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Light Years  作者: 塚原春海
Roses Mistral
139/187

Black Out

 年季の入った古めかしいステージに、ゾロゾロとローゼス・ミストラルの面々が機材を抱えて現れると、フロアから歓声が上がった。男女比率は半々というところだ。

「フロイライーン!」

 高校生くらいの女の子達から、キラキラした声が飛ぶ。フロイライン、とはギターボーカルの風呂井リンの通称である。

 リオは、カナメとともに声を張り上げた。だが、隣のナンパから守ってくれた金髪のお姉さんは、ステージでセッティング最終確認をするバンドを、静かな面持ちで見守っている。

「あっ、忘れてた」

 リオは、内ポケットからライブ鑑賞用の耳栓を取り出した。ライブハウスは、音量がありすぎて耳をやられてしまう事があるからだ。カナメもそれに倣おうとしたところで、金髪のお姉さんが声をかけた。

「ここは他と違って音が小さめできれいだから、耳栓すると聴こえなくなるよ」

「えっ」

 2人は顔を見合わせた。

「ま、つけといてもいいけどね。任せるよ」

 お姉さんはそれ以上とくに強要もしなかった。どうやら、このライブハウスはよく知っているらしい。2人はアドバイスに従って、とりあえず外しておく事にした。


『メリークリスマス!みんな、来てくれてありがとう!』

 スリムなジーンズに真っ白なブラウスのリンさんがマイクに叫ぶと、薄暗いフロアは一気に沸き立った。ドラムスのサヤカさんがリズムを取る。全パートが一斉に、一糸乱れずイントロを奏でた。ハイスピードなハードロックナンバー、"Beat Impact"。その選曲に、リオは驚いた。最近めっきりライブで演奏される事のなかった、初期のナンバーだからだ。音源を聴いても正直、今の楽曲に較べてそれほど完成度は高くない。

 だが、それは単に当時のアレンジと、演奏能力の問題だという事が今わかった。音源の、急ぎ気味のリズムは少し落ち着き、ドラムパターンも要所要所で溜めが効いたものになっている。全体として緩急のバランスが取れて、まるで別物だ。

 それでも、なぜこの曲をオープニングに持って来たのかは謎だ。ふと隣の金髪のお姉さんを見ると、なんだか目を細めてステージを見つめていた。気のせいか、その視線はベースのミオさんに向けられているように思える。そう言われてみると、メンバー最年長のミオさんと同じくらいの世代に見えた。


「フロイラインだって」

 音響ブース付近で控えていたマーコがボソリと呟いた。

「風呂井リン、フロイリン、フロイライン。まあお嬢さんだけどさ。メンバー最年少だし」

「しかし、レベル高いな」

 マヤはアイスコーヒーを傾けながら、演奏を注意深く聴いていた。自分達のフュージョンとは当然音の系統が異なるが、自分達もコピーでロックナンバーをやる事は多い。

 ロックは当然、ボーカルを中心に音を作らなくてはならない。そのサウンドに、フュージョンバンドとしても学ぶべき所はある、とマヤは考えた。

 フロアは一瞬で盛り上がり、バンドの勢いを感じさせる。100人という少ないキャパシティも関係ない。そしてやっぱり、ロックのノリはフュージョンとは違うな、と思わされた。すぐ横で、ジュナとミチルがリズムを取っている。ジュナはもともとロックバンド出身なので、里帰りみたいなものだろう。クレハは何やら、じっとステージを見て聴き入っていた。

 1曲目の演奏が終わり、後ろでメンバーがセッティングやチューニングを確認する間、風呂井リンはマイクにむかって語り始めた。

『結成当初、曲が少なかった時は、1曲やるたびにMCを挟んでました。MCっていうか、時間稼ぎね』

 フロアから笑いが起きる。だが、マヤにとってはあまり笑える話でもない。今回ライブに呼ばれてから、急きょ2曲も新曲を入れたのは、レパートリーが足りなかったからだ。それこそMCで時間稼ぎすれば何とかなっただろうが。

『曲の作り方なんて、最初はホントにわからなくて。今の曲も、結成当時ベースのミオが作ってくれました』

 拍手が起き、ミオさんは手をヒラヒラさせて「よしてよ」と謙遜した。だが、ローゼス・ミストラルの楽曲の半分は彼女の作詞作曲によるものだ。正直、凄いとマヤは思う。

 作曲に関しては自分がメンバー中で最も慣れている、とマヤは思っていた。だが、土壇場で2曲も作ってきたのはミチルだ。もちろん、アレンジをまとめたのはマヤではあるが、メインのメロディーが決まらないうちはアレンジもできない。ミチルのセンスに脱帽しつつも、ミチルに任せっきりで申し訳ない、という気持ちもある。



 2曲目が始まった。わりと新しい、リオも大好きなナンバーだ。1曲目よりもライトなロックチューン、"ミラボー"。追いかけてもどうしても勝つことができないライバルへの、愛情と対抗心を歌った曲。



 あなたを追い抜けないのは

 サーキットのせい/きっとそう

 ここはモナコ、モンテカルロ

 絶対に抜けない!


 待っていて、次のミラボーで

 あなたを超えてみせる



 この作曲はギターボーカルの風呂井リンさんで、作詞がリンさんとミオさんの共同だ。ファンの間では、実際に誰かを指した歌ではないかと言われているが、それが誰なのかは謎だった。

 リンさんは合唱部出身である事もあってか、ロックボーカリストとしては珍しく艶のある声だ。ギタリストとしてはシングルピックアップのシャープなサウンドを好む。リードギターのマリナさんは逆にボーカルはハスキーボイスで、ギタリストとしては分厚い音を好む。

 そのとき、リオは何か違和感を感じた。

(あんなギター持ってたっけ?)

 マリナさんが下げているのは、ジャクソンの緑色のバースト塗装されたハムバッカーモデルだ。そこまで詳しくはないが、何となくエントリーモデルに見える。

(いつものエピフォンのレスポールタイプ、なんで使わないんだろう)

 だが、よく見るとそれはマリナさんだけではない。リンさんのストラトも、グレコのそんなに高くなさそうなモデルだ。いつもの白いストラトはどうしたんだろう。

 そう思ってベースのミオさんを見ると、やはりおかしい。

(これって、どういうこと?)

 フェンダー直系とはいえ、廉価ブランドのスクワイヤー製プレシジョンベース。いつも弾いている赤いジャズベースはどうした。そのとき、リオはふと、そのジャズベースをミオさんが導入した時のブログ記事を思い出した。


『パワーのあるロックサウンドが欲しくて、今までスクワイヤーのプレシジョンベースを使ってたんですけど。もっと音の汎用性が欲しくて、ついにジャズベース導入に踏み切りました。』


 つまり、おそらくこのベースは、その以前使っていたベースなのだ。だからって、音が変だとかいう事はない。当然きっちりメンテナンスしてあるのだろう。だが、そういえばなんだか最近のサウンドに比べると、パワー寄りのサウンドだなという気はしていた。なんでわざわざ、古い機材を持ち出して来たのか。

 そんなことを思っているうちに、3曲目、4曲目とステージは進んで行った。ブルースロック、フォークロック、3拍子のポップソング等、本当に多彩なバンドだ。リオは、これがせいぜい何歳か上の人達によって演奏されている、という事実に驚きを隠せない。そして、なぜいまだにメジャーレーベルから声がかからないのかも。あるいは、メンバーがメジャーレーベルを望んでいないという話も聞くが、本当だろうか。メジャーの方がいいのではないか。


 時間的にそろそろセトリの折り返しだろうか、というところで、切なげなギターのイントロが始まると、歓声が沸き起こる。リオも、隣のカナメも反応した。ちょっとニルヴァーナあたりを思わせるヘビーなサウンドで展開する名曲”Platinum Falcon”。



 さあ、お行き/ここはお前のいる場所じゃない

 カモメの仲間になんて/お前はなれやしない

 もうすぐさ/もうすぐお前の辿り着くべき場所が

 見えてくる筈だから/信じて飛ぶんだ


 Platinum Falcon/孤独の翼を広げて

 Platinum Falcon/地平線を翔けろ

 Platinum Falcon/誇り高い翼の主は

 きっと、お前だけじゃない



 これも作詞・作曲はベースのミオさんだ。いったい、この詞とメロディーはどこから生まれてきたのだろう。恐ろしく雄大で、叙情的な世界観。6分以上ある曲の中で、”孤独”というフレーズが8回も登場する。白金のハヤブサの孤独とは何だろう。その、言い知れない詞と音の世界に、誰もが感動せずにいられない。本当に、どうしてこれがまだ、全国区のヒット曲ではないのだろうか。ヒットチャートのトップに居座っていても何の不思議もない。

 そのときリオは、ふと隣の金髪の女性を見てギョッとした。彼女の鋭い目から、涙がひとすじ頬を伝っていたからだ。それまで、じっとステージを見ていた人物が、直立したまま静かに涙している。そして、その視線はやはり、ベースのミオさんをじっと見つめているのだ。この人はミオさんと何か関りがあるらしい。そうとしか思えない。

 ローゼス・ミストラルのステージが始まって、30分以上が経過しようとしていた。



 いい歌だ、とジュナは思う。孤独な空を翔ける、プラチナのハヤブサ。どこか、”カモメのジョナサン”を思わせる。群れに合わせる事ができず、ひたすらに自分の空を飛ぶ。獲物を捕らえるためではなく、自らの飛び方を極める、ただそのために。それは、どこか自分達ミュージシャンの姿にも通じる。

 仲間が欲しいのなら、他人と同じ事をすればいい。だが、”在り方”が異なりすぎて、輪の中に入れない者がいる。誰も知らない所で、ただひたすら自分の在り方を極める。それは恐ろしく孤独で、気が狂いそうになる仕事だ。だからこそ、仲間を見つけた時の喜びは大きい。自分は独りではないのだ。道を究めようとする者達だけに通じる友情がある。ジュナは、隣でステージを見つめる長髪の少女を見て思った。少女の頬をいま、ひとすじの涙が伝っている。この少女は友達に恵まれているように見える。しかし本当は、心の奥底で孤独を抱えていたのではないのか。100人の友達がいたとして、自分を真に理解してくれる者がその中に、1人もいなかったとしたら。この少女が本当の”友達”を獲得したのは、ひょっとしたら、ごく最近の事かも知れないのだ。

 折り返しを過ぎ、演奏はさらに続いた。ローゼス・ミストラル。恐ろしいバンドだ、とジュナは思う。音の世界そのものが、信じられないくらい高度だ。メジャーもインディーも含めて、同じようなバンドが思い浮かばない。それは、風呂井リンの伸びやかで透明なボーカルに依るところが大きい。パワフルなロックサウンドに、声楽の理論で培われたボーカルが、ここまでマッチするとは考えもしなかった。そして驚く事に、風呂井リンは曲に応じて、声楽の歌唱法と、ロック・ポップスの歌唱法を自在に使い分けているのだ。ボーカリストとしてもそれなりに自負があったジュナだが、その自尊心は完全に打ち砕かれた。



 フロアはもう、ローゼス・ミストラルに支配されていた。自分達はこのあとに演奏しなくてはならない。それも、フュージョンという畑違いの音楽をだ。ミチルは、楽曲への感動と同時に、戦慄を味わっていた。だが、そんな気分に浸っている余裕さえもうなかった。残り3曲、もうミチル達がスタンバイしなくてはならない時間なのだ。

 そのとき、ミチルは風呂井リンが、こちらを見たのに気付いた。ほんの数秒間だったが、彼女は間違いなく、ミチルの目を真っ直ぐに見据えていた。他のメンバーではない。思えば彼女は、今日ここに来てごく簡単な挨拶を交わしてから、色々バタバタしていた事もあるが、ほとんどミチルと会話をしていない。他のメンバーとはそれなりに会話を交わしたというのに。だが、いまステージからこちらに向けられた視線は、否、眼光は、ミチルに何かを訴えるものだった。あるいは、問いかけか。そこにミチルは、とてつもなく熱い何かを感じた。

「行こう」

 ミチルは、メンバーを振り返る。全員が、あの海浜公園のジャズフェスの時より、何倍も真剣な顔をしていた。この、せいぜい100人のライブハウスが、どこよりも大きな会場に思えた。それは、相対しているバンドが巨大であるからに他ならない。ジャンルなど関係ない。今までにない緊張が、全身を襲う。だが、ミチルはいつものように、右手を広げてメンバーの前に示した。メンバー全員が、ミチルに手を重ねる。

(ライトイヤーズ、レディー、ゴー!)

 心の中で全員が叫ぶ。ジュナが怯むほどの高速のギターソロが響く中、ザ・ライトイヤーズは楽屋へと向かった。



『最後の曲です』

 リンさんは、熱気が立ち込める狭いステージでぽつりと言った。

『4年前にバンドを結成して、3年前、私たちはこのライブハウスで、初めて自分達で企画を立てて、ライブをやりました。そこからここまで、駆け抜けるような日々でした。その全てが、大切な宝物です』

 そうなんだ。リオは思った。リオとカナメがこのバンドのファンになった時には、もうすでにもっと大きなライブハウスで演奏していたからだ。

『ここまで、このメンバーでやって来られて、本当に良かったです。それじゃ、この曲で次のバンドにバトンタッチしたいと思います』

 サヤカさんのドラムがゆっくりとリズムを刻み、アヤナさんのキーボードが切ない旋律を奏でる。ミディアムテンポのバラード、”BLACK OUT”だ。



 もう時間はないよ/君は行かなくちゃ

 エンジンはとっくに回っているんだ

 さあ、ステアリングを/その手で掴むんだ

 風を切って走れ、アクセルを踏んで


 シグナルがブラック・アウトする

 君の前に続くのは汚れたアスファルト

 焼き付いたタイヤマークは

 君の前の誰かが残した記憶だから

 


 その歌はまるで、誰かに伝えるための歌に聴こえた。メンバー全員の表情が、妙に真剣だ。この演奏に、全てを込めているようにも思える。それがあまりにも真剣で、リオは自然と涙が流れてきた。夕焼けを思わせる最後のギターソロが流れ始めた。1時間のステージが、ようやく終わろうとしている。

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