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Light Years  作者: 塚原春海
Roses Mistral
134/187

Future Wind

 その、ミチルの選択に全員があっと驚いた。理由は主にふたつで、ひとつは音を変えるにはメインの楽器を変えればいい、という単純すぎる発想に対して。もうひとつは、あれだけ弾くのを避けていたヴァイオリンを持ち出してきた事である。

「弾けんのか」

 ジュナは、懐疑的な目をミチルに向けた。この部屋にいるメンバーの中で、という意味でなら、ヴァイオリンを弾けるのはミチル以外にいない。だが、作品のクオリティーという意味で"弾ける"のか。

「やってみればわかる」

「弾けなかったらどうすんだよ」

「たぶん大丈夫」

 全員が、何なんだその根拠は、という顔をしている。ここ数日、年末で清水美弥子先生が忙しいため、ヴァイオリン講習は休んでいる。数日だが、ブランクはブランクだ。

 だが、ミチルは迷う事なくチューニングを直し、マイクの高さを調整して、肩にヴァイオリンをかける。

「さ、もう一度やるよ。とりあえず、私以外のアレンジはさっきと同じでいい」

「…わかった」

 マヤが、真剣な表情で鍵盤に指を置いた。

「薫、お願い」

「うん」

 薫は落ち着いた様子で、再び録音をスタンバイする。左手の合図で、マヤがさっきと同じようにシンセのイントロを奏でた。クレハ、マーコもそれに続き、ジュナも意を決して弱めのオーバードライブを通したギターを弾いた。ここまでは、さっきと全く同じだ。

 だがジュナは、ミチルのヴァイオリンから奏でられた旋律に一瞬、我を忘れかけた。

(ウソだろ)

 それは、他のメンバーも同じらしかった。全員が、驚愕しているらしい。


 音楽になっている。


 いま、ミチルのヴァイオリンから響いているのは、"音"ではない。"音楽"だ。ミチルはついに、ヴァイオリンの演奏の何たるかの、その入り口に到達した。それが、その部屋にいる全員にわかった。絶対的なレベルで言えば、まだまだなのはわかる。だが表現できる人間と、そうでない人間の、その決定的な境界線を、ミチルは今確かに越えたのだ。


 演奏を終え、ミチルはひとつ深呼吸すると、薫を向いた。

「どう」

「うん、悪くない」

「悪くない、か」

 ミチルは苦笑した。薫は、憎らしいほど正直だ。この少年に、"目上の人間"など存在しないのではないか。

「さっきの演奏と比較するなら、段違いに良くなったけどね」

「ヴァイオリンでいける?」

「いける。アレンジが決まれば」

 薫がそう言ったということは、ミチルの演奏能力も及第点はもらえたという事だ。お世辞を一切言わない人間の評価は、素直に受け取るべきだろう。

「メインがヴァイオリンになったことで、曲の表情がガラリと変わった。何ていうか、疾走感と飛翔感が出て来たね。風に舞っているような」

「ミチル、いったいいつ、それだけ弾けるようになったんだ」

 曲よりもそっちの方が気になる様子で、ジュナは身を乗り出してきた。マヤ達も同様だ。ミチルは、もう一度ヴァイオリンを少し奏でてみる。確かな手応えがある。ようやく、ヴァイオリンの弾き方がわかったという確信だ。

「たぶん、もう弾けるようになってたんだ。それを形に出来ていなかっただけ」

「どういう事だよ」

「お父さんが前に言った事なんだけどね。どうしても克服できない課題を、完全に放置していた状態で再開すると、いつの間にか克服出来ている事があるんだって。それが今、私に起きた事だと思う。なんていうのかな、弾ける、っていう確信が必要だったんだ、私には」

 ミチルの説明を、1年生達は真剣に聞いていた。彼らはまだ、演奏も楽曲も学んでいる途中だ。

「もちろん、必要なものを積み重ねた上でだよ。私は清水先生のもとで練習して、理論と技術を学んでいた。あとは、それを音にするための感覚を掴むだけだったんだ」

 すると、突然マヤが微笑んで拍手をしてくれた。今までの"よくできました"的な、おざなりな拍手ではない。心からの称賛が込められた拍手だ。マヤに続いて、全員が拍手してくれた。

「ミチル、本当によくやったわね。尊敬するわ、心から」

「ありがと」

 ミチルは、マヤが差しのべてくれた手を握った。気のせいか、マヤの瞳は潤んでいるように見える。

「みんな、私に一晩だけ、もう一度この曲を預けて。アレンジを見直してみる。ミチルのヴァイオリンのおかげで、何か閃きそうなの」

「どのみち今のところ、うちの一番のアレンジャーはお前だからな。あたしらは任せるよ」

 ジュナの言葉に、マヤは力強く頷いた。昨日の、ギクシャクした空気が嘘のようだ。

 マヤはアレンジを進めるということでクレハと共に先に帰り、そのあとミチルが何曲か、ヴァイオリンでの演奏を引き続き練習して、その日はお開きとなった。いつものように、1年生が先に帰ってミチルたちが戸締まりをする。


「そういえば清水先生、いつだったか『本当はもう教える必要がない』みたいな事言ってたんだよね」

 久々にジュナと2人きりの駅への帰路、ミチルはだいぶ前の講習で言われた事を思い出した。ジュナが首をかしげる。

「なんだそりゃ。つまり、どっかの時点でもうお前がヴァイオリンを弾けるって事を、先生は見抜いてたって事なのか」

「そこまでの事なのかどうかは、先生に聞かないとわからないけど。もう、弾けるかどうかよりも、自分のスタイルを考えるべきだ、みたいな事は言われたかな」

 ミチルは、清水美弥子先生の言葉を思い返してみる。個性がないのが個性かも知れない、とも言われた。クセがないので、どんな音にも対応できる、というような意味だった。

「お前、これから大変じゃないのか。サックスからEWI、ソプラノサックスに、ヴァイオリンまで」

「そういう人間にギター覚えさせようとしてるのは誰よ」

「あっ、忘れてた!ギターの練習も再開しないと!」

「…ヤブヘビだったか」

 あの忙しかった夏以来、そういえばミチルのギター練習は完全に放置されていた。

「ジュナ、そういうあんたこそ、ギター以外にできる楽器あるの」

「おっ、言ってくれるな。ブルースハープができるのは知ってるだろ」

「あとは?」

「実はベースと、あとドラムもできる。基本のとこだけな。中学の時、たまに叩いてた」

「なに!?」

 そんなこと今まで一度も話してくれなかった。

「なんで黙ってたの!?」

「ドラムはマーコがいるから、べつに名乗り出る必要もねーかなって。ドラムやって腕に変なクセついたら、ギター弾くのに支障が出るかと思ってさ。ベースはクレハが思ってたより上手かったし、ギターに専念したいからさ」

「薫の事言えないじゃん。あんがい秘密主義なんだな、柄によらず」

 1年半以上付き合いがある親友の、意外な側面にミチルは軽く驚いていた。こうなると、マヤやクレハも何か隠しているのではないのか。特にマヤは怪しい。

「けどミチル、お前これで少なくとも、言葉の定義の上では”マルチプレイヤー”を名乗っていい事になるぞ。サックスとEWI、ヴァイオリンだからな」

「サックスとEWiはまあ、似たような系統だしなあ。マルチってほどじゃないよ。本田雅人ぐらい、色々できるならともかく」

「やめろ、ハードルを高く設定するのは」

 サックスプレイヤーとして知られる本田雅人だが、実は多様な楽器を扱えるマルチプレイヤーでもある。サックス、フルートなど管楽器に加え、ギターにベース、ドラムス、キーボードまでこなす変態ミュージシャンである。

「ともかく、音の表現の幅が出てくるのは確かだ。ヴァイオリンのパートで外部の人間に頼らなくてもいい、ってのも大きいな」

「あのね、まだそこまで期待されちゃ困るよ」

 ミチルは釘を刺すように言い含めた。プロのヴァイオリニスト並みの能力を、今のミチルに求めるわけにはいかないと、自分で思う。とにかくミチルは、昨日なんとなく重くなったバンドの空気が元に戻った事、それだけで救われた気持ちだった。できればそういう事は今後起きないで欲しい。

「まあ、新曲はとりあえずお前のヴァイオリンがメインなんだ。せいぜい頑張ってくれよ。あたしもギターで陰ながら支えるからさ」

 ジュナはケラケラと笑う。だがこの時、まったく予想外の事が進行している事を、ジュナは知りようもなかった。


 マヤは持ち帰ったヴァイオリン版の新曲デモ演奏を、何度も何度も繰り返して聴いた。防水イヤホンをつけて風呂でも聴いた。このアレンジから、どう変化をつけるのか。ヴァイオリンの音を活かすには、どういうアレンジがいいのか。

 パジャマのまま、パソコンの作曲ソフトの前に陣取って唸る。だが、どうしてもさっき頭をよぎったインスピレーションに結びつかない。何か、間違っているのか。

「うーぬ」

 こういう時、マヤはたいがいサブスクでヒントを探す。何かないか。お気に入り登録しているアーティストを探る。そして、何かとマヤが頼りにしてしまうアーティストに行き当った。

「…これだ」

 マヤは、ピンときた1枚のアルバムを再生した。1998年、東芝EMIからリリースされたアルバムだ。格調高いピアノとヴァイオリンのイントロ。そのイントロに続く展開が、マヤに電流を走らせた。これだ。いや、まるまる真似するわけにもいかないが、とにかく音の方向性はわかった。

 そこから、マヤの仕事は早かった。驚くほどのスピードで、先日のデモ音源が修正されてゆく。ひとまず大雑把に仕上がったところで再生すると、マヤは得心が言った表情で頷いた。時刻はもう0時過ぎである。



 翌朝、折登谷ジュナはマヤからの通告に、不安と不服を兼ねて訊ね返した。

「はああ!?」

 改造がついに終わったカシオEG-5、名付けてエレキング折登谷カスタムを下げたまま、ジュナは叫ぶ。

「今なんつった!?」

「言った通り。新曲のメインはジュナ、あなた」

 聞き間違いか。ジュナは自分の聴覚を確かめた。

「メインはミチルのヴァイオリンだろ!」

「私も昨日の時点ではそう思った。けど、レスポールを奏でる天使が私に、それは違うと告げたの」

「病院行った方がいいんじゃねーのか」

「だーっ!参謀の言う事を聞け!」

 目の下にクマを作ったマヤが、ついにキレてジュナに出力し直した譜面を突き付けた。1年生がビビる中、ミチルたちは平然としている。

「ミチルのヴァイオリンと私のピアノがバック。メインはあなたのギター」

「ぜんぜん違うじゃねーか!」

「放課後、合わせるよ。1年生、悪いけど今日も評価役に回って」

 ブチギレ参謀にノーと言える1年生もいないだろうな、とミチルは思った。


 影の部長、参謀長など色々兼任しているマヤの指令で、フュージョン部2年は放課後、演奏スタンバイに入った。緊張しながら1年生達がそれを見守っている。ジュナはタブ譜を睨んだ。

「要するにミチルのメロディーを弾けばいいんだろ」

「できる?」

 あっけらかんとマヤが訊ねる。

「…ちょっと練習させて」

 当然である。実は昼休みにすでに練習しているのだが、それで覚えられたら苦労はない。それでも、もともと耳で覚えるのが得意なジュナは、どうにかこうにかメロディーラインを覚えたのだった。

「ミチル、あんたは大丈夫だよね」

 マヤは譜面を掲げつつミチルを見る。ミチルのパートはスピッカート、弓を飛ばすというか、跳ねさせるような奏法と、そこそこの速弾きを指定してある。だが、ミチルは平然と練習を重ねた。弾けない、弾けないと言っていたのがウソのように自分でも思える。

「バック演奏でしょ。たぶん大丈夫」

「よし、とにかく一度合わせよう。薫、いくよ」

 薫は例によってマイペースである。先日ダメ出しをした張本人は、何食わぬ顔で演奏開始の合図を出した。


 マヤ先輩のイントロは、シンセではなくピアノサウンドになっているので音の表情が変わった。リズム隊は特に変化はない。だが、その後にヴァイオリンが入ると、聴いていた1年生全員がハッとした。リアナは、ヴァイオリンがバックに回った意味を一瞬で理解した。それは、ジュナ先輩のギターがメインのメロディーを奏でた時によりハッキリとわかった。

 ”Future Wind”というタイトルのイメージに、今までの演奏の中で最も似つかわしいサウンド。例えるなら、大空をアストンマーティンだとかのクラシックカーが、エンジンを唸らせて飛行しているようなイメージだ。未来の空を何百年も前のエンジン車が、最新の飛行船を尻目に好き勝手に飛んでいる。飛行船の窓から、子供が父親に訊ねる。あんな飛行船見た事ないよ、なんていうメーカー?と。

 間奏のギターソロは見事だった。ジャズとロックの理論が融合した、ジェントルかつアグレッシブなサウンド。こんな音も出せる人なんだ。ロックのコピーをやる時は、好き放題にソロをかき鳴らすのに、ここではあくまでも曲のために”良い演奏”を心がけている。だが、リアナにはジュナ先輩がとても楽しそうに思えた。

 驚くのは、ミチル先輩のヴァイオリンだ。昨日も上手いと思ったが、今日はさらにレベルアップしている。なんという奏法なのか詳しくないが、リズミカルで、跳ねるようなアクセントの速弾きが、曲全体の高揚感を演出していた。やっぱり凄い人だ。


 演奏を終えた5人は、満足そうに互いを見た。あれだけ不平を言っていたジュナが、納得がいった、という顔をしている。1年生は素直に拍手を送ってくれた。昨日の”ただのフュージョン”とは段違いだ。ミチルは、ジュナと頷き合った。

「うん、今回は良かった。このサウンドが正解らしいね」

 薫も、満足そうな表情でマヤを見た。マヤも、自身のアレンジが目論見どおりの仕上がりを見せた事が嬉しいようだ。

「ミチルをバックに回したのが上手く行った。メインでも良かったんだけど、ヴァイオリンがバックにいると、曲全体の雰囲気が全然違うからね。ジュナのギターを前面に出して正解だった」

「こんなアレンジ、よく思い付いたな」

 ジュナが、感心したようにマヤを見た。マヤは得意気に笑ってみせる。

「大先輩の曲が参考になった」

「どの大先輩だよ」

「この人達」

 マヤは、薫を押しのけてパソコンからサブスク音源を再生した。格調高いピアノ、ヴァイオリンが流れたので、例によってプログレかと思ったが、2年生はすぐにわかった。フュージョン部なのによくコピーするロックバンド、THE ALFEEの1998年のアルバム”Nouvellle Vague”の1曲目、”Crisis Game-世紀末の危険な遊戯-”だ。

 クラシカルなサウンドに始まって、曲自体は王道のロックチューン。バックには常にヴァイオリンが流れている。ライブでは高見沢がギターでカバーしているが、アルバムではどれだけ予算が必要だったのか、というほど贅沢に生音が使われている。マヤは、このサウンドにインスピレーションを受けたのだ。ただし、この曲は間奏でプログレ色が強くなる。ライトイヤーズの楽曲”Future Wind”は変拍子もなく、転調もごくシンプルなもので、全体としてはストレートなロック・フュージョンである。

「なるほどな。あたしも弾いてて、なんか思い出しはしたんだけど、なかなかマイナーな曲をお手本にしたな」

「世間的にはマイナーだろうと、名曲は名曲。弾いててどうだった?ジュナ」

「うん、楽しかった。ギターがメインの曲もいいな、表情が変わって」

「ということでミチル、ごめん。ヴァイオリンがメインの曲は今度作る、必ず」

 マヤはミチルに手を合わせて頭を下げた。ミチルは笑う。

「別に、絶対メインでやりたいとは言ってないわ。私とジュナとマヤ、それぞれがメインをやればいいじゃない。大事なのはいい曲ができる事。表に出ようと裏に回ろうと関係ないわ。それに、クレハやマーコだって曲を作ろうと思えば作れるでしょ」

 ザ・ライトイヤーズは全員、音楽性が最初から異なる。ならば、むしろそれを強みにすればいいという、ライトイヤーズのスタイルはこの時確立された。ミチルは、次にどんな曲が生み出されるのかと考えると、高揚を覚えずにはいられなかった。

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