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Light Years  作者: 塚原春海
Roses Mistral
132/187

Creep

 ローゼス・ミストラル。南條市を拠点として、すでに関東で名を挙げているガールズロックバンドだ。中学生時代からすでにバンドとして一定の実力と知名度を獲得しており、インディーアルバムを3枚出している。いずれメジャーデビューしても不思議はないと言われていた。

 というバンドの来歴をミチルが思い出したのは、ジュナがローゼス・ミストラル、通称ロゼミスの凄さについて語り出した時だった。最年少メンバーでありながらバンドリーダーを務める高校3年生、風呂井リンがフュージョン部の佐々木ユメ先輩と、中学時代に仲が良かったという事を、かなり以前に当のユメ先輩から聞かされていたのも思い出した。そのときは本田雅人の変拍子ナンバーを覚えるのに必死で、きちんと聞いていなかったのだ。当然というか、ミチル達のバンドとは全く交流がない。


「そんなバンドが、なんで私達に声をかけたんだろう」

 放課後、部室でEWIのセッティングを弄りながら、ミチルは考えた。結局、クリスマスのライブには出る、ということでスケジュールを調整する事に決まった。

 マヤはクレハ、マーコと譜面を広げ、新曲のリズムについて話し合っている。ジュナは我慢が限界を超え、ついに貴重なカシオEG-5の本格的な改造に手を染めてしまった。薫からは「元に戻せなくなっても知らないよ」と再三言われていたのだが。

「そもそも、ふだん最低でも350とか500のキャパでやってて、都内のもっともっと大きなハコも経験してるバンドが、南條市内でも小さいレベルの、レモンカウンティでやる意味、ある?」

 クレハの疑問はもっともだった。レモンカウンティ。市内中心から少し外れた、半地下の小さなライブハウスだ。キャパはせいぜい100人というところで、実績ありのバンド2組が対バンをやるには、心許ないのを通り越して暴挙である。両バンドの実績を考えるなら、1000人あっても足りないくらいだ。

「でもあそこ、音がいいんだよな。マスターが薫みたいなタイプで、音にこだわってる。音量も耳栓いらないレベルだし。100人入るジャズバー、みたいな雰囲気もあるな」

 かつてレモンカウンティ常連だったジュナの指摘は、それなりに納得はできる。少数の客に質のいい演奏を届ける、というのも、ひとつの贅沢かも知れない。

「そもそも今回の企画、いま突然決まったらしいわよ。出演の調整をしてたら、判明したんだけど。電子チケットも、明日からですって」

 クレハの情報に、メンバーはますます首を傾げた。今日は12月9日。2週間前にチケットを出しても、知名度があれば即日完売もあるだろうが、これが仮に駆け出しのバンドなら、チケットノルマ達成も怪しくなる。バンドのファンサイト掲示板でも、困惑している様子だった。

「時間は私達としては長め。出演は主催者と私達だけで、1バンド1時間程度」

「厳しいな。うちらの持ち曲全部やって、MCはさんでギリギリってとこか」

「新曲も何とか当日まで仕上げれば、余裕はあるでしょうけど」

 クレハが、「やれる?」みたいな表情でメンバーを見た。だが、新曲のデモ音源は譜面も併せてとっくに全員が受け取っているし、曲の構成は大して難しくもない。このバンドなら、覚えるのに1週間あればお釣りが来る。

「なんならミチルのもう1曲も、勢いでやっちまうか」

「またそういうムチャブリをする」

 マヤが、ジュナをジロリと見た。だが、そういうギリギリの作業がどうもこのバンドは好きらしい、という自覚症状がメンバーにはある。あと何日かで曲をマスターするとか、そういう作業に妙な快感を覚える面が少なからずある。ソウヘイ先輩いわく「そりゃ単なるマゾだ」そうである。

「やるならやってもいいけど、ミチル。あんたが一番大変だよ。昨日私が指摘した所をやり直す必要がある。新曲を覚えながら新曲を作る、そんな作業、できる?」

 マヤの忠告は確かにその通りだ。そこで、クレハが提案した。

「期限を設けたらいいんじゃないかしら。そうね、12月13日までミチルが仮メロディを完成させる。そこからみんなでデモまで仕上げて、残りの時間でセトリも含めて練習すれば、トータル2週間あれば十分よ」

「なるほど」

 ミチルはカレンダーを見る。特にクリスマスまで、込み入った予定はない。決まりだ、と青い水性ペンで新曲制作を含めたスケジュールを書き込んだ。

 計画が決まると、いよいよメンバーは活発になる。まず、最悪ミチルの新曲ができない場合は、クリスマスにふさわしいコピーナンバーを一曲やる、ということで話はついた。


 一方で、ネットではローゼス・ミストラルの唐突なクリスマスライブ決行を歓迎しつつも、やはり圧倒的にキャパが少ない事、そのうえザ・ライトイヤーズというそれまで全く交流のなかった、しかもフュージョンバンドとの対バンに困惑する声が目だった。

 困惑だけならまだいいが、あからさまに嫌悪を示す者もいた。なぜワンマンでやらないのか。対バンを呼ぶにしても、ローゼス・ミストラルと交流があるバンドを呼ぶべきではなかったのか。なぜフュージョンなどという中途半端なジャンルのバンドなのか。

「けっこうシャレになんないね」

 マーコがスマホを睨む。メンバーは新曲"Future Wind"の音を何度か合わせて、プレイバックを聴きつつ休憩していた。

「嫌なら来なきゃいいだけの話だろ。ほっとけ」

「ジュナみたいなのはともかく、あたしは繊細だもの」

「繊細?面白い。今日一番面白かった」

 マーコとジュナが睨み合うのをよそに、ミチルは小さくため息をついた。

「まあ、私達が気に食わないっていうならそれはそれで仕方ない。けど、ライブ中にファン同士でケンカとか起きたら困るね」

「私達にヤジが飛んできたら?」

 マヤの問いに、ミチルは少し間を置いて答えた。

「言葉による妨害は無視する。物理的に妨害してきたら、ジュナに任せる」

「なんだよそれ!」

「どれくらいまでなら殴っても正当防衛で済むか、小鳥遊さんに訊いておこうか。まあ、それは冗談として」

 ミチルはそう取り繕ったものの、他のメンバーは怪訝そうにミチルを見た。

「ライブで何が起きても動じない、ってのはプロに求められる要素だよ。私達はもうプロ。そこを、ハッキリさせよう。曖昧なままじゃなくね」

 ミチルの言葉に、全員がハッと姿勢をただした。プロ。そのとおりである。所属がインディーレーベルの駆け出しアーティストというだけで、やっている事はプロなのだ。その証拠に、今回の出演もワンダリング・レコード所属アーティストとしての正式な参加である。たとえキャパシティは小さくとも。だいいち、インディーレーベルが下という認識自体が誤りである。

「そうね。なんとなく、駆け出しだからとか、自分達を誤魔化してきた所はあったかも知れない」

 クレハは、自戒を込めるように下を向いた。駆け出しも何も関係ない。仕事を受けて、1円でもギャラを受け取った時点で、すでにプロなのだ。それは、かつて佐々木ユメ先輩からも指摘された事だった。

「そうだね。ローゼス・ミストラルから出演依頼があって、出演する。私達は、ステージをきっちりこなす。それで、私達の仕事は完結する。来るかどうかもわからない客の、ネットの書き込みなんて関係ないんだ」

 マヤは、表情を引き締めて目の前の譜面をにらむ。今やるべき事は、この譜面の曲を演奏できるようになる事だ。全員が気持ちを新たにするとともに、熱くなるより、むしろ落ち着きを見せ始めた。


 

 南條高等学校、普通科3年C組。風呂井リンは、放課後になると真っ直ぐに帰宅し、受験勉強に打ち込む日々を送っていた。ことに、ここ数日の身の入れようは、両親までもが少し息抜きをするべきではないかと思うほど、鬼気迫るものだった。

 リンの成績はトップというわけではないが、よほど間違いがない限り、危なげなく第一志望校を狙えるものだ。それでもリンには今、集中的に勉強を重ねる理由ができた。

『ザ・ライトイヤーズのベース担当、千住クレハと申します。このたびはライブ出演のお誘いをいただき、ありがとうございました。メンバー全員、喜んで出演いたします。差し支えなければLINEアカウントにて連絡を取り合いたいのですが、構いませんでしょうか』

 リンはスマホに届いた最初の返信メールを見た。千住クレハ。あの、ゆるふわロングヘアでメレンゲみたいに優しそうな顔をして、フリーことマイケル・ピーター・バルザリーの孫娘かと思うような、鋭いベースを鳴らす少女だ。龍膳湖でのゲリラライブの演奏を動画で聴いたが、市民音楽祭の時よりさらにスラップの安定感が増していた。佐々木ユメのバンド、"エレクトリック・サーキット"のショータが彼女の師匠だというが、アグレッシブさで言えばむしろ師匠に勝っている。

『LINE交換に応じて頂いてありがとうございました。さっそくですが、出演時間など具体的な事について確認したいと思います』

 さすがに場慣れしている。ザ・ライトイヤーズ。ただのT-SQUAREのコピーバンドだと思っていたのに、驚くようなスピードで突然オリジナル曲を発表し、何とあのステファニー・カールソンのオープニングアクトを務めてしまった。ユメから聞いたが、ニュースになっていない所でも、数々のトラブルを含めた"伝説"を打ち立てているらしい。

 負けた。正直そう思った。インディー盤が売れ、都内でライブをやれば即日チケットが完売する自分達でさえ、敵わない何かを彼女達は持っている。

 しかも、彼女達はフュージョンバンドである。フュージョン!はるか昔にブームなど過ぎ去った、年寄りの懐古趣味みたいな音楽で、現代の女子高校生、しかもリンよりひとつ下の彼女達が、なぜかロックバンドと肩を並べている。ホワイトアウトなんていう、地元の大御所までもが彼女達の企画に参加したのだ。一体、彼女達は何が違うというのか。在野のフュージョンバンドなんて、動画サイトを見ればいくらでもいるではないか。

 だが、今回彼女たちは、こちらの誘いに乗ってくれた。思わず、リンの口元に笑みが浮かぶ。

「楽しみね」

 リンは、新たに開設されたザ・ライトイヤーズ公式サイトの、メンバープロフィールを見た。大原ミチル。ユメの後輩であり、弟子だ。美しく、かつ年齢を感じさせない実力派サックスプレイヤー。まるで、プリンスのライブに参加したキャンディ・ダルファーのようだ。

 クリスマス、ようやく間近で彼女に会える。きっと楽しい夕べのひと時になるだろう。


「聞いたかよ、先輩達の件」

 第二部室の床に座り込み獅子王サトルは、ベース弦を貼り直していた。クレハ先輩は5弦ベースだから交換も手間だろうなと思う。

「何も、レモカンなんてキャパの小さいとこのライブ、今さら出なくてもいいのに」

「そもそも、ロゼミスなんて大物が、レモカンでやろうって言い出したのが謎だけど」

 長嶺キリカは、オーディオ同好会の"遺産"の2段式モニタースピーカーから出る音を確認した。下段がウーファー、上段がフルレンジとスーパートゥイーターという、3ウェイスピーカーだ。サイズのわりに驚くほど出せる音量は大きく、それこそ小さなライブハウスなら、これ1台でPAの代わりになりそうなほどだ。

 薫は相変わらず落ち着いた様子で、新規に導入したレコーディングソフトの設定を確認していた。高音質なDSDという方式の録音にも対応しているが、残念なことにハードウェアの方が古くて対応していない。

「先輩達っていうか、特にミチル先輩は、価値観が普通の人と違うじゃない。ハコの大小は関係ないんじゃないのかな」

「そうね。なんていうか、これだけバンドが話題になってるのに、全然変わらないし」

 アンジェリーカとリアナの意見に、誰も異論はなかった。びっくりするほど自然体なので、ステファニーの前座に立った人達は別人なんじゃないか、と思う事さえある。

 そこへ、段ボール箱を抱えたアオイが奥の準備室から現れた。

「薫くん、これでいいの?」

「ああ、あった?うん、それだ」

 アオイが持って来た箱を、薫は開いてみせた。中には、落ち着いた赤や黒、あるいは紫のケーブルが大量に入っている。

「何のケーブルだ」

「オーディオ用なんだけどね。これで、レコーディング用のシールドケーブルを作ろうかと思うんだ」

「作る!?」

 サトルは、何を考えてるんだという目で見た。シールドケーブルなんか、買ってくればいいのではないか。だが、薫には意見があった。

「ライトイヤーズも含めて、僕らに潤沢な予算、ある?」

「ない」

「ないです」

「ないわ」

「ありません」

「ねーわ」

 演奏チーム5人が声を揃えた。しょせん高校生、使える予算なんてたかが知れている。それでもフュージョン部は必死に存続を勝ち取った結果、同好会に格下げして部費ゼロという事態は免れたのだが。

「そう。僕らにはお金がない。けれど、知識と技術がある。電気信号を送るケーブルは短いのと長いの、信号の品質でいえばどっちが有利?」

 いつになく饒舌な薫に若干引きつつも、サトルは答えた。

「短い方」

「そのとおり。ノイズが乗る可能性も減る。同じように、まあ限度もあるけどゲージは太い方がロスはなくなる。けれど、ちょうどいい長さの市販シールドケーブルなんて売られていない。足りないか、余るか」

 この間「Night Flight」というバンド名が一応決まった5人は、うんうんと頷いた。みんな経験している事である。

「そこで、これだ。この箱に入ってるのは、旧オーディオ同好会で結局使わずじまいだった、オーディオ用の2芯シールドケーブル。マイクケーブルなんかにも使われる構造のケーブルだけど、ギターだとかにも使えるはずだ」

「それで自作するのか」

「うん。ある物を使うんだし、実質タダみたいなもんだ。フォーンプラグはネットで大量にまとめ買いすれば、1本200円かそこらで、必要な長さの高品位なシールドケーブルが手に入る」

「おおー」

 タダ、というワードにサトルは反応した。

「高い機材は買えない以上、そういうウデでカバーできる所で、なるべくお金をかけずにレコーディングの音質を上げてみよう。とりあえず、転がってる安物シールドのプラグをバラして、このケーブルで何本か試作してみる。ギター組にテストしてもらって音質とか、ノイズ耐性を評価しよう」

 高い物は買えないから自作する。涙ぐましいようだが、必ずしもケチでやっているわけではない、あくまでもレコーディング音質の追及のためなのだ、と自分に言い聞かせて、薫とサトルは地道なケーブル加工の内職を始めたのだった。


 一方、2年生すなわちザ・ライトイヤーズの面々は、新曲のアレンジが早速行き詰っていた。デモ音源は良かっただけに、どうにもしっくり来ない。

「なんか違うね」

 マーコがバッサリと切り捨てた。違う。もう、全員の顔にそう書いてある。おおもとの作曲担当であるミチルもそう思った。何と言うか、作品としての”芯”みたいなものがない。

「普通のフュージョンとして聴く分には、まあ問題ないだろうけど」

「アレンジが普通ってこと?」

 つい、マヤがクレハの意見に、少しだけ強めに言い返してしまう。

「アレンジは十分いいと思うわ。けど、それを元にしての演奏がうまく行かない」

 クレハは一応フォローを入れたものの、行き詰まりを見せてぎこちなくなった空気は、どうにも解れてくれなかった。ミチルは、どうするべきか考えてみたものの、思考が袋小路に入り込んでしまった。

 ジュナが、珍しく不安そうな表情を見せる。それはミチルにもよくわかった。この5人が揃った時の事を思い出す。ジュナが加入して、ミチルはすぐに意気投合した。その時から、マヤとジュナはなんとなく反りが合わなかった。そのため、音を合わせる時の雰囲気もあまり良くなかったのだ。


 クリスマスのライブまで、もう2週間を切っていた。

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