ブレードマスタータケル
正月3日目、親戚宅を回り終え、宿題もクレハと一緒にとっくに片付けた金木犀マヤは、ネットを漁って見つけた史上最低のク●ゲー攻略に勤しんでいた。インドの小規模チームが制作した"ブレードマスタータケル"という、3Dファンタジーアクションだ。レビューを見ると
『時間がいかに貴重なものだったか再認識させてくれる良作』
『ゼルダの伝説ブレス・オブ・ザ・ワイルドに匹敵すると言ったら過言だ』
『プレイしている最中、交際を申し込んでいた女性からOKの返事があり、シャットダウンしてデートしてきました』
『"ファイナルソード"に匹敵する』
『もはや"ファイナルソード"を超えた』
などなど、配信サイトでは1500件以上の評価を得ている。他にも様々な特筆すべき要素があり、
・発売3カ月で75%OFFの500円になった
・主人公の名前を入力すると8割の確率でバグって微妙に違う名前になる
・テキストに誤字が多過ぎてネットに解読サイトができている(言語関係なし)
・グラフィックがギリギリPS1レベル
・スタート時点で主人公が旅立つ理由が不明
・一般人の9割が中ボスがいる場所以外の話をしない
・下手な中ボスより草原をうろついてる雑魚の方が強い
・中ボスの強さにムラがありすぎる
・当たり判定がちょいちょいバグって全くダメージを与えられない
・折り返しまで進んでも主人公が戦う理由が不明
・ものすごく高価で強い剣を買った直後に、ク●ザコ中ボスがそれより強い剣をドロップする
・城に主人公をはるかに上回る実力の騎士がいるのに戦ってくれない
(後略)
他にも●ソゲーマニアのマヤがゾクゾクする要素がてんこ盛りで、クレハにも薦めたが天使の微笑みで断固拒否された。画面上では、中ボスを倒した奥の森に、村人に頼まれた希少だという薬草がわんさか茂っている。希少なんじゃねえのかよ。しかも、採ったあと戻ってくるとまた生えているので無限に採取できるが、イベントアイテムなので売却もできない。
そしてなぜか村に戻ると、まだ薬草を渡してないのに病に冒されていたお母さんが全快して、息子が喜んでいる。まさかの自然治癒。私は何のために、バグってフィールドの外に出て行ってしまい、戻ってくるまでダメージを与えられない中ボスを17分かけて倒したんだ。
快癒したお母さんは、超強力なクロスボウをお礼にくれた。そのクロスボウを町の誰かに渡してモンスターを倒させろよ。門の前にプロレスラーみたいな衛兵二人もいただろ。
そしてマヤは今さら大変なことに気がついた。タイトルは"ブレードマスタータケル"である。主人公の名前はタケルのはずだ。それなのに、主人公の名前を変えられるってどういうことだ。しかも、"ミチル"と名付けたはずの名前は、バグって"モチル"になっている。クレハの声の幻聴がささやく。『マヤはどうしてそんなゲームを一生懸命やるの?』そんなこと言われてもわからない。
年明け早々大変なゲームで充実した時間を過ごしたマヤは、モチル、もといミチルからスマホにメッセージが入っているのに気付いた。
『元旦早々メロディー思い付いたので一応チェックだけ頼む。』
真面目か。みんなが惰眠をむさぼっている時に。とりあえずグラボを休ませるのも兼ねて、マヤはクラウドに上がっている音源ファイルを再生してみた。
一聴して、マヤは「何だこれ」と呟いた。何というか、民族音楽みたいな旋律だ。いわゆるフュージョンではない。イメージとしては西アジア、あるいは中南米の民族音楽のような、荒涼とした寂静感と、郷愁を誘うメロディー。例によって寝起きで思い付いたらしいが、ミチルにはこんな音楽のセンスもあったのか、とマヤは驚いていた。
だが、そういえば、とマヤは思い出した。もともとミチルはフュージョンだけでなく、民族音楽や古楽も好きなのだ。ジュナが夏にミチルの家で、古楽のヒルデガルド・フォン・ビンゲンのCDを聴かされたと言っていた。フュージョン部で演奏するにはあまりにもジャンルが違うので、個人的に聴くのにとどめていたのだろう。
いま作ってきたメロディーは、民族音楽のエッセンスを色濃く留めながら、要所要所でアクセントをつけて現代的なリズムになっている。問題はそのリズムが、Aメロとサビ、BメロとCメロで違う点だ。無意識にやっているのか、意図してやっているのかはわからないが、いちおうそれぞれ一定のリズムにはなっている。そういう曲はJ-POPでも珍しくないが、こんなエスニックなメロディーでそれをやると、夢幻的なサウンドになる。
これはとても面白い曲には違いない、とマヤは思った。だが、アレンジを考えようとした時、マヤは呟いた。
「…今の私には無理だ」
それは、まったくの本心だった。こんな曲は今まで扱った事がない。ミチルは、チェックだけ頼む、と言っていた。アレンジを考えてくれ、と言ったのではない事に、マヤは安堵した。このメロディーを引き立てるアレンジを、どうしても組み立てられる気がしない。
正月の間はちょっと保留させてもらおう。とりあえず他のメンバーにも回しておいて、休み明けにみんなで考えればいいアイディアが出るかも知れない。そういうことにして、ひとまず『ちょっと今の私には扱い切れない。休み明けまで保留』と返して、マヤは再び"ブレードマスタータケル"のプレイを再開したのだった。
マヤ経由で、クレハはミチルが元旦に思い付いたというメロディーを受け取った。生まれるはるか昔のアニメ"超幕末少年世紀タカマル"のVHSを観ていた時だったので、観終わってから改めて聴いてみる事にする。とある場面でお腹を抱えて笑い転げてしまったので、気を落ち着けるまで時間を要した。
改めて、クラウドにミチルが上げた"Sarasvati"という仮メロディーを再生してみる。1分ほど聴いて、クレハはミチルが新しい表現を模索している事を理解した。ざっくりと言うなら、エスニックなサウンド。今までの曲は、曲調は変化があっても、曲のイメージ自体はいわゆるフュージョン、ジャズの範ちゅうにあるものだ。これは、そこから一歩踏み出している。
マヤが珍しく、このメロディーは扱い切れないと弱腰なのもわかる。どういうアレンジがふさわしいのか、クレハにも即座に答えは出ない。今までの楽曲と違いすぎるのだ。
ミチルの作曲家としてのレンジが非常に広い事は、これでハッキリした。だが、ミチル自身は自分でこのメロディーの全体像を把握できているだろうか。できていないからこそ、マヤのアレンジを期待しているのではないのか。
「…あのふたりだけに頼りっぱなしでは、ダメね」
クレハは自戒をこめて呟いた。今まで、作曲もアレンジも、基本的にミチルとマヤに任せっきりだったのだ。それに、クレハ自身がいつか、作曲を手掛けたいという夢を持っている。新年が明けたこの時が、一歩踏み出す時だ、とクレハは思った。
そのときクレハの脳裏を、ある一人の作曲家の作品がよぎった。思い立ってCDラックの前に立つと、ひとつのアニメ作品のコーナーを見る。中古でどうにかこうにか揃えたライブラリーの中から、1枚のアルバムを取り出した。まだ、”ビクターエンタテインメント”ではなく”ビクター音楽産業株式会社”とクレジットされている時代のディスクだ。
あるアニメのラジオドラマシリーズのサウンドトラックで、当然廃盤である。貴重なディスクなので、クレハはこの機会にそれをPCにリッピングした。1曲目はラジオドラマのオープニングテーマ。まだこの時代は、サントラにもOPとEDはフルコーラスで収録されているのに驚く。2曲目からが劇伴だ。
その作品の主題曲、BGMを改めて聴いて、クレハは「これだ」と一人頷いた。このサウンドが、ザ・ライトイヤーズに新たな音の世界をもたらす道標になってくれるかも知れない。ディスクのブックレットを開くと、作曲家のクレジットが目に入った。作曲家の名は―――――大島ミチル。
休み明けというのは気が重くもあり、妙な高揚感もあり、そしてやはり気が重いものである。ミチルたちの通う南條科学技術工業高等学校では、始業式が終わるとすぐに休み明けテストが待っていた。フュージョン部2年のクレハやマヤは休み中の予習にも抜かりがなく、涼しい顔で放課後の部室に現れた。残りの3人は重い表情である。
「だからちゃんとやっとけ、って言ったじゃん」
マヤは、放置されていたキーボードの椅子をマイクロファイバーで軽く拭くと、呆れたように足を組んで座った。ミチルとジュナ、マーコは、申し開きもございませんといった顔で定位置に座り込む。ちなみに3人とも勉強していなかったわけではないのだが、クレハとマヤはそもそも、基礎的な学力が他のメンバーより優れているのだ。
「いい。とりあえず終わったものは終わったんだから」
「ミチルの言う通りだ」
ジュナはミチルとガッシリ手を組んで力強く頷いた。マヤは呆れて溜息をつく。
「今日は長居しないでさっさと帰れ、って通達あったからね。1年生は?」
「今来るんじゃないかな」
ミチルがドアを見ると、示し合わせたようなタイミングで1年生がゾロゾロと現れた。
「お久しぶりでーす」
「今年もよろしくお願いしまーす」
キリカ、アオイ、サトル、リアナ、アンジェリーカ、そして薫。10日ほどだが、会っていなかったメンバーと再会するのは嬉しかった。1人ぐらい髪型を変えたメンバーがいるかと思ったら、全員見事に2学期のままである。
「よろしくね。今日はとりあえず挨拶だけだから」
11人が揃う事じたい、久しぶりだ。みんな座った状態で、形ばかり「今年も頑張っていきましょう」と挨拶した。
「なんか部長として、方針みたいなの言っておいてもいいんじゃないの」
マヤがミチルに促すものの、ミチルは考え込む。方針と言われても、あらゆる事が方針に思えてしまい、どれがどう、とは言えない気がするのだ。
「うーん。まあ、今までやって来た事の継続だね。1年生は、フュージョンとかジャズのナンバーを1曲でも覚えるのと、オリジナル曲も作る。私達は―――」
そこまで言って、ミチルは言葉を詰まらせた。2年生はただのフュージョン部員ではない。ザ・ライトイヤーズという、一応はプロミュージシャンの端くれである。まだフルアルバム1枚も出してはいないが。ミチルは、改めてそのへんをきっちり形にするべきだ、と考えた。
「私達は、春休みを目途にフルアルバムを作る。どう、みんな」
「フルアルバム!?」
全員が「正気か」という顔をした。ミチルは真顔である。
「うん。この間のクリスマスライブで痛感した。マヤも前から言ってたけど、私達には楽曲が少なすぎる。具体的に言えば、ワンマンライブをできるくらいの、オリジナルのレパートリーを準備しておきたい」
ワンマンライブ。そのキーワードに、2年生全員の表情が引き締まった。この間の1時間程度の演奏でも、けっこうギリギリだったのだ。仮に2時間程度ワンマンでやるとしたら、16から20曲は必要になるだろう。もちろん、今から数か月でそこまでやれるようになるとは、ミチルも考えてはいない。
「極端に言えば、よ。現実的には私達には学校もあるし。ただ、2年生のうちに、やれる事はやっておきたい」
「2年生のうちに、ね」
マヤは少し苦い表情を見せた。3年生になれば、否応なく進路についての活動が本格化する。去年、6月にはもう3年生達はほとんど部室に姿を見せなくなっていた。ミチル達もそれに倣うとすれば、もうフュージョン部として活動できる時間そのものが、あまり残されてはいないのだ。聞いていた1年生の表情が少しかげったのを見て、クレハがフォローを入れた。
「私達の場合、先輩達とは違う形の進路になるかも知れないわ。音楽一本でやっていく事になる可能性も、ないとは言えないし」
その、クレハにしては思い切った発言に、ミチルたちはギョッとした。音楽一本。つまり、ミュージシャンとして完全に独立する事を視野に入れている、ということだ。いくら何でも、現状でそこまでの事は想定できない。そこでミチルは、改めてひとつの問題を持ち出した。
「ちょうどいいや。今、改めてみんなの意志を確認しておこう」
ミチルがみんなに相談したのは、清水美弥子先生や佐々木ユメ先輩からも提案があった件である。卒業したら音楽の短大か専門学校に通い、音楽理論を学びながら、ザ・ライトイヤーズとして活動を継続する、というものだ。
「なるほど」
ジュナは難しい顔をして胡坐をかいた。胡坐が似合う女子高校生ってずるいな、とミチルは思う。クレハだと、フランス人形が胡坐をかくみたいなビジュアルになりそうだ。
「あたしは悪くないと思う。メリットは色々あるけど、兎にも角にも今みたいな形態で活動できる、って事だろ。まあ、親のスネかじる事には変わりないが」
「バンドとして収入が増えれば、話も違ってくるわよ」
マヤもマヤで、しれっとすごい事を言う。そんな収益が得られるほどビッグになれるかどうかはわからない。今のバンドの収入というのは、レッドブルやミネラルウォーターを買うには困らないが、ちょっと機材を買えば吹き飛ぶ程度のものでしかない。とてもではないが、バンドを”運営”などできっこないのだ。
「そこまで考えるとキリがないから、今は単純に考えよう。音楽理論を学ぶ、っていう提案について。ちなみに部長としては、専門学校に行くのがベストだと思ってる」
「音大ではなく?」
クレハが訊ねる。マヤ達も、ミチルの意見に興味があるようだった。
「うん。私たちの場合、もう音楽活動を始めちゃってるじゃない。だからまず、”実践”を第一に考える必要がある。これは、清水美弥子先生からの意見でもあるんだけど」
「なるほど」
「あとは、音大よりは入学のハードルが低い。つまり、3年生の間も大学を受験するのに比べて、活動が比較的自由になる」
すると、黙っていた1年生のリアナが口を開いた。
「部活に出て来られるっていう事ですか」
それは、ミチルたちが3年生になっても、少なくとも今の3年生達よりはいくらか、部活に顔を出せる事を期待してのものだった。ミチルには、リアナ達の気持ちがよくわかる。もし6月頃に事実上引退してしまったら、ミチル達とリアナ達が直接部活動で交流できる期間は、1年にも満たない事になるからだ。
ミチル達も、先輩達と会えなくなる事の寂しさは現在進行形でよくわかる。入部が2学期に入ってからだったリアナ達は、もっと寂しい気持ちを抱えるかも知れない。それを思うと、もう少し長く一緒にいてやりたい、とも思う。もちろん、何もかも期待するほど子供ではないが。
「うん、そうなるといいな、って私は思ってる」
今のミチルに言えるのは、それが精いっぱいだった。