表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Light Years  作者: 塚原春海
Roses Mistral
146/187

越天楽

『あけましておめでとうございます

 昨年中はお世話になりました

 本年もよろしくお願いいたします』


 という、インクジェットプリンターで印刷された干支のイラストと定型文ののち、手書きで干支のラクガキとメッセージが追加されている。


『今年はグラミー賞獲っちゃうぞ!?/ミチル』


 獲れるものなら獲ってみせていただきたい、とザ・ライトイヤーズのドラムス、工藤マーコは早速届いた年賀状に鼻白んだ。ただなんというか、リーダーの大原ミチルは冗談が通じない、あるいは冗談が本当に通用してしまう恐さがある。来年の2月、ロスのクリプト・ドットコム・アリーナでの授賞式に、卒業を控えた日本の女子高校生5人が"絶対に"並んでいないと、誰が断言できるだろうか。

 そうなったら授賞式の衣装はどうしよう、などと元旦から不毛な心配をしつつ、マーコは届いた年賀状をチェックした。人によってはもうLINEしか送って来ないのだが、さすがに部活関係、バンド関係のみんなからはきちんと届いている。ミチルはバンド責任者だから、出版社とかラジオ局とかからも来てるだろうな。

「おっ」

 マーコは、吹奏楽部の市橋菜緒先輩や、騒動を起こしてその後和解した、酒井三奈と桂真悠子の名も確認した。この2人はフュージョン部の部室まで来て頭を下げてくれたので、まあ思う所はあるが、年も明けたことだし、水に流そう。ちなみにこの2人に年賀状を送るかどうかは各人の判断に任せる、とミチルが言っていたが、マーコを含めてたぶん全員送っているだろう。年賀状の束を机に置いて、マーコはスマホを開いた。

『いえー!』

『あけましておめでとーう!』

 夜中にバンドリーダーとギターが、浮かれ放題の見本みたいな年越し動画を送ってきた。マヤとクレハからも写真が届いているが、神社ではなくお寺のようだ。背後に立つグラサン黒服の小鳥遊さんが心霊写真じみていて不気味だったので、画像加工アプリでマルを加えて『すぐにお祓いを受けてください』と書き添えて送り返した。

 実はジュナから3人で行こうぜと誘われていたのだが、年越しはお笑い特番を見てダラダラ過ごすべし、と聖書にも書かれているので断った。

「姉ちゃん、そろそろ行くぞー」

 弟の声がかかった。これから家族で初詣だ。夜中に初詣しちゃった人らは、日中のお参りはしないんだろうか。マーコは買ったばかりのファー付きハーフコートを着込んで、階段を降りた。



 毎年元日、村治薫少年は晴れやかさと、苦々しさを同時に味わう。両親が帰国しているのと、今年は突然増えた仲間達から何枚もの年賀状が届いたのは嬉しい。風変わりと言われる薫だが、べつに世間並みの感覚がないわけではない。

 だが、薫の祖父のクラシックギタリスト村治幸之助は、盆正月についてはもう何というか、日本の伝統的なしきたり(であるらしい)を徹底して守る事に、本業の音楽と同じく誇りを持っている人物である。窓を開け放した寒風吹く部屋で仏壇に手を合わせる、なんて事やってるのは、近隣では我が家だけだろうし、フュージョン部の仲間の家では絶対にやっていないと断言できる。

 その、しきたりの全てを細かく説明するとキリがないので割愛するが、薫にとって最大の拷問、そう、拷問と言ってしまって差し支えない行事が、


 「お屠蘇」


 である。お屠蘇なんて単なる祝い酒だと思っている人もいるだろう。とんでもない。"屠蘇"とは、正確には"屠蘇散"。この字面でピンときたなら、それで正解だ。そう、お屠蘇とは配合された漢方薬を漬け込んだ酒なのだ。

 未成年である薫には、ご丁寧に本みりんのアルコールを飛ばしたもので毎年用意される。漢方薬は祖父が懇意にしている老舗の薬局が、毎年用意してくれる。桂皮、山椒、陳皮、桔梗、浜防風、などなど。店が火事になればいいのに。

 ネットを調べると、お屠蘇は不味くない、というコラムが目立つ。お前ら全員、うちに来て飲んでから言え。某新聞社の、「来週またここに来てください、本物を食わせてやりますよ」と相手のスケジュールも訊かずに強要してくるあの人なら、美味いお屠蘇を用意できるというのか。

 とにかく、村治薫にとってお屠蘇は祝い酒でも何でもない。漢方薬溶液を強制摂取させられる拷問である。自分の代で終わらせるか、お屠蘇のかわりにレッドブルでも飲む風習に変えたい。それとも、歳を取ると考えも変わるのだろうか。


 昼過ぎ、初詣も終わってようやく元旦のクエストを全て攻略した薫は、改めてみんなから届いた年賀状やスマホのメッセージを確認した。あまり交流もないフュージョン部3年生からも届いているが、受験勉強マジで大丈夫ですか。

 ミチル先輩からは、プリンターで出した横に今年も頼むよ、と書き添えてある。もう完全にエンジニア扱いだ。クリスマスライブは例によって事件が起きたらしいが、先輩達は年明け早々も何か起きそうで怖い。

 色々と面倒ごとはあるものの、正月の雰囲気はやはり好きだ。薫はディスクラックから1枚のCDを取り出し、パイオニア製のプレイヤーにセットした。東儀秀樹「雅楽 天・地・空~千年の悠雅」。2000年の元旦にリリースされた、東儀秀樹の本領とでも言うべき、雅楽の古典を収めたアルバムだ。

 頭の"平調音取 (ひょうじょうのねとり)"から、誰もが聴いた事がある"越天楽"へと続く流れは、いかにも正月という気分になる。が、越天楽は正月のための曲ではなく、そもそも何のための曲なのか、はっきりしていないらしい。

 平調、というのは雅楽の演奏会におけるコード進行の基本みたいなもので、音取というのは演奏会の前にバンド全体でチューニングを合わせる作業だ。"平調音取"とは要するに、ライブのオープニングで"今日の俺達の雅楽ライブは基本このコードで行くぜ!"という宣言になる。ちなみに"越天楽"も、調の種類で音が変わる。僕らがよく耳にする"越天楽"は、正確には"平調越天楽"というものになる。

 越天楽は龍笛、篳篥 (ひちりき)、笙、箏、琵琶、三種の太鼓で構成される。鳳笙の音はほとんどシンセサイザーで、初めて生で聴いた時は、シールドケーブルが伸びているんじゃないかと疑ったほどだ。

 雅楽の音は、パルプコーンのフルレンジスピーカーでないとダメだ。特に琵琶や笙、鼓の鮮烈なトランジェントは、重いウーファーとトゥイーターの合成音では再現できない。結局、新年も村治薫は音楽とオーディオで明けた。さて、ミチル先輩達はどうしているだろう。



 深夜1時過ぎに帰宅して、昼過ぎに再び、今度は家族と神社に参拝するのは、いくら若いと言っても体力的に厳しい。2度も初詣に出掛けるのもどうなのか。2回目は初詣とは言えないのではないか、と大原ミチルはぼやきながら、サングラスを直した。髪も結ってキャップを被り、いちおう変装したつもりである。

「姉ちゃん、見ろ!大吉!」

 弟のハルトが、自慢げに引いたおみくじを突き付けてきた。確かに大吉である。姉はその文面をまじまじと読む。

「"恋愛:愛情を捧げよ"だって」

「え?」

 ハルトは、改めてその項目を読み、首を傾げていた。

「あんた、アリスとの進展はどうなのよ、ハルト」

「うっ」

「クリスマスのデート以降、あんたから何も聞いてないよ。ほら、神社に来たんだから神様に報告したら?」

 ミチルは、人でごった返す社殿を指差した。ハルトはなんだか強張った表情である。

「おっ、俺の事はいいだろ!」

「ふーん、秘密主義か。じゃあアリスに聞くからいいや」

「やめろ!やめて下さいオネシャス!」

 慌てて突然敬語になる。弟が慌てふためく様は眠気覚ましに丁度いい面白さだったが、じつはミチルは、いちおうハルトが交際している片霧アリス嬢とのデートがどうだったのか、とっくにアリスから聞いて知っている。デート当日ハルトは始終リードされっ放しで、夕方自宅近くまでアリスを送ってやったのが、唯一それらしい振る舞いだったらしい。

『なんだか私が引っ張り回しちゃったみたいで、ちょっと悪い事したかなって思ったんですけど』

 というメッセージを、自分の彼女 (たぶん)が裏で姉に送信しているという事実を彼は知らない。ハルト自身はリードされるのもそう悪くはないようだが、やっぱり男の子としての、リードしたいという意識もあるようだ。

「ま、どういう関係であれ、相手の事を思いなさい、って事でしょ。持っておきなさいな、そのおみくじ」

「え?おみくじって木に結ぶんじゃないの?」

「なんかどっちでもいいみたいよ。悪いのは結んで、いいのは持って帰るとか」

 ネットで読んだ情報を、ミチルはそのまま言った。真偽のほどは不明である。ハルトは持って帰る事にしたようだった。

 そのとき、社殿の奥からおなじみの音色が聴こえてきた。雅楽のライブパフォーマンスだ。

「おっ、ちょっと聴いてこよう」

 ミチルはスマホを手に、社殿へと向かった。人が多すぎて近付くのは無理だが、少し離れた所からでも音は余裕で聴こえる。さっそく、その演奏の様子を録画した。


 雅楽の音色はミチルも好きだ。何とも言えない、張り詰めたような清澄さがある。いま流れているのは、ミチルも知っている。もっとも有名な"越天楽"だ。

 続いて演奏されたのは、少しテンポが違う曲だった。越天楽に較べて、緊迫したような雰囲気がある。これは何だろう。そう思っていると、両親が声をかけてきた。

「ミチル、そろそろ帰りましょう」

「ああ、うん」

 新たに買ったらしい破魔矢を提げた母親に促され、ミチルは録画を切り上げて戻る事にした。

 帰りの車中、スマホでいろいろ検索してみるが、よくわからない。雅楽はさすがに専門外である。そこでミチルは、"そういう方面"に詳しそうな人物の顔を思い出した。


『それは"陪臚 (ばいろ)"だね。聖徳太子の時代には、すでに日本に入って来てた曲。っていうか、すごいシンクロニシティだね。さっき聴いてたCDにも入ってる』

 やっぱり薫は只者ではない。雅楽の曲のタイトルがわからないと思っていたら、それが収められたCDを持っていて、しかもちょうど聴いていたという。有名な、東儀秀樹さんのアルバムらしい。

『陪臚っていうのはいわゆる毘盧遮那仏のことらしい。たしか、東大寺の大仏の開眼でも演奏したんじゃなかったかな。勝利祈願の曲で、聖徳太子が物部守屋を討つ時、あとは源義家とか義光が出陣前にもリピート演奏してたみたい』

『元旦から飛ばすな、君も』

 相変わらず、歩くwikiみたいな奴だ。トーク画面が文字で埋め尽くされてゆく。おじさん構文ならぬ、薫くん構文だ。

『ありがとう。まあなんだ、今年もよろしくね』

 最近は薫のあしらい方もだいぶわかってきて、話を切り上げるというか、切り上げさせるタイミングも読めるようになってきたミチルである。


 いろいろ説明を聞いてなんとなく雅楽に興味が湧いたミチルは、さっそくストリーミングサービスで、薫が紹介してくれたアルバムを探した。すると、薫が言ったとおりの"陪臚"という曲があった。カッコで唐楽、という注釈がある。再生すると、確かにさっき神社で演奏されていた曲だった。やっぱり”越天楽”に比べるとテンポが速い。雅楽のリズムはどう解釈すればいいのかわからないけれど、マヤあたりが聴けばすぐ解析できちゃうんだろうな。

 ”越天楽”も改めて聴いてみる。ジャズでもクラシックでもない、はっきりとしたメロディーとは違う音楽。強いて西洋音楽を引き合いにするなら、古楽に近いかも知れないけれど、根本的な部分で違う。祈りとかの感じでもなく、ただただ、”ありのまま”を音にしているような。

 じゃあ、例えば環境音楽、リラクゼーションみたいなサウンドなのかというと、全然違う。断言してもいいが、雅楽にヒーリング効果はない。むしろ、神経を研ぎ澄ましてくるようなサウンドだ。大音響で眠くなる人がいる、というのはミチルも知っている。だが、雅楽を聴いても眠くはならない。フルオーケストラのクライマックスに比べれば、たかだか12人かそこらの編成で、控えめな音を出しているだけなのに、神経に直接作用するような感覚がある。


 そのとき、ミチルに何かピンとくるものがあった。この感覚、雅楽の張り詰めた独特の空気感を、自分達の音楽に活かす事はできないか。一本調子なフュージョンサウンドに、何か強烈なアクセントを加えられないか。すぐにミチルはPCのレコーディングアプリを立ち上げ、EWIをつないだ。

 まず試しに、”越天楽”の主旋律を真似てみる。EWIにはベンダーという、エレキギターで言うトレモロアームに相当する音程を変化させる機能がついていて、それを使って篳篥 (ひちりき)の生々しい音の再現を試みた。だが、真似はできてもオタマトーンみたいな音にしかならない。どうにかこうにか吹いてみたが、思い付きのレベルを出るものではなかった。これはダメかな、とEWIを置いて、ベッドに横になる。すると、寝不足のミチルはそのままあっという間に寝入ってしまった。



 ミチルは、見た事もない景色の中に立っていた。そこは断崖の上で、眼下には果てしなく森林が広がり、その中を蛇のようにうねる、長く広い川が地平線まで続いていた。どこなのかわからないが、ミチルにとって、ひどく懐かしい場所であるように思えた。

 断崖の少し離れた所に、ターバンのようなものを巻いた、豊かなヒゲをたくわえた老人が佇んでいた。ミチルは近付いて、ここはどこなのか、と訊ねてみた。すると、老人はまるで若者のような、活き活きとした眼光をミチルに向けて言った。

「帰って来たのかい。まだ、その時ではないよ」


 次の瞬間、ミチルは目が覚めた。寝入ってしまった事に気付き、慌てて時計を見るが、まだ夕方4時過ぎだ。せいぜい20分くらいしか眠っていないはずなのに、まるで7時間も熟睡したあとのような感覚だった。そしてその時、ミチルに何か、得体の知れない明確な閃きが起きた。瞬間的に跳ね起きて、起動したままのPCの前に座り、EWIを手に取る。録音ボタンをクリックして、再びEWIに息を吹き込む。

 それは何と表現すればいいのかわからない、ミチルのボキャブラリーで言うなら、エスニックとか、エキゾチックとでも言うべき旋律だった。柔らかく、しなやかでありながら、エッジは鋭い。リズムはごく普通の8ビートだが、明らかにBPM、テンポが急変する。まるで、川の流れの速度が変化するような感覚だ。

 そのメロディーは延々と6分近くも続き、ミチルが吹くのに疲れ始めた所で、ようやく終わってくれた。こんな感覚は初めてだった。


 アイスコーヒーで喉を潤しながら、録音したメロディーを再生してみた。少なくとも、今まで作ってきたようなフュージョンナンバーとはまるで違う。かといって、さっき練習してみた雅楽の感じとも違う。だが、どこかで聴いた事があるような音楽だ。そして、いい曲なのか、そうでないのかが今のミチルにはわからない。ただ、妙な懐かしさを覚えるメロディーだった。ミチルはその仮メロディーに、"Sarasvati"というタイトルをつけて保存した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ