表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Light Years  作者: 塚原春海
Roses Mistral
158/187

Tricolore

 ミチルたちザ・ライトイヤーズが観客からのボイコットに遭った件は、すでにネット発で全国ネットのニュースにまで取り上げられてしまっていた。

 当初からボイコット自体はインディーシーンで話題になってはいたのだが、バンド側が半ば沈黙していた事で、まだ伝聞の範囲を出てはいなかった。それが流出した動画のせいで、話題だけでなく歴然とした事実として、全国に知れ渡ってしまったのだ。これによって、半ば同情される形でザ・ライトイヤーズは注目を集めてしまった。

「面白くねえ」

 折登谷ジュナは、言葉にせずともそう顔に書かれている表情で部室の壁にもたれた。

「なんで、こういう同情票みたいな形で話題にならなきゃいけないんだ。あたしらは、ローゼス・ミストラルに迷惑かけたくないから黙ってたってのに」

「その、ミストラルだけどね。向こうもこの流出騒ぎで、ちょっと面倒な事になってるみたい」

「活動休止の件か」

 ジュナの指摘に、マヤは頷いた。

「いつ、ベースのミオさんの脱退を発表するか決めあぐねていた所に、まさかの録画データ流出だからね。例の高校生の子達が加入するかどうか、って話してた所は、たまたまマスターが撮影をストップしてて映ってないけど」

「いったい誰が盗んだんだ」

「おそらく、ボイコットで出禁騒ぎがあった事を嗅ぎつけた誰かだろう、って。そうでしょ、クレハ」

 マヤが訊ねると、久々の"名探偵クレハ"が鋭い眼光を見せた。

「ええ。それもおそらく、あのレモンカウンティで仕事をした事がある人物ね。ライブの動画を残してるパソコンのフォルダを知っていても不思議はないわ」

 もっとも、その流出させた犯人を見つけたところで、もう意味はないとクレハは言う。

「映像と音声が流出してしまった以上、どうにもならないわ。まあ少なくとも、私達自身には何ら落ち度はないのだから、堂々と振る舞っていればいいのよ。悪いのは、あのボイコットした人達」

 クレハに異を唱える者はいなかったが、それでも釈然としない事に変わりはない。ミチルは、リーダーとしてひとまず対応を決めなくては、と立ち上がった。

「クレハの言うとおりよ。私達に落ち度はない。それより、活動休止がこういう形で明るみに出てしまった、ローゼス・ミストラルへのフォローを私達もしなくてはならないわ」

「そうね。ファンの動揺を抑えるために苦慮した結果、発表が遅れたのは事実なんだから。彼女達にも罪はない」

 マヤが言ったその時、マーコが突然何かに気付いて、ドアにダッシュした。

「誰だ!」

 バンとドアを開けると、離れた校舎の陰に誰かが逃げ込むのが見えた。

「盗み聞きされたみたい」

「ほっとけ。どこにでも野次馬はいるもんだ」

 ジュナは呆れ半分に吐き捨てたが、クレハとミチルは少し深刻な顔をした。

「流出させた犯人像の推測、聞かれたかしら」

「ここは防音ドアだから、大丈夫だとは思うけど…もし聞かれたなら、また個人特定とか何とか、面倒な事になるかも知れない」

 もちろん、騒動の原因を作った本人達が痛い目を見るのは自業自得なのだが、ミチル達にとっては「ざまあみろ」で済む問題でもない。そういう、騒動に巻き込まれたという事実じたいが、バンドにマイナスイメージを付け加えてしまう。

「とにかく、あのボイコット騒動について誰かに何か訊かれても、無用に事を荒立てる事はしないようにね。これは1年生にも言っておくけど」

 メンバーは全員わかっている筈だが、念の為ミチルは釘をさしておく事にした。そこで、クレハからも助言が出される。

「ミチル、バンドとして声明を出すべきだと思うわ。ボイコット騒動についてはバンドは不本意に思っているけれど、関わった人間の家族にプライバシー侵害を及ぼす可能性がある以上、個人情報を暴くような事はしないで欲しい、って」


 クレハの意見に従って、ローゼス・ミストラルとも連絡を取り合ったうえで、以下のような共同声明が両バンドの公式サイトから発表された。


『以前から一部界隈で話題になっていた事ではありますが、昨年のレモンカウンティ様で行われたクリスマスライブにおいて、ボイコット騒ぎが起きた事は事実です。

 クリスマス、年越しの空気に水を差すのは本意ではなかったため、ライブを開催した両バンドともに沈黙していた事は、必ずしも正しい判断ではなかったかも知れません。その点に関しては申し訳なく思っています。

 ボイコットを実行した人々に憤りを覚えているのは確かですが、彼らはすでに近隣のライブハウスの無期限出入り禁止というペナルティを課されており、これ以上の制裁は単なる私刑に過ぎず、私達はそれを望みません。間違っても彼らの個人情報を暴き、家族にも危害を及ぼすような事はしないでください。』


 文面のほとんどはクレハがまとめたもので、ローゼス・ミストラルはこれに加えて、活動休止についても説明をする事になった。発表では、3月をもってベース担当がアメリカ留学のため脱退、バンドは無期限の活動休止だが解散ではない、という点が強調される。すでに知名度は全国区になりつつあったローゼス・ミストラルの活動休止宣言は、それなりの影響があった。


 そして、ローゼス・ミストラルの事実上の解散ライブとなったクリスマスライブに、なぜライトイヤーズという、それまで全く交流がなかったバンドが対バンに選ばれたのか、という疑問が、ネットで様々な憶測を呼ぶ事になる。


『金積まれたんじゃねえのか、話題作りのために』

『ライトイヤーズって裏に反社がいるってウワサだから、ミストラルのベースがいなくなるのと何か関係あるかもな』

『ボイコットも自作自演だろ。同情票集めて人気を獲得しようって事だ』

『ボイコット犯を追及しないのはそれを隠すためってことか』


 なんだか久々の感覚だなあ、とザ・ライトイヤーズの面々は苦笑した。以前にも似たような出来事には遭っている。ネットで根も葉もない事を書かれる事に、ある意味では慣れっこになっていた。だが、ここでもクレハは釘をさした。

「ミチル、慣れっこだとか言ってられないわ。私達自身に耐性があっても、ファンの人達はそうではないかも知れない。見て」

 クレハは、スマホではなくパソコンのブラウザで、ひとつの記事を示した。それは北米のニュースサイトだった。


 "ザ・ライトイヤーズ、母国での知られざる迫害"


 その見出しに、ジュナは思わず吹き出した。

「迫害、ときたか」

「もう、海外にまでニュースが知れ渡っているのよ。この間の、龍膳湖でのゲリラライブについても」


 "ザ・ライトイヤーズ、湖の景観を守るためゲリラライブを決行していた"


 これらのニュースに関して、海外からは賛辞が数多く寄せられていた。

『ブラボー。彼女達はロックバンドなのか?これは本来ロッカー、いやパンクロッカーの仕事だ』

『チャリティーコンサートへの出演もそうだし、これは彼女達が理念に基づいて活動している証明だ』

『日本人はなぜ、彼女達にボイコットなんて仕打ちをするんだ?優れたアーティストの脚を引っ張るなんて、考えられない』

『もう、カナダにおいで!モントリオールは君達を待っている!』


 いかにも北米、といった調子のコメントばかりだったが、今になってライトイヤーズの日本国内での出来事が海外にまで知られ始めているようだった。ミチルにとってはあまり快くもない。音楽表現に直接関係ない事で耳目を集めるのは、ミュージシャンとしては不本意だった。

「なんだか、混沌としてきたわね」

「正直、あまり居心地が良くもないな。ゴシップ記事の穴埋めに音楽やってるんじゃねえっての」

 ジュナの言葉が、メンバー全員の気持ちを代弁していた。音楽で評価されるために活動しているのであって、美談や事件で注目されたいわけではない。だが、世間はゴシップが好きなのだ。そして中には、そんなミチル達を心配する声もある。


『この子たちはまだ10代でしょう?心が折れて、活動をやめてしまわないか心配』


 皮肉なことに、ミチル達自身はもうこの半年ほどで精神的に強くなってしまったのだが、ファンを心配させてしまっている、というのは考えてもみなかった。というより、そこまで多くのファンがいるという事自体を、ミチル達がきちんと認識できていなかったのだ。これは、バンドとしての落ち度と言っていい。どういうファンがいて、自分達がどう向き合っているのか。ミチルは、メンバーに向き直って言った。

「まず、今目の前にある仕事をやろう。デパートのBGM、これについてはどうなってるの、マヤ」

「タカソーデパートの白鳥さんからは、”デモ音源B”で進めてくれ、っていうメールが来たわ」

「わかった。私達はミュージシャンであって、ゴシップに右往左往しているヒマはない。まず、デパートのBGMを仕上げて、シングル扱いでアップする。そのあと、アルバムの音源レコーディングに入る。アルバム制作にはもう2曲、新曲を入れるから、仮メロを作れる人は作ること」

 外部からの情報の洪水で、一瞬何をすべきかわからなくなってしまった所へ、ミチルは明確にやるべき事を示した。そうだ、雑音に煩わされているヒマなどない。私達には、やらなければならない事がある。


 そこからのザ・ライトイヤーズは、黙々と音楽制作に勤しんだ。傍目には非常に散文的というか、事務的にさえ見える仕事ぶりだった。それは、周囲の雑音から逃れるための精神的活動だったのかも知れない。そのため、実際にレコーディングを進めているミチル達自身が、これで魅力的な音楽になるのだろうか、と不安に思うほどだった。

 だが、その結果完成したBGMは、明らかにそれまで作って来た音楽と、一線を画す仕上がりだった。薫と一緒に、部室のモニタースピーカーから流れて来るその音楽を聴いて、ジュナがぽつりと呟いた。

「…これ、ホントにあたし達が録ったのか」

 そう語るジュナの気持ちが、ミチル達にもよくわかった。聴こえてくるのは、”商品”としてのクオリティーを備えた音楽だった。きっちりまとまっていて、隙が無い。かといって面白味がないのかと言えば、そんな事もない。驚くほどの完成度だった。ヴァイオリンは品格とシャープさを兼ね備え、ピアノは軽やかで、クラシックギターはかすかな哀愁を漂わせていた。柔らかいベースが曲をふわりと包み、カホンのリズムが心を落ち着かせる。

「完璧だ」

 薫が、珍しく自分からすすんで拍手をした。

「お見事、としか言えないね。1年生のみんなが、ここ最近の先輩達はなんだかプロみたいだ、って言ってたのもうなずける」

「プロなんだよ!」

 ジュナが薫にヘッドロックをくらわせて、突然それまでの緊張の糸が切れたライトイヤーズは、笑いの渦に包まれた。3日ぐらい、無駄話もせず真剣にレコーディングをしていたのだ。それは、自分達がこれぐらい集中して作業できるんだ、というひとつの証明でもあった。

 だが、ずっと集中していたせいか、それなりに精神的な疲労はある。ミチルは、いったん休む事を提案した。

「たぶん、このクオリティならNGって事はないでしょ。明日、明後日の土日は、みんなゆっくりしよう」

「そうね。私も放置したまま進んでないゲームがあるし」

 マヤが好んでやるゲームというのは、だいたい常人なら首を傾げるものが大半なので、なんかそういう系統のゲームなんだろうな、とみんなは無言で気の毒そうな視線を送った。いちばん常識をわきまえているメンバーの、理解しがたい側面である。


 薫によってマスタリングされた音源は、無事にクラウド経由でタカソーデパートに納品された。これも結果から言うと、デパート用BGMとして仕上がった音源は、一発で会議を通ったということだった。白鳥さんは、3月まで納品がずれ込むのは覚悟していたらしく、2月下旬に納品された事に驚いていた。

『すばらしい楽曲です。みなさんのプロフェッショナルな姿勢に感服しています。4月からのリニューアルに合わせ、店舗およびTVCMにて流れますので、ご確認ください。本当にありがとうございました。そして、お疲れ様でした』

 大人から、こんな熱のこもったメッセージを受け取ったのは初めての事だった。マヤからこの文面がメンバー全員に送られ、ミチルは初めて、自分も音楽で何かができるかも知れない、とこの時実感した。実に、大原ミチルが17歳の誕生日を迎える4日前の事だった。


 タカソーデパート側との話し合いの結果、今回の楽曲は、店舗で使用される前にザ・ライトイヤーズ名義でリリースしてもかまわない、という事になった。シングルではあるがバンドとしては久々の新曲リリースで、たった2曲ではあったがファンからの反応は上々だった。ちなみに新曲のタイトルは例によって土壇場でミチルが適当に「Tricolore (トリコロール)」と決めた。ヴァイオリンとピアノとギターの3種類で演奏しているから3種の音色、3色、トリコロールという、ただそれだけである。


 『ザ・ライトイヤーズ久々の新曲”Tricolore”リリース緊急インタビュー!待望のアルバム制作も決定!』


 という大げさな見出しが、音響芸術社”レコードファイル”誌のWEB版サイトに踊ったのは2月末の事だった。いちおう新曲リリースを、付き合いのあるライター、京野美織さんには伝えておいたのだが、付き合いがあるという事を遠慮なく活用してくる京野女史に押し切られて、ミチルがオンラインでインタビューに答えたのだ。オフレコ扱いながら、ボイコット騒動についても質問された。

 アルバムリリースについては、いちおう5月を目途に、と言っておいた。春休み中にレコーディングを終わらせるという計画ではあったものの、そうそう予定どおりに行かないかも知れないので、保険をかけておいたのだ。それでもニュースの反響は大きく、特に海外からのアクセスが殺到しているらしい。


 『ようやくか!』

 『待ってた甲斐があったよ!』

 『今回のシングルも素晴らしいね。アルバムが楽しみだ』


 ミチルは、そんなふうにリリースを待ってくれている人達が沢山いた、という事実に、正直驚いていた。そして、待たせていた事への申し訳なさも痛感する事になった。とはいえ、聴いてくれる人がいるのは嬉しい事だ。もっとも、ミチル達はまだブレイクしているわけではない。ビルボードのランキングにも載っていないし、あくまで特定の界隈で注目されているに過ぎない。「フュージョンバンドとしては」という注釈は必要である。


 いつか、本当の意味でブレイクできる日は来るだろうか。スタートラインには立てたような気はする。ミチルは、サブスクにアップされた自分達の音源を再生してみた。ついこの間、部室でレコーディングしていた楽曲が、アメリカのレーベルから配信されている事がとても不思議に思えた。これは本当の事だろうか。今、自分は変な夢を見ているだけなのではないだろうか。ミチルが17歳になる瞬間が、あと1時間21分後に迫っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ