる行動に出る事はできない。

 では、市橋先輩が清水先生を連れて来たのだとして、それは何のためだったのか。ただ、ミチルとしては清水先生がいる事は何の問題もない。むしろ、きちんと自分達の演奏を聴いて欲しかった、という気持ちがあった。


 ミチルは、まるで決闘のような気持ちで清水先生と向き合っていた。その気持ちを鎮めるかのように、昇降口前に冷却用の打ち水がパイプから勢いよく撒かれているのが見える。強い日差しが、水しぶきの中に鮮やかな虹を創り出していた。

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