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Light Years  作者: 塚原春海
ようこそフュージョン部へ
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脚線美の誘惑

 後にミチル達が述懐するところによれば、それは凄まじい日々だった。何がというと、そもそも半分近くメンバーが知らない曲を、ほぼ即興でアレンジしてストリートライブで演奏する、という無茶苦茶な計画だったためだ。「あの時の自分達を振り返ると、若いっていうのは単にバカなのと同義かも知れない」とは、後々のメンバーの誰かのセリフである。

 休み時間など空いている時間に、ストリーミングサービス等で曲を聴いて、コード進行などを確認しておく。自分が知っている曲に関しては、自信があるなら確認は自分の判断に任せる。昼休みは部室に集合、マヤがスマホの音声解析AIアプリも手伝ってまとめた楽譜もどきを確認、大雑把な打ち合わせをする。一番忙しかったのは私だと、メンバーに訴える権利を金木犀マヤはこの時獲得し、その権利は何度も何度も、何かにつけて行使される事になるのだった。


 かいつまんで言うと、部員を獲得できる残り日数が正味10日あまりという所で、フュージョン部はストリートライブにおいて、それまで部活の名前からは想像もつかなかったようなナンバーを次々と演奏していった。

「おい、何だあれ」

 最初は、帰宅しようとすでに道路に出ていた男子グループが発見した。何やらここ数日、ライブパフォーマンスをしている部活があるとは聞いていたが、フュージョンと聞いてどこか垣根のようなものを感じ、近付かなかったグループである。

 その中の一人が、ドラムセットの椅子の上あたりに浮遊する異様な物体を目に留めた。それは、阿寒湖のマリモが巨大化したような黒い物体だった。だが、そのマリモが上下左右に揺れるのに合わせて、ドラムスの鋭い打音が響いてくるのだ。その物体の正体はマーコ、本名を工藤マアコというドラムス担当の2年生の頭部であった。彼女はどこからか調達してきた、もじゃもじゃ髪のカツラを宣言どおり被って登場したのだ。

「お前暑くねーのかよ」

 横目にマーコを見ながらマルチエフェクターのセッティングを確認し、ジュナはいつも使っているギターとは異なる、ある特別な銀色のギターの音を確認していた。その甲高いハイトーンに、通りかかった生徒はハウリングを起こしているのかと思った。

「よーし。あたしは準備OKだ」

「自信満々ね」

 はなはだ簡略化した”楽譜もどき”を確認するマヤは、キーボードを2段にして演奏に臨んでいた。正直言うと、あまりやりたくなかった構成である。が、一度のライブで演奏する楽曲が多岐にわたるため、1台では対応できないと考えて、もう1台を調達してきたのだ。

「クレハ、そっちはどう?」

「大丈夫よ、問題ない」

 クレハは、愛用のサンバーストのジャズベースを軽快に鳴らしながら答えた。どこかで聞いたセリフである。

「あっちは問題ありそう」

 そう言ってクレハが見た先には、楽器ではなくノートPCの画面とにらめっこしている、ミチルの姿があった。いつも使っているものとは違うウインドシンセをくわえている。

「これどういう事?マヤお姉さま、助けて!」

 半分涙声で支援を要請したミチルに返って来たのは、冷徹な指示だった。

「我に余剰兵力なし。現有戦力をもって己の職責を全うせよ」

「ラインハルト様、ミチルにどうか寛大な処置を」

 マヤとクレハの他人には通じないオタクトークののち、マヤは溜息をつきながらミチルの傍らに近寄った。

「これでいいの?ここ?」

 半泣きでミチルが操作しているのは、ミキシングコンソールのようなツマミ類やスイッチが表示されたウインドウだった。ミチルがいま吹いているのは通常のウインドシンセではなく、USB接続でPCを通して音色を操作するタイプである。専用のソフトウェアを通すことで、単体のウインドシンセでは難しいような、高度なサウンドが出せるのだ。マヤは、ウインドウのスイッチのひとつを指差して言った。

「ここのスイッチをONにしとけって教えたでしょ!」

「えっ、ここOFFじゃないの?」

「情報工学科で、何でこの程度のソフト使えないかなあ…」

 ミチルの耳に痛いセリフを言ったあと設定をし直して、マヤはミチルの手をノートPCから遠ざけた。

「このままにして演奏が終わるまで触るな。OK?」

「わかりました」

「絶対だよ!」

 ソフトウェアに弱い部長に厳重に指示をすると、マヤは再びキーボードの前に戻って、曲の進行を確認した。後ろではマーコが楽しそうにドラムスの練習をしている。ジュナとマーコは耳で覚えるタイプで、楽譜をそこまで確認しなくても弾いてしまえるため、実践に強いのだ。


 ひととおり練習も終わり、メンバーがポジションについた。マーコのアフロカツラはインパクトがあり、とりあえず人目を集めるのに一定の効果はあったようである。

 ジュナが、銀色の妙にネックが長いギターを静かに弾き始めた。それは、大方の人間が想像するようなエレキギターの音ではなく、驚くほどのハイトーンを聴かせる音だった。そのギターはただのギターではない。フュージョン部の男子の先輩から借りて来たもので、自作ネックでフレットが32もある特別なギターである。バイオリンのようなハイトーンも当然のように鳴らすことができ、本来はバンドネオンで始まる”情熱大陸”のイントロを、ジュナは見事にエレキギターで再現してみせた。

 マヤのキーボードからのパーカッションが続いて、マーコのドラムスが入る。そして、クレハのベースとともに、ミチルはセッティングに苦闘したUSBウインドシンセから、バイオリンそのものの音で主旋律を奏でてみせた。フルートのような電子楽器から、バイオリンの音が流れて来ることにオーディエンスは不思議がりながらも魅了されていった。

 間奏では再びジュナのギターソロが、バンドネオンの代わりに入る。その幻想的な音色に、オーディエンスからは拍手が聞こえ、またその数がじわじわと増えて行ったのだった。ジュナは、それまで主に好んでいたハムバッカーの分厚いサウンドではなく、天使の声のようなハイトーンが出せる事に驚き、エレキギターという楽器の可能性に興奮を覚えていた。

 1曲目は誰もが知っている名曲ということも手伝ったのか、マーコの被り物が多少なりとも功を奏したのか、それまでになかったオーディエンスからの拍手で締めくくられた。それは、今までの拍手とは異なる、実感の伴う拍手だった。

 

 2曲目は、ギターの音で沸かせたジュナが突然マイクの前に立ったので、少々のざわめきが起きた。しんと静かになると、マヤの透明なピアノと、マーコのハイハットのイントロが始まる。ジュナの選曲した小田和正の、1960年代終盤に盛んだった学生運動の時代を過ごした、同世代へ向けたロックナンバーだ。もちろん、いま平和に学生生活を送っているジュナには、大昔にあった政治的闘争について、実感できる事は何もない。けれど、この曲から伝わって来る、切ない力強さがジュナは好きだった。

 ジュナはいつものレスポールにギターを替え、弾きながらそのハスキーボイスで歌った。サックスの出番はないが、ミチルはコーラスで参加した。クレハとマーコは黙々と、リズムを刻んでいる。青い空に似つかわしい爽やかなサウンドが、知りもしない遠い時代を見つめた人物の、心の切なさを届けてくれるようだった。


 うってかわって3曲目は、なんとアニメのオープニングテーマである。ほぼ原曲と同じアレンジであり、ストリングスのパートは1曲目同様に、ミチルがUSBウインドシンセで対応した。これもジュナはギターを弾きながら、見事に歌い切ってみせた。その実力に、こんな事もできるのかとオーディエンスは驚嘆しているようだった。選曲したクレハは、それまで見せた事がないような、自信に満ちた笑顔でベースを見事に弾ききってみせた。これは軽音部のやる事ではないか、という声がちらほら聞こえたものの、オーディエンスが確実に増えている。


 4曲目はだいぶマイナーなゲーム音楽で、広大な草原のフィールドで流れる"Run into the horizon"。選曲者のマヤは、重いシナリオの中に爽快かつ雄大なBGMが流れることで、一服の清涼剤になると同時に世界観を引き立てる要素になってもいるのだと、オタク特有の早口でメンバーに解説した。この曲はホーンとストリングスが両方含まれるが、ホーンはマヤが2台目のキーボードで対応し、ストリングスはやはりミチルがウインドシンセで担当した。知識がないオーディエンスの中には、あれはストリングスの音を出す楽器なのだ、と完全に誤解している生徒もいた。


 こうして、それまでのフュージョンとはまるで異なる楽曲を演奏し、それまでにないオーディエンスの獲得に成功したフュージョン部だったが、5曲目でミチルがラッカー仕上げのアルトサックスに持ち替えた時、ざわめきが大きくなった。唐突に彼女たちは"フュージョン部"に戻ったのだ。

 水を得た魚のように、ミチルのサックスが朗々と鳴り響く。キャンディ・ダルファーの、いわゆるフュージョンとは異なるファンキーな音の世界が、その場の空気を支配した。ジュナとマヤもコーラスで参加し、校庭の一角があたかもクラブに変貌したかのように錯覚を起こさせたのだった。


 演奏を終えた5人はオーディエンスに深々とお辞儀をし、片付けに取り掛かる。だが、そこでまったく、誰一人予想もしなかった現象が起こった。そう、アンコールである。

「アンコール!アンコール!」

 制服を着た観客が、手を叩いて演奏を要求する。正直言って、ミチルたちは呆気に取られていた。

「どうする?」

 困惑しつつ、とっさにマヤに訊ねたのはミチルである。この頃からマヤはすでにミチルの参謀としての地位を確立していたと、後世の歴史家は書き残した。しかしこの時困惑していたのはマヤも同様であり、5曲もやって疲れている所なので、参謀は次の意見を具申した。

「スクェア1曲やって終わらそう。TRUTHでいいでしょ」

「そんなベタな」

「みんな知ってる、すぐ演奏できる。これ以外に適切な選曲、ある?」

「な…なるほど」

 参謀に二言で納得させられた司令官は、部室に飛び込んでソプラノサックスを持ち出し、マイクに叫んだ。

「1曲だけだよ!それじゃみんな、いくぞ―――!!」

 マヤのキーボードが、おなじみのイントロを奏でる。その場の空気が一変した。



 その後、部室ではちょっとした打ち上げが行われていた。ポテチやポッキーの袋が開けられ、めいめいコーラ、エナドリその他のボトルや缶を開け、ミチルに視線を集中させる。奥では本当は部外者の村治薫少年が、もはや専属スタッフのようにパソコンで音源の編集処理を始めていた。

「ほら、そこのオーディオおたく!あんたも参加しなさい」

「え?うわわっ!」

 ジュナに襟首をつかまれて、薫はミチルの隣にちょこんと座らされた。余っていた缶コーヒーが差し出されると、薫は黙ってプルタブを引く。ミチルが立ち上がって音頭を取った。

「えーと、なんか滅茶苦茶やってたら1日目はよくわからないうちに上手く行きました。アンコールのTRUTHは良かったと思います」

 そんな音頭でいいのか、と全員に怪訝そうな目で見られ、ミチルはひとつ咳払いした。

「えー、色々あるけど、とにかく今日は今まででいちばん楽しかったです!お客さんも集まってくれたし、まあライブとしては大成功でしょう!これもみんなのおかげです!乾杯!」

「かんぱーい」

 高く掲げられたボトルや缶がぶつかり合い、熱い風が吹く中で演奏して疲れた面々は、その喉を潤した。先週から始めたストリートライブだが、一番楽しい日だった、と心から全員が思っていた。

「やっぱ何だかんだで、TRUTHって名曲だよな」

「そりゃそうよ。何だかんだで。ね、薫くん」

 突然ミチルに同意を求められた薫は、缶コーヒーをひとくち飲んで遠慮がちに言った。

「うん、やっぱり名曲だと思う。今日の先輩たちの演奏も良かった」

「おっ、なんだなんだ。何も出ないぞ」

 ジュナがからかうと、全員が笑った。もうすでに、一人のメンバーのような存在感さえ湛え始めた薫である。薫は自ら提案し、スマホを手にして5人の記念撮影を買って出た。その時薫は初めて、女子の先輩5人に囲まれた空間にいる、という事を、だいぶ遅まきながら実感したようで、今さら妙に緊張を覚え始めたのだった。よく見ると、ミチルのスカートが捲れて太腿が見えている。しかもミチルは暑いのか、ソックスを脱ぎ去っていた。突然汗ばみ始めた薫は、急いでシャッターを押してスマホをミチルに返したのだった。

「なんだ、どうした少年。さてはミチルの脚に見とれていたな」

「あっ、そうなの?見かけによらずやらしい奴だな!うちの弟と同じだ!」

 ジュナとミチルに両サイドから攻撃を受け、薫の顔は紅潮した。そのとき脳裏に浮かんだのは、THE SQUAREの名曲、名アルバムのタイトル”脚線美の誘惑”であった。

「そっ、そういうわけじゃなくてですね!」

「じゃあどういうわけなんだよ!」

 ジュナが薫の耳を持ち上げて引きずり回す。もはや単なる酔っ払いである。翌日のセットリストの事はこの時、すでにメンバーの頭にない。


 もう、ライブが楽しかったせいで、本来の目的を忘れかけていたメンバーだった。その直後、「願っていたものは願っている時に手に入らず、願ってもいない時に限って手に入る」という、よく言われる言葉の意味をフュージョン部の5人は実感する事になる。


 それは、打ち上げも終わって翌日のセットリストについて打ち合わせが始まった時だった。コンコン、とドアを叩く音がした。

「やべ、先生かな。早く帰れとか」

「まだそんな時間でもねえだろ」

 ジュナは、玄関のベルに出る主婦のようにパタパタとドアに駆け寄った。

「なんすかー」

 気の抜ける返事とともにドアを開けると、そこに立っていたのは長髪の前髪を切りそろえた一人の少女だった。校章の色は赤。一年生である。演奏の感想でも言いに来たのだろうか、とジュナたちが思った時、少女はまず名前から名乗った。

「あのっ、1年3組の戸田リアナといいます」


 その少女は、ミチル達の手元に配られた一枚のカードだった。

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