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Light Years  作者: 塚原春海
Roses Mistral
138/187

Lemon County

『ハッピーホリデーズ!今年はみなさんと活動できて嬉しかったです。クリスマスもライブだそうですね。どうか素敵なステージになりますように。そして、良い新年を! ワンダリング・レコード、スタッフ一同よりザ・ライトイヤーズの皆さんへ』


 そんなメッセージが送られてきたのが、25日の昼過ぎだった。ここはキーボード、金木犀マヤの自宅である。ゲーム機が新旧問わず、丁寧に何台もスタンバイしている。

「メリークリスマスじゃないのね」

 ミチルが、英語の文面をどうにか翻訳してみる。クレハが解説してくれた。

「"メリークリスマス"はキリストの名前が含まれるから、宗教的な多様性に配慮して"ハッピーホリデーズ"って最近は表現するようね」

「ふーん」

「ちなみに、クリスマスのほんとうの起源は、西アジアの冬至を祝う祭りに行き着くとも言われているから、ある意味では原点に回帰した挨拶かも知れないわね」

「あんたのそういう知識って、どっから来るの?」

「本を読むのが好きだったから。子供の頃から」

 クレハは時々、聞いたこともないような知識を披露する。オタクバレする以前から、読書家だという事はみんな知っていた。考古学とかに関しても、もうそっちの道に進むべきじゃないのか、とさえ思うくらい詳しい。

 メンバーはギリギリまでセトリを確認し、ライブ直前の打ち合わせに余念がない。と言いたいミチルだったが、いま目の前ではマヤがネットで発掘してきた何年か前のPC向けバカゲーで、マーコとジュナが爆笑している。アメリカの大統領を狙撃から守るというゲームなのだが、プレイヤーのグラサン黒服の動きがキモすぎて笑いが止まらない。マヤのバカゲーに付き合わされて耐性がついているクレハだけは、この程度では動じないようだ。

 笑いが収まらない状況で、いちおうライブ直前の打ち合わせに入る。長丁場なので、全員手元にさり気なくセトリのメモ、曲によってはコード進行などを貼っておく事にする。このへんは、学校でのストリートライブで培われた。

 衣装は替えている余裕はないので、ステージ衣装のままコートを羽織って出発する。ちなみに今回の衣装は、ややブルージーなロックバンドであるローゼス・ミストラルに合わせる、という方向で決まりかけたのだが、ジュナの意見で"別な路線"に落ち着いた。

「おっ、来たぞ」

 ルックスのわりにはエグゾーストノートが静かな、メタリックパープルの改造ミニバンが到着するのが見えた。もうバンドメンバーの家族はみんな知っている車なので、誰も驚かない。ジュナの兄貴が例の改造ミニバン、流星号で迎えに来たのだ。

「マヤー、不審なミニバン来たみたいよー」

 1階からマヤの姉が呼びかける。ミチルは両手に機材を担いで立ち上がった。

「よし、行くか!」

 ミチルに促されて全員が立ち上がるものの、マーコとジュナはさっきのバカゲーの余韻が残っているらしい。頼むからライブ中に思い出さないようにしろ。



 ライブハウス”レモンカウンティ”は、すでにオープンして客が入っていた。今回のチケット代は2500円、人気アーティストどうしの対バンとしては安いかも知れないが、お約束のドリンク代500円と合わせて3000円となるように設定されていた。

「この、ドリンク代っていうシステムは大昔から変わってないんだよね」

 カウンター後ろで、ベースのミオが緑に染めたロングヘアをかき上げた。同じく、ピンクのロングヘアのマリナが首を傾げる。

「そうなんですか?」

「そう。おおかたのライブハウスは、飲食店ないし特定遊興飲食店、っていう業態になる。つまり、飲食物を提供したっていう実態が必要になるのね」

「へー。今までなんも考えないでやってた。そういうもんなんだ、って」

 ちなみに今回は20歳以上は発泡酒かソフトドリンク、未成年はソフトドリンクである。ふとドアが開いて次の客が入って来たので、ミオとマリナは受け付けに立った。

「あっ、いらっしゃいませー」

「ええっ!?」

 厚手の赤いシャツを着た大学生くらいの男性客は、受付に立つ2人を見て驚いた。

「どっ、どうして!?」

「チケットお持ちっすかー」

「はっ、はい」

 男性は、スマホのQRコードを表示させる。マリナがそれを読み取ると、PC画面に名前が表示された。

「はいっ、こちらドリンクチケットになりまーす。奥でどうぞー」

 男性は目を丸くしながら、受付を通り過ぎて行った。

「やっぱ驚いてるか」

「そりゃそうだ」

 ミオは笑う。受付のバイトを雇えないような貧乏バンドならともかく、ローゼス・ミストラルが自ら受付に立つなど、近辺のバンド事情を知っているなら絶対に信じがたいだろう。

「懐かしいですね。ほんの数年前やってた事なのに」

「こういう感覚、忘れちゃいけないんだよ」

「ミオさん、なんか口調がおじさんになってますよ」

 ミオは、ひとつ年下のマリナをキッと睨んだ。すると、カウンタ―後ろから、写真や動画だけで見た事がある少女が2人現れた。

「失礼します!初めまして!本日はお呼びいただいてありがとうございました!」

「ライトイヤーズの折登谷と、こっちは工藤です!よろしくお願いします!」

 ミディアムヘアの背が低い少女と、鮮やかなライムグリーンのヘアバンドがトレードマークの、セミロングヘアの少女。いつもステージ右側に陣取っている2人だ。

「こちらこそ初めまして!うわあ、本物だ!」

 ミオは、感激してつい握手を求めてしまった。ザ・ライトイヤーズのドラムスとベースが目の前にいる。自分達で呼んでおいて何だが。マリナは年下のくせして、妙にクールだ。

「初めまして。ずいぶん早く来たんですね」

 マリナが時計を見る。呼んだ時間よりだいぶ早い。すると、折登谷ジュナは意外な事を申し出た。

「良ければ受付、交代しようと思って」

「いやいや、ビッグゲストに受付させるわけにはいかないです」

「何言ってんすか!あたしらなんて、駆け出しも駆け出し。受付くらい出来ないで、でかい面できないっすよ。それに、先輩たちこそ尊敬します。普通は自分で受付になんて立たないでしょ」

 折登谷ジュナ。なんて気風のいい少女だ。ミオは、その態度に感心して席を立った。

「そうね。それじゃ、無碍にもできないし、お願いします。ついでに、受付しながらお話しましょう」

「はい。あー、それと、あたし達にはタメ口でいいですよ。先輩に敬語使われると妙な感じなんで」

 そのジュナの言葉に、ミオとマリナは吹き出した。

「ユメが言ってたとおりね。平然と注文つけてくる、って」

「じゃあ、名前で呼んでもいいのね。ジュナに、マーコ」

 ファーストネームを呼ばれたのが嬉しいのか、2人は微笑んだ。

「はい!」


 キーボードのアヤナとドラムスのサヤカは、挨拶もそこそこに、ドリンク提供の番を代わると言い出した、対バンのリーダーとベースの少女の態度に驚いていた。ロングヘアが美しい長身のサックス担当、大原ミチルは全く偉そうにせず、といって媚びもせず、まったく自然体である。

「はい、こちら発泡酒でーす。え?ビールじゃないです。残念でしたー」

 慣れている、とアヤナは思った。ライブハウス経験はそれほどでもないと聞いているが、これは相当な場数を踏んでいる。客とのコミュニケーションも慣れたものだ。

「ドリンクチケットお預かりします。ソフトドリンクのコーラかお茶、ミネラルウォーターの中からお選びください」

 ゆるふわロングヘアが印象的な美少女、千住クレハ。彼女は何とも言えない雰囲気だ。茎に棘がついた百合とでも言えばいいだろうか。可憐で優雅に見えて、瞳の奥底に妙な鋭さが垣間見える。それは、あのステージで魅せる力強いスラップにも似ている。

 客が途切れたタイミングで、アヤナはつい訊ねてしまった。

「千住さん、あなた5弦ベースでよくあれだけ自在にスラップができるわね。うちのベースのミオが感心してるわ。どうやってるの?」

 そう、5弦ベースは4弦より弦が多く、弦どうしの間隔も狭いため、弦を叩いて弾くスラップ奏法は難しい。スラップがやりたいなら、5弦は避けるべきなのだ。だが、この可憐な少女は涼しい顔で、信じられないほど正確にスラップを弾いてみせる。

「ああ」

 千住クレハは、天使のように微笑んだ。まずい。うっかりすると虜にされそうな微笑みだ。

「簡単なことです。ほら」

 そう言って、クレハはその美しい手を広げて見せた。なんて細い。とてもベースを弾いているとは思えない。茶道部員だと言われた方が違和感はない。

「私、指が細いので間隔が狭くても平気なんです。5弦はミュートしちゃえば問題ないですし」

 その、ミュートしないといけない所が難題なんだけど。その後同じベーシストのミオに話したら、怪訝そうな顔をされた。


「こっちからの要望は主に、サックス担当だけですね。EWIのラインとヴァイオリンのピックアップマイクをアンプにつないで欲しいのと、アルトサックス用のマイクです。それ以外は、ローゼス・ミストラルさんと同じ構成なので問題ありません」

 お団子ヘアと眼鏡が印象的な、ザ・ライトイヤーズのキーボード担当金木犀マヤは、ライブハウスのマスター兼音響の西川氏に的確に要件を伝えた。風呂井リンはその様子を、感心しながら眺めていた。西川さんもそれはわかったようで、テキパキと進める。

「エフェクター類は?」

「ギターもベースも、自分のマルチを持って来ています。EWIはノートPCのプログラムを使うので関係ありません」

「ステージにノートPC持ち込む奴、このライブハウスで長年やってるけど初めてだよ!」

 西川さんは、年齢相応とも言い難い長髪をかき上げて笑った。リンもそんなのは初めて聞いた。なんでも、プログラムでEWIの音色を操作するのだという。つまりEWI本体は入力機器にすぎず、音の本体はソフトウェア側にあるということだ。

「ドラムの子はチューニング変える?」

「チューニングキーは持ってますけど、ほぼ使わないです。据え付けてあるドラムを飼い慣らしちゃうし、そもそもチューニングを変えるのはライブハウスの音響さんに失礼だ、って考えるタイプみたいで」

 なるほど。ドラムのチューニングをするかしないか、というのはけっこう問題になる。だが、ドラムを飼い慣らしてしまう、とは凄い表現だ。

 とにかく、この少女たちの第一印象は、"只者ではない"の一語につきる。今までいろんなバンドと対バンしてきたが、こんなバンドは出会った事がない。もう、パシフィックオーシャン・ジャズフェスなんていう大舞台を経験したというのに、まるで先月バンドを組んだような腰の低さだ。それでいて、卑屈にはならず堂々としている。

 いや、違う。似たような雰囲気のバンドが、ひとつだけいる。佐々木ユメ率いるプログレ・フュージョンバンド、”Electric Circuit”だ。そう、ザ・ライトイヤーズの先輩格にあたるバンドである。なるほど、彼女たちの何というか、独立して超然とした気風は、先輩バンドから受け継いだものなのかも知れない。

「こちらからは、そんな所です。何か、お手伝いする事があれば、やりますけど」

 話題のバンドに雑用をさせろと頼まれるのも、それはそれで返事に困る、とリンは思った。


「ねえ、なんか変じゃない?なんでロゼミスが自分で受付やったり、ドリンク渡したりしてるの」

「ウケ狙ってサプライズ演出なんじゃねーの」

 開演を待つフロアで、オーディエンスが口々に訝った。3年くらい前ならまだしも、今のローゼス・ミストラルに受付のバイトが雇えない筈はない。

「あのフュージョンバンドに最初からやらせてればいいんじゃねーのか。年下なんだし」

「あいつら、馴れ馴れしくロゼミスの人達と会話してたぞ。何様のつもりだよ」

「少しばかり知名度があるからって、天狗になってんだろ。たぶんロゼミスも、ウゼーって思ってるよ」

 20代の男性客数名が、ビールを空けながらゲラゲラと笑う。

(なんでそんな事言うのかな)

 高校1年生の藤田リオは、同行してきたクラスメイトの藤田カナメに耳打ちした。カナメも同意して頷く。

(感じ悪いね。来なきゃいいのに)

 そう思っていると、突然その男性3人組が、リオ達の方に近寄ってきた。あっ、まずい。

「ねえ君ら、どっから来たの?」

「ロゼミスのファンの子?」

 ナンパだ、うっとうしい。リオは精一杯の笑顔で応対した。

「はい。私達、友達どうしで楽しんでますので」

「2人だけじゃつまんないよね?俺らと楽しもうよ」

「いえ、あの―――」

 いい加減キレるぞ、と思っていたところで、横から凛とした声が割って入った。

「ごめんなさいね、この子私と付き合ってるの。ちょっかい出さないでね」

 それは、いくつか年上に見える、髪を金色に染めた女性だった。目元が妙に鋭く、背も高いので、静かな威圧感がある。それに気圧されたのか、男性3人組はすごすごと立ち去った。

「レズかよ、気持ちわりい」

「あのフュージョンバンドのファンってレズ多いって噂だぜ」

 立ち去りながらも、彼らは下卑た事を言い続けていた。なんて失礼な連中だ。

「あの、ありがとうございました」

 リオとカナメは、ミネラルウォーターを片手に持った長身の女性に頭を下げる。女性は「いいのよ」と笑って手を振った。

「こういう場所に来るのは初めて?」

「他の、大きなライブハウスは行った事あるんですけど、こういう雰囲気の所は初めてです」

 そう、レモンカウンティは最近の洗練されたライブハウスではなく、何と言うか昔ながらの雰囲気がある。高校1年の自分達には、まだちょっと違和感があった。

「気をつけてね。ああいうのは必ずいるから。今日は私が隣にいてあげる」

 なんて親切な人だ。リオとカナメにとっては、ものすごく頼もしかった。2人はローゼス・ミストラルのファンで、ライブの情報を知るや即座にチケットを確保した。噂のザ・ライトイヤーズも間近で見てみたい、という好奇心もあった。それにしても、この女性の雰囲気もなんだか独特だ。ただのオーディエンスという感じがしない。1人で来ているようだ。突然現れてお節介を焼いてくれる所もカッコいいが、普通の人ではない印象を受ける。


 フロアはもう満員に近くなってきた。もう、全ての客が入ったのではないだろうか。いよいよ、ローゼス・ミストラルとザ・ライトイヤーズのクリスマスライブが始まる。

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