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Light Years  作者: 塚原春海
Independent
128/187

時間旅行

 今回は歴戦の地元バンドマンが何人もいて、トラックへの機材積み込みもほとんど出番がない。その場の流れで薫は大人たちへの指示役に回ってしまったので、なんだか落ち着かない気分だった。

「そのスピーカーは重いから気をつけてください。怪我しないように」

 大人の身長も超える超トールボーイに、肩甲骨脱臼楽団の面々は怯んでいた。バンド名だけだと何となく不安だが、ベースもドラムスもプロレス出身かなと思うような偉丈夫だ。

「何キロある」

 ベースのおじさんが訊ねたので、薫は「たしか80kgは超えてる」と伝えたところ、頼もしい返答があった。

「エレベーターがないマンションの5階まで100kgの冷蔵庫を運んだ時に比べれば、何てことない」

「始末した奴をトラックに載せるようなもんだろ」

 二人目の物騒な喩えは聞かなかった事にして、薫は細かい機材の整理を手伝う事にした。が、これまた歴戦のバンドマン達は、撤収作業も心得ている。機材の半分以上はライブハウスから借りたもので、シールドケーブル類も部室のものより高品位だ。


 片付けがひと段落して立っていると、後ろから声がした。

「薫、おつかれ」

 ミチル先輩が、ボトルコーヒーを手渡してくれた。温かい。

「地元の酒屋さんからの差し入れ。街を守ってくれて、ありがとうって」

「まだ、守れたと決まったわけじゃないよ」

 アルミのキャップを開けながら、薫は馴染みのない小さな街を見た。まだ一部の電力が復旧していない。

「あの電源車、電力復旧まで貸し出す事にしたんだって?」

「うん。小鳥遊教授が、複数の家庭に電力を供給した時のデータを取りたいんだって。といっても、ドラムの電源ロールを家庭に引っ張るっていう力技だけど」

「容量は?」

「いちおう商用電源の標準規格、100ボルト15アンペアまで。今のライブで、200ボルトも余裕って事はわかったけどね」

 こういう会話になると、やっぱり先輩も科学技術工業高校の生徒なんだなと思う。女子高校生の口から「商用電源」という単語を聞く機会はそんなにないだろう。

「なるほど」

 実験という名目なら、使用料も発生しない。単に住民に気を利かせただけではないのか、と薫は思った。

「やろうと思えば、この湖の水から水素を生成することもできるんだってよ」

「エネルギーは?」

「あのトラックのトップが太陽光パネルになってる。まあ、晴れた日に限られるけどね」

 薫は呆れ半分で笑った。もう、移動式の完結したミニ発電所だ。

「先輩達と一緒にいると、飽きないね。次から次に、いろんなものが目の前に現れる」

「それ、こっちのセリフだよ。薫と出会ってから、ほんとに色んな事が一気に起きた。正直、あなたがいたから、ライトイヤーズはここまで来れたんだって思ってる」

「それは過大評価だな」

 薫は笑ったが、ミチル先輩は真顔だった。

「それを言うなら、あなたは自分を過小評価しすぎね。全部、趣味の範囲だって思ってるんでしょ」

 その指摘に、薫はわずかに動揺を覚えた。

「自分では趣味でやってるつもりだろうけど、私達から見れば、薫はもう立派に"仕事"してると思うよ。今日の音響コントロールだって、一人でやり切ったじゃない。私達には出来ないよ」

 仕事。そんなふうに考えた事はない。もちろんそういう要素はあるだろうが。そこへ、ミチル先輩は真面目な顔で言った。

「後付けになっちゃうけど、今日仕事してくれたぶん、バンドとしてギャラは払うからね。大した額にはならないだろうから、申し訳ないって断ってはおくけど」

「ちょっと待って。いいよ、ギャラなんて。先輩達もノーギャラでやってるじゃない」

「それは私達の話。街中のゲリラライブだって、トラックの運転手にはお金払って手配してるんだよ」

 なんだか、お小遣いを渡そうと迫る親戚のおばちゃんみたいだ(言ったら殴られるだろうけど)。先輩達からお金を貰うなんて、考えた事もない。慌てて、薫はフォローを入れた。

「僕は実質的に、ライトイヤーズの一員だよ。それなら立場は先輩達と同じでしょ。同じグループ内でギャラを払うなんてこと、ある?」

 そこまで言って、薫は自分の迂闊さに気付いた。先輩の"計略"にはめられたのだ。

「ふーん。いま、ライトイヤーズの一員、って言ったよね」

「汚い」

「お褒めに預かり光栄です」

 なんだかクレハ先輩みたいだ。あの人は美少女の仮面の裏に、食わせ者の素顔がある事が最近わかってきた。というより、もうその素顔を隠そうともしない。ミチル先輩達もその、クレハウイルスに感染し始めたのではないのか。

「まあでも、この間も言ったけどさ。薫、あなたが私達と一緒にいてくれたら、すごく心強い。これから先も」

「…これから先って、どこまで」

「そんなの、わかんないよ。先、って言ったら先」

 何なんだその要領を得ない回答は。あなた本当に、科学技術工業高校の生徒ですか。

「何をどうするべきだ、とかは私にはわからないけど。これは、メンバーみんなの気持ちなんだ。それは伝えておくね。もちろん、あなたがそれを望まないなら、無理強いはしない」

 先輩はハッキリとそう言った。自分が、在りたいように在りなさい、と。だが、薫は先輩達ほど、明確に自分の道を定められるわけではない。

「…先輩達は、どうしてそんなに、迷わずに決められるの」

「それこそ過大評価だね」

 先輩は、コーヒーを飲んで息を吐いた。冷たい空気に水蒸気がたなびく。

「今は前ほど迷わなくなったかも知れないけど、迷いがないわけじゃないよ。自分には一切迷いがありません、なんて人、私なら怖くて関わりたくない」

「それはまあわかる」

「迷いながらでいいんだよ。決めつけなくてもいい。ただ、薫はどう?私達と一緒に活動したいか、したくないか」

 その訊き方はずるいな、と薫は思った。したくない、と答えるわけにもいかない。だが、先輩達との活動は確かに楽しい。時に心臓に悪い事もないでもないが。

「楽しいよ。先輩達といるのは」

 薫は、思ったままの事を言った。

「けど、仮に一緒にいたいとして、どういう形になるのかな。それが、全く想像できない。今みたいに、音響のサポートをしていくのか。それとも、全然違う形なのか」

「そうだね。でも、音響については助かってるよ。それに、音楽のディレクターみたいな事もしてくれるじゃない。私達が気付かないような視点から」

「真似事だけどね」

「真似事でも、出来ると出来ないとじゃ大違いだよ」

 先輩の表情は、真剣なままだ。おためごかしを言っているわけではない。それは薫にもわかる。だが、薫はどこか踏み出せないでいる自分を感じていた。すると、それを察したのかどうかはわからないが、先輩はひとつアドバイスをくれた。

「私もユメ先輩から言われる事だけどさ。何もかも、即座に決めろっていうんじゃないんだよ。ぼんやりでもいいじゃん。何となく、こんな風になったら面白いだろうな、ぐらいの感覚で」

 ぼんやりと。それなら、薫も考える事はある。音響スタッフ、アレンジャー、プロデューサー。片手間に、オーディオ雑誌に自作スピーカーの制作記事なんかを載せたり。今より大人になった先輩たちと、相変わらず次のライブ、次の楽曲について話し合っている。マヤ先輩は片手にいつもスマホ。ジュナ先輩は、オリジナルのレスポールを弾いているだろうか。そんなことをしているうちに、何か困った案件が飛び込んでくる。このピンチに対応できるのはライトイヤーズの皆さんだけなんです。ミチル先輩の号令。マヤ先輩が仕切り始める。そしてセトリは薫が考える羽目になる。今と同じだ。

「ふふふっ」

 薫は、つい吹き出した。

「15年くらい経っても、今と同じ事してるかも知れないね、僕たち」

「そうかもね、ふふふ」

「うん。そういう未来も悪くない」

 未来。薫は、口をついて出て来たフレーズに何かピンときたようだった。

「ねえ、先輩。未来、っていうテーマで曲を作れる?」

「未来?」

「先輩はそういうの、作れそう」

 何気ない思い付きだったが、ミチル先輩は笑わずに話を聞いてくれた。少し考え込んだあと、小さく頷いて薫を見る。

「うん。コンセプトアルバムの中の楽曲に、使えるかも知れないね。デモ音源を作らないと」

「いけそう?」

「作ってみないとわからない。やる事は多いよ」

 飲み終えたボトルのキャップを閉めると、ミチル先輩は軽く背筋を伸ばして「よいしょ」と自分に気合を入れた。

「さあ、撤収だ。忘れ物ないよね」

「うん」


 ライブハウス”ネッシー”周辺に、各バンドが乗って来た車が集まっていた。街の人達からの差し入れのお菓子やら、湖の特産品やらの袋を提げた面々が、名残惜しそうに挨拶を交わしている。ホワイトアウトの巨大なバンは、すでに出発しようとしていた。窓が開いて、ミチルに小田さんとメンバーが声をかける。

「またどっかのライブで会おうな!」

「うん、みんなも元気でね!」

 バイバイ、と言って、白いバンは夕闇の中に、ヘッドライトを輝かせて消えて行った。バンドの本拠地は、この面子の中では一番遠い。これから1時間以上かけて山道を帰るのだろう。

「さて、あたし達も帰るか。じゃあねみんな!風邪ひかないでね!」

 D.R.Sの3人とサポートの人が、2台の車に分散して乗り込む。ミチルは、駆け寄って助手席の芹沢さんに声をかけた。

「今日はありがとうございました!」

「ありがと。また何かやる時は声かけてね。行けたら行くから」

「それ絶対来ないフラグ!」

 ケラケラと、笑い声が暗闇に響く。2台の車が、静かに湖沿いの道路の奥に消えて行った。


 そのあとも、1台また1台と、各バンドの車は消えて行く。残ったのはフュージョン部が分散して乗ってきた、小鳥遊さんと愉快な黒服さん達が運転するバンである。フュージョン部1年生と3年生が、車の周りで談笑していた。

「小鳥遊さん、今日もありがとう。今回のギャラは、私達に直接請求してちょうだい」

「いいえ、大原さん。今日は友人として車を出しただけです。実質的にはレーベルとも無関係のライブなので、お金の話は無しにしましょう」

 小鳥遊さんは、ミチルの申し出に対してそう答えた。ありがたい事ではあるが、ミチルとしては少し申し訳ない気分である。

「親しき中にも礼儀あり、って言うでしょ」

「おっと、これは一本取られましたか」

「じゃあ、せめてガソリン代だけでも払わせて。往復でどれくらい?」

 ミチルが食い下がるので、小鳥遊さんも諦めて微笑んだ。

「わかりました。では、3台のガソリン代を往復分で、消費税込み5000円請求いたします」

「間に合ってるのね?その額で」

「ご安心ください」

 小鳥遊さんと、たぶん部下の黒服2人も笑ってうなずく。自動車教習所にすら通っていないので、どれくらいガソリンを消費したのかもわからない。ミチルは、まあ小鳥遊さんが言うならそれでいいか、とクレハを向いた。

「クレハ、明日あなたにお金を預けるから、小鳥遊さんに渡しておいてくれる?」

「いいわよ。領収証も必要よね」

「もちろん」

 ミチル達は、曲がりなりにもプロだ。もう、誰かの好意に甘えきってはいられない。お金の事はきちっとしよう、と自分に言い聞かせる。だが、なんとなく小鳥遊さんは、ミチルがそう考えるのを促しているようにも思えた。大人として、さり気なく導いてくれているような印象も受ける。

 ライブハウスの横には、電源車を手配してくれた小鳥遊さんの叔父、小鳥遊主任と助手の若い先生、そして清水美弥子先生が、マスターの鷹山さんと話をしていた。電源車はこのあと状態をチェックして、問題なければ周辺の停電している数世帯に、実証実験の名目で電源を供給するらしい。

「本日はほんとうにお世話になりました。バンド代表として、心からお礼を申し上げます」

 ミチルは、深々と頭を下げる。大人組は、微笑んで頷いてくれた。

「こちらこそ、こうして実地で検証データを収集できる機会を提供してくれて、感謝してます。どうもありがとうございました」

 女子高校生に対しても、きちんと敬語を使う。律義な人だ。このへんも、甥の小鳥遊さんと似ている。

「本当にありがとう。この先どうなるかわからないけど、みんながしてくれた事は忘れない」

 マスターの鷹山さんは、満足げに微笑んでミチルたちに頭を下げた。

「こちらこそ、勝手な事をしたみたいで」

「そんな事はないよ。今日の結果がどうなろうと、この出来事は君たちにとってプラスになるだろう。いつか、大きなステージに立てる事を祈っているよ」

 鷹山さんは、年季の入った手を差し出してきた。ミチルは、がっしりと握り返す。長年ライブハウスを守って来た人の手だ。こういう人達がいるからこそ、ミュージシャンの居場所がある。

「ここで凱旋ライブをやらせてください、その時は」

「いやあ、ハコが壊れない程度の人数で頼むよ」

 鷹山さんのジョークに、その場の全員が笑った。温かい。音楽という共通言語が、今ここにいる人達を結び付けている。音楽をやっていて、本当に良かったと思う。

 ミチル達は挨拶をして、学年ごとにバンに乗り込んだ。ついさっきまで数千人がいたライブ会場は、しんと静まり返っている。3台のバンは静かに発進し、湖畔をあとにした。


 もう真っ暗な湖を囲む山を越えると、眼下には都市の明かりが煌めいていた。メンバーのみんなは、もう疲れきっている。マーコは眠ってしまっているようだが、マヤはスマホで動画をチェックしていた。おおかた、さっきのライブの様子がアップされているのをチェックしているのだろう。

 さっきまで見えていた星空が、街明かりが近付くにつれて見えなくなってきた。地方とはいえそれなりの都市に住んでいると、澄んだ星空を見る機会は少ない。やがて、小さな星はほとんど見えなくなってしまった。


 ミチルは、ついさっき薫と交わした会話を思い出す。薫は、15年経っても同じ事をしているかも知れない、と言った。それは単なる思い付きだっただろうか。未来はどうなるかわからない。ミチルたちは大きな舞台に立ち、薫は舞台裏でみんなをサポートしてくれているかも知れない。今と、まるで変わらない。

 そのころ、ユメ先輩たちはどうしているだろうか。そして、アンジェリーカや1年のみんなは。まだ、音楽を続けているだろうか。それはわからない。願わくば、今と変わりない関係でいられるといいな、と思う。それこそ夢だろうか。


 薫は、”未来”をテーマに曲を作ってみてはどうか、と言った。今は疲れてしまって、考える余裕もない。明日から考えよう。今日は帰って、ゆっくり休もう。ひょっとしたら、夢の中で未来へ時間旅行をして、メロディーを思い付くかも知れない。

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