Together
ザ・ライトイヤーズの面々はその日、なんだかギクシャクしたまま帰路についた。最近は1年生も一緒にゾロゾロ帰るのも小学生みたいなので、別々のタイミングで帰る事が多いのだが、今日はそれがマイナスに作用してしまう。ムードメーカーのサトルがいれば多少場も和んだかも知れないが、いないので重苦しい空気のままだった。
もっとも、これだけ活動してきて一度も雰囲気が悪くなった事がない、などという方がおかしい、ともミチルは思った。友達、カップル、夫婦、兄弟姉妹、親子、師弟。人間関係がそこにあれば、必ずそれは起こり得る。一度くらい体験しておいた方が健全かも知れない。
帰宅した時、ミチルはユメ先輩からメッセージが入っている事に気付いた。どうやら、クリスマスのライブの事らしい。
『リンから聞いたよ。あんた達と対バンするんだってね』
やはり親友どうし、情報は早い。
『受験勉強の追い込みの時期に何考えてんだ、って思ったけど、今その分をカバーするために猛勉強してるんだって。親から息抜きしろって怒られたらしい。聞いたことないよね、そんなの』
まあそうだろうな。そこまでやれば、クリスマスの夕方に数時間ライブハウスに行く事くらい問題ないだろう。だがそこで、ミチルはひとつ疑問に思う事があった。
『ミストラルの風呂井さんは大学に行くんですね、バンドが好調でも』
『まあ、人生何があるかわからない。大学はせめて出ておこう、ってなったんじゃないの』
『そういえば、バンドの音源とプロフィールもチェックしたんですけど』
ミチルは、パソコン画面に表示されている、ローゼス・ミストラルのメンバー構成を見た。リーダーのギターボーカル風呂井リンを筆頭にした、5ピースガールズバンド。変わっているのは、やはりリーダーが最年少である事だ。ギターとドラムスはリンのひとつ上、キーボードとベースはふたつ上で、リーダー以外は全員大学生である。
『なんていうか、ジャンルの特定ができないバンドですよね。オルタナ、グランジとか、こじつければそうかなって思ってると、めちゃくちゃストレートなハードロックの曲もあったりして。これだけ幅が広いインディーバンドも珍しいんじゃないですか』
思ったままの感想をミチルが述べると、ユメ先輩も同意した。
『うん。ここしばらく活動がなかったけど、最初からそんなスタイルだったね。結成のいきさつが面白いけど、そこも影響してるのかな』
そう、このバンドは結成のエピソードも面白い。もともとの母体は最年長の2人がデュオを組んだ事で、当初はキーボードと打ち込みで、ネットに歌を発表していた。そこからバンド形態を始めたくなって、後輩2人に声をかけ、4ピースでしばらく活動する。全員同じ中学の時だ。
ここまではまあ、特に変わった所はない。面白いのは、最後のピースである風呂井リンの加入である。公式サイトに詳細は書かれていないが、ユメ先輩は説明してくれた。
リンは、そもそも合唱部に所属していた。歌唱力は抜群で、あまりレベルが高くない合唱部の中では抜きん出ており、そのせいで逆に浮いてしまっていた。このへんは吹奏楽部時代のミチルと似ている。
ある日、リンは信じられない経験をする。顧問から、お前は上手すぎるから歌唱レベルを落としてくれないか、と頼まれたというのだ。そんなバカな話があるか。それなら辞めてやる、と退部を申し出る。しかし、実力のある部員は抜けて欲しくない、というのだ。
だったらその実力を発揮させてくれ、と言うと、それはできないという。
『あまりの顧問のバカさ加減に、ついにリンはブチ切れて、ある事を実行に移したの』
それは、彼女が1年生の秋の文化祭、合唱部のパフォーマンスでだった。歌が終わって拍手が鳴る中、突然リンはステージ最前面に出ると、聴衆に向かって、顧問から言われた事を全部暴露してしまったのだ。
『あたしも実はその場にいたんだ。その次が吹奏楽部のパフォーマンスで、待機してたからね』
あれは面白かった、と先輩は言う。顧問は蒼白になって、リンを下がらせた。だが、体育館は騒然となる。もちろん、合唱部の全員も含めて。その後、さすがにこうまで大ごとになると、顧問もリンを厄介払いせざるを得ず、ようやくリンは合唱部を抜ける事になった。
『…すごい人ですね』
『面白いのはここからよ。その時体育館には、現・ローゼスミストラルの4人もいたの』
『あっ』
『当時ギターボーカルやってた人が、リードギターに専念したがっててね。バンドはボーカルを探していたの。そこへ、降って湧いたみたいに、合唱部を抜けた歌姫が現れた』
当然、バンドは即座に風呂井リンに声をかける。だが、リンはもともと声楽の人間であり、ロックボーカルに転向しろと言われても、すぐに返答はできなかった。そこでバンド側は、とにかく文化祭のフリーステージで、自分達の演奏を聴いてくれ、それから決めていい、と申し出る。
『そこで、なんかピンときちゃったんだな、リンは』
『ロックのサウンドに、ですか』
『うん。声楽とはまるで違う、感情をぶつける歌に、ガーンとやられたの。それと、エレキギターにもその時興味を持ったみたいね』
ミチルは、ライブの動画を再生した。右手にいるロングヘアのリードギターが、当初ギターボーカルだったという人だろう。センターで風呂井リンは、青いハムバッカーのストラトタイプを下げているが、基本的にはリフが中心で、どちらかと言うとボーカルに重きを置いているようだ。
歌唱力抜群リンの加入もあり、中学の時にはすでにインディーシーンで話題になる。ミチルはインディーシーンについてはフュージョン部と交流があるバンドしか知らないので、ユメ先輩から親友のすごいバンドがある、という話を聞いても、それ以上特に興味を持たなかったのだ。
ミチルは自分達の楽曲制作が行き詰まっている事もあり、なんとなく練習する気も起きず、ローゼス・ミストラルの配信音源をひととおり聴いてみた。代表曲のストレートなハードロックナンバー"ハムバッキング・ガール"は作詞が風呂井リンで、ロックに目覚めた喜びを歌っている。合唱出身でアカペラもできるリンのボーカルは、いわゆるガールズバンドの典型的なボーカルとは一味違う伸びと透明感があり、独特の音の世界を生み出している。
変拍子はそれほど多用してはいないが、そのかわり転調は凄まじい。一曲の中で何回転調するのか。ドラムパターンもちょいちょい変わるので、拍子が変わっていないのに、変わっているように聴こえる。
ブレイクの直後に唐突に三声のコーラスが入ったり、メジャーコードのフォルテッシモの直後にいきなりマイナーチューンでギター単独のアルペジオに移ったりと、心臓に悪いアレンジもわりと見られる。このへんは何となくプログレの香りがするので、メンバーに好きな人がいるのだろう。
個々の演奏レベルは、ひょっとしたら現時点ではザ・ライトイヤーズの方が上かも知れない。だが、多彩な楽曲をバンドサウンドとしてまとめる能力は、ジャンルは違っても驚くべきものがある。
バンドとしてのまとまり。ミチルは、何となくギクシャクしている自分達の現状について考えた。別に、そこまで深刻な状況でない事はわかっているが、小さな事から良くない事態にならないという保証もない。
仮に今の状態のまま、クリスマスのライブに臨んだら、まともな演奏ができるか怪しい。リーダーとして何とかしなくては、とミチルは考えてしまう。
翌朝、結局フュージョン部はいつものように部室に集合したが、2年生はやっぱり何となく空気が重い。1年生の女子4人は何となく察したようで、あまり踏み込まないでくれた。
そこで、薫とサトルが来ていない事にジュナは気が付いた。重い空気を変えるというわけでもないが、何気なく訊ねる。
「男子2人はどうしたんだ」
「なんか2人で籠もってます」
リアナがそう言った瞬間ドアが開いて、まさにその薫とサトルが現れた。何やら両手にケーブルを提げている。
「おはようございます」
「おっすっすー」
天然のムードメーカー獅子王サトルは、マイペースを体現するようにズカズカと部室に入ってきた。ジュナは、2人が手にしているケーブルが気になって訊ねる。
「なんだそれ、シールドか」
「そうっす。自作です」
「自作!?」
またマニアックだな、とジュナは笑った。手に取って感触を確かめると、普通のシールドケーブルでない事に気付く。通常のシールドより硬い。外径も10mmくらいありそうだ。
「これ、ひょっとしてスピーカーケーブルか?」
「へえ、よく分かったね」
薫が、感心したように色違いの別なシールドを示す。どちらも短い。
「昔オーディオ部が使ってた、銅箔と同編組の2重シールドつきのスピーカーケーブルだよ。楽器用としては、まあ必要以上に導体も太い」
「なんでそんなもんシールドに使ったんだ」
「単なる実験。ジュナ先輩が使って、音が良ければ成功でしょ」
「どれ」
ジュナは早速、愛機のレスポールに繋いでみた。意外にしなやかだが常用のシールドよりは硬く、取り回しがしやすいとは言えない。とりあえず、エフェクターは飛ばしてクリーントーンで鳴らしてみる。
「おっ」
ジュナは、その締まりのある音に一聴して驚いた。今までと全然違う。それは他のメンバーも同様だった。適当にコード、アルペジオ、アドリブソロを弾いてみると、まるでギターを替えたかのような、タイトなのに厚みとキレが同居したサウンドだ。
「こいつはいい。取り回しがしづらいのを除けばな」
「それでいいんだよ。これは、レコーディング用に試作したシールドだから」
「なるほど」
今度はエフェクターを通してみる。歪み系、空間系、それぞれの変化がくっきりと再現された。ノイズは特に乗っていない。オーディオ用だけに、シールド特性も完璧なのだろう。被覆をよく見ると、大手の電線メーカーだった。
「へえ。スピーカー用ケーブルが、楽器用に使えるんだな」
「ノイズが乗らないか心配だったけど、平気だね。他のパートでも試してみる?」
あと2本のシールドがあるので、クレハとマヤもそれぞれベース、キーボードにつないで音を出した。クレハが、珍しく驚いた顔を見せる。
「すごいわね、重心が低くてゴリゴリ鳴るわ。それでいてレスポンスも速い」
「アタック感がいいわね。ピアノの角がカッチリしてる感じ。ケーブル替えてここまで変わるかな」
マヤの評価も上々だ。だが、突然どうしてこんなものを試作したのだろう。ジュナが訊ねると、オーディオ的なアプローチでレコーディングの音質を上げたい、という薫の提案だった。
「ここは科学技術工業高校。やろうと思えばかなりの物が自作できる。たとえば、電源用のノイズフィルターとかね。あと、いま考えてるのは、ミチル先輩のサックス録音のための機材」
すると、ミチルが首を傾げた。
「サックス録音?マイクがあれば済むんじゃないの」
「まあ、そこは出来てからのお楽しみ。効果があるかどうかはわからない」
「わからないものを楽しみにしろって言われてもな」
ミチルのツッコミに、つい全員が吹き出した。薫自身はジョークを言っているつもりがなさそうなので、逆に可笑しい。
「まあ、そういう細かいところをお金かけないでクオリティアップできればいいかなって思うんだ。気休めかも知れないけど」
「そんな事ねえよ。あたしらギタリストだって、ピックアップ周りを銅箔テープでシールドしたり、ステージとは裏腹に地味な事してるからな。内部配線を太いのに替えたり」
「ふうん。オーディオマニアと似てるね」
ギタリストとオーディオマニアは似ている。そうかも知れない。アルダー、アッシュ、バスウッドなど、ボディー素材に拘るあたりも。なるほど、オーディオ的な視点でギターを改造するのも面白いかも知れない。
そのときジュナは、サトルと薫のおかげで、重くなっていた空気が元に戻っている事に気付いた。サトルは本当にムードメーカーだし、薫は薫でマイペースすぎて、悩んでいるのがバカバカしく思えてくる。そこでジュナは、このタイミングを逃してはならないと声をかけた。
「なあ、放課後に1年のみんなで、あたし達の新曲の演奏、ちょっと聴いてみてくれるか。意見が聞きたい」
ジュナは、目線で他の2年メンバーの確認を取る。異存がある者はいなかった。
放課後、朝と同じように第1部室に1年と2年が集まると、2年すなわちライトイヤーズは、新曲”Future Wind”の演奏のためセッティングを始めた。正確な評価を得るため、昨日やったのと同じアレンジで演奏してみる。せっかくなので、薫とサトルが用意してくれたシールドケーブルの評価も兼ねる事になった。
「準備いい?」
薫がPCの前で、録音ツールのRECボタンをスタンバイしてミチルに訊ねた。ミチルはイントロ担当のマヤに目線を送る。マヤが頷いたので、ミチルはサックスを構えた。
「オッケー」
「じゃあ録音開始します」
薫は右手でマウスのクリック準備をし、左手の握り拳をマヤの見える位置に掲げた。RECボタンをクリックした直後、拳をパッと開いて演奏スタートを合図する。もう、何度となく繰り返してきた動作だ。マヤのシンセが、どこか昔懐かしいようなフュージョン的なデジタルサウンドを奏でる。次いでギター、ベース、ドラムスが入り、ミチルのサックスがメインのメロディーを奏でた。昨日やったのとほぼ変わらない。
ひととおり終わって、マヤの合図で薫は録音を止める。みんなの視線は、無意識に薫に集中し、薫が何を言うのかを待っている。その期待に応えたわけでもないだろうが、薫はぽつりと言った。
「前の曲とあんまり変わんないね」
その、遠慮会釈なしのごく単純な感想に、ザ・ライトイヤーズの面々は頭をジャズマスターでガーンと殴られた気がした。前の曲と変わらない。ミチルは恐る恐る訊ねた。
「…どの曲」
「わかるでしょ」
薫の態度は、これが体育部だったらボコボコにされているところだ。だが、薫の言う事はメンバー全員がわかっていた。”Dream Code”や”Friends”といった、ライトイヤーズが好む爽やか系のフュージョンサウンド。T-SQUAREでいえば、2010年頃以降のサウンドだ。要するに、何の事はない。絵で言うところの”手癖”が、変わり映えのないサウンドを繰り返していたのだ。
これは単純なようでいて、深刻な問題だった。なんとなく手が覚えてしまった技法や表現というのは、無意識にひょっこりと顔を出す。朝起きてから玄関を出るまでのプロセスを、月曜から金曜まで毎日違うパターンでやれ、と言われて、即座に実行できる人がいるだろうか。だが、少なくとも一流の表現者でありたいなら、それが出来なくてはならないのだ。薫の意見に、反論するメンバーは一人もいなかった。
「…よくわかった。私達の次の課題が」
そう、新曲を作ったからと言って、それまでの曲と変わらなければ作った意味がないのだ。もちろんそのバンドならではの定番のスタイルはあってもいいが、それだってどこかで変化をつけなくてはならない。あるいは、マンネリな表現を受け容れるか。そういうミュージシャンも存在する。
だが、マンネリという単語はミチルの辞書にはない。どうにかして変化をつけなくては。アルトをやめてEWI、あるいはソプラノサックスでいくか。それだってすでに他の曲でやっている。では、どうするか。
「…よし、マヤ。わかった。あなたの提案をここで実行する」
「え?」
マヤは、怪訝そうにミチルを見た。ミチルはアルトサックスをスタンドに置くと、壁際に置いてある大きなハードケースを持ち上げた。
「本気?」
「わたしの目を見て言ってちょうだい」
少年漫画みたいなセリフを言ってミチルがケースから取り出したもの。それは清水美弥子先生の講習がお休みで放置されていた、ヴァイオリンだった。