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Light Years  作者: 塚原春海
Roses Mistral
135/187

Phaideaux Corner

 市内の外れにある格安の練習用簡易スタジオで、ロックバンド"ローゼス・ミストラル"のメンバーは、クリスマスのライブに向けて練習していた。

「大丈夫だね」

 リーダーのギターボーカル風呂井リンは、1コーラスずつセトリを通して弾いた感触を確かめた。何度もやってきた楽曲だ。

「ファンのみんな、やっぱり怒ってる人もいるね。なんであんなキャパが少ないとこでやるんだ、って」

 リードギターのマリナが、ビタミンドリンクを片手に苦笑した。ドラムスのサヤカは、スティックをホルダーに収めるとタオルで汗を拭いた。

「それにしても、向こうもよくOKしたよね」

「例のフュージョンバンド?」

 ベースのミオは、愛用のジャズベースをクロスで丁寧に拭き上げる。

「そうだね。まるで接点がなかったのに」

「リンの友達の、ユメの後輩だってのが効いたのかもね。先輩の顔を立てないわけにもいかないだろうし」

 キーボードのアヤナは、リンの横顔を見る。リンは、微笑みとも何とも言えない表情でストラトのネックを見つめていた。

「どう、リン。楽しみ?」

「もちろん」

 楽しみでない筈がない。リンは、スマートフォンのブラウザに表示された、ザ・ライトイヤーズの記事を見た。海外の音楽ニュースサイトの日本版だ。


 "ザ・ライトイヤーズのフルアルバムはいつ?"


 おやおや。確かに彼女達は、ライブ等のパフォーマンスが話題になっているものの、その土台となる楽曲がまだ決定的に少ない。記事はライトイヤーズの、16か17歳という年齢を思わせない楽曲と演奏のクオリティーを称賛しつつも、楽曲の少なさを指摘する内容だった。

『パシフィックオーシャン・ジャズフェスティバルでのパフォーマンスは素晴らしいもので、先日解散を発表した老舗ジャズグループ"アルファロ"の代役、という以上のものを示した。しかし、その後の新曲リリースの報せはまだない。彼女達の次のサウンドを、確実に増えつつあるコアなフュージョンフリークは心待ちにしている』

 その記事内容に、リンの表情が真剣さを帯びる。ザ・ライトイヤーズのオリジナル楽曲は、現時点で確か7曲程度だったはずだ。

 ジャンルがフュージョンという、ガールズバンドとしては特異である点は無視するとして、彼女達の今抱えている弱点はそこだ。彼女達の先輩であり、リンの親友でもある佐々木ユメのバンドは、音源を配信していないレパートリーが14曲ある。アレンジが未完成の曲はさらにあるという。さすが、親友と見込んだだけの事はある。

「ユメ、あなたの後輩に指導してやらないの?」

 風呂井リンは僅かに口角を上げ、心の中で呟いた。



 ミチル達の新曲”Future Wind”は、着実に完成に近づいて行った。ギターがメインの、それまでのナンバーにはないエッジの効いたサウンドを、ヴァイオリンが演出する。バンドとしての新境を開拓したと自負していい出来栄えだった。

「この1曲と、ライブでほとんどやってない曲が2曲あるし、とりあえずクリスマスのライブの時間は持つかな」

「ギリギリ10曲だな」

 ミチルとジュナが、今現在ライブでやれる曲目を確認した。


 Dream Code

 Shiny Cloud

 Seaside Way

 Detective Witch

 Twilight In Platform

 Friends

 Midnight City

 Under the moon

 Summer

 Future Wind


 このうち、スローテンポの"Under the moon"、およびポップチューンの”Summer”というナンバーは、デモ音源までは作ってあるものの、出来栄えがいまいちなので半分お蔵入りになっていたものである。だが、とにかく時間を埋めなくてはならないため、とりあえず練習してライブでできるようにした。ライブの演奏時間、1時間を埋め合わせる事はできそうだ。

 だが、ミチルはそれだけでいいのだろうか、という不安があった。

「ちょっと、みんないいかな」

 ミチルは、練習がひと段落したタイミングでメンバーに声をかけた。

「この間言ってた新曲、仮メロディーを作り直してみたんだ。聴いてちょうだい」

 データをおさめたUSBメモリの音源を、ミチルは部室のモニタースピーカーから流す。キャンディ・ダルファーをお手本にした、ポップなサックスメインの曲だ。前回は演奏表現にばかり重きを置いていたが、今回はメロディーを直してみた。明るめで、弾むようなリズムのサウンドだ。マヤの表情を見るに、そう悪くはないような気がした。

「うん。この間よりはずっとまとまりがある。こういう、タテノリの曲もあっていいかもね」

 マヤが頷くと、ジュナ達もそれに同意した。

「けど、なんだろうな。前回よりキャンディっぽいファンキーさを抑えてるから、今度は掴みどころのないサウンドになっちゃってるかも知れない」

「あー」

 ミチルは納得しながら額に手を置いた。実を言うと、音を吹き込みながら自分で思っていた事である。前回キャンディの音をトレースして薄っぺらいサウンドになってしまったのが、今度は”ただのサックス”になってしまっている。そこで、マヤは極めて重要な事を言った。

「ねえミチル。そろそろ、”あなたのサックス”の音を追及してもいい頃合いじゃないかしら」

「…私のサックス」

 それは、ミチルにとって簡単ではないが、いつか向き合うべき課題だった。楽器の演奏者には、それぞれのサウンドがある。サックスは特にそうだ。まずサックス本体の素材と仕上げを含めた好みのセッティング、この時点で音色そのものが変わる。

 そして、プレイスタイル。運指と吹き方によってサックスの音は千変万化する。伊東たけしのセクシーな深みのあるサウンド、本田雅人の秋空のようにカラリと乾いたテクニカルなサウンド。

 そこでミチルは考えてしまう。最初の頃ミチルは、キャンディ・ダルファーを手本にしてやっていた。だが、その後様々なフュージョンやジャズの曲に触れ、様々な音色、テクニックを自分でも演奏してきた。


 では、自分の音はあるのか?


 キャンディの演奏のコピーも、今ではある程度できる。それが、かつて自分の目指す音だった。キャンディのような音を出したい。キャンディのようなプレイヤーになりたい。キャンディの音こそが自分の目指す音だ。そう思っていた。だが今、バンドメンバーから求められているのは、伊東たけしの音でも、本田雅人の音でも、キャンディ・ダルファーの音でもない。”大原ミチルのサックスの音”である。


「ま、そんなの一朝一夕にマスターしろとは言わないけどさ」

 マヤの言葉で、ミチルは我に返った。

「私だって、金木犀マヤのピアノを今すぐ確立しろ、って言われたら悩むだろうし。だからこれはミチル、あんただけに向けている話じゃない。ここにいる全員が考えなきゃいけないテーマだよ」

 マヤはそうフォローを入れてくれた。それはその通りかも知れない。だが、ミチルのサックスはバンドの要だ。1991年、スクェアから伊東たけしが脱退して本田雅人がサックスとして加入した事は、ミチルは当然リアルタイムでは知らないが、激震といっていい出来事だったらしい。サックス主体のフュージョンバンドでは、サックスプレイヤーはバンドの顔なのだ。それはつまり、サックスのプレイスタイルがバンドの表現力を左右する、という事に他ならない。

 ミチルの悩みは解決しないまま、その日はひとまずクリスマスライブのセトリの目途がついたということで、新曲とあまりやっていないナンバーを復習してお開きになった。


 その夜、ミチルはEWIで新曲を練り直していた。といっても、シンセサイザーであるEWIは生のサックスとは音のレスポンスが異なる。もちろんプレイヤー次第で個性は出るものの、変化の度合いはそう大きくはない。といって、夜中にサックスを鳴らすわけにもいかない。将来は、生のサックスと聴き分けができないようなデジタルサックスも登場するのだろうか、などとミチルが考えていると、不意にスマホのLINE着信があった。誰だろう。行き詰っていた所にちょうどいい気分転換だ、と送信者を確認すると、意外な人物だった。

『先輩、こんばんは。お時間いいですか』

 それは、後輩の千々石アンジェリーカだった。

『いいよ。ちょうど新曲で行き詰っていた所だから、逃避する口実ができた』

 ジョークのようでいて、100パーセント本音である。アンジェからはすぐに返ってきた。

『そうなんですか。いえ、実は私も、って言ったら偉そうですけど』

『どうしたの』

『先輩のプレイリストを参考にして、1年生のみんなでキャンディ・ダルファーの曲をコピーしてるんですけど、どうしてもあのサックスが吹けないんです。先輩は、どうやってキャンディの音をマスターしたんですか』

 その、一見すると単なる後輩からの質問に、ミチルは一瞬ギクリと硬直してしまった。

(”あの音をマスターした”?)

 それは、ミチルにとって驚きの感想だった。アンジェリーカは、ミチルがキャンディのサウンドをマスターしている、と言っているのだ。ミチルは苦笑してスマホをタップした。

『私はまだキャンディの音なんてマスターできてないよ。真似ならできるけど、キャンディの音はキャンディにしか出せない』

『そうかも知れないんですけど、でも先輩のサックスの音は、キャンディの柔らかくて温かいサックスを、ものすごく高いレベルで再現していると思うんです』

 その返信に、ミチルは頭上に彗星が落ちて来たかのような衝撃を受けた。


 柔らかくて温かい?


 ミチルは、キャンディのサウンドの身上は、あの輝きにあると思っている。力強く、野性的で、炸裂するようなサックスだ。それがキャンディ・ダルファーのサックスで、それを目指してミチルはサックスを学んでいた。ところが、アンジェリーカはそれと全く異なる評価をキャンディに与えている。思わずミチルは質問した。

『どういう所が、柔らかくて温かいと思うの?』

『えっと…どういう、って事もないんですけど。なんていうのか、独特の切なさというか』

 また違うワードが出た。キャンディのサックスが”切ない”??今まで聞いた事もない感想に、ミチルは衝撃の連続だった。アンジェリーカは続けてメッセージを送ってきた。

『プレイリストにあった”Don't Go”っていう曲、私すごく好きで。真似て吹いてみるんですけど、あの優しくて切ない感じがどうしても再現できなくて。先輩なら上手く吹けるのかな、って』

 

 そのあと、長々とアンジェリーカとLINEで会話した。それはそれで楽しかったし、後輩と親密になれた事も嬉しかったのだが、おやすみなさい、と会話を切った後も、ミチルはアンジェリーカが突き付けてきた、価値観の転換について考え込んでしまった。

 疑問点はふたつ。ひとつは、張りと輝きがキャンディのサウンドだと思っていたミチルに、アンジェリーカは”柔らかくて温かい”と評価した事。そしてもうひとつは、どうやらアンジェリーカには、ミチルがそのサウンドをマスターしているように聴こえているらしい、ということ。

 つまり、ミチルは自分の意図したとおりのサックスを吹けていない、という事なのか。あるいはキャンディのサウンドを、無意識では”柔らかくて温かいサウンド”として理解していたのか。考えていると、頭がどうにかなりそうだ。ミチルは、PCにCDからリッピングしてあるキャンディのアルバムを再生した。アンジェリーカが好きだと言ってくれた、2009年の2枚組アルバム"FUNKED UP & CHILLED OUT"の、1枚目の4曲目”Don't Go”。スローテンポなマイナーチューンで、曲としては確かに切ない系のサウンドだ。


 そのあとも何枚かのアルバムをランダムで聴いてみる。キャンディのサウンドは基本的にファンクだ。バンドの構成はフュージョンバンドと大差ないはずだが、出てくるサウンドはジャズファンクである。ルーツ的に言うなら、フュージョンの前身であるクロス・オーヴァーの、さらに前身だ。つまりジャズ・ファンクは、より具体的な意味でフュージョンの起源だと言える。

 だが、血は繋がってはいても、後のフュージョンとは何かが違う。フュージョンは、より洗練されたサウンドだ。だが、洗練されたぶん、ジャズ・ファンクが持っていた精神性みたいなものは薄まっている。そこでミチルは、ストリーミングサービスから、ひとつのアーティストをピックアップした。1970年代を中心に活躍したイギリスのジャズ・ロックバンド、”ニュークリアス”である。

 キャンディのサウンドについて考えていたのに、なぜそれより古いアーティストに行き着いたのか、それはミチルにはわからない。キャンディの音楽活動のルーツは、おそらく同じジャズ・ファンクのテナーサックス奏者、父親のハンス・ダルファーである。だが、ハンスのサウンドはむしろ娘のキャンディよりも現代的であり、キャンディの方がより源流のジャズに近い面もある。

 ニュークリアスのファンク色が最も強い1975年のナンバー、"Phaideaux Corner"をミチルは再生してみた。純粋なジャズではないのに、間違いなくジャズの香りがするロック。ふだんミチルが吹いているサックスとはまるで違う、暗さを伴ったサックスだ。そのサウンドを聴いているうち、ミチルは”ファンク”という定義について考え始めた。

 そもそも、定義なんていうものは、実際に音を聴いて感動する事と比較すれば何の意味もない。それを承知の上で、ミチルは自分なりの”ファンク”を考えてみる。アンジェリーカは、キャンディのサックスを”柔らかく温かい”、そして”優しくて切ない”と表現した。もしその評価が的を射ているとしたなら、ミチルはファンク・サウンドというものについて、心得違いをしていた可能性はないか。


 ここから、サックスプレイヤー・大原ミチルは大きな変化を迎える事になる。

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