(They Long To Be) Close To You
ザ・ライトイヤーズ。ライブに招待してくれた親友のミオが、凄い子達だ、と言っていた。最近TVだとかでたまに名前を聞いてはいたが、鹿嶋晴歌はそもそも、音楽のジャンルの区分にあまり詳しくなかった。クラシックと民謡とJ-POPの違いはさすがにわかるが、メタルとハードロックはどう違うのか。グランジとメロコアは。
それじゃミオ達のバンドのジャンルは何なの、と訊ねたら、最初はハードロックバンドとして始めたつもりらしいが、だんだんジャンルなんてどうでも良くなってしまい、今はただ"ロックバンド"と大雑把に括っているそうだ。
だが、今目の前で演奏している少女たちは、フュージョンバンドだという。フュージョン。融合とか、統合といった意味合いの単語だ。雑に言うなら、ジャズとロックが融合して生まれた音楽、ということらしい。
ジャンルの区分けは知らないが、この子たちが本物だという事は、晴歌にもわかった。小説の文面をちらっと読んで文才があるかどうかわかるように、2曲聴いただけで、並大抵ではないセンスの持ち主だという事は明らかだった。
『えー、白状します』
唐突に、センターに立つサックスの少女が、マイクに向かって呟いた。
『持ち時間は1時間だと言われて、自分達のオリジナルレパートリーをリストアップしたところ、明らかに足りないという事が判明しました。そこで、未完成だった2曲を慌てて仕上げて、かつ新曲を2曲、出演が決まってからまとめるという、この10日少し、非常に慌ただしい日々でした』
それを聞いていたローゼス・ミストラルのメンバーから笑いが起きる。だが、リーダーの風呂井リンだけは真顔で聞いていた。
『ということで、ある意味ローゼス・ミストラル様のおかげで完成した、眠ってた2曲です。"Under the Moon"、そして"Summer Days"』
"Under the Moon"は、ライトイヤーズとしては、ごく無難なナンバーだなとキーボードのアヤナは思った。転拍子も、それほど厄介な転調もなく、ピアノ主体のアダルト・コンテンポラリーサウンド。サックスはお休みで、ギターも少しバックでアルペジオを奏でる程度だ。
こういう曲も必要だ。比較的長丁場のライブなので、要所要所で息抜きできるセトリを考えているらしい。
キーボードの金木犀マヤという少女は、面白いプレイヤーだ。実力は高い筈だが、いつもさらに高いレベルを目指して、たまに失敗しているのがわかる。ライトイヤーズの中で一番ミスが多いのが彼女だ。普通に弾けばいいのに、あえてチャレンジして失敗する。無難な所に落ち着くのが嫌いなのだろう。外見はクールで計算高そうに見えるが、中身はけっこう熱いタイプなのかも知れない。
続く"Summer Days"もまた、シンプルで軽快な、ある意味ではこれぞフュージョン、とでも言うべきナンバーだ。肩肘張らない、それこそフュージョン・ブームの時代を思わせるサウンド。いちおうクロス・オーバーからフュージョンの流れも履修しているアヤナだが、彼女達は基本的に、古典的なフュージョンに対する敬意を忘れていない。古いものに現代のセンスの"洗礼"を施すのではなく、古いものの良さをそのままに、現代に洗練させる方法論だ。
そこからは、リンもよく知っているナンバーが続いた。"Seaside Way"は、さっきの軽快な新曲から、同じイメージでもう少し速い曲だ。似たような曲をあえて続けるのも、ひとつのセトリの考え方ではある。下手にバラエティーを強調して、かえって散漫になるよりずっといい。
続く曲の"Friends"は、実はローゼス・ミストラルでカバーを試みて真似できなかったナンバーだ。作曲はあのお団子ヘアー。メインのメロディーを複数の楽器で切り替えるのは珍しくも何ともない。だが、複数の楽器がシームレスにつながれた楽曲など、どうかしている。しかも、小節の途中でEWIからギターへ、ギターからキーボードへと切り替わるのだ。そのうえ、転拍子まで当たり前のように仕込んである。2回や3回の転調など、彼女達にとっては息をするのと同じだ。こういうのは、センスがいいとか、才能があるとか表現するべきではない。"変態"というのだ。
さらに、さっきの大原ミチルのMCによれば、どうやらこの短期間に実質4曲を仕上げてきたらしい。さすがだ。これでリンが知る限り、彼女達のオリジナルレパートリーは11曲になる。まだワンマンライブを敢行するには程遠いが、二組で対バンするには十分だろう。ユメ、あなたの後輩は私が思っていた以上の連中みたいね。
リオは、フュージョンという音楽をライブで聴くのは初めてだった。オジサンが聴く音楽という先入観が、なかったと言えばウソになる。だが、その先入観、固定観念は打ち砕かれた。こんなに洒脱な音の世界があったのか。それに、インストがロック、ポップスに較べて特殊な音楽というイメージも覆された。むしろ、音だけで勝負する潔さがある。5分間延々と、恋愛がらみの泣き言を訴えられるような曲よりいい。
何というタイトルなのか忘れたが、TVで聴いた曲、動画で聴いた曲が続く。ちょっとイントロがハリー・ポッターみたいだと思っていたら、名探偵コナンのテーマがもうちょい大人っぽくなったような、この曲は好きだ。その次には、なんだか夜の街を探偵が独り、煙草をくゆらしながら歩くような雰囲気の曲。ゲームのBGMにしたら盛り上がりそうだ。そう、ライトイヤーズの曲はどこか、アニメやゲームのBGMっぽく聴こえる事がある。だから、15歳のリオにもスッと入ってくるのかも知れない。メンバーに、そういうのが好きな人がいるんだろうか。
演奏が終わると、ミチルさんがぽつりと言った。
『次の2曲で終わりになります。新曲"Future Wind"、そして"Dream Code"』
なんだと。時計を見ると、もう1時間近く経っていた。その時リオは彼女たちが、オーディエンスが8人しかいない寂しいフロアに向かって演奏し続けてきた事に、改めて驚いた。どうして、あんな嫌がらせを受けたのに、モチベーションを崩さずに1時間も演奏できたのだろう。
そう思っていると、ミチルはサックスをスタンドに置き、いよいよ後に鎮座していたヴァイオリンを手に取った。このライブハウスで、ヴァイオリンを演奏した人は過去にいたのだろうか。そして、サックスと変わらず見惚れるような姿勢で、素早くヴァイオリンのチューニングを確認する。ヴァイオリンにはマイクらしいものが取り付けられており、そこからコードが伸びていた。なるほど、ああやってPAから音を出すのか。
大原ミチルがヴァイオリンを弾けるなんて聞いていない、と風呂井リンは訝った。ユメが弾けるのは知っているが、後輩に教えたという話は聞かない。つまり、自発的に覚えたという事だ。だが、いったいどの程度弾けるのか。そう思っていると、彼女は即興で見事なアドリブを奏でてみせた。もう、その僅かなフレーズでわかった。プロ級の一歩手前だ。
イントロは格調高いピアノで始まった。そこから一瞬のブレイクを挟んで、全パートが一斉に奏でられる。そのサウンドに、ローゼス・ミストラルの全員が、あっと驚いた。
(プログレだ!)
参った、と言う他ない。それは彼女達の先輩バンド、"Electric Circuit"のお株を奪うプログレナンバーだった。
そして、てっきりヴァイオリンがメインの曲とばかり思っていたのに、なんとメインは折登谷ジュナのギターである。ヴァイオリンはバックに回り、音全体の飛翔感を演出している。
クラシカルで重みがありながら、スピード感とポップ感を備えた、ライトなプログレ・フュージョンナンバー。だがドラムパターンは恐ろしく高度で、Bメロで転拍子が使われているように聴こえるが、実は一定の8ビートだ。曲全体のベースはスムースなジャズロックだと思うが、アレンジがそれと気付かせないレベルで変態じみているため、間違ってもホームセンターのBGMには使えない。苦情が来る。
圧巻の新曲のあと、ミチルはいつもの金色のサックスに持ち替える。色々なステージで何度も演奏されているナンバー"Dream Code"で、1時間あまりのステージは締め括られた。大原ミチルが夢の中で思い付いたというメロディー。不思議で、希望的なサウンドのロック・フュージョンだ。おそらく彼女たちの全レパートリーを、リンは目の前で聴く事ができた。
それは素晴らしいステージだった。フロアにいた全員、そしてライブハウスのマスターさんから、惜しみない拍手が送られた。リオとカナメも一緒に拍手する。こんな素晴らしいライブが、私達だけのために開かれたのだと考えると、とても贅沢な時間だったようにも思えてくる。しかも、ローゼス・ミストラルのメンバーと一緒に聴けたのだ。
「素晴らしかったわ」
リンさんが進み出て、大原ミチルさんに手を差し出した。ミチルさんはサックスをスタンドに戻すと、リンさんの手をしっかりと握る。
「白状するわね。実は、あなた達が演奏時間を短くしてくれと頼んでくるか、時間を埋めるのにコピーナンバーを追加するのではないか、と考えていたの。同時に、ひょっとしたら新曲を準備してくるのではないか、という期待も込めてね」
リンさんは、ギョッとする事を平然と言ってのけた。つまり、ライトイヤーズを試していたという事だ。そんな事、明かさなくてもいいのではないか。だが、リオはミチルさんの返事に、さらにギョッとした。
「知ってました」
なに!?
「私達の当初のレパートリーは7曲ていど。1時間以上もたせるには足りない。それを知っていたとしたら、なぜ対バンを持ちかけてきたのか、と考えました」
「私の目論見はお見通しだったのね」
「はい。理由はわかりませんが、リンさんは私達に、新曲を作らせる事が目的だった。違いますか」
何だ?何を言ってるんだ?リオにも、隣のカナメにも、リンさんとミチルさんの会話はわからない。だが、リンさんは拍手で応えた。
「参ったわ。脱帽よ、さすがは佐々木ユメの弟子。そのとおりよ、私はあなた達に新曲を作らせたかったの」
「なぜですか」
当然、ミチルさんは訊ねた。
「そんなの、決まってるでしょう。あなた達に、活動をやめて欲しくないからよ」
「…なぜ、私達に」
「あなた達のファンだもの。私が」
リンさんはハッキリとそう言った。ザ・ライトイヤーズのファンだ、と。
「好きなバンドには活動をやめて欲しくない。でも、新曲を作らなければバンドは続かない。それなら、作らざるを得ない状況に追い込むしかない。そこで、あなた達は見事に応えてみせた」
すると、ローゼス・ミストラルの他のメンバーも無言で頷いた。どうやら、メンバー間で同意の上だったらしい。
「ひな鳥みたいに口を開けて黙って待っていれば、新作を作ってもらえる、なんて私は思ってない。口コミで広めるなりアーティストに発破をかけてこそ、筋金入りのファン。好きなアーティスト以外のバンドを貶める事がファンの姿だと勘違いしているような連中は、ファンどころか叛逆者ね」
これまた、強烈なひと言をリンさんは言ってのけた。
「私達の主催したライブで、結果的にライトイヤーズのみなさんには、極めて不快な思いをさせてしまいました。その事は、バンドとして正式に謝罪します。申し訳ありませんでした」
「申し訳ありませんでした!」
ローゼス・ミストラルのメンバーが、ステージに向かって、深く頭を下げる。そんな光景に思いもよらなかったリオとカナメは、オロオロして見守るしかなかった。金髪の女性は、悟ったような表情をしている。すると、ミチルさんがリンさんの手を取った。
「顔を上げてください。リンさん達の責任じゃありません」
「あんな、いい歳こいて恥ずかしい連中のために、先輩たちが頭下げる必要ないですよ」
先輩。ギターのジュナさんはそう言った。ローゼス・ミストラルのメンバーは、ゆっくりと顔を上げる。
「それに、あたしらこう見えて、けっこう色んな汚い奴らに出遭ってきてますから。この程度の事で動じてられませんって」
「ほんとにね。いっぺん、お祓いしてもらった方がいいんじゃないか、とは思うけど」
後ろでキーボードのマヤさんがボソッと溜息をつくと、ライトイヤーズの面々は突然爆笑し始めた。何なんだ。どうして、あんなひどい事をされたのに、笑っていられるんだ。一体これまで、どんな目に遭って来たというのか。タフすぎる、とリオもカナメも呆れてしまう。それは、ローゼス・ミストラルのメンバーも同じらしかった。すると、ミチルさんが意外な事を言い出した。
「リンさん。まだ終わりじゃないですよ。もう1曲、残ってるじゃないですか」
もう1曲?どういう事だ。すると、ローゼス・ミストラルのメンバーは頷き合って、全員がステージに上がり始めた。何だ何だ。オロオロしていると、ミチルさんはEWIを手にして右手に移動し、ジュナさんが代わりにセンターのマイクの前に立つ。そして、その左右にローゼス・ミストラルが、3本あるボーカルマイクを、2人で1本ずつ使う形で並んだ。センターのマイクは、ジュナさんとリンさんだ。
『最後までフロアに残ってくれた3人のために、私達からクリスマス・プレゼントを贈ります』
リンさんがそう告げると、聴き覚えのあるピアノのイントロが流れた。何だっけ?聴いた事ある!必死に思い出そうとしていると、ジュナさんが静かに歌い始めた。そのハスキーで温かいボーカルに、リンもカナメもゾクッとした。そして、今までの楽曲とはまるで違う、アットホームなバック演奏。ピアノもベースもギターも穏やかで、ハイハットがささやくようにリズムを刻む。そこでやっと思い出した。
("Close to You"だ!)
リオは、カナメと顔を見合わせて微笑んだ。それはいつか、学校の音楽の授業で先生が聴かせてくれたナンバーだった。アーティストが思い出せないけど、たぶん外国の誰か。歌の内容がクリスマスに相応しいかどうかはわからないけれど、その温かいサウンドはほんとうにクリスマスらしいものだった。メインのボーカルはジュナさんが担当して、他の5人がコーラスで参加した。どうやら、この事は最初から両バンドの間で打ち合わせしていたらしい。
間奏では、ミチルさんのEWIがトランペットみたいな音を奏でた。あとで知ったが、カーペンターズの原曲ではフリューゲルホーンという楽器が使われていたらしい。アルトサックスだと音域が違うので、EWIを使ったのだ。そういう芸の細かさが、本当にすごいバンドだ。
これも後から知った事だが、いま演奏しているアレンジはカーペンターズのものではなく、日本のシンガーソングライターの鈴木結女さんが、1997年にカバーした時のアレンジだそうだ。ジュナさんはクリーントーンのレスポールを弾きながら歌っている。何でもできる人だなあ。そして、6人のコーラスは温かくも圧巻だった。これが、フロアにいる自分達3人のためだけに歌われている。こんな贅沢があっていいのか。
夢のような演奏だった。もう、これ以上は望めないようなクリスマスプレゼントだ。